まだ最適解は見つからないけれど――幕間の食休み ②

「ありがとう」


 潤んだキャラメル色の瞳がフィーネを見つめ、笑った。細まる瞳もかすれる声も赤らんだ鼻も、慣れ親しんだ距離よりずっと近い。ぎゅぅっと胸が締め付けられる感覚には覚えがあった。


「……シモンさんからもあったように騎士団で色々調べて貰って、結果から話すと魔法使用法第二十三条と四十六条にはちゃんと抵触した痕跡があった」


 カイは落ち着いた声音でゆっくりと話していく。


「ざっくり言うと二十三条は主に魔法を使う人や場所の範囲について。四十六条は対象及び周囲への影響と周知についての法律で、魔法を種類と難易度や専門度毎に大別したものそれぞれに規定されているんだって」


「カイが禁止されている場所で、その何かの魔法を使ってたって事かな……?」


 フィーネの確認にカイは頷く。彼の顔には悲しみにも似た落胆と悔しさが滲んでいる。


「自分のことなのに。今までずっと、なんにも気付かなかったよ。多少は魔法についての知識もあったのに…………エルフ族と魔族の秘術は凄いね。詳しくは教えて貰えなかったけれども、魔法の使用歴やその時の効果や威力なんかも、組み合わせる事である程度調べられるんだって」


 カイの話にフィーネは無言で頷く。


 検査や調査で無罪の証明が可能であると聞いた時は、そんなに簡単に事が運ぶものなのかと不安が大きかった。しかしそのような術があると知った今、シモンの言動にも納得がいく。


 カイの場合、起きた事実そのものは魔法使用法違反となるが、過失に該当するかどうかは疑わしく、使用法違反についても調査をして細かい規定に照らし合わせぬ限り判断がつかなかったのだろう。


「……魔族も人間も植物も、すべての生物は潜在的な質量の差こそあれど魔力を持っているから、使い方を覚えればある程度使えるようになる……というのは道理だと思う。それが魔族や魔術師や魔法使いなわけで。初めがあるならば習わずとも多少は使える生物がいてもおかしくないし、国内で様々な魔法が使われるからこうした法律も制定されている……と頭ではわかっていたんだけど」


 カイの眉は益々下がっていく。

 彼の気持ちを思うとフィーネの眉までも下がってしまう。


 魔法という存在の幅広さや理解、認識の差から、魔法に関わる法律は議論段階であり一般的なそれとは多少異なるとして。


 他方、カイを始めとしたヒュームの多くの人間は魔法や魔力の存在や使える者がいる事を認知していても、おそらく日常的に魔法の存在を実感するまでには至らないのが現状だろう。


 また、たとえ魔力の探知や魔法の使用ができる人間であっても、そもそもその感覚が生まれもった微細なものならば。人々の中で生活している以上は意識し、差異を細分化して追求、指標を定めたり言語化する迄はしないように思える。


 余程魔法使用の影響で困っているか。はたまた甚大な被害が出ていて、兄のシリウスのように変人偏屈研究者気質で、時間もある者でない限りは気にせず生活するのではないだろうか。



「あと、だったとも言われた」


 重たく、苦しい言葉がカイから零れた。

 どうやら懸念していた事柄は見事に的中。カイは続ける。


「だから単なる魔法過失への注意指導となった事に僕自身が驚いてる。一つ一つの魔法の効果と有害性、影響範囲や自覚の有無から判断したと言われても……。許可外の者の特定魔法使用違反に、対象者へどのような魔法をどの程度使うのかを伝えなかった……使用時の周知違反。それから、魔法に自然物への擬態効果付与を加えた事。これは監視者に対する隠蔽いんぺいにも取れるよね……」


 ひとつ、ふたつと。

 カイは重たい空気を和ませるように苦笑を滲ませ指折り数える。法的に許された罪であっても自身は許せないとばかりにえぐなぶるように知ったばかりであろう過去を連ねる。

 無理に作られた笑みまでもが贖罪を色濃く映して、思わずフィーネは目の前の机に片手をつき、身を乗り出していた。


「カイっ! もう、いいよ……私っ」


 ガタリと大きく机が傾いて、ようやく彼の気持ちを拒否するような失言だと気付く。

 違うのだと、言い訳めいた言葉を付け足そうとしたフィーネをキャラメル色の瞳が見つめた。


「フィーネにも魔法をかけてたんだ。ごめん、ごめんなさい。僕のせいで苦労しなくて良いことまで……」

「この力の事だよね? 知ってるよ!」

「え……?」


 呆けるカイにフィーネは八の字に眉を下げる。

 自分の能力ではないのでは無いかとの疑いは持っていた。しかし違和感や嫌悪感を抱いたことは無い。


 そして既にフィーネは知っている。


「詳しいことまで知ったのは今日の検査でなんだけど、自分の純粋な力じゃないかもとは思ってたよ。それは生物の体の仕組みとか、ある程度勉強した時に……ほら、幾ら私が大きくても効率よく体を動かせても、筋肉量と釣り合わないから」


 言葉の通り。知ったのは今日、騎士団で。

 そして薄々何かあるのかもしれないと思っていたのはずっと前からだ。


 齢十にも満たぬ自分が、自分の上半身よりも太い腕を持つ大男よりも力が強い訳がない。


 中身の入った酒樽を片手で、林檎を投げる時と同程度の力で投げられる訳がない。


 加えて加減の掴みにくさや力を使う時の感覚の不自然さ。気を抜くと力加減を誤ってしまうのは事実だが、この怪力が全て自分の力だと思い込むほどフィーネは鈍くない。


「でもそれで困らせたり、迷惑かけさせたのは僕で……」

「カイ君」


 不安に揺れる瞳を見つめ返し、フィーネは破顔する。そして迷いなく言い切った。


「だったら、勝手に魔法を使ったって事だけ、受け取るね。でも……私、力が強くて困った事が全くないと言えば嘘になるけど、良かったことの方がずっとずっと多いんだ。ありがとう。カイ君。この力があったから、カノンさんやお腹の赤ちゃんを守れたと思う」

「っ……」


 カイの唇が何かに耐えるようにぎゅっと引き結ばれる。

 揺れていたキャラメル色の瞳が再び滲んで、しかしそれはあっという間に伏せられてしまった。


 尚も緩く首を横に振り、謝罪を続けようと口籠もる幼馴染みの頑なな態度は真面目さ故か。泣き顔を見られては誠意が欠けたように見えるやもとの懸念からかもしれない。

(カイ君にうまく伝わるかな……)

 フィーネは大袈裟に話してなどいない。


 自身の純粋な筋力でない事は薄々感じていたのも真実。影で興味半分に揶揄され、男であれば良かったとの言葉に幼い自分が若干傷ついたのも真実。不思議な感覚を覚えていたのも真実だが。

 この怪力に感謝こそすれ、疎んだことなど一度も無いのも真実ほんとうなのだ。


 彼には恥ずかしくて言えないが、密かに誇り、自尊心が支えられていた時期さえある。


 それにどうして、身体強化という彼がかけた魔法の一部だけを責められよう。


 フィーネは知っている。目の前で己の過去の行為に葛藤するカイが、おそらく負い目から伝えてないものさえも――フィーネや皆を想いかけてしまった幼き頃から今迄に至る彼の温かな気持ちを。


「カイく……」


 フィーネは思わずカイへと伸ばしかけた手を止めた。行き先を見失ったそれは曖昧に宙を彷徨い、元の位置へと戻っていく。

 瞬間的に自分がしようとしてしまったことに顔が熱くなったが、悩む彼に失礼だとすぐに思い直した。


 フィーネは伝え出したらきりがないだろう沢山の想いと逸る気持ちを必死に抑えて、「私はすごく嬉しかったよ……」と一言。カイの言葉をじっと待つ。


 暫しの時を経て。


「……ありがとう」


 カイの、あの少し困ったような微笑が返ってきた。見上げられた眼差しは未だ困惑の色を僅かに浮かべながらも、普段の穏やかなもの。

 フィーネの肩から力が抜け、頬も自然と緩む。


「へへ、へへへ。良かったぁ……あ、ごめんね。笑ってしまったのはその、不謹慎なんだけど、私、カイ君の悩みが皆に勝手に魔法をかけてしまった事に対する罪悪感ってところもすごくカイ君らしいなって嬉しくなっちゃって」


「えっ?! 嬉っ?!」


「うん。へへ、嬉しいよ? あとそんなカイ君だから優しい魔法なんだなと思うとまたそれも嬉しいなぁ」


「っ?! っ、だって……なっなんで……?! 本当になんで?!」


 目を白黒させて半ば混乱気味に問いを返すカイに、虚をつかれたフィーネは瞳を瞬かせた。


「ええと……信頼してるカイ君が、私の思うカイ君像と近いから……? ううん、ちょっと違うな? 改めてカイ君は凄いな、嬉しいなぁって気持ちだから……かな? なんだろう、尊敬したり応援してる人を誇らしいと思う気持ちとも似てるしなぁ……」


 懸命に考え、言葉に表そうと努めるがなかなか難しい。

 それは共に過ごす時の長さからか。親しい知人や同性の友人、家族とも異なる関係性からか。はたまた失いたくない大切な相手へと伝えるからか。


 唸るフィーネに、カイはしどろもどろに礼を告げた。

「あ、ありがとう……」

「あ、う、ううん! 気持ちを言葉にするって難しいね」


 急激に羞恥が追ってきて、フィーネは熱い頬を誤魔化すように茶を飲み込む。沈黙が再び訪れ、手持ち無沙汰になったフィーネの鼻に爽やかな冷茶の香りが届いた。


「…………ごめん。フィーネちゃん……でも多分そのうち……」


 やや間を置いて、不思議な返答が硬い声で告げられる。続けて、

「安心して……って僕が言えた義理じゃないか」

とまたもや不思議な応え。


 瞳こそ伏せずに、こちらを真っ直ぐに見つめてくれてはいるが、一連の不思議な言葉と零れた微苦笑はフィーネの胸の片隅をざわつかせる。


 僅かな可能性ではあるが、まだ何かに彼の心が苛まれているのなら――。しかしそれはフィーネの杞憂だったようだ。


「本当にありがとう。いつも僕はフィーネちゃんのその、明るさと優しさに……励まされて救われてると思う」


 向けられたのはいつものあの、胸の奥が温かくなるような柔らかい笑顔。そして揺るがぬ強い意志を表したような、穏やかなキャラメル色の眼差し。

 内省的なカイ故の行動だったのかもしれないと安堵する反面、突如伝えられた感謝と直球ストレートな賛辞にフィーネは顔は熱くなる。


「へへへ、ありがとう。そんな風に言って貰えて、幼馴染みとして冥利に尽きると言うか……」

「……それは僕も……。そんな風に思って貰えて、嬉しい。すごく」


 朗らかな笑みにまた、ほんの少しだけ陰りが見えたのもきっとフィーネの見間違いだろう。カイは大きく伸びをする。


「僕はまず、魔力と魔法の制御からだ」

 元の姿勢へと戻った彼の顔は憑き物が落ちたように晴れやかだった。


「うん……応援してるね。カイ! あ、でも無理はしないように!」

「ありがとう。フィーネも訓練が始まるんだよね?」

「もう少し検査をして、それから。初めての分野? だからみっちり鍛えて貰おうかなって思ってる」

「そっか。お互い早く制御が出来るようになると良いね。フィーネちゃんも無理しないで。その、僕に…………っ、ご飯、何が良いかな?」


 会話がふと留まって、カイの目線が頼りなげに宙をゆっくりとなぞる。


「カイ君……ええと、ご飯?? ……明日の朝? とか、夜?? それとも頼まれているスープに合うものとか??」


 突如投げかけられた問にフィーネが首を傾げると、カイは彷徨わせていた目線を手元のカップに落とし、しどろもどろに言葉を紡いだ。


「……その、一応明日の夜で……」

「明日の夜かぁ。ううーん……今日は肉団子だったからお魚も良いよね。大きな川もあるし」


 カイの負担を思って明日からは外食をと考えていた自分はどこへやら、本人が申し出てくれたならとフィーネは甘えてしまう。

 情けなくも兄妹そろって食べ物の誘惑には滅法弱いのだ。


 平野の近いメルトムントならば麦料理を始め、様々な種類の豆や野菜、米料理なども楽しめるだろう。しかも明日の夕飯ならば多少なりとも時間の猶予もある。

 市場で買い物も可能となると、本日の夕飯よりも自由に作れそうだ。


「シンプルに大豆……今ならいんげん豆、そら豆も美味しいな……食べ応えのあるサラダにしても良いし、温かいスープもまだまだ捨てがたい……。せっかくだからお米を使った炊き込みご飯も良いなぁ。次の日にふわふわのオムレツと合わせても美味しそう……」


 めくるめく魅惑の料理の数々。つくり手がカイとなればおかわり待ったなしだろう。


「じゃあ順番に作ろうか?」


 フィーネの妄想をあっさりと実現しようとするカイに、フィーネは一気に夢から醒める。

 とは言え、甘い幼馴染みと食べ物の誘惑との組み合わせは強く、それらを前にしてはフィーネの理性など無いも同然。


 丁重に断るはずが口から飛び出た言葉は本能(食欲)に正直だった。

「いいの?! ……え、でも。だってカイ、忙しくなるんじゃ?」


 慌てて理性を取り戻す。しかしそこはフィーネの扱いを心得ている幼馴染みである。

 困ったように笑いながら、

「凝ったものを毎日出して欲しいって求められると難しいけれど」

 と一言。

「そんな! 作って貰えるだけで十分だよ?! ううん、毎日作るのは大変だからやめよう? 私もお兄ちゃんも作るから」

「わかった。楽しみにしてるね。ああ、でもメルトムントの食堂も気になるし外食も視野に入れない?」


 カイは「市場調査も僕の仕事だから」と付け加え、悪戯っぽく微笑む。


 このようなそつが無い……と言うよりも、フィーネやシリウスを熟知しているが故の配慮にフィーネは有り難い気持ちのほかに、時々少しだけ恨めしい気持ちになる。

 それは大き過ぎる厚意を自然と受け入れられるように本音を偽り振る舞うカイと、どうしてか全く似ていない筈の兄シリウスとが一部重なるから――だけでは多分ない。


「うぅ……食費は絶対に折半だよ?」


 先手を打たれまいと早まり、可愛げもなければ礼にも欠ける言葉を告げるフィーネに、カイは嫌な顔一つせず「うんうん。わかってる」と困ったように笑う。


「フィーネちゃん、時々はご馳走させてね」


 ハの字に下がった眉の下で甘いキャラメル色の瞳が細まって、フィーネの心音はなぜか速まってしまった。


「…………っ!! あ、うぇあ、いやでも! カイ君が! ううん」

「フィーネ?」

「ごめんね。気にしないで! 私達が至らないだけです……‼ ご馳走楽しみにしてるね!!」

「え、ええと? うん」


 困惑するカイを前にどんな表情をすれば良いかわからず、フィーネは机に突っ伏し、腕で顔を隠した。

 心音は速く、耳は熱い。情けなさやらなにやらで涙が滲みそうになる。


 今、フィーネは得体の知れぬ焦燥から大失言をしかけた。

 全ては自分でも理解できない胸の内を悟れたくないが為に、彼の厚意に対して身勝手な心配を振りかざし、嗜めようとしたのだ。


(いくら慌ててたからって「カイ君がそこまでする必要ない、優し過ぎると騙されないか心配」じゃないよ……?! 優しいのはカイ君の長所の一つで、悪い人に利用されないかもカイ君が理解してない訳が無いし、私が甘えないように気を付ける事なのに……)


 フィーネはおそるおそるカイを見上げる。


「……いつも、ありがとう……」


 ごめんねとの言葉は飲み込んで。フィーネは今伝えられる気持ちを精一杯伝える。


「こちらこそ。いつもありがとう」


 朗らかな笑みに胸の中でわだかまっていたそれは緩やかにとけて、代わりに安堵が胸を満たした。

「また良かったら……こうして話してくれると……なんて。僕が嬉しいだけなんだけれど……」


 照れ笑いするカイにフィーネの頬も自然と緩む。


 いつかカイ・ハース大切な幼馴染に相応しい態度と彼への言葉を見つけたい。

 そして出来るならば彼が困っている時に手を取れるような、頼もしい存在になりたい。


「私も。嬉しいなぁ……なんて。へへ……これからも宜しくお願いします」

 フィーネは右手を差し出す。

 カイの瞳が僅かに大きくなったのも束の間、すぐにそれは嬉しそうに細まって。同時にフィーネより一回り大きな手がフィーネの手をそっと握り返した。

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今日も君とご飯が食べたい 島田(武) @simada000

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