第2話

 どうしてこうなった……。オレは何度も反芻する。……どうしてこうなった。

 オレの目の前には裸のユージーンが、いや、オレの眼前十数センチの距離に、ユージーンの男性器がある。


 オレもやはり裸で、仰向きに寝そべり、ユージーンが座っている側に上体を捻る形で向けている。背、そして、捻った上体の下になっている半身を受け止めているビーズクッションが柔らかい。オレはユージーンの顔を見上げ、ユージーンの男性器に目をやり、また、ユージーンの顔を見上げる。優しい笑みのユージーンの顔、見た事のない、至近距離の、他人の、なっている、男性器。

 そんな中、つま先に何かが触れる感触があった。自身の下半身の方へ目をやると、裸の女が四つん這いでいた。さっきまでユージーンの傍らに座っていた白装束の女だ。


 重力のままに、オレの左足に乳房を触れさせながら、ゆっくりゆっくりと近づいてくる。はにかんだ様な笑みを浮かべたその顔は美しく、高揚を湛えている。その顔の向こうには彼女の膝で支えられ、天井に突き上げるように張った尻がある。重量を持った絹のような肌触りが滑らかに脛から膝、膝から腿へ移って行き、彼女はオレのへその下辺りに音を立ててキスをした。


 ――この世に生きている以上、個である自分というものから我々は抜け出せません。また、この世に生きている以上、個である自分を大切にする事は重要な事です――

オレは、ユージーンが言っていた言葉を思い出す。

 ――ですが、個である自分に囚われてしまうと、目先の小さな損得に振り回されたり、大局を見失ったり、個を大切にしすぎている者同士で諍いを繰り返す事になります――

ユージーンはこうも言っていた。

 ――個である自分を解放する事で、得られる境地があります。ですが、そこには、言葉や論理だけでは到達しにくい――

ゆっくりと、しかし、ハッキリとした心地よい声とリズムでユージーンから語られるそれはとても魅力的だった。

 ――我々は交じり合い、そして、別れき、また再び交じり合う……、そういったものなのです。交じり合った中から飛び出した孤独な魂同士がいがみ合い、傷つけあうのは酷く哀しく、酷く虚しい――

裸のユージーンと裸のオレと裸の美しい女。この三人がゼロ距離で触れ合っている現実感のない状況の中、オレはユージーンの言葉を思い出している。


 オレの広げた足の間にちょこんと収まった女がオレの陰嚢に唇で触れる。それに倣い、オレはユージーンの陰嚢にキスをする。続いて、オレの性器に、触れるか触れないかのギリギリの感触がある……、おそらく舌先でオレの陰茎を舐め上げているのだ。その感触をそのままに再現しようとオレはユージーンの陰茎に舌を這わす。

 咥えられる。咥える。舐めまわされる。舐めまわす。唇を窄ませている。唇を窄ませる。咥えたままに首を上下に動かされる。咥えたままに首を上下に動かす。指でまさぐられる。指でまさぐる。頬ずりをされる。頬ずりをする。指で挟んでこすられる。指で挟んでこする。

 いつしか、オレと女の動きはシンクロしていた。視覚以外の五感への刺激をオレは女から得、それをオレの動きでユージーンにフィードバックしていたハズが、女の行動がオレに先んじているなんて事はなくなっていた。

 オレの上半身の行動と感覚は女のそれと同期して、オレの下半身に与えられる刺激と愉悦はユージーンのそれと同期している。頭の中が忙しい。しかし、背徳感が薄れていくのと同時に、何もかもがほどけて溶けていくような感覚が気持ちいい……。


 においと熱の放出が二つ同時に起こる。オレの口腔内と女の口腔内。ユージーンの性器とオレの性器。二つの接合部は同時にゆっくりと離れた。オレはユージーンの顔を見上げ、次に女の方に顔を向ける。オレと女は目を合わせ、同時にゴクンと飲み込んだ。そして、女は「ふふっ」と笑い、オレも同時に笑った。オレは、生きてきてこれ以上の笑い声はないというくらいに、笑うこと自体が可笑しくて仕方がないといった調子で、大声で笑った。


「前世の記憶を持った人がいるという話があります。また、死してなおこの世を彷徨う幽霊がいるという人もいます。これらは、魂が揺るぎない個である証左ではないかという人がいます。我々の考えは誤っている、と」

 ユージーンは語りだす。オレ達は三人、裸のままで寝そべっている。快適に保たれた室温の中、汗を滲ませたオレ達は互いに肩や手で触れあったまま横になっている。

「肉体がコップ、中の砂が魂……。心に傷が付くという事が、コップの中の砂に水を含ませるようなものだとしたら、彼らの論拠も我々の考えの中に入れる事が可能です。水で固まった砂は、他の乾いた砂とは混じり難く、コップという肉体を失っても、コップのカタチを保ち続けるかの如く」

 ユージーンの落ち着いた声の話と話の間の沈黙には、オレと女の息づかいが部屋をさざめかせる。息づかいも同期したままのようだ。

「傷を負った魂は濡れた砂のように、来世でも今のままの個であろうとする。激しく傷を負った魂はコップという肉体を失っても、コップのカタチのままで幽霊となる……、なんてこじつけはいくらだって出来るんです。そう、それはこじつけです。そして、私たちの考えが正しいだなんて誰かに押し付けようとは思っていないんです」

 ユージーンの言葉に少しだけ熱がこもる。オレと女はただ息を整えながら、ユージーンの言葉に耳を傾ける。

「魂の有り様がどうであれ、来世があろうが前世があろうが、我々には一回きりの愛おしい自身のこの人生がただあるだけなんです。それを、つまらないこだわりに囚われて、囚われたままに人生を浪費するのはもったいない。つまらないこだわりに捉われずに、めいっぱいの大きな愛と共に生きようよ、というのが我々の大義です。……大義なんて大それたものじゃ、ありませんけどね。コップの中の水や砂のごときが魂である、なんてことは、別にどうでもいい事なんです」

「ぶっちゃけ過ぎじゃないですか?」言い終えた感のあるユージーンに対してオレは率直な感想を言った。

「ハハハ、そうですね。でもね、つまらないこだわり……、常識だとか、社会規範だとか、『こうあらねばならない』みたいな強迫観念みたいなものが、今のあなたの中ではとても小さなものになっていませんか?」

「ええ。昨日のオレが今のオレを見たなら、絶望したかも知れません。でも、今のオレは昨日のオレをちっぽけなものに思えてます」

「こういうのって、言葉や論理でどうにかなるものじゃないんですよね」

「えぇ。分かります」

「さて、次は……。そうそう。ご紹介がまだでしたね。彼女はチエ。私たちの大切な仲間です。次はチエにしっかりと満足してもらおうと思うのですが……」

「もちろんです」オレは爽やかに応える。


 昨日までのオレのままだったなら、ユージーンへの返答に野卑な空気が滲んでいたかも知れない。しかし、今のオレには湿った感情がまるでない。愛をもって楽しむ事に後ろ暗い感情など要るハズがないではないか。


 微かに、僅かに、アタマの隅に、『妙な沼に足を踏み入れたような感じだ』という感想が生まれたような気がしたが、それはすぐに掻き消えた。

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