最終話 「復活」【完】


 木々の葉も、緑から黄色へと変わり、あれから、あっという間に3ヶ月が経ってしまった。


 真弓は、いま八王子ドームにいる。


(ついにこの日が来た!)


 インターハイ出場を懸けての個人決勝戦。真弓は、相手に一本も奪われずに決勝まで勝ち進んでいた。


(ついにこの日が来た!)


 真弓は、もう一度心の中でこの言葉を呟いた。


 この夏、忌まわしい出来事が自分を襲った。立ち直るのにも、時間が掛かった。でも、みんなの励ましで、今わたしはここにいる。


 真弓は、二階席を見上げた。


「お姉ちゃん、ガンバレー!」

 最前列で一生懸命に手を振っている真琴の姿が見える。


 そう、マコは助かった。お兄ちゃんが『闇鬼』を封印した後、自分の心臓を真琴にプレゼントしてくれた。

 お兄ちゃんがヒソヒソと奪衣婆へお願いしていたのは、自分の強い心臓を真琴にプレゼントすることだったのだ。


(ありがとう、お兄ちゃん! 見て! マコは、あんなに元気になったよ)

 マコにわたしの決勝戦を見せると言った約束が果たせたよ。


 そして真琴の両脇には、父の勝彦と母の清恵が、真琴が二階から落ちないように、しっかりと抱きしめて応援している。


 勝彦は、冷凍庫のように冷え切った真弓の部屋で、仮死状態で発見された。清恵の肩の傷はもちろん完治している。

 家族の心の傷も時間が少しずつ癒してくれた。


 清恵が毎月お参りに行っていた場所へ、家族4人で花を供えに行った。

 清恵の目から涙が一滴こぼれたが、とても爽やかな笑顔で手を合わせる清恵の肩を何も言わず勝彦がしっかりと抱きしめていた。

 そんな両親の姿を、真弓はいつまでも忘れはしないと思った。


 ただ不思議だったのは、警察が大した現場検証を行わず、鑑識官が来たが何もせずに帰って行ったことだ。

 真弓には事情聴取もなかった。


 その後、沢村から極秘で聞いた話では「なぜ俺が大怪我をしたのか上司は何も聞かないんだよ。それに宮脇もあの事件をほとんど憶えていないらしい。おかしいと思わないか?」と警察病院へ見舞いに行った真弓に沢村は話していた。


「もしかしたら、ダツエバさんが何かしてくれたのかしら?」

 真弓も事件の後の一連の流れにおかしな点がいくつもあったので、そう答えるしかなかった。


「それはわからないが、病院の医師や看護師も俺が何でこんな大怪我をしたのか誰も聞かない。坦々と治療に専念してくれてるんだよなぁ」

「それも変だわ。……でも詳しく説明しても誰も信じてくれないと思うし…」




 あの時……『闇鬼』の舌を『鬼丸』で切断したあと『闇鬼』の回し蹴りを受けて忽然と消えてしまった沢村だったが、なんと真弓の家の庭で発見された。

 肋骨を三本と両足を折る重傷を負っていたにも関わらず、沢村は退院後、松葉杖を突きながら真弓の家に通い、ずっと家族を励まし続けてくれた。


 因みに、真弓が『闇鬼』と戦っていた剣道場は寝室の空間を歪めた異空間領域だった。

 だから沢村はその異空間領域から飛び出してしまい、2階の窓ガラスを突き破り、庭に転落したのだった。




 話を八王子ドームに戻そう。


 真弓は、二階席の上の方に視線を移した。

 そこには、沢村と宮脇の姿があった。ネクタイを緩めて、両手をメガホン代わりにして、何か叫んでいる。


(仕事を抜け出して来てくれたのかな?)真弓は、クスッと笑った。


 そして、両親の左側には、少し膨らんだお腹を抱えた親友の美香と、将来の旦那さまが手を振っている。

(美香もいろいろあったけど良かったね)


 その隣には、益子先輩がスーツに身を包んで清楚に座っていた。

 その奥には、鹿間が……。プログラムに必死でメモを取っている。


(イギリスからのEメール、ありがとね)

 真弓は、走馬燈のように甦る様々な出来事を一瞬思い出し、応援席に軽く会釈した。


「お姉ちゃん、ガンバレー!」

「まゆみー!」

「まゆみ!」

「根性だぞぉ!」

「あとひとつよぉ! いけぇ!」


 みんなの声援を背中で受けながら、真弓は頭にタオルを巻き、面をかぶった。

 紐をキュッと結ぶ時、左手の小指をチラッと見た。真っ白なきれいな四本の指が並ぶ中に、一本だけ土色に変色した小指。

 まさしくラウラの指だった。


 ラウラが奪衣婆の耳元で最後に囁いたもう一つの願い。それは、自分の指を真弓にプレゼントすることだった。


 でもラウラの小指では小さすぎたので、ラウラの中指が真弓の小指になっている。


 真弓は目を瞑り、祈るようにその指に面の上から軽くキスをする真似をした。

(お兄ちゃん、わたしを守ってね)


 それにしても、あまりに呆気ない『闇鬼』の最後……。真弓は、それがしばらくの間、気になっていた。


 眠れない夜が続いた。また、現れるのではないか……という、見えない恐怖。でも、無事この日を迎えることができた。

 あの忌まわしい出来事は終わったんだ。過去のことなんだ。とやっとで思える。


「よしっ!」

 小手をつけた真弓は、臨戦モードへと入っていった。

 相手は、ここまで真弓と同じく相手に一本も奪われずに勝ち進んでいる。


 どんな剣士なのか? 監督からの情報は何もない。ただ、剣道を始めて僅か3ヶ月でここまで上り詰めた一年生! ということだけはわかっていた。


「ただいまより、全国高等学校総合体育大会、剣道女子出場選手決定を兼ねた個人戦決勝戦を行ないます」


 場内放送が流れ、応援席は一気にヒートアップする。

 ドーム全体が「ウォ~ン!」という、言葉にならない歓声に包まれた。


 審判に呼ばれ、真弓が先に前にすすんだ。少し遅れて、相手もゆっくりと中央にやってきた。

 1年生だというのに、すごく背が高い。


(そういえば、この子はまだ一度も面をはずしてないな)

 真弓は、ふとそんなことを考えた。

 その時だ。何とも言いようのない悪寒に体全体が包まれた。


 どこかで味わったことのあるこの嫌な気持ちは、一体なんだ?

 誰かに見つめられている。いや、睨まれている。


(だれ?)


 中央に、真弓と相手の選手が歩を進める。

この時、初めて真弓は相手の殺気に押しつぶされそうになる自分を感じた。


 そして、面の中から異様に光る目を見た。

 爬虫類のような、冷酷な「トカゲ目」が妖しく輝いている。


「礼!」


 審判の澄んだ声が、体育館に響いた。

 しかし、真弓は礼をすることも忘れ、その場に固まってしまった。

 左手に握った竹刀が微かに震え出した。


「礼!」


 審判が再び叫んだ。

 シーンと静まり返っていた体育館が少しざわめき出した。


「天宮選手、礼です!」

 審判に促され、真弓はハッとして我に返った。


 そんな筈はない! そんな筈は……。

『闇鬼』は、確かにお兄ちゃんの体の中に封印された。二度とわたしの前に現れる筈がない。


 真弓は自分に言い聞かせるように「礼」をして、竹刀を交わし蹲踞そんきょの姿勢をとった。

 目を逸らしたい衝動に駆られたが、相手の殺気に負けじと真弓は再び相手を見据えた。


 面の中の顔が、今度は笑っている。

 口が耳まで裂けた顔で、真弓を見ながら笑っている。


 再び体中に悪寒が走る。

(うそだ!これは夢に違いないわ。……もう終わった筈よ。『闇鬼』との戦いは、終わったのよ!)


 蹲踞の姿勢から何とか立ち上がったが、竹刀を構える膝がガクガク震え始めた。


(もうイヤだ! お兄ちゃん、何で? ……何でわたしは、またこんな目に遭わなくちゃいけないの? もう終わりにして!)


 しかし、真弓の気持ちとは裏腹に、審判の清々しい声がドームに響き渡った。












「はじめ!」







          完






(闇鬼・あとがきは来週火曜日0時2分に更新予定です)

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