第13話 恋する乙女~エピローグ
ところが僕は、神様の意外な慈悲深さを、程なく知る事になる。
――その日も雨だった。六月。また梅雨の季節。外は、強い風雨が唸っていた。
心境は、比較的なだらかだった。我ながら意外とも思える早さだったけど、彼女との日々を思い出として処理できるようになった。いつまでも未練がましい自分に嫌気が差してきたってのもあった。とにかく、可能だったなら、今恐らく幸せであろう彼女に、お祝いのメッセージでも送ろうかと思っていた。
そろそろホームルームが始まるという頃、あるクラスメイトが、興奮気味に教室に入ってきて、皆に言った。
「おい、今日、転校生が来るってよ!」
「うお、マジ!?」
「可愛い女子だといいなあ」
色めき立つ男子達。僕は、妙な既視感を覚えた。その時、スマホのプッシュ通知が来た。
『東京湾に波浪警報発令』
既視感がますますもって強くなる。けど、そんな都合のいい話なんて、まずありえないだろう。期待なんか、しない方がいいな。
そう思っていたら、チャイムが鳴った。先生が入って来る。
「あー、知ってる奴もいるとは思うが、今日は転校生を紹介する。入ってきなさい」
「え――」
静かに教壇に立った転校生の顔を見て、僕はきっと、狐につままれたような顔だったに違いない。
香苗ちゃん!? いや、待て。今度こそ、他人の空似ってことも……?
先生が、転校生の名前を黒板に書く。
「燕原 香苗」
間違い……ない……?
「燕原さん、みんなに挨拶を」
先生に促され、香苗ちゃんが口を開く。
「一人を除いて、皆さんはじめまして。燕原香苗って言います。よろしくお願いします」
変な言い方に、クラスメイト達が少しざわつく。先生も、不思議そうな顔だ。香苗ちゃんが続ける。
「あたしは、彼氏である雁ヶ崎君を追ってここへ来ました。なので、男子のみんなに前もって言っておきますけど、いかなるアタックも無駄だと思って下さいね? うふふっ」
ちょ、ま、香苗ちゃん!? 誇らしげに言ってくれるのは嬉しいけど、いきなり爆弾発言過ぎない!? って言うか、軽い公開処刑じゃない!?
男子達のため息×n。女子達は揃って、感心したような面持ちだった。あっけにとられていた先生が、やっと我に返ったかのように言う。
「あ、あー、そういう事情なら、席は雁ヶ崎の隣がちょうど空いてるし、そこにしようか」
「はい、ありがとうございます」
しずしずと、香苗ちゃんが僕の隣に来る。
「久しぶりね、悠平君」
「え、え、あ、う、うん……」
確かに僕の知ってる香苗ちゃんなんだけど、あまりに予想外の出来事に、ただ、目を白黒させるだけだった。
――放課後になって、雨が上がり、雲間からの青空が眩しくなった。
香苗ちゃんに呼ばれ、一緒に屋上に来ていた。聞きたいことが、色々あった。
「一つずつ、説明するわね。まず、告ってきた相手は、全っ然つまんない奴だったから、三日でフッたわ」
「そ、それなら……」
どうしてそのことを、すぐに言ってくれなかったんだろう? 連絡がなかったことも含め、疑問はまだ残る。
「言ったでしょ? あたし、ひねくれてるのよ。好きな相手には、逆の態度を取っちゃうって。悠平君がジリジリしてるのを想像して、ちょっと楽しませてもらったわ」
「ひ、ひどい……」
いたずらっぽく笑う彼女。理由は分かるけど、やっぱりひどいと思う。
「けどね、日ごとに悠平君に会いたい気持ちが膨れ上がって言ってさ。とうとう限界を突破したのよ」
まるで、自分を持て余すように、香苗ちゃんが肩をすくめる。そして、驚くほどからりと言った。
「だからさ、東京へはあたし一人で来たのよ。学校近くのアパートに、部屋を借りてね。親を説得するのには、結構かかっちゃったけど」
「そ、そこまでして!?」
ちょっと待って。一人で!? 並大抵の覚悟じゃないぞ、それ!?
ぽかあんとしている僕に、香苗ちゃんは、どこか不敵に微笑んだ。
「恋する乙女は、強いのよ?」
「……ありがとう……!」
こんなに、こんなに男冥利に尽きる事って、あるか? ないよ! 嬉しすぎるよ!
喜んでいるところで、香苗ちゃんは、ふいに真面目な顔になった。
「ところでさ? 悠平君、忘れてること、ない?」
「え、えっ?」
忘れていること? 一体何なんだ? まるっきり見当が付かない。
戸惑っていると、香苗ちゃんは不機嫌そうな顔になった。と言うか、ひどく怒ったようだった。ずかずかと歩み寄ってくる。
「歯ァ食いしばれッ!!」
手を振り上げる彼女。ぶたれる! 目を閉じ、身を強張らせた。
が、次の瞬間、柔らかな感触にそっと頬を包まれる。
そして……
「んむっ……!?」
とろけるような甘い感覚に、呼吸を塞がれた。それがキスであることを理解するには、かなりかかった。
長い、キスだった。ふっ……と顔が離れ、至近距離の、真っ赤な香苗ちゃんの顔。
「正真正銘、あたしのファーストキス、だよ。この日のために、大事にしてたんだ」
「……っ……!」
はにかむ香苗ちゃんを見て、天にも昇らん気持ちだった。彼女が、注いだ吐息に封をするように、そのしなやかな指を、僕の唇に添える。真面目、いや、真剣な声。
「これから、よ。これから。ね?」
「……うん!」
回り道はしたけど、また彼女と歩いて行ける。
こんな幸せって、そう無いと思う。
少し気が早い夏の陽差しが、僕達を眩しく照らす。
かくして、未来は再度開けた。
ただひたすらに、神様へ感謝した。
屋上を去る前。時間を確認するためにスマホを見ると、二時間前にプッシュ通知が来ていた。
東京湾に出されていた波浪警報は、解除されたというお知らせだった。
――了
どうしてハロー警報があってグッバイ警報がないのだろうか 不二川巴人 @T_Fujikawa
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