【KAC20233】なんやかんやでアレを買いにドラッグストアに行く二人
宇部 松清
第1話
「夜宵、良いのか、ほんとに……」
目の前には、ぎゅっと目をつぶって小さく震えている夜宵がいる。何かを掴んでないといられないのだろう。そばにあったタオルケットを両手でぎゅっと握り締めている。
「うん、僕は、大丈夫」
声も震えている。どこからどう見ても大丈夫ではない。
「夜宵、やっぱり今日はやめないか……?」
「駄目だよ萩ちゃん。そう言ってここ最近ずっと先延ばしにしてるじゃない。萩ちゃんが僕の身体を心配してくれるのは嬉しいけど、僕だって男なんだし」
「男だけどさ。でも、もしものことがあったら」
「大丈夫、そのために
「そうだけど」
でも、こんなに震えている夜宵には、出来そうもない。夜宵の肩に手を乗せると、彼はいよいよその時が来たかと、びくりと大きく身を震わせて、全身を強張らせた。
「や、大丈夫。今日はもうやめよ」
「何で!」
「何でって……」
いや、どう見てもさ。
お前がそんなんだったら出来るわけないよ。
そう言ってしまいたいけど、出来ない理由を夜宵のせいにすれば、それはそれで彼のプライドを傷つけることになりそうだ。誰だって初めては怖い。しかもそれが、痛みを伴うとわかっていればなおさらだ。
「俺が、その、怖いから」
だから、あくまでもこれは、俺がビビりでヘタレなせいだと、そういうことにした。それもまた事実ではある。それが証拠に、俺の手だって震えている。
と。
「大丈夫だよ、萩ちゃん」
自分だって怖いくせに、俺の手を取って、ぎゅっと握り、それを額に押し当ててくる。
「僕も怖いけど、萩ちゃんにしてもらえるなら、嬉しいよ。絶対に、僕の初めては萩ちゃんにって思ってたんだ。ずっとこの日を待ってたんだよ、僕」
だからお願い、と上目遣いに見つめられて、くらりと目眩がする。
「じゃ、じゃあ、頑張る……。なるべく、その、痛くないように……出来るかはわかんねぇけど」
「大丈夫、気にしないで。たぶんだけど、僕の経験上、こういうのはもうためらいなく一気にやった方が良いと思うんだ」
「ちょ、夜宵、経験上って……!?」
お前、初めては、って言ってたのに、他にも経験があるのか!?
そんな俺の動揺を読み取ったのだろう、頭と両手をぶんぶんと振って「違うよ!? 違う違う! 他にも経験があるとかじゃなくて! こういうのって何事もそうじゃない? 勢いが大事っていうか!」と真っ赤な顔で否定する。
確かに言われてみればそうかもしれない。痛いのは一瞬……いや、しばらくは結構じんじん痛いんだけどな。
「ねぇ、お願い萩ちゃん」
甘えたような声で、俺の手を取る。その声で決心が固まった。俺も男だ。
「わ、わかった……。じゃ、行くぞ夜宵」
「うん……っ!」
「……痛かったぁ」
「……こ、怖かったぁ」
涙目で、真っ赤になっている耳たぶを擦る。そこには、小さな青い石のついたピアスがある。
約束していたのだ。高校を卒業したら、夜宵のピアスをあけてやるって。俺は高校の時に夜宵にあけてもらったけど、真面目な夜宵は高校を卒業してからの約束だった。別にそこまで校則が厳しいわけじゃないから、校内では透明のやつならそこまでネチネチと注意されることはないけど、それでも夜宵の性格的にアウトだったんだろう。
「お揃いだね、萩ちゃん」
厳密には同じものではないけど、夜宵のファーストピアスは俺がいましているものと同じ色の石を選んだ。しばらくして穴が馴染んだら、同じものをプレゼントしようかと密かに計画中だ。
「もう僕はね、正直、耳がなくなる展開も覚悟してたから」
「ぇえっ!? そんな覚悟決めてたのか?!」
「うん、だって萩ちゃん、痛いのは見るのも駄目でしょ、ホラーとかさ。こう、刃物でぐちゃぐちゃする系のやつが特に駄目じゃない」
「うっ……それは確かに」
「だから最悪の場合、手元が狂って、僕の耳たぶがぐちゃぐちゃになる可能性もあるんじゃないかな、って」
「ないよ! さすがの俺でもそこまでビビりじゃないからな!?」
「だよね。ごめんね。僕の耳、ちゃんと無事だった」
あはは、と無邪気に笑う夜宵はまだ涙目だ。彼の薄い耳たぶは真っ赤になっていて、見るからに痛々しい。けれども、俺も最初はこうだったし、特にこの状態が異常というわけでもない。
「さぁ萩ちゃん、もう片方もお願い」
「えっ、やっぱりもう片方もやる感じ?」
「もちろんだよ。だって萩ちゃんだって両耳でしょ? だったら僕も。大丈夫、もう痛みは覚えたから」
さぁ、一思いに! ともう一つ用意しておいたピアッサーを渡される。そりゃあ最初から二つあけるつもりではいたけどさ。
「これ終わったら、消毒液買いに行こっか。あとついでに洗剤と
――」
そんなことを涼しい顔で言いながら、ピアッサーを持った俺の手をぐいぐいと左耳へ導く。
「ほら、せっかく冷やしたんだから」
そう急かされて、俺は覚悟を決めた。大丈夫、さっきだって出来たんだもんな。いまのこの妙な高揚感の中で勢いに任せてやってしまわないと、下手に日をあけたら俺の性格上、もう出来ないかもしれない。さすがは夜宵。俺のことをよくわかってる。
で、一回目よりは手早くもう片方にもあけ、俺と夜宵は連れ立って近所のドラッグストアにいる。ちょうど夕方の品出しの時間と被っているらしく、そこここで店員さんが忙しなく商品を補充していて、折り畳みコンテナをバタンバタンと畳むような音も聞こえる。
「まずは、ピアスホール用の消毒の予備だな」
「これって、付けたり外したりするの?」
「いや、一ヶ月はこのまんま。つけたまま消毒すっから」
「そうなんだね」
「あと何だっけ、えっと、洗濯洗剤と?」
「えっとね、台所用の漂白剤と、フロアワイパー用のシートと」
買い物メモを片手に店内を歩く。
うっわ、なんかもうめっちゃ同棲カップルっぽい! いや、同棲カップルなんですけども!?
ていうか、同棲してるし、カップルなんだから、そろそろこの辺のお世話にもなるはずなんだよな、と避妊具やら何やらが陳列されているコーナーをちらりと見る。高二の冬からお付き合いを始めて一年と数ヶ月。実はまだ俺達はその段階を踏んでいない。
「……萩ちゃん? どうしたの?」
「えっ、いや、何でもない!」
「あっ、あと僕、ワセリンも買ってこうっと」
「ワセリン? ワセリン?!」
具体的にナニがどうとは言わないけれど、男同士のアレで使用されることもあるというワセリンを!? えっ、夜宵、お前?!
「僕、冬になると結構手荒れが酷くてね。唇も割れやすいし。ハンドクリームとかリップクリームでも良いんだけど、それよりも白色ワセリンの方が合うんだよね」
「あ、あぁ、成る程……」
俺の馬鹿!
夜宵がそんな破廉恥なことを考えるわけないだろ! 穢れなき天使だぞ!?
いや、多少、そういうことも考えてほしいっていうか、なんなら大いに考えてほしいところではあるけど!
と、俺の動揺が周囲に伝染でもしたのか、バララララ! と近くの棚からシャンプーの詰め替えが落ちてきた。えっ、ポルターガイスト? そう思いつつも、ぐちゃぐちゃにばら撒かれたそれを拾おうとしたところで、お客様申し訳ありません、こちらでやりますので、と男性店員が駆け寄って来る。並べる際のルールなんかもあるかもしれないし、下手に手を出さない方が良い、そう思って、手を引っ込める。
しかし、俺は天使のような夜宵になんて邪なことを考えているんだ。たぶん純粋な夜宵のことだから、結婚するまではお互い清い身体で――なんて考えているんだろう。まぁ、同性同士は結婚出来ないんだけど、いまはパートナーシップ制度なんてのもあるしな。ちゃんと勉強したんだぜ、えっへん。何せ俺は夜宵と墓場まで一緒にいるつもりだからな。
だから、そういうのはお互いに就職して、指輪も用意して、俺がびしっとプロポーズしてからでも良いんだ。夜宵の為なら、俺はいくらでも我慢してみせる。
そう密かに決意していると、ついつい、と袖を引かれた。
「どした?」
「うん、えっとね」
ちょっとあっちも見に行かない?
そう囁いて控えめに指をさしたのは、先ほどのコーナーだ。そう、俺が邪な思いでチラ見していたコーナーだ。
「え、や、やよ」
いいや待て待て。
夜宵だぞ?
高校時代だって、いきなり部屋に突撃してもエロ本の一冊も見つけられなかった夜宵だぞ? そんな夜宵に限ってそんなことがあるわけがない。きっとあっちのコーナーにある何か別のものを――、
「あの、僕も、一応考えてるからね」
「いや、え、あの、夜宵?」
「萩ちゃんの心の準備が出来たら、いつでも言って」
「お、おう……」
「僕の方はいつでも大丈夫だから」
えっ。
いつでも?
いつでも?!
「夜宵、いつでもっていうのは、いつでもってことか?! その、一般的な、いつでも、って意味?!」
混乱してわけのわからないことを口走る俺を、「当たり前でしょ、何言ってんの」と笑い飛ばす。
さ、行こ行こ、と手を取られ、強く引かれる。足がもつれそうになるのを堪えて歩き始めると、それを契機に後ろの棚からやはり、ダララララララ! となにがしかの商品が棚から落ちる音と、「お客様ァ?! 大丈夫ですかァ?!」という店員さんの焦ったような声が聞こえたし、恐らく、背後では商品がしっちゃかめっちゃかのぐっちゃぐちゃになってるんだろうけど、俺は正直それどころではなかった。
あまりにも刺激が強すぎたのだろう、帰宅直後にぶっ倒れ、そのまま三日ほど寝込む結果となったのである。
【KAC20233】なんやかんやでアレを買いにドラッグストアに行く二人 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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