第2話 般若心経に追い払われる

 ああ、今日も、父の般若心経がうるさい。聞いてるだけでイライラする。

 お経に追い払われる悪霊はこんな気分にちがいない。

 うっとうしくて、私は何度この時間帯に外に飛び出したかわからない。


 同居の父は七十五歳。若い頃は派手な生活をしていたが、モデル上がりで水商売の母親と離婚後、五歳の私を連れて祖父母の家に転がり込む。

 父は五人兄弟の末っ子で、極度のマザコンで、離婚も祖母が反対したからという理由が大きい。


 父は祖母に家事も育児も任せきり。仕事以外は何もできない典型的団塊昭和親父だ。


 祖母が死んだ時も、葬式は全部私任せで、父は泣いているだけだった。

 

 その後は飼い犬も死に、マザコンとペットロスをこじらせて、父はすっかり引きこもりになった。


 そして、いつからか毎朝仏壇に手を合わせ、般若心経を唱えるようになる。


 亡くなった祖父が晩年急に仏道に目覚めたことをせせら笑っていた父だが、自分が今や全く同じでにわか信仰者になった。


 そもそも宗教というものは、「死」への恐怖から生まれた側面もあるのだろうと私は思う。だから、年を取るほど信仰心が芽生えて来世への徳を積みたいとにわかに思い始めるのは、人間の自然な心理とも思う。


 ただ父の場合、本来の自己憐憫強めナルシストの性が災いしてなのか、般若心経を唱えながら自己陶酔、さらには「ご先祖様!」と絶叫パフォーマンスの流れ。


「神さま!仏さま!どうか!どうか!!!!!」


 その後、何を言っているのかはよくわからないが、要するに、ご先祖様お助けください!お導きください!みたいなものだろうと思う。


 なんで会ったこともない先祖が助けてくれるんだ?と私はいつも思ってしまう。

 

 死んだ人間はいつだって生きている人間に都合がいい。

 はっきりいって祖母だって、そんなに性格がよかったわけではない。特に晩年は何もしない父よりも、金さえ渡せば何でもほしいものを買ってくる私のほうに頼り切りだった。

 

 弱っていく祖母を見るのがつらいのか、父はいつも祖母に怒っていたし、祖母はそんな父を疎んじていた。

 それでも死ねば都合よく、誰よりも自分の味方でいてくれる母親になる。いつでも優しく寄り添ってくれる菩薩に早変わり。


 死人に口なしとはこのことだ。

 死んだら余計なことは言わないし、自分が望んだとおりの姿でいつもいてくれる。


 死んだからって生前したこと言ったことは変わるわけではないのに、どうして人は死人を美化して自分に都合のよい存在にしてしまうのだろう。


 大して面倒見がよくなかった親戚や顔も知らないご先祖が、なんでいつも守ってくれると思うんだ?


 私はひねくれているんだろうか。


 初詣で神社でお参りする人たちも図々しいと思ってしまう。


 神社は神の家という。鳥居は入り口、くぐる時にはおじゃましますと頭を下げると何かで聞いたことがある。


 私が神社の神様ならば、一年に一度ぐらいしか顔も出さないくせに、一年分の御願いごとをしていく参拝者の言うことなんて聞く義理はないと思ってしまう。


 それもたかだか小銭ぐらいで……いや、大金つまれたとしても、「金で運を買えると思うなよ!」と思ってしまう。


 まあ、神様なんだから、私みたいにこんなにひねくれてはないのかもしれないけれど、とにかく図々しい話だと思っている。


 いずれにせよ仏壇の祖先も神社の神様も祈る人に都合のいい存在ってことだ。


 そんなふうに思っているからこそ、父の毎日の般若心経に嫌悪感しか感じない。


 そもそも仏壇や神棚の塵一つ取らず、汚いままだっていうのに、「お守りください!」って一方的すぎる。

 

 そんなことより、現実的に断捨離でもしてほしい。父が遺したこのゴミ屋敷を始末するのはどうせ私だ。生きている時にできることもせず、来世に救済求めてていることに腹が立ってしかたない。


 祖母が死んだ後も、この家の押し入れはまるで魔窟のようだった。

 昔の人というのは、物を捨てることを悪だとでも思っているのか、とにかく使わないものでも、なぜかため込み、保管する。


 仏壇から、誰のかわからない入れ歯の数々が出てきたときには絶叫した。

 金歯だから売れるとでも? いや、それにしても気持ち悪い。


 父も、ゴミを捨てようとすると、まるで極悪非道なことでもされるかのように私を責める。その結果、家の中はゴミ屋敷だ。


 父にしてみれば祖母との思い出の家で、そこにあるものを捨てられるということは、思い出を踏みにじられるぐらいのことなのだろう。


 なにせ過去への愛着が強い。

 現実の目の前の生きている人間のことは眼中にないらしい。

 それが証拠に仏壇には祖父母の写真と共に、なぜか私の幼少期の写真まで飾られている。

 つまり私は死んだのだ。

 父にとっては、過去の思い出の中にしか娘はいない。

 そして過去の私は、毎朝父に手を合わせられ、祈られ、祀られ、嘆かれている。


 過去の私はきっと目の前の私よりも大事な存在なんだろう。


 母親とは親権でもめたりもしなかったという。

 小さい頃の私は、母親に捨てられたのだ。


 そして今、大人になってしまった私は、父に捨てられたんだろう。

 父が必要としているのは、小さい頃の私だ。


 過去には決して戻れない。


 それでも人は過去に囚われる。


 今が不幸だからだろうか。


 そしてもう死んでいくばかりとなった時、人は次の世界を求める。


 今は私も少しわかる。

 

 女のとしての私の寿命はとっくに晩年、終わるのだ……。

 いくら過去の若さを惜しんでも、もう戻れない、戻らない。

 それなら来世に期待して、もう一度、恋がしてみたい。

 そして、今度こそ幸せになるのだ!


 そして私は、小太りの女からもらった名刺をじっと見た。


<来世教へようこそ>


 それは名刺というよりも、私への招待状だ。

 その言葉の下には電話番号があるだけだ。

 女の名前すらない。


「怪しい……」


 そう思いながらも、父の般若心境に追い払われた私は、握りしめていた携帯から呼び出し音を鳴らしていた。


 


 

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来世教へようこそ 銀波蒼 @ginnamisou

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