まだ最適解は見つからないけれど――幕間の食休み ①
依頼人や皆が喜んで貰えると嬉しい、などと言った口はどの口か。夕食を終えて、フィーネは長椅子の上で猛省していた。
つまり、夕食のスープやら付け合わせやらパンを空腹に任せてたいらげてしまったのだ。
料理が完成した頃にやっとのことで考えがまとまり、気が緩んだせいだと思いたいが。要はいつものように美味しいご飯を目の前にして我を失い、感想や改善策の思案という目的をすっかり忘れてしまっただけだ。
辛うじてひねり出した調理の感想も至って平凡。疑問や調理時に気付いた点も、労苦を考えると道具の使用を薦めたい、丸める際にスプーンで救い取る方法を採用してはどうかとの、当たり前過ぎて役に立つのか不安なものしか出せなかった。
(そんなのカイ君が気付かないわけないよね……! うっ、せめて! せめて今夜の話の時は少しで良いから名誉挽回したい……!)
フィーネは部屋用のワンピースの上で強く拳を握る。調理中は袖と共に折り込んでいたブレスレットの飾りが触れ合って、軽やかな音が響いた。
日中感じた得体の知れぬ不安や緊張は一先ず置いて、直近の問題は彼の相談にどう応えていくかである。
心づもりと対応練習――つまりイメージトレーニングは、入浴と荷物整理をしながら何度も繰り返した。多少、想定外の突拍子もない事実を伝えられる想像もした。
おそらく今なら、彼から生き別れの兄に出会ったと伝えられても平静を装える気がする。
カイはまだ隣の部屋で荷物整理中だ。
ちなみに部屋割りは先の一悶着で一番大きな部屋を共同部屋に。寝室は男女で分け、大きい方の部屋を男性二人部屋とし、一部の兄の荷物はフィーネの寝室にと決まった。
長期滞在が可能な元別荘だからなのか、滞在中の一時的な家具移動も認められているからこその自由度である。
宿には客室の他に台所にギャラリー、休憩室に小さな図書室と物珍しい貸し部屋が幾つも併設されているが、宿泊旅行というものを初めて経験するフィーネにとって、それらの仕様や規則が一般的なのかどうかは判断出来ない。
そもそも数部屋を同名義で借りるならば、血の繋がりのない男女が集団で泊まるものなのかもよくわかっていなかった。
突如、窓外から愉快な笑い声が聞こえて、フィーネは椅子から飛び上がらそうになる。
どうやら酒に酔った者が前の通りを過ぎ去っただけであったらしい。速まる心音を落ち着かせる為に、フィーネは大きく深呼吸した。
「今日は聞き役に徹っし、徹して、私の私の方が慌てたり必要以上に悩んだりしない。冷静に。不安を煽らないように。カイ君がどうしたいのかを大事にして……」
声を震わせながらも、フィーネは自らに言い聞かせる。
フィーネは兄のように賢いわけではない。的確なアドバイスは所詮無理であろうし、カイの求めるものを差し出せるかの自信もない。緊張や焦りで話も思考もすぐに逸れてしまう。
フィーネの出来るであろう事は限られている。
しかし賢いカイならば、誰かに話すことで少しは気持ちや考えが整理出来るだろう。
またその時もし彼が求めるならば、ない知恵なりにフィーネも必死に考えて応えようと思う。
(カイ君が声をかけてくれた時も、こんな気持ちだったのかな……)
逸る心音を抑えてフィーネは過去を振り返る。
同様に思ったかはわからない。経験や性格の差もあれぱ、同じ人間でも毎回同じように感じるとは限らないだろう。
ただ、振り返る度にフィーネは改めて感じる。
彼には幾度となく支え助けて貰ってきたと。勇気を貰い、傍で泣いたり笑ったりしてくれる事に安堵してしたと。
先日の晩の出来事だけではない。幼い頃からフィーネの心が折れてしまいそうな時は、必ずカイが傍に来てくれた気がする。
カイは優しいとフィーネは思っている。そして人が良いという点については、フィーネだけでなく村中の誰もが認める点だろうとも毎回思う。
しかし、それ以上に――。
(カイ君は強い。誰よりも、多分……。優しくて強い……と私は思うんだ)
何気ない様子で膝をつき、寄り添い、耳を傾け、手を取り続ける事が誰にでも出来るとは思えない。大切な相手を思うが故の、様々な畏れも乗り越えられる強さをカイは持っている。
そんなカイが今、ひどく悩んでいる。
(そう言えば、前も目が合わなくなった事があったなぁ。うん、あの時も…………私、無我夢中で……)
不意に。記憶を辿るフィーネの前で、カイ達の部屋の扉が音もなく開いた。
「っひゃぁうぃッ?!」
奇声が口から飛び出て、手をついた机もがギシッと呻く。
「っ?! ごめん! 大丈夫? 驚かせちゃった?」
「大丈夫! 大丈夫……じゃない、机は大丈夫じゃないんだけど?!?!」
駆け寄るカイにフィーネは首を横に振り否定する。
辛うじて免れたものの、うっかり目の前の机とカップ一式を破壊する所であった。
(無事?! 良かった! でも『うい』って何?! 魚河岸のリヨンおじさんみたいな掛け声で良い家具と可愛いカップを粉々にしちゃう所だった……!)
安堵やら羞恥やらで涙目になりかけるが、早々に挫けるわけにはいかない。フィーネは役目を果たす為に赤くなる顔を真顔に戻し、カップにひびが入っていないか横目でそっと確認して、姿勢を正した。
「大丈夫! あの、お茶! あっ、座って座って」
準備していた冷茶をカイの前へと置き、フィーネは長椅子の反対側へとカイを促す。
長椅子を選んだのは、向かい合って話すよりも少し距離を置いて隣合った方が場が持つだろうと考えたから。
これならば視線を無理に合わす必要がなく、合わせられない事に対しての罪悪感を感じさせずに済むと思ったのだ。
促されるままに、カイはフィーネの脇へと腰掛ける。
兄一人分がいつものカイとフィーネとの距離ならば、今はそれよりも少しだけ近い。そして懸念していたそれは覆され、意外にも真っ直ぐにフィーネをとらえていた。
「えっと、カイ君! あの、お話、久しぶりだね」
「そうだね……」
困ったような八の字の眉と笑顔も戻ってはきたものの、未だ会話は妙なリズムを刻む。
フィーネは緊張を解くために深呼吸すると、隣のカイへと向き直った。
「カイ、改めて本当にありがとう! 私、私あの、あの時。カイ君がお城まで食事を持って来てくれて、大丈夫だって言ってくれて……嬉しかった……」
決して誇れず、しかし伝えたかった素直な気持ちをフィーネは告げる。
あの時感じてしまった安堵や喜びもカイへの対応も、彼が廃城への不法侵入も、正しいかと問われれば否定せざるを得ない。
それでも、今のフィーネが在るのはカイがあの時に行動してくれたからだ。
「ありがとう。いつも、ありがとうカイ君。私もカイ君がしてくれたように、カイ君や誰かの助けや支えになりたい……いや、あの、あんまりお役に立てるような感じではないんだけど……お話、聞きます……!」
話の切り口にするはずが、途中で方向性を見失いかけた事に気付いて、フィーネは話の主題へと近付ける。
しかし時既に遅しか。益々下がるカイの太眉に僅かに伏せられ揺らぐ瞳。再び流れ始める沈黙。
また自分は慌てて間違えてしまったのだろうかと、情けなさを隠して必死に表情を取り繕う為に唇を噛み締めた時だった。
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