小話 友情と愛情と恋情 〜青華視点〜

 「恋」では無かった。

 あれは私にとってそういった類いのものでは無かった。



 もう15年以上も前の事だ。


 婚期を逃しかけている娘を心配した両親は、しきりに縁談話を持ちかけてくるが、それらには全く乗り気がしなかった。


 もし、結婚するならば相手は藍燕だろう。

 そんな風に考えていた。


 見かけは地味だが、腕が立ち頭も切れる。何より一緒にいて居心地の良い2歳年下の友人を私は気に入って……いや、好いていた。

 そして、藍燕の方も私のところを満更ではないと思ってくれているような、脈ありな雰囲気があったんだ。


 当時は宮中警護の部署に配属されていたが、白龍国と接している辺りで凶悪な妖魔出没相次いて守備が手薄になった事から、2ヶ月ほど古巣の国境警備隊の応援に駆り出されていた。

 が、それも漸く落ち着き、都に帰ったら藍燕を飲みにでも誘って結婚についてどう思うか探ってみるか。

 

 そんな風に思っていた矢先……


—— 皇太子危篤。


 耳を疑う報が飛び込んできた。


 幼馴染で一番の親友である蒼瑛。


 国境警備隊時代にはアイツが上司で、私達は背中を預け合って戦った。

 彼は明るくおおらかな美丈夫で、龍の一族なだけあって戦力も仙力もずば抜けて強い。

 無双感があるというか、正直殺しても死ななそうな奴だと思っていた。

 それが死に瀕しているだと?


 私は急ぎ都に戻った。

 東宮殿はやけにひっそりとしており、馴染みの武官が少ない。

 

 寝室に入ると、蒼瑛が密かに結界を発動させた気配がした。


「具合が悪いんだろ、無理するな」


「嫌だね。あの女の息のかかった奴が彷徨いているんだ。月華との会話を盗み聞きされたくない」


 強い口調でそう答えた蒼瑛だが、寝台に横たわる姿は痛ましいものだった。


「痩せたろう。はは……やっぱり私は、君がいないとダメだな」

 

「毒か……」


「ああ。まんまとやられた。何に仕込まれたか特定も出来ないから解毒も出来ない」


「あの女狐! 殺してやる」


「俺が甘かったんだ。月華が国境に呼び出された時点で全てを疑わなくてはならなかった」


「このポンコツめ……ホント何やってんだよ。蒼瑛、私の夢はな……お前の元で大尉になることだ。皇帝になったお前の剣となってこの国の平穏を支える。それが一番の夢だったのに……。くそっ……なんでなんだ……やはり何があっても側を離れるんじゃ無かった」


「もって10日だそうだ。ごめんな」


 聞きたくなかった。

 生まれてから今まで、親兄弟よりも長い時間を共に過ごした友。共に笑い、泣き、夢を追ってここまで来たのに。

 別れはこんなにも唐突であっさりきてしまうものなのか。

 言葉が見つからない……、嫌だ、離れて行くなと泣き叫んでも、止められるものでもないのだ。


 蒼瑛が沈黙を破った。

 

「月華、私の最後のわがままを叶えてくれないか」


「私とお前の仲だ。出来ることなら何でもやってやるよ」


「……私を抱いてくれ」


「抱きしめればいいのか?」


「いや。私が生きた証を、未来に残したい」


「おい。もっといい女がいるだろう。お前が好きそうな華奢な美女が……」


「こんな状況で、紫荊が女を入れるのを許すと思うか? お前だからそれについては警戒されなかった。それに、お前以外の誰が私の子を守れるって言うんだ。いないだろ。……でも、何よりも……だ。あの女は分かっていなかった。これは本当に幸いだった」


 蒼瑛は痩せ細った手で私の手をそっと握った。


「好きだ」


「馬鹿野郎……」


「この期に及んで本当にわがままだと思う。この想いは本当は墓場まで持っていくつもりだった。皇帝になっていたら間違いなく。でも今……死が目の前にあって……蒼瑛として何も残さずに消えるのがどうにも虚しくてさ。私の人生での一番の宝は君と過ごした日々なんだ。君に私を刻んでおきたい」


 馬鹿で、正直で、狡い奴。本当に……最後に酷いことしやがる……。

 でも、大好きな親友の願いだ。

 叶えるよ。


「分かった、抱いてやる。頼むから途中で死んだりするじゃないぞ」


「残念。これで死ねたら本望なんだけどな」


「優しくしてやんねーぞ」


「初めてなんだ。優しくしてよ」


「嘘つけ」


「嘘じゃない。初めてだよ……愛する人とするのは」


 もうすぐ死ぬってのにさ、そんなに幸せそうに笑うんじゃない。

 私は、少し乾燥した蒼瑛の唇を吸った。

 

 「月華、大好きだよ」


 唇が離れると、彼はそう呟いて涙を溢した。

 頬を伝う水滴を舐め取って目尻に口づける。 

 彼の手が私の腰に回された。

 

 蒼瑛に会ったのはそれが最後だった。

 そして、たった一度の交わりで私は彼の子どもを身籠った。

 


 ✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼



 それから10ヵ月後。

 静かな場所で子どもを産んで育てようと決心した私は、軍を辞して都から遠く離れた場所でひっそりと暮していた。

 連れて来たのは、昔私の面倒を見てくれた乳母のみ。

 流石にひとりで産む勇気は無く、信頼が置けて産婆の心得もある彼女に一緒に来てもらっていた。

 私の隠棲先は両親しか知らない……はずだったのに。


「で、どういう状況なんですか」


 目の前に藍燕がいる。

 彼は、私の大きくなったお腹を見つめて眉を八の字にしている。


「いや……その……。蒼瑛が亡くなって、喪失感というか……色々辛くてさ、かなり飲んだ夜に行きずりの相手と寝て、まぁその結果だ」


 私は嘘を吐いた。

 色々説教をされると思ったが、彼は何も言わず頭を抱えるとしばらく黙っていた。


「……俺を頼ってくれれば良かったのに」


 やがてポツリとそんなことを言った。


「恥ずかしいだろ。誰にも知られたくなかったんだ」


 どういう意味で彼がそう言ったのかは定かではないが、私は適当に誤魔化した。

 水燕は深いため息を吐き出した後、漸く顔を上げた。


「でもここはいずれバレますよ。俺が辿り着いたくらいです。隠れるならばもっとちゃんとした場所にしないといけない。……次回は出産祝いと新しい隠れ場所を持ってきます」


 一番、知られたくなかったのは、お前にだったんだがな……。

 そう言う事は出来ず、私は当たり障りのない感謝の言葉を返した。

 

 もし、何も起こらず、蒼瑛が今も元気でいたならば、今頃私は目の前の男と婚礼の準備でもしていたのだろうか。

 そんな事を考えてしまったら、腹の子が暴れた。


「つっ!」


「どうしました? 生まれます⁈」


「違う、大丈夫だ。赤ん坊が思い切り腹を蹴っただけさ」


「ふっ。隊長に似てお転婆になりそうですね」


 到着してからずっと険しい顔をしていた藍燕が表情を和らげた。


「男の子かも知れないだろ」


「いいえ、女の子です。そんな気がします……あの、触っても良いですか?」


「ああ、構わない」


 藍燕がそっと撫でると、中の子がムニャリと動いた。


「うぉっ。生きものが入ってるって感じがしますね」


「だろ。自分の体の中に違う命が入ってるんだ。面白いよな」


「……俺が守りますよ」


「馬鹿、余計な事を考えなくていい。知ってのとおり、私は強いから大丈夫だ」


「でも、貴女が全部背負わなくても良いじゃないですか。あの方の分まで俺に守らせてください。二人とも、俺の大切な人なんです」


「藍燕……」


 お前に隠し事は無駄だったな。

 泣きそうになった。だから「生意気な」と言って笑い飛ばした。そこには巻き込みたくないという気持ちもあったんだ。

 嘘じゃない。でも結局は巻き込んでしまった。


 翠花が生まれた日、絶望の淵にあった私を救いに来たのは藍燕、お前だった。

 

 あの時、どうして私を見つけてしまったんだ。

 お前なら、丞相にも大尉にもなれた。

 こんな風に辺境の地で埋もれて歳を取ることなんて無かったのに。



 そして今も……

 

 娘の隣には真竜と第2皇子が居て、3人を見守るように藍燕が立っている。

 龍珠を取り戻す旅、それは権力への抵抗であり、時代へ一石を投じるものになるだろう。


「じゃあね、お母さん。先に向かうね」


 翠花が私を抱きしめた。

 生まれた頃は自分にそっくりだと思ったが、最近の面差しは本当に蒼瑛に似てきた。

 

 そして藍燕は……痩身は変わらないが、年齢は確実に重ねているな。

 シワができた。それに、昔より垂れ目になった気がする。

 その目と目が合った。

 彼が微笑む。

 

「青華、待っていますよ」


 恋心なんて遠い昔に捨てたつもりでいるけれど、そうやって堪らなく優しい顔を見せる瞬間があるから、今も胸の奥で燻る。






              第一部 【完】


 

 

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青龍国伝奇 ——捨てられ公主と龍の末裔—— 碧月 葉 @momobeko

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