スピードとビート、その向こう側に

地崎守 晶 

スピードとビート、その向こう側に

 壊れかけの心臓が、騒がしく存在を主張する。

 レギュレーションぎりぎりのチェーンナップをかけまくったグラビティ・デバイスの甲高い叫びが、ハンドルを握るオレの体を貫く。

 遮るもののない快晴の空に浮かぶガイドビーコンが次々と後方に消え去っていく。

 スピードホリックの年に一度の祭典。限りなく音の速さに迫るエアカーをカッ飛ばすこの瞬間だけが、最高に生きてるって感じがする。

 泣いて出ていった女も、ついていけないと去っていった相棒も、マシンの改造と修理にかかった借金も、それが優勝賞金と釣り合わないことも、いつ止まるか分からねえポンコツの心臓も。もう、どうでもいい。

 何もかも置き去りにしていくこのたまらねえスピード。そのスピードの先頭にオレはいる。それだけでいい。このスピードの中にいられるならゴールした瞬間死んだっていい。

 雲を貫いてそびえる摩天楼を取り巻くヘアピンカーブ。強引に追い抜こうとするライバルのクルマがミラーに写る。

 オレは乾いた唇を舐め、減速がセオリーのタイミングでアクセルを踏み込み、自慢のマシンとヤツの車体をピッタリ合わせ、火花を散らしながら曲がりきる。ミラーの中で遠ざかるヤツにウィンクを一つ。悪いがトップはオレじゃなきゃな。

 後はゴールまでスピードの女神とドライブ、そう思った刹那だった。

 グラビティ・デバイスより先に、オレの心臓がエンストしたらしい。天空のサーキットが滲み、ハンドルを握る手がブレる。クラッシュ寸前。人生で一番速い、この瞬間に。

ちくしょう、ここでリタイアかよ。

――そう舌打ちしたときだった。

 歪んで見えるフロントウィンドウの向こうに、直立する少女の姿が見えたのは。

 ウソだろ、こんなスピードの中、フロントに立っていられるなんて。少女の黒い髪と純白のドレスは暴風に晒されているはずなのに、そよ風に吹かれた程度にしか揺れていない。

 何より人間離れしていたのは、その背から伸びる黒い翼だった。

 オレの顔を見た彼女が、花がほころぶように微笑む。

 風変りな天使が、スピードの中で燃え尽きるオレを迎えに来たのか……?

呆けて瞬きをすると、黒い羽の天使はもうどこにもいなかった。

コースアウトし、墜落したはずのオレとオレのクルマは傷一つなく、サーキットから遥か下の地上に静止していた。

救護のクルマが舞い降りてくるのが見えて、オレはここがしみったれた現実だと気づく。

ハンドルから離した手を見下ろす。

スピードの興奮の余韻はまだ心臓を鳴らしていた。だんだん冷えていく頭で、オレはさっきまで飛んでいた空の青を見上げた。


 奇跡的に命を拾ったオレだが、性懲りもなくまたクルマを飛ばすだろう。

そうしたら、スピードの果てに、もう一度あの天使に会えるかもしれない。


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スピードとビート、その向こう側に 地崎守 晶  @kararu11

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