死神

Win-CL

第1話

 ……あぁ、これはあんまり他人に話したりはしないんだけどな。


 なんでって、情けないだろう。死神が人間なんぞにしてやられるなんて。おかげで同僚には未だに笑い話にされているよ。死神の仕事ってのは蓋を開けてみれば退屈なもんでな。いつだって話題に飢えているんだ。


 だから、今回話してやるのだって特別なんだぞ?


 あれはいつだったか、もうすぐに死期が迫っている男がいると、閻魔えんま様に命じられて現世へと降りたことだった。対象が都合よく見つかるものなのかって? いやいや、場所はどこにいたってわかるようになっている。


 それに、まるで魚にとっての水のように、夜闇が俺たちをどこにでも運んでくれる。上空12000mの旅客機だろうが、厳重に鍵のかかった金庫室だろうが、どこに隠れていようが関係ないのさ。


 兎にも角にも、その男の元へと辿り着いたのは一瞬だった。


 さびれた田舎町の、ボロボロのホテルの一室、これといってセキュリティが厳重なわけでもない。ただ、カーテンだけは一丁前に分厚いもので、外からは中の様子を窺うことができないものとなっていた。


 そもそも、俺が来ることなんて知りようがないのだから警戒なんてしてる筈がない。室内を窺うかどうか以前に、壁の存在を気にすることなく室内へと入っていった。


 いつだって出会いは突然。混乱している頭に状況を説明してやるのは、この死神の仕事の中でも数限られた娯楽のようなものだ。うんと怖がらせて、怯えている相手の命を無情に刈り取る――という趣味の悪い奴もいる。……俺は違うぞ。


 まぁ、自分の場合は至極単純。

 その男の前に姿を現して言ってやったわけだ。

『見えるか? これがお前の命の灯だ』とね。


 一人一人、誰しもが魂の形として一本の蝋燭ろうそくを持っている。それを引きずり出し、灯を『ふっ』と吹き消してやるのが我々の役目だ。


 生まれてこの方、一度も悪さという悪さもせずにいれば、蝋燭が完全に溶ける最後の一瞬まで生きるだろうが、そんな人間は地上のどこにもいやしない。死神が出張ってきたということは……わかるだろう? 生前に行ってきた悪行が清算され、大なり小なり前倒しになるんだよ。


 この男の場合は、病で死ぬ予定だった。


 生きている間に善行を積んでいれば、まだ数週間は余裕があったのかもしれない。悪行による差し引きが無かったとしても、もって数日といったところか。見た目だけでいえば、ピンピンとしているのだが運命とは残酷なものだ。


「まさか本当に死神がいるとは、しかも目の前に姿を現すだなんて。見た目は人とそう変わらないみたいだな? いったいどこからやってきたんだ? 壁をすり抜けて? この蝋燭はお前さんが持ってきたわけじゃなさそうだが……おお? なんだ、少しばかり短すぎやしないか? どうやら小さく俺の名前が書いてあるみたいだが」


 しっかし、喋るわ喋るわ。少しばかりの驚きを見せはしたが、怯えた様子はほとんどなかった。それでいて、まるで口から生まれたかのように舌が回る。まるで引っこ抜かれる前に精一杯動いてやろうってな勢いだった。


 よくよく閻魔帳を見てみれば、小さい頃から嘘を吐くのが得意だったらしい。地獄行きとまではいかないが、大人になっても口が相当上手かったのだろう。


「今すぐか?」

「ああ、今すぐだ」


 寿命が迫った奴の中には、突然にまくし立てるように喋って『何かの間違いだ』とか『チャンスをくれ』だとか、そうやって命乞いをする奴もいるんだよ。


 そんなことしたって無駄なのにな。

 ただ、その男の場合はすこしばかり毛色が違っていた。


「なるほどなるほど……ちょっと待ってはくれないか。いつか死んだ妹の幽霊と出会えないものかと、日本中を回って怪談話を集めていたんだ。……俺にとっては一番大事な存在だった。生き別れになってしばらくして、病気で死んでしまったと風の噂で聞いた。幽霊でもいい、一目だけでも会うことができないかと集めた話なんだ。百物語とまではいかないが、ちょっと聞いていってはくれないかい。話し終えたら、好きにしていいからさ」


 なにを馬鹿なことをと笑ったさ。死神と言やあ、死後の世界を司る代表といってもいい。そんな存在に幽霊の話をする奴がいるかよと。


「それじゃあ一つ目。これは、帰り道を見失った男女四人が、ずらりと地蔵が並ぶ山道を通っていた話なんだが――」


 ただ、そいつは俺が止める前に勝手に話始めてしまった。まぁ、今まで口八丁手八丁で生きて来た経歴は伊達ではないらしい。その語り口は実に滑らかで、聞くものを惹き込ませるなにかがあった。ちょっとぐらいなら付き合ってやるかと耳を傾けたわけだ。……それが間違いだった。


 当然、俺も死神なわけでな。そういった神仏にまつわる話ときたら、そこらの人間なんかよりもずっと詳しい。お地蔵さんとは、つまるところは地蔵菩薩じぞうぼさつ。人が作ったものであれ、仏様の現身には相違ない。……地獄と極楽、交流はなくとも、その存在は互いに認知されている。地獄の閻魔や死神がいるなら、神様仏様ももちろんいるぞ。


 なのでちょっと知識を貸してやろうと、そういった部分を『その話の裏側は、こういうことだったんだろう』と補足してやると、嬉しそうに『今度はまた違った話なんだが――』と新しい怪談が始まってしまう。


 ……まぁ、いくら死神といえども、人の霊が起こした問題を把握しているかと聞かれれば答えは否だ。知っているような話もあれば、まったく聞いたこともないような話もあった。


 というより、まったくの作り話も混じっていたのではないだろうか。そしてそれを指摘すると、『まぁ、まぁ』とまた次の怪談へと移っていくのだ。


 そんなやりとりを繰り返していたせいで、結局のところ百話は聞いていたのではないだろうか。流石に私の方が疲れて音を上げてしまった。


「も、もういい。怪談話はもう満足だ。その怪談話にしたって、ほとんどが嘘ばかりじゃないか。寿命が尽きるからって好き勝手にし過ぎやしないか。お前、俺が何をしに来たのか忘れたわけじゃないんだろう?」


「おいおい、怪談なんてどれも出鱈目でたらめに決まってるだろう。あんなもの、聞く人を怖がらせる、あるいは楽しませるために作られたものばかりだよ。幽霊何てこれっぽっちも信じていなかったが、目の前には本物の死神がいるのだから考えを改めることにするが。……それに、あんたがいろいろ説明をしてくれたおかげで、これからは多少のリアリティを盛り込むこともできそうだ」


「……待て。お前、『死んだ妹の幽霊と出会うために怪談を集めている』と言っていなかったか? 嘘だとわかっているのなら、幽霊の存在を信じていなかったのなら、集める必要なんてどこにも――」


「――悪いが、それも、嘘だよ」


 一語ずつ、区切って話す口元に、俺は目を丸くした。

 慌てて、持っていた死者のリストを確認した。

 当然ながら、そいつの妹の名前はなかった。


「だ、騙したな――!」


 俺はもう、一秒たりとも待ってやるつもりはなかった。自分の命を引き延ばすためにダラダラと嘘を吐き続け、それにわざわざ付き合ってやった自分も馬鹿らしいが、それで何か変わるでもない、と見切りをつけた。


 最初に言っていたように、死神の仕事なんてそう大層なものじゃない。その胸の内に灯る蝋燭を取り上げ、一息吹くだけで終わる仕事だ。あの時の俺はそう思い、手を伸ばしたが――奴の方が一枚上手だった。

 

「残念、


 バッと男の背後にあったカーテンが捲られたのさ。厚手のカーテンだったせいで、朝が来ていたことに気が付かなかった俺の落ち度だ。日光が降り注ぎ、体が急速に薄れていくのがわかった。


 ……あと、もう数歩近ければ。

 すんでのところで、俺はその男を取り逃がした。


 これまで、うっかりで蝋燭をすり替えられた死神もいたもんだが、それと同じぐらいに酷い失敗だった。地獄ですれ違うたびに『よっ、聞き上手!』と囃し立てられる始末だよ。


 閻魔様からも、それはもう大説教をくらったさ。普段から仕事に対してのやる気が感じられないだのなんだの……って、今はその話は別にいいじゃないか。






 ――で、その男はどうしたって? 責任を持って、翌日にもう一度出向いてやったさ。今度ばかりは話を聞かずに、さっさと蝋燭を吹き消してやるつもりでな。


 宵闇よいやみ迫る、小さな町の教会でその男は一人座っていた。

 今日はここで結婚式があったんだと。


「ここに来るまでに見かけたかい? 花嫁は俺の妹さ。何年も顔を見ていなかったが、ずいぶんと別嬪べっぴんになってらぁ」


「……知らないね。そんなことには興味が無いもんで」


「お前は閻魔大王に舌を抜かれ、生まれ変わるまで苦しみ続ける。いい気味だよ。これで俺の溜飲も下がるってもんだ。最後に命乞いぐらいしたらどうだ?」


 “妄言”といって、多少ならば許されたとしても、度を越せば罪の大きさも変わって来る。ましてや、死神に対して嘘を吐いて騙すなんてあってはならない。


「下手をすれば、本来ならば殺しや盗み、邪淫じゃいんといった罪を負い、なおも嘘を吐いた者が送られる“大叫喚だいきょうかん”行きになってもおかしくはないだろう。そこで責め苦を受け続ける時間は、人間の世界でいうところの852兆6400億年だぞ」


「それこそ、俺には興味が無いね。妹の顔を拝むことができた。それだけで満足だ。さぁ、どうぞ好きにしてくれ。地獄でもどこでも、付き合ってやろうじゃないか」


 両腕を開き、胸にある蝋燭を差し出す。

 魂の灯は今もなおジリジリと燃えており、もうすぐ皿へと付いてしまいそうな。


 放っておいても、数日待てば死んでしまうだろう。しかしながら、閻魔大王にせっつかれている以上、一刻たりとも待ってやるような余地などなかった。俺は皿を静かに取り上げ、口元へと持っていき……。


 ――ふっ。


 魂の灯が、しずかに消えた。


 満足そうな表情をして死んでいたよ。地獄でどんな責め苦を受けようとも知ったことか、というぐらいに穏やかな顔をしていた。……憎たらしいぐらいに。






 さて、これで俺の失敗談はおしまい。


 お前はこんなヘマをしないようにな。


 閻魔大王ってのは、怒るとそれはもうおっかないんだ。今回は説教だけで済んだものの、二度目はないだろうな。鬼に混ざって地獄の亡者どもを管理するなんて、俺は御免だね。


 おっとそうだ、ついでに一つ、この際だからバラしてしまうが……俺も一つ嘘を吐いていたんだ。どの部分かわかるかい? わからないか、そりゃ仕方ない。


 実はな――


 死神を騙して生き永らえ、そして死神によって蝋燭の灯を吹き消された奴は、のさ。


 なんでそんなことまで自分に話したかって?


 ……さぁね、自分で考えな。

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