エピローグ II
あの日の答え合わせ
近所のお年寄りにとってはきついと評判の長い長い階段を上る。
俺もいよいよ中段辺りでは息があがり下を向いてしまう。体力の衰えを痛感している。学生時代はテンポ良く二段抜かしでゲームセンターがあるスーパーの最上階まで余裕で行けたのにな。
確かにあった過去のそんな自分にはもう戻れないと嘆きたくもなる。
「なにこれ綺麗!」
あと数段で天辺まで着くとなった刹那、無垢な幼い女の子と思われる弾けた声。
後ろを振り向く。
あれ、いない。確かに聴こえたのに。下に居るのか? いや距離感的にすぐ近くからだったような気がしたんだけど。
「いやぁ、僕のことは覚えている?」
既視感。俺の時間は巻き戻る。今度は高校生までに。
「お兄さん……」
そういえば名前はなんていうのか。
「空、見てごらん」
人差し指を上に向けながら言う。
「空……」
うそだろう。青いぞ。さっき綺麗って言っていたのはこのことか!
「なんですか、これは。この世の終わりが近づいているのですか?」
「いいや違う。その逆だ」
夜の公園。お兄さんとベンチに座る。あの日のように。
正面にはなお、空が鮮やかに青く染まっている。
「この色が見えるんだね。これはね、例の超能力によってもたらされたものだ」
「そうなんですか! どんな力なんですか。空を青色に染めてしまうなんて」
「世界を変える力さ。それも表面的にじゃない、もっと根っこの部分から。この色が認識できるってことはやっぱりヤス君はその素質があったみたいだね。惜しいことに花開くとまではいかなかったみたいだけど」
それはもう別にいい。今なにが起きているのか、それを知りたい。
「だいぶ予想と違ったね。あの日、僕達は震え慄いた。超能力者が持っている能力を使って他人に危害を加えた。しかもその使い手はレベルマックスに近い力まで使いこなせている。これは世界が変わる、世の中が超能力者によって乗っ取られる未来がやって来るかもしれないと。その時が遂にやって来たみたいだ。でも、どうだい。この美しい光景は」
「綺麗かもしれないですけど、空が青く染まるなんてやっぱり異常ですよ。本当に地球滅亡の前兆ではないんですか?」
「うん。僕を誰だと思っている。このエネルギーは大自然のように牙を剥くこともあるが、ボジティブなものと思っている。純粋すぎるくらい透き通った蒼き力が奇跡を起こしたんだ。これからはこの腐った世を好転させようと働きかけるんじゃないかな。僕はもっと、例えばこの前、観た映画ジョーカーのように巨悪が誕生して、そいつが陣頭指揮をとって街を、国を滅茶苦茶にするもんだと想像していたけど」
「でも、翔くんが犠牲になった」
「……翔くんはね。どうやら自ら願い出たようだ。土下座までして、僕をこの世から連れ出してくださいと」
「えっ」
「犯人は翔くんをターゲットにしたのは間違いがない。けど、本当の狙いは翔くんの父親だったんだ」
「翔くんのお父さんが……僕の前ではあんなに優しい人だったのにやっぱり」
「おや、心当たりがあるみたいだね」
「はい。だいぶ前にニュースで報道されました。長年、複数の女性にお酒を過剰に飲ませたり睡眠薬をこっそり混入させては眠らせて性行為に及んで、ようやく逮捕されたと。それが翔くんのお父さんでした。それでもしかして翔くんは……と」
「そう。その犯人にとって大切な人も翔くんの父親の被害者だった。しかもその女性はのちに自殺する。怒り狂った犯人はどうやらそれで敢えて本人ではなく息子を狙ったみたいだね」
「お兄さん、もしかしてその犯人と接触できたのですか? なら翔くんを返してと頼んでください! 彼は何も悪くないじゃないですか」
「それも目的で僕は犯人を血眼になって探したんだ。が、さっきも言ったように翔くんは進んで姿をくらました。犯人曰く翔くんを救ったんだそうだ」
「救った?」
「翔くんは元々、若者らしくこの社会に絶望してこんな世の中だったら生きたくないという気持ちを抱いていた。それに加えて翔くんも薄々勘づいていたみたいだね。父親の悪事に。少なくとも社会的に許されない行為をしているとは察してはいた」
そうだった。なぜ翔くんは再びあの恐怖に首を突っ込んだのか。それはここじゃないどこかへ行きたいという願望がその恐怖も凌駕したからだ。
そこに父親の犯罪行為に気づいているとなったら……。
「翔くんの精神状態だと遅かれ早かれ自ら命を絶つ可能性が高いとみた犯人は、翔くんを揺り籠の中へ閉じ込めた。そこでスヤスヤ眠っているそうだ」
「揺り籠ってなんですか。翔くんはどこへ行ってしまわれたのですか?」
「まぁ、そこはご自由に解釈してくれたら。翔くんが興味津々だった幽霊の世界でもなんでもいい」
そんな。翔くんはもう戻って来ないの?
「その犯人はどうやってそんなとんでもない力を手に入れたのですか? お兄さんもどうすればそこまで能力を磨けるのか見当もつかないと困惑されていましたよね」
「そこは……僕もそれをぜひ知りたかったんだけどトップシークレットだそうで。心の内にもロックがかかっていた。さすがは達人だ。スーパーサイヤ人みたいに激しい怒りによって覚醒したとか言ってたけど本当かな」
「スーパーサイヤ人って……そんな漫画みたいに都合よくいくんですかね」
「ただ、きっかけはそれだと強調していた。そこは嘘ではないみたいだ。単なる怒りによって能力が劇的に成長するなんてこと、これまでなかったような……」
「お兄さんは……あれから成長しましたか?」
「僕は……この通りさ。あれから何にも変わっていない。臆病な僕はひっそりと生きてきたけど、傍観者にはなりたくないと勇敢な戦士が新しい道を切り拓こうとしてくれている。これは僕もなにか手伝わないといけないとって思っているよ。それがこの蒼き空の願いなのかもしれない」
「僕も……僕も仲間に入れてください。そして、翔くんに一目でも会いたい……どうすれば良いのか分からないですけど」
「ヤス君はちょっと知り過ぎてしまったね。なら先ずは超能力者の存在を世に知らしめるんだ。架空の存在ではない、僕達を救ってくれるヒーローがそこにいると」
あっ、それを言い残してお兄さんは泡のように浮かんで消えてしまった……。
あのお兄さんも実は相当な能力の持ち主なんじゃないか。
だって歳を取っていないじゃないか。
いま一度この空を眺める。降り注ぐような青が綺麗だ。
翔くんが隣に居てくれたらどんな顔をするだろう。きっと胸をときめかせてこの謎を解くぞってやる気になるはずだ。
翔くんが求めていた未知の世界はこの世にも根づこうとしているよ。
いつの日か、見せてあげたいから僕は翔くんが戻ってきたくなるような世界を思い描く。
そこはきっと生きづらさから解放された世界だ。この青にはそれが込められている気がする。
「わぁ〜すごい!」
「綺麗だねお父さん」
まだよちよち歩きの男の子と小学高学年くらいの女の子が父親と一緒にやって来た。
「なんだこれ、太陽フレアの影響か?」
「太陽フレアってなに?」
あの家族にもこの空は青く見えるのか。
ということは……。
いや。もしかしたらもう既にこの世界はどこか違う世界に変わっているのかもしれない。誰が一体、この空を平等に青く染めたのだろうか。
「なにこれ青い蝶がいるよ! 光っている」
女の子が興奮している。
青い蝶?
あっ。ヒラヒラと、手を伸ばすと俺の手のひらにもその青い蝶は止まった。蛍のように光っている。
なんだ。銀色の粒がパラパラ降ってきた。点滅しているようにも見える。
あっ、めまいが……。なんなんだこれは。
思わずベンチに座るとあの蝶はいつの間にかどこかへ行ってしまっていた。
「あれ、お兄さんいつの間にそこに」
「僕のこと見えるんだね?」
僕のことが見えるって何を言っているんだ。そんなの当たり前のこと。
お兄さんは何やら含みがあるみたいな笑みを浮かべている。
あっまさか……。
お兄さんは消えてはいなくて、さっきからずっとそこに居た?
それが見えるということは……。
子供二人が数匹の青い蝶と戯れているとお兄さんは感心しているみたいにうん、うんと頷く。
「そうそう。翔くんはね、あの場所にいるよ」
お兄さんが唐突に言う。
それを聞くと俺はいても立ってもいられず、いまにも泣きそうになるのをこらえながら公園の外へ駆け出した。
(了)
侵食〜バタフライエフェクト計画〜 浅川 @asakawa_69
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