おんがえし
戯男
おんがえし
「いやあ今日の夕餉も美味であった。さすが我が妻だ」
「ありがたきお言葉にございますにゃ」
「しかしわしはつくづく果報者だ。ほんの十年前までは水飲み百姓だったのに、今では大尽とまで呼ばれるようになった。全く人の世というのはわからんものだ」
「本当にそうでございますにゃあ」
「それもこれもあの猫のおかげだ。昔、裏の納屋に住みついてた白猫でな。餌をやったりして可愛がっていたんだが、ある時、種籾を失ったわしが途方に暮れていると、その猫がなにやら庭で手招きしておる。ついて行くと楠の根元をしきりに引っ掻くものだから、掘ってみると……って、この話はもう何度もしておるな?」
「何回聞いてもいい話ですにゃ」
「そこからはとんとん拍子だった。明日をも知れぬ身だったのが、こんなに大きな屋敷に住めるようになって、そなたのような美しい妻を迎えることもできた。わしは本当に運がいい」
「旦那さまの実力ですにゃ」
「しかしそれ以来、あの猫はぷっつり姿を見せなくなってしまってな……それが心残りなのだ。今ならあの頃のような貧しい食い物じゃなく、尾頭付きでもなんでも食べさせてやれるんだが……。なんだか恩をそのままにしてしまっているようで、それがずっと気掛かりなのだ」
「それは残念なことですにゃ」
「……時に妻よ」
「なんですにゃ?」
「そなた、ひょっとしてあの時の猫ではないか?」
「ちちちち違いますにゃ。お戯れを」
「そうか?……そうなのか。まあそれならいいんだが」
「私は生まれついての人間ですにゃ」
「そういえば夕餉の菜に奴豆腐があったが」
「はい。お口に合いませんでしたかにゃ?」
「いや。大変美味かったが、少し鰹節が多かったような気がしてな」
「おかかは多ければ多いほど嬉しいものですにゃ」
「やっぱり猫であろう?」
「違いますにゃ」
「ところでミツはもう寝たのか」
「はい。さっき寝かしつけてまいりましたにゃ」
「そうか。あの子も大きくなったのう」
「お転婆で困りますにゃ」
「そなたに似て実に美人だ」
「目元はあなた様にそっくりですにゃ」
「あの大きな猫耳がなんとも言えん可愛らしさだ」
「……それは私譲りかもしれませんにゃ」
「やっぱり猫であろう?」
「違いますにゃ」
「おや、そなた尻尾が出ておるぞ」
「ヤベ」
「嘘じゃ」
「お戯れを」
「やっぱ猫であろう?」
「違いますにゃ」
「あっ鼠」
「フシャー!」
「猫であろう?」
「違いますにゃ」
「ところでその茶は飲まんのか?」
「熱くて飲めませんにゃ」
「猫であろう?」
「違いますにゃ」
「ほれ、顎の下を掻いてやろう。こちょこちょ」
「ゴロゴロ」
「猫であろう?」
「違いますにゃ。でも、もう少しお願いしますにゃ」
「こちょこちょ」
「ゴロゴロ」
「……」
「……旦那さま」
「なんだ。耳の裏も掻いてほしいか」
「はい……じゃなくて、その、例の白猫のことですけどにゃ」
「ああ。うん。それがどうかしたのか」
「その、私は見たこともないのでわかりませんが……たぶんその猫は、旦那さまに幸せになってもらいたかっただけなんだと思いますにゃ」
「どういうことだ」
「十年前の旦那さまはクソクソ貧乏で、毎日ろくに食べてないから骨みたいにガリガリで、風呂も全然入らないからありえないくらい臭くて、着物も下着も垢でガビガビで爪も真っ黒で、そんなので撫でようとしてくるからもう本当頼むから勘弁してくれって感じで」
「……そうだったのか」
「でも、その猫を殺して食っても不思議じゃないくらい貧乏なのに、食べ物が手に入った時は必ずわけてくれて、雨の日には母屋に入れてくれて、寒い日は囲炉裏の傍で寝させてくれて、薪がない時は懐に入れてくれて……」
「そんなこともあったなあ」
「そんな優しい旦那さまのことがその猫は大好きで……だから、あれくらいで恩返しができたなんて、そんな大それたことは思ってませんけど、少なくとも今の旦那さまが幸せなら、それが猫にとっては一番嬉しいこと……なんだと思いますにゃ。私は知りませんけどにゃ」
「……そうか」
「そうですにゃ。だからそんな風に、恩を感じたりすることはないんですにゃ。きっとその猫もどこかで幸せに暮らしてますにゃ」
「……そうだな。よし。腹も膨れたし、どれ。今宵はそなたを可愛がってやることとするか。こちょこちょ」
「ゴロゴロ〜」
「ほれ。今日とってきたエノコログサだ。好きであろう?ほれほれ……」
「あ〜体が勝手に……か、カ。カッ!ペッ!」
「ん?どうした」
「気にしないでください。ちょっと毛玉が出ただけですにゃ」
「……にしてももうちょっと隠すとかしたらどうだ?」
おんがえし 戯男 @tawareo
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