エピローグ I
バタフライエフェクト計画
「一馬ー!」
ステージ裏は柵の端っこからは丸見えだ。車から降りてきた橘に声援を送るファン。
新宿駅東口で橘のバンドはゲリラライブを決行する。正確には当日の午前七時に本日お昼過ぎ新宿駅のどこかでライブをするとツイッターで告知をしての敢行。コアなファンは駆けつけてくれている。
メンバーがステージに登場すると一際、大きい歓声。各パートの音を鳴らす。
「新宿駅に居るみなさん! 初めましての方が多いと思いますが……」
橘は新曲のプロモーションの一環であると軽く説明すると演奏を始めた。
さぁ、現れるか未来人。
未来人はこの空間には居てはいけない。
渋谷で対峙した時のような反応を示すはずだ。なぜなのかははっきりしない。
これは俺の専門外だし、いちいち気にしないが超能力者にとっては敵にあたるので本能でそう訴えているのかもしれない。
前方には熱烈なファンの若い女性達。
そこからどんどん後ろへ下がれば通りすがりでたまたま気になって足を止めている人で占められる。俺は後方を中心に目を光らせた。
既存の三曲を演奏し終わるといよいよ新曲を宇宙で初めて公開するとMCを挟んだ。
宇宙初か。俺達の未来に宇宙旅行は実現するのだろうか。科学に代わって超科学が中心とする世界。
ここじゃない変な空間には行けそうだけど、宇宙を散歩するように身近になる期待はしない方がいいのかもな。共存はできないか。
と、耽けている暇はない。首を左右に振り気を引き締め直したら……いた。またあの女が。
馬鹿か。なぜ同じ格好、上から下まで同じ服装で来る。
未来人は超能力者が実在するなど露程も信じていない、このアドバンテージがここまで利いているとはな。これではあの反応があるのかを確かめる必要もない。
俺は小型マイクで熊谷さんとやり取りをする。
「いました。一番後ろの右端で眺めているサングラスとハットをかけた女です。すぐにわかると思います」
仕事が早い。一分後、女は体調が悪そうに胸を押さえる。たまらず片膝を付いた。
「大丈夫ですか。どこが悪いんですか?」
あの時ほどではないがやはり近づくと機械で全身マッサージを受けているように重力がまとわりつく。腕が
ステージ裏の車に女を運び込んだ。
そこには熊谷さんと古谷さんがスタンバイしている。女性なので手足を紐で縛るのを古谷さんに頼んだ。
「念のため手錠もお願いします」
持参した手錠で拘束を仕上げる。
よし、ここまでは呆れるほど上手くいった。本当に相手にしているのはタイムマシンでやって来た未来人なのか。
「熊谷さんどうですか?」女の頭の中に潜り込んでいる熊谷さんに進捗状況を聞いた。
「安原さんの言う通り未来人で当たっています! あなた達未来人は過去を監視しているんでしょとか、こちらが睨んでいることを諸々ぶちまけたら目が点になっていましたね。こっちのテリトリーで勝負したら高度な科学技術を持っている未来人といえどもただの一般人ですよー!」
たまに発生するやたらテンションが高い熊谷さんはこの大一番では心強い。
「了解です。もういいですよ。目覚めさせて直接、脅しましょう」
「脅すのですか……」
もっとオブラートに包んだ別の単語もあったかな。古谷さんは俺の変貌ぶりにたじろいでいる。こんなサイコパスの俺と付き合うなんてもうごめんだろうな。
一時的なものではなく、本気で惚れた恋を犠牲にしているからにはもうミッションを成功させるしかない。
「うっ、うっ」女が苦悶そうな声を上げながら瞼を開く。
女の両脇に熊谷さんと古谷さんを待機させて、俺は車内に入ると女と向き合う形で座った。
「あっサングラスも外して。さて、おはようございます。未来人さん。こちらは新しい未来を築くためにやって来た使者です。これから引き継ぎの手続きをしたいので僕のする質問に正直に答えてください」
初の未来人との遭遇、接触がこんな狭い所で秘密裏に行われるとはな。
日本に来ているんだから日本語は理解できるとみているが、通じるのか。
「どうして、どうして! 私が未来から来たって見破ったの?」自由が利かない身体を揺する女。
このイントネーションからして日本生まれ、育ちの純正日本人ではないか。タイムマシンが実用化さている未来にもまだそんな日本人は残っていたか。
この慌てぶりから見てもこっちの勝利は確信した。
「おたく、どうやらそっちの持っているデータか何かと照らし合わせて、そこに差異がある度に過去に足を踏み入れているみたいですね。なぜそんなことをするのか? それはあなた達の未来を守るため。何が原因でそっちの未来が狂わせられるのか分からないからけっこう仔細に調べている。その原因ってなんだかご存知です? 僕達のせいです。僕達、超能力者がこうして過去を掻き乱しているんですよ」
女はポカンとしてて何も返してこない。
ちょっとしたミスを何度も踏みそうな人相だな。アニメでよくいるドジっ
「あっ、信じてない。なら、なんであなたに的を絞り込んで捕まえたと思っているんですか。偶然、誘拐した人が未来人だった? なんていうことでしょう」
「なにが、目的なの?」怒涛の口上に衝撃があまりにも強すぎたのか。女はもう諦め気味だ。なす術はないらしい。
「主導権をこちらに渡してもらいます。具体的にはタイムマシンを作った者は誰だか教えてください。俺達のような人間が主体の未来にはタイムマシンなんて代物、作られませんよねきっと。それを防ごうとあなたがいるのでしょうが、そこさえ断てばもうこちらとの繋がりは解消されて新たな未来線が敷かれる。そちらの未来も大変、魅力的なんでしょうが、そんな崇高な未来なんかよりも俺達は今が幸せだと心から思える現在にしたいんです。惜しいことですけど、今を生きる聡明な人達のためにもその未来は捨てなければならない」
「これが、次元崩壊の根源……こんな冴えない、貧弱な面々たちにやられたっていうの」
冴えない貧弱な面々って……まぁ否定はしない。
しかし、次元崩壊の根源か。
そうか、ある未来は無かったことになるイコール、その次元の崩壊なのか。女がこんなことを口走るってことは、そんな例が他にもあったりしたのか……?
「どうですか。協定を結びませんか。僕達も生きやすい未来にすることを邪魔をせず、タイムマシンを完成させることも目指す。これで従来のテクノロジーは維持しつつ、超能力者も繁栄する歴史が作られる」
「そ、そんな都合良くいくと思っているの。そこまでいくとタイムマシンさえ完成させればちゃんと私達が生きる未来と同じになるなんて保証はどこにもない。あなた達いずれ国の政治にも手を出す気でしょう。それでなくたって私がこうして捕獲されて未来人の存在に確証を得られてしまった時点でもうめちゃくちゃにされてしまっている」
「そうですよね。僕も共存は極めて難しいと読んでいます。じゃあ残念ですけど、また壊しちゃいますね」
「な、なにをされても私は教えないから。私を殺したらあなた達にとっても……」
「日本人です」
古谷さんが意外そうに言った。
「えっ」
私一人を殺したところで他の未来人を怒らせるだけだみたいな発言をしようと思った女は気持ちいいくらいに面食らう。
「タイムマシン完成の基礎を築いたのは梅原薫という日本人みたいです」
「へぇーこの凋落の一途を辿っている日本が、まさかタイムマシンを作っちゃう人材を生み出すとはね。あっ、でも海外生まれの日系人の可能性も……」
「あのー。偶然かもしれないですけど……」
熊谷さんが怯えながら手を上げる生徒のように言う。
「梅原薫って、私と同じ大学に通っていた同期の子供と同じ名前なんですよね。父親も同じ大学の梅原茂さんって方で、有名なゲームクリエイターです。在学中に付き合い始めて卒業後に結婚しました。その奥さんと私は今でも年賀状を出し合うくらいの仲なので去年、生まれた子の名前も知っているんですよね」
大学の同期に子供が生まれた。
「そういえば熊谷さんや工藤君っていくつなの?」
「三十代前半とだけ言っておきます」苦笑いしながら申し訳なさそうに頭を下げる。最大で俺と十歳は歳が離れている。
とても三十代に見えねー。そういえば橘とも二人は同じ年だったか。
同じ歳でも、見た目の印象にここまで差が出るなんて人間って不思議だ。
それは置いておいて。梅原茂さんの子供かもしれないのか。
「どうですか? この人の頭の中に入っているイメージを抽出してからエネルギーに変換させて、遡らせてみましたけど」
「はい……この子は紛れもなく梅原茂さんのお子さんですね。年賀状の写真と一致しています。なんという偶然……」
すごいな。いま取り込んだエネルギー情報から過去の姿を特定することができるなんて。超能力者ならではの歴史研究みたいだ。
「はい、ありがとうございます。あなたの役目は一応終了ですが梅原茂さんのお子さんを速やかに処分していきますのでもうしばらくお持ちください」
「その、やっぱり殺しちゃうんですか?」
まだ生まれたばかりの赤ちゃんで、まさか熊谷さんの同級生の息子だ。その心中を察するとこれは余計に辛い任務になる。
「気に病むことはありませんよ」
思いがけない言葉が続いた。
「梅原茂ってもう男子から、特に工藤君から嫌われているんです。なぜかって大学で美人、可愛いと評されている女性に次から次へと手を出して最悪の男です!」
怒っているように見えてその内に怒の感情は無いに等しいような。
「その男には天罰が下ってほしいと?」
「はい。工藤君にとってアイドルだった朋美ちゃんも梅原の素性を知らずに惚れてしまって……梅原はその朋美ちゃんも悲しませましたし……」
トモミちゃんって名前……確か。
「ありがとう気を遣ってくれて。その梅原茂って人は作ったゲームの評判通りに人間としても皆から尊敬される人物。俺もあの人の作るゲームは大好きだ。そんな人の子供に手を出すことは許されるのか? これまでのポリシーに反している」
「あっ……す、すみません」
「なら! 殺さなくても……その人を別の分野に興味を持たせたりする方向でいきましょうよ」古谷さんが懇願する。
「……この女を捕まえてしまった以上もう未来人側も緊急事態を発令するはず、そこまで悠長なことをしてたら、その前に未来人が介入してくるような……」
これが最後の試練か。これまで悪人しか懲らしめてこなかったが、偉業達成を目前にして善人が最も透明な心を持った命を殺さなければいけなくなってしまった……。
やっぱりできないよ——そう言ってナイフをおろしてしまうから俺達はこの世界では成功できないんだろうな。
業界を支配している大企業はどうやって大きくなっていった、権力者はどうやって……。
この社会で成功できるのは数々の残忍な、違法ではないが仁義に反している所業を平然としてしまえる人物だけだ。
その犠牲の下に奴らは頂上にいる。
遺恨なくして達成はできないのか……!
「あの、重大なお取り込み中の所をすみません」
助手席から見知らぬ男の声。
「……ど、どちら様でしょうか?」
そうとしか言えない。
「もしかして、安原さんの兄弟ですか?」
そう熊谷さんが問う。
「似てはいるけど、俺に兄弟はいない」
「はっはっ。もしかして隠し子だったりして。まぁ細かいことはともかく、そのプロジェクト、僕にできることがあります。ほいっ!」
俺にそっくりの男は一人の赤ちゃんを差し出す。なんか小さな手を動かしながらはしゃいでいる。かわいいな。
「これは、あなたの子供ですか?」
「まさか。冴えない貧弱な見た目が大半を占める超能力者に結婚できて子供まで産める人は稀ですよ。この子は例の梅原茂さんのお子さんですよ。さっき公園にいるところを攫ってきました」
「えー!」とここにいる誰もが一斉に叫ぶ。
「いやーさすがタイムマシン完成のメカニズムを発見する男ですよ。僕が抱っこしても泣くどころかご機嫌になるんですから。わかっていらっしゃる」
「なにしているんですか! 早く返さないと親が……」
常識的な発言だと思ったが、まてよ。俺はこれから何をしようとしていた。
「これが最大限の配慮をした方法です。その両親らは子供がいなくなり嘆き悲しむことになるでしょう。でも実際この子を殺すことはない、生きたまま隔離する事が僕にはできるんですよ。この子は僕達の胸の中ではずっと生き続ける、それでいいんじゃありません?」
この眼鏡をかけた男は何者だ……。
車から出ると橘たちがライブを終えてステージ裏でハイタッチをしていた。今日のライブも大盛況だったのだろう。
橘はあの拡声器を持っていた。俺はそれを黙ってやや乱暴に奪い取る。
「あっ。安原どうしたんだよ?」
ステージに向かって俺は走る。
ステージ中央に立つと拡声器を両手で握りしめて、
「絶対に、絶対に、素晴らしい未来にしてみせるからなー!」
と大泣きしながら絶叫した。
拡声器を持って群衆に訴えていたのは橘ではなく俺だった。
鎖でつながれ固く引き離せなかった運命は変わった。
消えていく遥か遠い未来に俺は敬礼の意も込めて精一杯叫んだ。
さよなら俺の知らない未来。さようなら。
そうなんだ。俺は一人の赤ん坊どころか生まれてくるのを待っていた無数の生命を殺してしまったに等しいんだ。
それができないのであればこれまでと同じように俺達、超能力者は甘んじて従わなければならない。
「それによって、多くの仲間達がこの世の不条理に耐え切れず、巻き込まれて亡くなっていった歴史があることも忘れないでほしい!」
そう俺に似たあの男に力説された。彼は何を背負っているのか。とてつもなく長い歴史そのものを代表して演説しているみたいだった。
どっちが生き残るのか?
争いは必然ってこと。人間の歴史がそうであるように。
「どっちを守るか選ぶしかないなら、同胞を選ぶに決まっています。新しい未来に向かって舵を切りましょう!」
結論はもう決まってはいたんだけど、改めて表明した。
小さな青き蝶が羽ばたいたことにより、遥か遠くの未来では竜巻が起こった——
幼稚園児が描いた絵のようにあまりにもざっくりとした工藤君の野望『バタフライエフェクト計画』はこれにてミッションコンプリートか。
俺に感謝しろよ工藤君、と言いたいところだがそれをもっと完全なものにしたのはあの突如、現れた男であり、この未来を予言したお兄さん——
まさかこっちが探していた人が向こうから協力したいなんて申し出てくるなんてな。
全部持ってかれてしまった感もあるけど「君の勇気に応えたまでだよ」という言葉には俺の苦悩を汲んでくれたようで妙に感激してしまった。
これが報われた充実感か。
あっ、見込み通りあの冷たくてうるさい風の音が聴こえなくなったぞ。空いてしまった穴が新しい次元に繋がれた兆しか。
こんにちは。俺達が新しく創造する未来。
治ってよかった。これで不眠ともおさらばだ。安心して眠りにつける。
俺は暫く休眠に入ろうと思う。あのお兄さんが用意してくれるベッドの上で。
目覚めたらどんな未来が待っているだろう。
夢は全く働かなくても、いやせめて週に三回働けば生きていける、暮らしていける社会だ。
そんな戯言を実現するためにはベーシックインカムを導入する必要があるだろう。
これでもこうなることを想定して真剣に考えたんだけど、正直こういうことは考えれば考えるほど面倒くさくなる。
優秀な人材を求む。これから探していかないとな。
えっと、誰が?
さぁ、早くも俺達の未来は暗礁に乗り上げそうだぞ。
それにあの女はどうすればいいんだ。もう帰っていいですよとなっても消滅すると分かっている未来に帰る意味は。
彼女だけは生き残らせることもできなくはない。工藤君の口座から見舞い金でも支給してこっちで生きてもらう。それを受け入れてくれるだろうか。
うーん早くも問題は山積だ。その現実にはひとまず目をつむる。
早く帰って寝たい。
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