不寝番

坂樋 戸伊(さかつうといさ)

不寝番

「腹減ったああああああああああああああああ!!!!」


 唐突に防人のイサキが叫ぶ。

 

「これから不寝番だってのになんで食ってねえんだよ」

「書き物の仕事をやたらと押し付けたの誰だよ。しかも午後7時までに仕上げろとか」

「それは随分と酷い話もあったもんだな」

「オイコラせめて干し肉とスープくらい持ってきてもバチぁ当たらんと思うんだが?」


 イサキは業務を振ってきた直上の上司で尉官にあるレイキを半目で見やる。お前の要領が悪い、と言わんばかりに肩をすくめ、さらに真面目な風を装ってイサキの肩に手を置き、言葉をかける。

 

「仕方ないだろう?本来であればイサキ、お前が出すべき報告書が提出されていなかったんだ。」

「いやソレ小隊長が大丈夫って言ってたから放置してたんだが?」

「てっきり饅頭は食っても大丈夫か?という確認だと思ってたんだよ。」

「おいそれ何時の話してるんだ」


 このレイキという男、防衛軍の将官であるが昼行灯、極度にずぼらなところがある。このため、自分にとって・・・・・・重要ではないと思えた事柄については伝達が漏れてしまったりするケースが多々あった。

 

「なんであんたが今の階級なのか甚だ疑問だわ……」


 イサキがぶつぶつと愚痴る。空腹も相まって機嫌が悪くなっている様子だ。イサキ自身は十人隊を纏める立場になったばかりだ。そんな隊長職には時折職務について報告を上げるよう規則があるのだが、その報告を渡す上司にスケジュールを確認したところ、予定があるし、イサキ隊の担当箇所については口頭報告してくれればいい、とレイキは言ったのだ。レイキと違い、イサキはそのあたりを細かく憶えられるタイプであり、上司が書面を不要である、と言われれば面倒なことはしなくなるものである。そう、ただ業務を忠実にこなしたのだ。だというのに。

 

「よくよく思い出したらこの報告書って定期に上げる奴だったんだよね」

「隊長職に着任したての人間だからな?定期かどうかなんて知らんのよ!」

「今言った」

「……ああもう……」


 かるく言い合いをしたところで空腹がいよいよ自己主張を強めてくる。

 正直このひもじい思いを抱えたまま不寝番に入るのは辛い。隊の部下に融通してもらえないか相談しようか。

背に腹は代えられないし、仮眠の時間があるとはいえ、その仮眠も空腹を抱えたままでは寝られない可能性がある。夜食はあるが、それを今喰えば夜食が無くなりこれまた空腹に苛まれることになる。

 眉間に深いしわを刻みながらレイキの執務室を去ろうとしたところへおもむろに声が掛けられる。

 

「イサキ、せっかくだから饅頭持って行け」

「せっかくだからって……意味わからんわ。まあ、ありがたくいただくけどよ」

「おう。下げ渡してやるから感謝しろ」

「っぐっ!こぉの……」


 そもそもがレイキの手違いからやるはめになった急ぎ仕事。期限厳守だったため食事も忘れて提出資料をまとめ、纏めたのだ。食事をしない要員を作った本人が居丈高と感じる態度で饅頭を目の前に差し出してくる。

 

(おちょくりやがって……)


「……ついでにこの蒸し鶏もどうだ?」

「ソレどうしたんだ」

「俺の摘みだ。酒の肴にな」


 泥濘鳥、というこのあたりでは見かけない食材、とのことだった。モモ肉あたりだろうか。すこし赤みがかった鳥肉で、見せる際に開けられた容器から、滋養のありそうな、旨味をたっぷり含んでいるであろう匂いが漂ってきた。

 

「ホレ。食え」


 イサキが返答する前にレイキは鳥肉を綺麗に切り分け、饅頭を包んでいた紙に載せる。イサキの喉がごくり、と生唾を呑み込んでしまったのはその肉から漂う香りゆえ、仕方ないだろう。

 

「匂いからして旨そうだろ?ほら、他の連中にバレる前にさっさと食ってしまえ」


 弾力が強い肉質だが、噛み締めると蒸し焼きにされた肉の奥から肉汁が溢れてくる。狩りをして様々な肉を食うことが多いが、泥濘鳥は飛び切り美味な部類だった。

 

「うっっまっ!!!」

「はっはっは。これでお前も共犯だ」


 《共犯》という言葉を聞き、石のようにイサキは固まる。

 

「まあ、その話は追い追いな。ほら、時間だろ」


 時計を見ると8時20分を過ぎるところだった。

 

「あー……潮風キツイんだよ今日の担当場所」

「まあ、海岸線にある要塞だからな。ここは。あきらめろ」

「不寝番終わっても休めねえから嫌なんだよ。機材の点検で時間持って行かれるから」

「いい仕事を期待しているぞ」


 言外に泥濘鳥食ったお前が一番頑張れ、とイサキには聞こえた。

 

「これ計算じゃねえよな……?」


 駆け足で持ち場へ向かうイサキはレイキの今日の一連の行動を振り返りながら独り呟いた。

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