アバン・リーのこと

ジャスミン コン

2000年代のはじめに

 私は、マレーシアで大学に通っていた。

 最初に言っておくと、このエッセイには特別なドラマやエピソードはない。

 中年の思い出綴りである。


 さて。食堂にはタイ南部のナラティワートから来たアバン、マレー語で「お兄ちゃん」らが働いていた。

 韓国語で兄を意味する「オッパ」同様、恋人への呼びかけとしてもよく使われるのが「アバン」。韓国語だと、呼ぶ側が女性→オッパ、男性→ヒョン、になるのとは異なり、アバンの場合は呼び手の男女は問わない。

 私がアバンという単語を最初に使ったのは、その食堂である。学内にある寮と寮の間に、ごく簡単に作られた野外カフェテリアは小ぢんまりとしていた。

 丸刈りに太い眉、焼けた肌のアバンが注文を取りに来た。カタコトの英語で名前や出身を聞いてきたので、「リー」という名前だとわかった。

 アバンリーと呼びな、と言われそれからはほぼ毎日食堂に行った。

 アバンリーは30歳手前で、私より10歳近く年上だった。

 アバンリーのおかげで、他のアバンたちも少しずつ話しかけてくるようになった。


 切れ長の目がハンサムで細マッチョな「マー」。

 くりくりお目目と出っ歯が愛嬌たっぷりの「キー」。

 ルイージみたいな小柄なヒゲの「ワー」。

 長身ロン毛をボブマーリーぽい帽子に入れた男前「ラン」。

 当時はアルビノの存在を知らなかったのだが、今思えば明らかにそれであった金髪で白肌のアバンもいた。妙にハイテンションで「絶対クスリやってる」と留学生たちに囁かれるアバンもいた(のちに単なる陽気な奴と判明)。


 キャラ強めのメンズたちだったが、同じ沖縄出身の留学生Kと私はアバンたちととても仲良くなった。

 学内だしイスラムの国だしで、アルコールは一切出ないから、ひたすらにスイカジュースやライムジュースを飲み夜までおしゃべりした。しまいには、どれだけお代わりしても、細マッチョ・マーは計算機から「5リンギ」(当時150円)しか見せなくなった。

 私が風邪をひいて食堂に行けなかった日は、Kが「アバンたちに持たされた」とライム多めのジュースをお土産に下げてきた。ちなみに、ジュースはコップではなく透明のビニールにダイレクトに入れて巾着の様に上部をひもで結わえ、ストローをぶっさすスタイルである。

 「すっぱ!!」そんでライムの種、多いな!と寮の部屋で飲みつつ、アバンたちの優しさを感じた。


 おかげで私とKのマレー語はみるみる伸び、ハリラヤ(断食明け祭り)の休みにはナラティワートにあるアバンたちの実家訪問までした。

 高速バスの凍えるような冷房。上着の前を合わせながらトイレ休憩でバスを降りた。アバンたちは未だ「マジでついてくんのかよ」と驚きとハニカミの表情。彼らと並んで、降るような星空を見た。


 宿泊先は、アバンリーの従妹・ザヒダちゃんの家だ。

 英語教師を目指すザヒダちゃんは私やKと同い年で、英語がうまかった。

 ナラティワートは、未舗装の道も多いド田舎。それもあってか、ようやく英語を使えると彼女は張り切っていた。

 タイ語のテレビを観ながらマレー語を話す特殊なエリア。敬虔なイスラム教徒が多いマレーシア北部に近かった。家族が白いローブに着替えてお祈りをする様子をそばで見せてもらった。

 家は高床式で、床のすき間からおばあちゃんが巻きたばこのカスを下に落とすと、ニワトリが寄ってきた。

 雨水をためてマンディ(水浴び)に使ったり料理にも使っていると知り、私とKはお腹が不調な訳を知った。


 私たちは沖縄らしいハッキリ顔なため、現地人と見分けがつかなかった。よって、ヒジャブをしていないと悪目立ちし、たまにするようにした。

 日本人が来ると聞いて、ウキウキ待つアバンたちの家族は私とKを見るや拍子抜けし、少しがっかりして見えたのでなんだか申し訳なかった。しかし、日本人がマレー語を勉強しているなんて、と嬉しそうにもしていた。


 男前ランの運転する車に乗ったが、運転免許なんて要らなそうな田舎道。助手席で足首を見るとヒルがはりついていて、後部座席のKが私より驚いていた。

 別の日には、出っ歯のキーが運転するバイクに、私とKと三人乗りして走った。

 キーがKに思いを寄せているのに気づいていたので、私は最後部で気配を消し「キーよ、せめてデート気分に」とひそかにおせっかいを焼いたりした。


 どれもこれも、もうだいぶ昔の話だ。

 些細な場面を記憶していられるのは、その時しか持ちえない感性のなせる業だと思うと、もう失くしてしまった様々が愛しくなる。


 去年、ザヒダちゃんからアバンリーが亡くなった報せを受けた。

 ご丁寧にというか見ていいものか戸惑ったが、フェイスブックではアバンリーの棺が土に入る動画が共有されていた。

 濃い眉毛に丸刈り、親指を立てて「ミヌム?(飲む?)」と聞く声を思い出した。一度だけアバンリーが私に「そのTシャツかっこいいな。くれよ」と着ていたネイビーのGAPを欲しがったのを思い出した。あげれば良かった。


 沖縄にいるKにラインし、アバンリーを偲んだ。

 人生は短くて、20代が40代になり50そこそこで死んでしまうのなんて一瞬だ。

 

 最後に言っておくと、このエッセイには教訓も学びもない。

 中年の思い出綴りである。

 ただ、本人は忘れてしまう前に書いといて良かったと思っている。

 

 

 

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