「闇鬼」 あとがき


 今年の2月12日より皆様に読んでいただいていた『闇鬼』が、先週無事完結を迎えることが出来ました。


 私がこの作品を構想したのは、まだ学生の時でした。

『闇鬼』を書くにあたって構想は練れたもののわからないことだらけでした。


 例えば「水子」のこと。「堕胎」のこと。この2つは作品の中でとても重要な意味を持ってきます。


 あ〜ん、わからないわぁ…


 学校の先生からは「何か調べるのだったら図書館だよ」と教わっていましたが、赤ちゃんを堕すという決断をした女性の言葉が載っている本はそう簡単に見つからないのよ〜


 やはり、辛い決断、心に負った傷を思い出しながら文章として残すことは中絶を決心した女性にとって苦痛に他ならないと思います。


 でもいろいろな文献…


 (「おなかの中の密航者」ダーチャ・マライニー著、

「水子・中絶をめぐる日本文化の底流」ウィリアム・R・ラフルーア著、

「不思議の村の子供たち2」樋口政則著、

「日本伝奇伝説大事典」角川書店)


 などを調べていくと「水子」と「堕胎」は精神的にも肉体的にもツライ思いをするのは女性だけが、心にも体にも痛みを背負わされていることがわかってきました。


 我が子を産めないどころか産まれたばかりの嬰児を間引かなくては(殺さなくては)ならないという苦痛が書いてある本もあって、自然と涙が込み上げてきました。


 本当に苦しみ、心がボロボロになる女性もいます。

でも自分は生きていかなくてはいけない。

 

 このツラさは男性にはわかりません。だって自分の体の中に大切な別の命は宿っていないんですから。堕す時の痛みもわからないんですから。

 

 女性は1人で乗り越えなければならないとても辛い十字架を背負って…。でもこの辛さを誰にも言えずに内に秘めて生活していくんです。


 年老いても忘れません。

 フとしたことで思い出すと心の中でそっと手を合わせているそうです。



 『闇鬼』は産んでもらえなかった「水子」たちの怨念で出来上がった魔物…。

 そんな『闇鬼』を書こうとしていた私は調べていくうちに自分の間違っていた方向性に気づかされました。


 母親がどんな理由であるにせよ、産んでもらえなかった「水子」や「間引かれた嬰児」は怨みなど抱いていない。


 むしろ、この世に生きることが許されなかったすべての子供たちは、葬る決断をせざるを得なかった母親を…その家族を霊界から見守る存在なんだ…と思うようになったんです。


 『闇鬼』に登場する「ラウラ」は最初から自分を中絶した清恵とその家族を守る存在として書くつもりではいましたが…。



 そんな『闇鬼』の構想を練っていたノートがあります。


 「ラウラ」は最初「闇小僧」という名前になっていました(笑)

 真弓はこの「闇小僧」を「ヤミー」と呼ぶ、とノートには書いてあります。


 でもある日、図書館で偶然見つけたお釈迦様の本に「仏陀は出家する前に生まれた子を『ラーフラ』(出家の邪魔になる障害)と呼んだ、という一文を見つけ「ラウラ」という名前を思いつきました。



 ここで間違えてはいけないのは「ラウラ」が醜いから障害ではありません。自分はお母さんや妹を助けたい!だけど、どうせこんな醜い姿だから愛されるわけがない、という捻くれた心が障害なんです。


 最後は自分の体の一部を妹の真弓と弟の真琴にプレゼントして、可愛い姿になって昇天していく…そんな「ラウラ」を書くことが出来て本当に良かったです。


 約7ヶ月の間、皆様にお読みいただき本当にありがとうございました。

 社会人になり、学生の頃の思いを書き綴り無事完結を迎えられたのも一重に皆様のおかげです。

 皆様の言葉やいいね!に勇気をもらい、励まされて書き終えることが出来ました。

 本当にありがとうございました。

この場をお借りしてお礼申し上げます。

 そして、このような場を無償で与えてくださったカクヨムさんにも感謝致します。

ありがとうございました。


西野新葉

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