35 ひとりで歩く


 ジェンマは震えそうになる脚をはげましながら市場に来ていた。


 エリオはニコロを追ったのだと思う。

 食事を調達しに出かけたのだから、ニコロはきっと市場かその近くの店に行くはず。そう考えたから探しに走り出したのだろう。見つけられただろうか。

 だけどジェンマも、そのエリオを見つけなくてはならないのだった。

 一人で家に帰るなんてやったことがない。道はわかっていたが、そんなのは嫌だった。エリオがいてくれなきゃ駄目な気がする。

 だって、生まれてからずっと一緒だったのに。


 ここはアデルモの中でも町外れに近い市場だった。ジェンマはこんなところまで来たことがない。

 街の門が近いので、広場は近郊の村から持ってきた野菜や家畜を売る人、買う人でごったがえしていた。まだ絞められていない鶏がけたたましく鳴いてジェンマはビクッとなった。


「エリオ……」


 つぶやくと、涙が出そうになった。唇をかんで我慢する。

 どうしたらいいんだろう。

 たぶん、なんとか家には帰れる。でも一人で帰りたくない。

 人混みの中にエリオはいるはずだ。だけど見つけられる気がしなかった。

 ジェンマは小さく、エリオも小さく、二人の間にはたくさんの大人たちがひしめき合っていて互いの姿を隠してしまっていた。

 いつも隣にいてくれた相棒がいないのは、こんなに寄る辺ないものなのだ。ジェンマは大切なエリオの姿を探して目をこらした。


「……あ」


 知っている顔が見えた気がした。

 子どもではない。スラリとした背格好、サラサラの黒髪。ジェンマは走り出した。


「――エ、エドおじさま!」

「おっと――ジェンマ? なんでこんな所に」


 ジェンマがドン、とぶつかるように抱きついたのは、父の友人で商会の共同経営者エドモンドだった。市場の一角の花屋で花束を作ってもらっていたようだ。

 ジェンマを抱きとめて驚いた顔――それはそうだろう、学校を終え、そろそろ帰宅している頃合いなのに。しかもエリオの姿がなく、一人とは。


「何かあったのか」

「あ……あの、あのね」


 事件にでも巻き込まれたかと表情を強ばらせたエドモンドに、ジェンマは口ごもった。落ち着かせようとエドモンドは微笑んでみせた。


「ゆっくりでいいよ」

「うん。ええと、エリオがね、こっちにきてるかなって」

「この市場に?」

「うん」


 出来上がった花を受け取り、エドモンドは辺りを見回した。それはまた何をしに、こんな離れた市まで。ジェンマが考え考え話す。


「あの、ニコロさんをおっかけたの」

「ニコロ?」

「リウトつくってるひと。ニコロさん、ごはんをかいにいっちゃって、エリオはもっとリウトをみたくて」

「リウト弾きのニコロなら、あっちによく来るよ」


 花屋のおばさんが口をはさみ、飲食店の並ぶ方を示した。教えながらあきれたように笑っているのはどういうことだとエドモンドは首を傾げる。


「リウトを弾いちゃあ、かわりに食べ物をもらってくのよ。しょうのない男だけど、まあ悪い男でもないわね」

「なるほど」


 納得してエドモンドは花屋に一礼した。そういう愛嬌のある人間なのか。

 指を差された方角に向けてジェンマの手を引く。


「じゃあ、そのニコロを探してみようか」

「うん……エリオいるかな」

「まあ、大丈夫じゃないかな」


 ニコロを見失っていたとしても、リウトを弾いてもらればエリオも聴きつけてたどり着くだろう。

 それにしたってジェンマを置いて行ってしまうなんて――エリオを突き動かしたものがなんなのか。確かめなくてはとエドモンドは歩き出した。片手に花を、もう片手はジェンマとつなぐ。

 双子たちが別々にいるところなんて、あまり見た記憶がなかった。もうではいられないのかもしれないな、とエドモンドはジェンマを見下ろした。

 ジェンマは唇を結んで、何やら考え込んでいた。




 リウト弾きのニコロ。

 実際はリウトのニコロなのだが、市場には弾きに来ているのだからそう呼ばれても仕方ない。今日もさっさと馴染みの店の前に陣どると、立ったままリウトを奏で始めた。

 吟遊詩人とは違い歌うわけではないのだが、ニコロを知っている人々が寄ってくる。そこらの店で何かしら買い込み食べながら、演奏をのんびり聴いていくのだった。その客寄せの見返りに店から食事をおごってもらうのがニコロの日課だ。


「――いた!」


 エリオは鳴り響くリウトの音色を頼りにニコロの居場所を探し当てていた。息を切らして駆けてくる。再び目の前に現れたエリオに驚いた様子のニコロは、それでも手は止めなかった。

 軽快な旋律を弾きながら体を揺らすニコロの正面で、男の子が目を輝かせて一緒にリズムを取っているのは微笑ましい。

 通りすがる人々からもニコニコと眺められているのだが、エリオ本人はそんなこと気づいてもいなかった。リウトの音に集中しているのだ。


「おまえ、何やってんの」


 一曲終えてから、ニコロはあきれた口調で肩をすくめた。


「帰ったんじゃなかったのかよ」

「だって、だってね。ぼくリウトすき」

「あーそりゃ見ればわかるけどさ」


 さっき親方がしたようにワシ、とエリオの頭をかきまわしてなでる。少年からの率直な好意へ、お礼だ。


「ジェンマは?」

「さきにかえって、てしたよ」

「おいおい、そんな。女の子一人にするんじゃねえよ」

「……だめ?」

「……あんまり、よくはないぜ」


 眉をしかめられて、エリオがしょんぼりした。ニコロは吹き出しそうになる。

 本当のところ、悪い大人にかかればエリオのようなチビがいたってなんの助けにもならない。だが大人になった時、自分の欲求に負けて守るべき者をないがしろにするようではいけないのだ。そういうクセは今から無くしておかないとな、とニコロはしたり顔で説教した。


「思いついたこと目掛けてすっとんでくようじゃ、ロクな大人になれねえぞ」

「あ! ぼくまた、あたまピョンピョンしちゃったんだ」

「……なんだって?」

「ジェンマがいってたの。ぼくは、あたまもげんきだって」

「……う、うん?」

「やっちゃったぁ……」


 ニコロはあまり子どもには慣れていなかった。不思議な言い回しをすると思ったが、どうやら反省しているらしい。

 ならいいか、とニコロは流すことにした。元より深くは考えないタチだ。


「んでおまえ、リウトが聴きたくて来たのかよ」

「ええと、そうかも」

「かも、てなんだ」


 ニコロに笑われて、エリオは恥ずかしくなった。どうしたい、という目的もわからないのに駆け出すなんて。

 うつむいたエリオの前でニコロがしゃがんで言う。


「――リウトを好きになってくれてありがとな。もうちょっと大きくなったら弾くこともできるだろ。その時には俺から買ってくれ」

「かう?」

「おう。俺が作ったの、いい音だろ?」

「――ぼくも、つくれない?」


 ポロリと口から出た言葉で、エリオとニコロは視線を合わせた。


「――そっちかあ」


 あっちゃあ、とニコロがうめいた。しゃがんだまま空を見上げる。難しいよな、それは。


「おまえ、いい家の子だろ。親が許すかな」


 エリオは首を傾げた。


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