36 きみたちに花束を
リウトを作りたいのなら、楽器工房に弟子入りしなくてはならない。
貴族ならば遊びとして材料を揃え、邸に職人を呼び教えさせ、ということもできるだろう。だがエリオはそんな身分ではないし、エリオがやりたいのがそんなことではないというのもニコロにはわかった。
この子は本当のリウトの音が好きで、ちゃんとリウトを作ってみたいのだ。
「工房で修行すんだぞ。下働きもして」
「ええと、ぼく、できない?」
「わかんねえけど」
ニコロは苦笑いだ。
エリオに根性や根気があるかなど、さっき会ったばかりで知るわけがない。どんな家業の息子なのかも知らない。
子どもの気分などすぐに変わるかもしれないし、心配しなくていいか。
ニコロは思い直し、やれやれと立ち上がった。だけど見上げるエリオの瞳は憧れに満ちていて、そんな視線を向けられるのは悪くないとも感じた。照れ隠しにリウトをジャジャジャン、と鳴らしてみる。
「エリオー!」
すると名前を呼ぶ女の子――ジェンマの声がして、エリオは振り返った。大人の間をすり抜けて双子の片割れが転がるように走ってくる。
「ジェンマ、かえらなかったの」
「エリオがいなきゃやだ!」
ムギュ、と抱きつくジェンマの後ろから姿を見せたのはエドモンドだった。エリオがきょとんとなる。
「……なんで?」
「なんでじゃないだろう。見つかって良かった」
「あー、えーと。エリオのお父さんかな?」
バツの悪そうなニコロを見て、エドモンドは笑って首を横に振る。
「いやいや、その友人でね。一緒に仕事をしている者だ」
「あのねあのね、ぼくがかってにきたの。ニコロさんはわるくないよ」
「わかってるさ」
エドモンドはくっついている双子のことを順番にヨシヨシとした。片手は花束でふさがっていたからだ。
「リウトに興味を持ったんだな。なんでも知るのはいいことだ。だけどジェンマを放ったらかして行くのはどうだい?」
「……ごめんなさい。ごめんねジェンマ」
「うん」
双子たちがにっこりし合うのを間にし、大人二人は軽い会釈を交わす。ニコロの方は、話のわかる保護者が出てきて安堵していた。
「あんま叱んないでやってください。俺のリウトを気に入ったらしくてね。俺としちゃあ嬉しいことだからさ」
「こちらこそエリオがご迷惑を」
「……ぼく、めいわく?」
ハッと心配そうにしたエリオにニコロはケタケタ笑った。
「んなことねえよ。こういうのは社交辞令っていうんだ」
「――ま、そうだな」
言った本人の前で明け透けに表現するのにどこか憎めないニコロ。確かに愛嬌がある、とエドモンドは肩をすくめた。
ニコロは優しい目でエリオを見ると告げた。
「もっとリウトを見たいなら、工房に遊びに来ていい。だけどちゃんと家の人に許しをもらってからだぞ」
「――うん!」
「よし。んじゃ帰れ。ああ、お手間取らせましたね」
笑いかけられたエドモンドは軽く頭を下げると双子を連れて歩き出した。後ろですぐにリウトが鳴り始める。確かにいい音色だと思った。
「さて――」
どうしたものだろう。この双子をきちんと連れ帰るべきなのだが、エドモンドが市場にいたのにも理由があるのだ。
「とにかく戻るか……」
「エドおじさま、ごようじだった?」
ジェンマが珍しくエリオ抜きでしゃべった。道々考えていたからだ。
「おはな、どうするの」
「ああこれは――お墓参りに行くところだったんだ」
エドモンドは力なく微笑んだ。市壁の外の墓地に行こうとしていたのだが、この墓参も惰性のものなのかと少し自信がなくなってきている。
あれはずいぶん前のこと、そんなに辛いわけではない。もう吹っ切れているのかもしれない。
だけど思い出はまた年々鮮やかになりつつあった。ニルダが彼女に似てきたから。
「だれのおはか?」
「……だれの?」
「――きみたちの、叔母さんだよ」
やまびこに答えた。ニルダも含めこの兄妹にそんな話をしたことはなかったが、別にいいかという気分になった。隠すことでもないかもしれない。
「ルチェッタお母さんの妹だ。僕と結婚するはずでね。その前に死んでしまったけど」
「ふうん?」
「……うん?」
不得要領な様子の双子。そんなものだろう。昔々のことなど、子どもたちにはピンとこなくていい。それにエドモンドもいまだにピンときていないのかもしれなかった。
双子の母であるルチェッタの妹、アマーリア。
はつらつとして愛らしくて悪戯者だった彼女が突然の病でいなくなるなんて思わなかったのだから。
ぜんぶ夢なのか――恋を語ったことも、消えてしまったことも。
「もういいか。今日は帰ろう」
「ごめんなさい、ぼく」
「気にするな」
すでに不確かになった愛よりも、今生きている者たちを大事にするべきだと思った。エドモンドはエリオの背をポンポンとなだめた。
「……おばさまは、どんなひと?」
エドモンドの手にそっと自分の手をすべりこませ、ジェンマが尋ねる。エドモンドの心が揺れていることに気づいているのか。幼いなりに寄り添おうとしているように思えた。成長したものだ。
「――そうだな」
アマーリアを想い描こうとしても、この頃うまくいかない。すぐ近くに生き生きと鮮やかなニルダがいるからだ。
小走りしても、振り向いて笑っても、プンスカ怒っても、どんな仕草もニルダがアマーリアを上書きしていく。それは悲しくて、そして嬉しくて、戸惑う。
「ニルダが、よく似ている」
ポロリと言ってしまった。これは不適切な発言だろうか。少なくともドゥランは娘に手を出すなと怒りそうだった。なので苦笑いで双子に言い含めた。
「それはニルダには内緒だ。死んだ人に似ているなんて、気分が悪いだろう?」
「ふーん、そう?」
「そう、なの?」
「そうだよ。だから言わなくていい」
ハッキリ言うと、双子はもうそれ以上何も訊かなかった。
***
「エリオ! ジェンマ! 遅かったから心配して――なんでエドおじさまと?」
ペンデンテ商会に帰り着くとニルダが小言と共に現れて目をパチクリした。
「あのね、えーと。ないしょ!」
「ええと……これないしょ?」
姉を前におたおたする双子は秘密を共有するには危険な人材のようだ。エドモンドは冷や汗を隠しながら首を振る。
「エリオが音楽に興味を持ってね。リウト職人にくっついて遊びに行ったらしい。町外れの市場で会ったんで連れて帰ってきた」
「まあエリオ! 寄り道なんて悪い子ね」
「ごめんなさいぃぃ」
姉に怖い顔をされてエリオが悲鳴のように謝る。その怒るニルダでさえ可愛いと感じてしまい、エドモンドは柔らかく微笑んだ。
「エドおじさま、そのお花は?」
「ん? ああ」
ニルダが目をとめたのは、墓参を取りやめて宙に浮いた花束。エドモンドはヒョイとニルダに渡した。
「ニルダにあげるよ」
「え、そうなの? ありがとう」
嬉しげなニルダを見つめるエドモンドの横でジェンマが見上げた。その視線に気づいて目くばせを返すが、幼い少女は何も言わなかった。
ニルダは花を活け、机に飾った。窓からの風が花弁をなでるのを眺める。
ありふれた花。だけどこれを渡してくれたエドモンドの視線はいつもと違った。
なんだか寂しそうで。
だけど喜びに震えていて。
ニルダには、その引き裂かれる心の在り方がまだわからない。彼女の人生は何もかもこれからだから。
過去も未来も包み込んで、アデルモの風は優しく吹き渡っていく。
耳を澄ませばその中に、心を揺らすリウトの音色がかすかに聴こえているようだった。
***
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ニルダに向ける、フィルベルト・アレッシオ・エドモンド三者三様の気持ち。
そしてニルダとフィルベルト、幼い双子たちも含め、少年少女が何を選び取り、どこへ行くのか。それはまだわかりません。
ですがここでいったん完結とさせていただきます。また彼らの物語が動き出すことがあれば、再び会いに来て下さると嬉しいです。
悪徳商人の愛娘 山田あとり @yamadatori
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