怪獣発生情報:お住まいの地域に怪獣が発生しました

目々

青春避難勧告

 学校の屋上から見えるデカい城。文化財だかなんだかの指定や結構な由来や価値があったはずのそれは、落雷に似た轟音と地震のような振動をまき散らして白煙と共にあっけなく崩れ去っていく。


 現場監督が逃げ出し作業員が自棄を起こした工事現場のような破砕音と、たがが外れた癇癪もちの絶叫じみたサイレン。

 BGMにしてはひたすらにやかましい代物を耳どころか全身に浴びながら、俺は学校の屋上で防護フェンスに手を掛けたまま崩落する城を眺めている。


「一年生は避難済んだはずだろ。なんでいんの」

「一年どころか全校でしょうに。先輩こそ何でいるんです」


 突然飛んできた疑問に質問を返せば、舌打ちと共にぼやくような声が返ってきた。


「まあ、そうね……でもやめろよなあ。生徒会のやつが二人もいたとか、またあることないこと言われちゃうじゃん。文系不良とかろくでもない」


 うちの高校そんな連中ばっかりだけどねと言って、五十嵐先輩はフェンスに凭れたまま笑った。


 九月も末になれば日射しも随分秋らしくなり、目を射る程度に明るいくせに熱の薄い亡霊のような光が地面に淡い影を映す。

 本来なら授業中であるはずの今の時間なら屋上には誰もいないはずだったのに、どうしてか先輩はのうのうとフェンスの手前に陣取ってぼんやりと空を眺めていた。


 五十嵐先輩は三年生で、生徒会の会計部門に所属している。素行と成績がよろしくないのにどうして生徒会になんぞ入ろうと思ったのかは知らないが、整美委員長と仲が良いようで、よく生徒会室で二人で楽し気に話し込んでいる。

 札がつくほどではないがうっすらと悪い噂──授業のサボり常習だとか遅刻魔だとかその程度だが──があるような人間が、信用が何より問われるであろう会計に携わっていいのかという疑問はある。だがそんな周囲の心配をよそに先輩は別段問題を起こすようなことはなく、書いた書類の字が読みにくいことと生徒会会議で基本的に居眠りしている以外は全く普通だった。サボりぐせは今更直しようがないのか午後になると会室の奥の方で物陰に潜んで寝ていることがままあったが、本人が単位と出席日数で困るぐらいの実害しかないのだから、他人を巻き込もうとしない限りは放っておかれていた。

 俺も生徒会には一年生ながら書記兼雑用として入会しているので、二重の意味で先輩ということになるだろう。けれども業務で組むようなこともなく、俺から積極的に絡みに行くようなこともなかったし、向こうも無闇に先輩風を吹かすような人間でもなかった。たまに居合わせたときに挨拶を交わしたりちょっとした雑談をするくらいの関わりしかなかった。


 さして親しいわけではないが、かといって不仲なわけでもない。顔見知りの先輩と後輩という間柄でしかなく、それは恐らく向こうもそうだろう。

 嫌うほどに好くほどに、互いのことを知らないというだけのことだ。


 そんな人とこのタイミングで会うのは何かの意味でもあるんだろうかと考えて、それこそ分かったところで意味がないことだと気づく。少なくとも俺にとってはどうでもいいことだ。


 耳鳴りのような地響きに、俺はフェンスの向こうへと視線を向ける。

 怪獣は見事な尻尾を振り回して、今度は近くのビルを壊している。あの辺りには貴重なコンビニがあったような気もするが、立ち込める土煙と距離のせいで何も見えなかった。


「何なんですかね、あれ」

「怪獣だよ」

「怪獣ってその──現実味がないじゃないですか、怪獣って。映画じゃないんですから」

「味どころじゃなく現実にいるじゃん」


 先輩が呆れた口ぶりで言うのに被さるように咆哮が響き、俺は反射的に耳を抑える。

 フェンスの向こう、遠くに見える怪獣は真っ黒い体表を秋の日にぎらぎらと光らせて、城の残骸をのしのしと踏みつけながら周囲を値踏みするように睥睨し、長大な尻尾をぶんぶんと振っている。

 デカいトカゲというべきか、あけすけに言えば怪獣と聞いて誰もが反射的に想像するような外見だ。図鑑の恐竜やゲームのドラゴンに映画の大怪獣、それら全てにどことなく似ている無難なデザイン。

 意外性も特異性もさして見当たらない非日常の怪物は、その巨躯を以て眼下の建築物を当然のように破壊していく。


「ニュースとかでやってたじゃん、新手のー、なんだ、害獣だって」

「害獣ったら熊とかでしょう。でっかいですよ、あれ。建物と同じサイズじゃないですか」

「カルシウムとかちゃんと取ったんじゃない? あるじゃんそういう漫画。赤外線とか浴びたんだよきっと」


 大きくて強くって最高だよなと何一つ頭を使っていない先輩の発言を聞き流して、俺はまた怪獣の尾がぶんぶんと何かしらをなぎ倒しているのを眺めている。


 先輩の言っていることは本当だ。

 怪獣とはここ数年で発生した天災の一種で、忽然と街中や山に怪獣が現れてその辺を荒らし回っては唐突に消え去るという現象だ。直前まで全く普通の日常が営まれていた都市に怪獣が出現し、建物や人間をぶつぶつと踏み潰していく──そんな午後のB級映画じみた現象が時折起こるようになってしまった。

 怪獣なんてものが存在するものかと抗議をしようにも、実際に彼らは数ヶ月に一辺は出現し周囲を好き放題に破壊したり日向ぼっこのようにじっとしていたりひたすら吼え続けたりと気まぐれな行動を繰り返すのだから疑いようがない。


 偉い人達はこの現象の定義や状況に法律なんかで大騒ぎをしているのだろうが、俺のような高校生には通学路に熊や猪といった野生動物が出るというくらいのスケールでしか理解のしようがなく、とにかくそういった新しい危険が日常生活に追加されたという程度の認識しかなかった。


 オカルト的な説明だと次元移動がどうとか時間軸に干渉する宇宙的上位存在やらレティクル座の文学少女が暇潰しに怪獣おもちゃ遊びをしているだのの与太があったが、結局何もかもよく分かっていないのだから意味がない。現実に起きていることが乱暴過ぎて、与太でも筋道のつけようがないのだ。


 クソ田舎であるここでは急に猪や熊や鹿が市街を駆け回って猟師が出たり市役所員がさすまたを持ってパトロールに駆り出されたりするのは珍しいことではなかったが、今回の怪獣に対してはそんな豊富な経験はさしてアドバンテージにはならなかった。精々いつも流れる市役所の放送内容のテンプレートがそのまま利用できたぐらいで、結局俺たち一般住民にできることといえば、速やかな避難といざというときのために日ごろの行いを良くしておくぐらいしかなかった。


「いいんですか先輩」

「何が」

「死にますよ。怪獣こっちきたら」

「君もね」


 全校避難から脱走しといてよく言うよと先輩が鎌のように細めた目でこちらを見たので、俺は黙ってフェンスの向こうに気を取られたようなふりをした。


 突然の怪獣出現による市民の避難を勧告する放送がやかましく流れたのは数学の時間で、先生がサイレンの響く中でもとりあえず黒板に数式を書き切ってから避難指示を始めたのがおかしかった。

 警報が鳴って避難を要求されるのは四月の始業式から数えて四回目だった。これまでは実際の現場と距離があったことや怪獣の出現時間は長くても一時間程度だとニュースなどで知っていたこともあり、どうせ今回も肩透かしを食らうだろうという慣れがあったのだろう。

 生徒からすれば怪獣の出現は被害地域に家があるでもなければただ学校が早く終わるだけのイベントと化していて、歓声を上げて叱られるような連中もいるくらいだった。


 そんな弛緩しきった空気の中、ぞろぞろと廊下に並ぶ連中を見て、延々と続く制服の群れを見て、いつまでも鳴り続けるサイレンの音を聞いて、


 途端に何もかもがひどくたまらなくなって、俺は列を離れてひと気のない廊下を抜け階段を登り、屋上のドアを開けたのだ。

 そこで五十嵐先輩に会うとは思っていなかったけれども、これもどうでもいいことではある。


「……言い訳じゃないですけど。屋上開いてなかったら、俺知らん顔してみんなのとこ戻ってましたよ、多分」

「あそう。そりゃご愁傷さまだ。開けたの俺だもん」


 手元の鍵をちゃらちゃらと鳴らす先輩に、俺は首を振ってみせた。

 もし先輩が今日ここにおらず屋上が開いていなかったとしても、それは今日だけを偶然やり過ごせたというだけのことで、結局は予定の先延ばしにしかならなかっただろう。

 遅かれ早かれ、というやつだ。


 破砕音。咆哮。サイレン。

 耳をつんざく騒音とは裏腹に空は清冽なほどに青々としている。


「ダルくなっちゃったんですよ。なんか今日、全部」


 騒音の隙間に差し込むように吐露した言葉に、先輩は片目だけを瞠ってみせた。

 茶化しも笑いもしなかった。


 大した理由はないのだ。平穏な日常に飽き飽きした、というのも陳腐過ぎてみっともないだろう。

 怪獣が出現したところで俺たちはこうやって日常じみた雑談をするぐらいで、各種フィクション映画や小説や漫画やドラマで描かれるような鮮烈な興奮も絶望も悲嘆も焦燥も何一つ体感することは叶わない。どこまで行ってもなんとなく授業をサボった高校生というどうしようもなく平均的で凡庸でつまらない立ち位置でしか存在することはできず、そこから逸脱する気概も能力もないということだけはよく分かっている。


 それにひどくうんざりした、というのすら全く陳腐な感想だろう。

 どこまでいってもありふれて退屈な自身に我慢がならなくなったなど、悩める青少年としても腹立たしいほどに類型的テンプレートだ。


「まあ、俺はそういう感じですけど……先輩はどうなんです」

「俺はね、会室でサボってたから。そしたら警報鳴って校内放送で、コウちゃんからメッセージめっちゃ着てて、あー怪獣近くに出たんだって思ったから鍵持って屋上まっしぐらよ」


 コウというのは整美委員長──秋月幸太郎が本名だったはずだ──のことだろう。先輩は何故か一瞬ひどく眩しそうな顔をして、俺の方を見て数度瞬きをしてみせた。


 鍵を持ち出した、というのは決して犯罪行為の自白ではない。

 生徒会室には代々屋上の鍵が受け継がれている。別に疚しい理由や意図があるわけではなく、文化祭や応援団の練習などで頻繁に借りる機会があるためにいちいち職員室に許可を取りにこられることを嫌がったであろう顧問が無理を通して、スペアを設置したせいだ。生徒会室自体にはダイヤル式の南京錠で一応は施錠がされているので、万が一何かあったとしても疑う対象が少なくて済む。その連中も鍵を使って悪さをするほど暇と気力があるわけでもない。

 何となく校風や自治がどうこうなどの言い訳を盾において、結果として屋上の予備鍵は取り上げられもせずに生徒会室に保管され続けている。各々がそれぞれの立場で満遍なく面倒がった有様だ。


 それにしても先輩の行動は最初から逃げる気がないとしか思えないもので、俺は自分のことを棚に上げつつ怪訝な目を向ける。

 遠くから重たげに響く地鳴り、その振動に揺れるフェンスに凭れたままで先輩は少しだけ笑った。


「俺はね、別にいいんだよ」

「何がですか」

「君と一緒。ひとまとめにね、面倒になっちゃったから」


 先輩が体重を掛けたフェンスが何度か軋み、地面に伸びた影がゆらりと震えた。


「そもそも怠け者ってのもあるけどね……手近なところの話になるけど、どうせ大学も大したとこ行けないだろうし、それどころか展望とかそういうのも元々あんまりないからね。じゃあまあこの機会に、って感じで、逃げる先を自主的に選んだってだけさ」

「──それはその、先輩」


 と決定的な単語を口に出すことに今更ながら躊躇して、俺は卑怯にも黙り込む。

 先輩は俺の目と遠くの怪獣を見比べるように首を振ってから口を開いた。


「いやあ、おこがましいんじゃないかな」

「おこがましい」

「運任せだもん、結局。怪獣がこっち突っ込んで来るか来ないか、そんな雑なことやっといてね、そういうつもりでしたって動機にすんのはさ、ちょっとね」


 でも上手くいったら儲けもんだよなという先輩の言葉があまりにも能天気で、俺はいよいよこの人が何を考えているのか分からなくなる。

 この人とこんなに話したのはこれが初めてかもしれないと思いながら、俺は再び問いを投げた。


「儲けもんって何が儲かるんですか」

「どうせ終わるんならさ、派手な方がいいじゃん。じめじめめそめそ首括るより、怪獣にばーんと巻き込まれると面白いじゃん。ただの首吊りと怪獣による事故死だったらさ、字面に怪獣がいる方が景気がいいよ」


 めちゃくちゃなことを言っている。

 論理も何もあったもんじゃない。ノリと気分と趣味以上の理由が見当たらない。

 それなのに何となく納得しかけている自分に気づいて、俺は何となく悔しくなって唇を噛んだ。

 先輩はいつも整美委員長と雑談をしているときのような口調で続けた。


「それにさ、今日いい天気じゃん。こういう天気の日なら、どう終わっても気持ちがいいだろ、きっと」


 秋の空は泥底から見上げた水面のように青く、射す日は頼りないほど透明で、冷やかな風が肌を掠めるように吹き抜ける。

 サイレンの音は相変わらず悲鳴のように鳴り続け、硬質な破壊音は凶暴な残響を重ねていく。


「今日の怪獣、結構出が長いじゃん。案外さ、決めてくれるかもよ」


 塗装の剥げた金属柵に寄り掛かって、先輩は遺影のように晴れやかに笑っている。

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