第3話

「実は、この”ユージーン”って、オマエをイメージして書いたんだよ」無表情で、淡々と斎藤はそう言った。

 成績も、体格も、自由に出来る金の額も、女に不自由した事のないこの境遇も、何一つとして負けてなどいない、いや、圧倒的にオレの方が勝っているこの斎藤に、オレは激しく嫉妬していた。同じ文芸サークル”紙と粒”で活動している斎藤の書いた一編の短編小説に、オレは脳天を揺すぶられ、肌が粟立ち、言いようのない焦燥感を覚えさせられたのだ。そんな嫉妬心をおくびにも出さずにいたオレに、斎藤はそう言った。ユージーンのモデルはオレなのだ、と。


 オレは中学の頃からずっと、そして今も、女に困った事など無い。「ヤリてぇな」とうるさい同級の童貞どもと話を合わせるのが面倒だった。セックスも、相手の反応を見るのは楽しいが、オレにとっては野性的な衝動を満たす為のものではないから面倒に思える。それでも、女は抱かれる大義名分をなんとか拵えてはオレに近づいて来た。そんなオレが、この短編小説の、モデル?どういうことだ。


「他人が羨むような人生を歩んでいるくせに、自分自身は全く満たされない……、常に渇きに喘いでいるヤツが、この世の真理を知った、と勘違いしたらどんな感じになるかな、って想像していくうちに、こんな話が出来た」斎藤はやっぱり無表情でそう言った。


 あの後、オレはどうしたんだっけ。斎藤は他にどんな事を言っていたんだっけ。

 あぁ、あれはもう、十五年も前のことか。オレはまどろみの中で、見ていた夢、過去にあった事実を思い出そうとする。


 実際にユージーンと呼ばれるようになって、教祖まがいの立ち居振る舞いにも慣れて、何年が経っただろう。


 斎藤の短編小説のネタをそのままに拝借し、もっともらしく語っていたら、不安や疲労に塗れた人間が集まって来た。そして、いよいよ、斎藤の小説そのままに、フリーセックスに興じていたら、地位や財産や美貌をもった老若男女が擦り寄って来た。バカな奴らだ。その内に、オレに心酔したアイツらは、自分の持っているモノをオレに差し出し始めた。若さと美貌を持っている者はその肉体を、地位を持っている者は貴重な情報を、財産を持っている者は金を。アイツらは魂を解放して、ナニカになりたいらしい。そして、ナニカになれた様な気になって、満足している。


 バカな奴らだ。


 でも、オレはアイツらの事が羨ましい。


 アイツらはオレの言葉のままに、なんらかの解放は得ているようだ。


 満たされ、満ち満ちているアイツらの表情をオレの技能の中に取り込む事は造作もなかったが、オレが満たされる事はない。


 オレは、オレだけは、オレのほら話に心酔して信じ切ってしまう事が無理なのだから。


 魂など知った事か。


 オレを心酔させてくれる教祖よ、オレと出会ってくれ。


 しかし、人を心酔させるテクニックを、オレはもう、飽きる程知っている。


 誰かに心酔する幸せが、オレには遠すぎる。

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A glass of water ハヤシダノリカズ @norikyo

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