第7話【最終話】 その香りはどこへ

 トーコは内心、やや困惑していた。

 自分の評判が良いのは知っている。熱烈な相手に辟易してかわすのが大変だったこともあるが、基本、紳士を装う会員たちだから上手にあしらえた。

 【剪定】対象になったのはなぜだろう。ま、辞めるならそれでも構わない。そんな気持ちだから、焦りもなく戸惑いも一瞬だった。

 目の前の男性は自分より若そうに見えた。

 注文をする英語を聞くと、おそらくアメリカ人かアメリカ系のインターを出たのだろう。別に明らかにしなくてもいい。

 それにしても、大きい人だ。190センチに迫りそうで、気の毒になる。目立ちすぎてかわいそう。それに何だろう、すごく良い香りがする。けど香水の銘柄を聞くと気があると勘違いされそうだからやめる。

 結構な額になるであろう駐在手当をもらって、いいコンドミニアムに住んで、【Yashi】なんかに登録して卑しさ全開でやってくるタナカを見てやろうと思ったのに。

 運営だって、似たような雰囲気で現れると思ったのに。あ、そうかエリックさんはきっと雇われか。


 「人前に出るのが嫌いなんですよ。だから合っているんです、仕事が」

 トーコは聞かれてもいないのに、そう伝えてみた。

 ふいをつかれたのか、それまであまり表情を見せなかったエリックが初めてぱっと目を開いた。

 「ええ、ああ、そうですか。僕もです」

 「エリックさんも?失礼に聞こえたらすいません。ちょっと気持ちわかります」

 ビールが胸につかえたのか、ゲップをかみ殺しているのかこぶしを口元に添え、声は出さずに「うんうん」と頷く様子が妙にかわいくて、トーコはふきだしてしまった。

 人のことは言えないが、お人形が人間らしく見える瞬間ってかわいいのだ。

 

 それから、ぽつぽつと自分の話をし始めたふたりは2時間の夕食を終えた。

 トーコは【剪定】されず、仕事を続けることになった。

 リエンを出たら、別の場所で飲みなおすかと思うほど打ち解けたが、どちらからも誘えなかった。

 別れてから、リッツカールトンのトイレに入ったトーコは、モルトンブラウンのハンドソープで手を洗いながらみるみる顔が赤くなるのを感じた。立ち上るウッディな香りがエリックを思い出させ、「ドドドド」と胸が鳴るのにうろたえた。

 車で来たから酒は飲んでいない。


 スマートに別れたのに、ばったり出くわしては気まずいからエリックはすぐにホテルを出た。近くにある高級モール・パビリオンまで歩く。

 中に入り、スーツ姿のフェミニン系男性店員がにっこり首をかしげて

 ”Hi!”

と渡してきたムエットを反射的に受け取りエスカレーターに乗る。

 Oh My gosh…

 左手の白い紙を凝視して思わず声がもれた。

 ジャスミンとまろやかな緑のにおい。少しテンションが上がって別れ際にさよならのハグをした時の、トーコの香り。

 Oh My God.

 トムフォードと書かれたムエットを見つめた。今、電話したらウザがられるよな、運転中だったら?

 しかし冷静さは香りが飛ばし、運転中ならドライブしようと言ってみる気で電話をかけた。

 東西南北、KLの夜はどこへ走れば楽しいだろう。

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気温32度、東西南北、KLにて ジャスミン コン @jasmine2023

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