第三話 いつもの既知(にちじょう)

 朝礼を終えて各自解散となり、隊員たちはそれぞれの一日をスタートさせる。勤務場所に戻る者―7~8割方がこれに該当する―、夜勤明けのため眠りにつく者、休暇だからと外出する者が同僚や先輩、後輩と会話をしながら移動していた。その人込みを搔い潜り、俺は会場を後にする。

 少しばかりの空腹を無視して、俺が向かうのは医療区。魔猪との戦闘で負った傷は正味、自然治癒でも問題ないが早期に治癒するなら医者の治療が必要なのだ。


 ナルカミ本部・医療区。

 魔獣の捕獲、迎撃、討伐において真っ先に駆り出されるのが、俺たち戦闘部隊なのは言うまでもない。凶暴な魔獣を相手にしていれば負傷は日常茶飯事なので、医療区ここは半ば戦闘班の憩いの場みたいな感じだ。

 負傷の度合いは裂傷や骨折など珍しくも無く、一般人なら目を覆いたくなる程の凄惨な負傷で担ぎ込まれてくる奴もいる。

 それほど重度の傷を負ってしまうのは、強力な魔獣との戦闘も原因の一つだが、一般人と比較したときのが関係しているようだ。万能粒子エーテルを扱うことができ、大抵の負傷では命を落とさないという全能感が、無意識に異端者たちの戦場における危機感を弱めているという考察を医療班と研究開発班が報告していた。

 

「………」


 整理券を手に、長椅子に座って自分の順番を待ちながらそんなことを考えていると、早朝の戦闘が脳裏に蘇る。

 魔猪の反撃を喰らうまで、俺は勝利を確信していた。これで止めを刺せると思っていた。さっさと終わらせて、何気ない日常に帰ろうと考えていた。これがいけなかったのだろう。結果、俺は手痛い反撃を喰らい、助けが無ければこの世と永遠にさよならするところだった。

 戦闘中に余計なことは考えてしまうのも、危機感が弱いことの証明なのだろうか。慣れから来る気の緩みも原因なんだろうが、そうなると所長の演説はそんな俺たちに向けての叱責だったのかも知れない。

 あの人が俺に向けた、一瞬の視線。あの時、所長は俺をどういう風に見ていたのだろうか。もし仮に、―いや、リュウトさんから全部話を聞いていて―今朝の戦闘について全て知っていたとしたら。俺は使えない給料泥棒にでも見えただろうな。目を付けられたに違いない。あぁ、もういっそ荷物をまとめて辞表を出してどこか遠くに―

 

「―イジ様。32番のレイジ様。診察室にどうぞ」


「あ…はい。すみません」


 整理券の番号と名前を呼ばれていたのに気が付いたので、ネガティブな思考を振り払い、長椅子から腰を上げて診察室に入る。

 そうだ。朝帰りの今日は休日なんだ。骨折の治療が終わったら、朝飯を食って、今日一日ゆっくり過ごそう。

 何気ない日常を送ること。これが俺の生き甲斐なんだ。

 未知なる今日とか、未知を楽しむとか、そんなの俺は―


           ◇     ◇     ◇

 

 ナルカミ本部・商業区

 治療を終えて1時間が経った。現在時刻は午前10時30分を過ぎようとしている。俺は商業区ここのフードコートで遅めの朝食を摂ることにした。

 厚切りトースト二枚とベーコンエッグ、シーザーサラダ、コーンスープ、カットリンゴ二個。そう、これよこれ。これこそが俺が求めるご機嫌な朝食ってやつだ。これを平らげてようやく、俺の一日は幕を開けるのだ。

 さて、それでは今日も最高の朝食を堪能するとしようか―


「あら、レイジ君じゃない!魔獣討伐お疲れ様。今日は休暇日かな?」


「………」


 食べ物を頬張ろうとした時ほど、声を掛けられたくない時は無いと俺は思う。口元で静止したトーストからは、溶かしたバターの香りが漂い、俺の鼻腔と食欲を擽ってくる。

 無視してかぶりつきたい欲求を抑え、俺は声の主に挨拶を返した。


「…おはようございます。ミオさん…」


 彼女はミオ隊員。俺と同じナルカミ戦闘部隊11班の一人だが、部隊屈指の実力者で、その戦績と異能力から『氷姫ひょうき』と言う二つ名を持っている。

 そして、『ミス・ナルカミ(非公式)』の二年連続優勝者でもある。


「うん!おはよ、レイジ君。ここ座ってもいいかな?」


「はぁ…。…どうぞ」


 唐突に始まってしまった。ミオさん《ミス・ナルカミ》との相席朝食ブレイクファスト。承諾しておいてなんだが、正直後悔の気持ちが強い。

 別に誰かと食事を共にしたくないわけではないが、朝食は一人目立たず、黙々と食べるのが俺にとっての既知にちじょうなわけで、そこに彼女の様な誰からも注目される存在が居るのは未知イレギュラーに他ならない。

 現に、周囲からは羨望と怨嗟の視線が2:8の割合でこちらに注がれている感じが嫌でも伝わってくる。これでは飯の旨さ半減ではないか。

 そんな俺の気持ちなど露知らずのミオさん。彼女の盆に目をやると、白米ご飯に豆腐とワカメの味噌汁、鮭の塩焼き、きんぴらごぼう等の和総菜が小鉢がいくつか。見事なまでの古き良き日本の朝食。箸の持ち方も素晴らしいの一言、育ちの良さが伝わってくる。

 あまり見入ってしまうのも失礼なので、俺も自分の朝食を食べ始める。

 うん、旨い。相変わらず旨いんだが、

 ほら、あれだよ。食事会とかで緊張して、美味しいはずなのに味を全く覚えてないみたいな感覚。俺は今、そんな状態に陥っている。


「そういえば、さっきも言ったけどさ。魔獣討伐お疲れ様、レイジ君」


「ふぇ…?…んぐ…っはぁ。…ありがとうございます」


 厚切りトーストとカリカリのベーコンを、急いで咀嚼し飲み込んでからお礼を言う。飲み物が無いので喉につかえそうだったが、何とか嚥下する。


「輸送班の人から聞いたけど、止めを刺すときに反撃されたけど、怯まずに突撃していったらしいじゃない!ナイスガッツよ!」


「あ…いや、そんなことないですよ。肋骨何本か折られて、さっき治療してきましたし。」


「え!そうだったの?じゃあもう少し、体を鍛えとかないとね!」


「はい…。頑張ります」


 とまぁ。こんな風に楽しく(?)おしゃべりしながら食事は進み、ほぼ同時に食べ終えた時だった。


「そう言えばさ、今度の昇級試験。レイジ君は受けるの?」


「昇級試験…ですか…」

 

 ナルカミの隊員にはランク付けがされており、昇級試験に合格することでより高いランクへ昇級することができる。

 ランクが上がれば給与の上乗せや部隊編成権、指揮管理権の獲得といった多くのメリットが得られる。まぁ、自由時間が減ったり時間外労働が多くなったり―その分の給与はしっかり支払われる―するため、やる気のあるやつ以外は積極的に参加はしない。


「いや…。自分は今回、見送ろうかなと考えてまして…」


「そうなの?でも実力はあるんだし、受けてみたらいいんじゃない?レイジ君。確か13班に入るのが目標だったでしょう?」

 

 13班。その言葉は嫌でも耳に入ってしまう。

 全22班あるナルカミの部隊のうち、戦闘部隊に該当するのは、ナルカミ4班、7班、8班、11班、そして13班の計5つの班だ。

 その中でも13班は別格の扱いであり、定員は設けられていないが限られた実力者のみが所属を許されるエリート集団だ。加えて、七英傑直属の部下になるため、より重要度の高い任務への同行を許可されるのだ。

 確かに、ナルカミに入ったばかりは13班への所属を目標にしていたが、あれからもう4年は経過しようとしている。11班までの昇級こそ順調だったが、13班への昇級は都合3度も失敗している。そうこうしているうちに、同期の彼女ミオさんは11班の部隊長を務めているのだから笑えない。

 それに今朝の任務だって、システム上仕方ないことだが、討伐したのはリュウトさんだ。俺は無様に殺されかけてただけの木偶なんだ。

 実力に見合わない場所を目指してずっと苦しい思いをするくらいなら、相応の場所で細々とやっていく方が幸せなんじゃないか。そんな風に考えているような奴があの試験を超えられるとは思えない。


「私は受けるよ、昇級試験。13班に入るために」


 そんなことを考えながら、どう返答しようかと押し黙っていたら、彼女は何でもない事のようにそう口にした。


「そ、そうなんですか。…頑張ってください。応援していま」


「だからさ、レイジ君も一緒に受けようよ」


 俺の言葉を遮って無茶ぶりをする姫君。両手をテーブルに着いて身を乗り出し、美麗なご尊顔を近づけられたら大抵の男は首を縦に振るだろう。

 だが、俺は違う。自己肯定感の低さを舐めるなよ。


「いや、過去に三回も落ちてる俺が受けても、恥の上塗りと言いますか、11班の立場をこれ以上下げるわけには」


「前回は前回。今回は今回よ!それに、前受けた時よりは絶対に力付いてると思うし、落ちるかどうかなんてそんなの受けてみないと分からないじゃない!」


 精一杯のネガティブ発言をバッサリ切られて、俺は何も言うことができなくなった。そのまま、ちょっと眉を吊り上げて真っ直ぐ見詰める彼女の圧に押された俺は―


「…分かりました。受けてみます。昇級試験」


 承諾する以外の選択肢を失ったのだった。


「うん!それでこそ11班のエースよ!それじゃあ、ちょっと待っててね」


 そう言って立ち上がると、自分の盆を返却口に置きに行った。

 数分待っていると、ミオさんは片手に紙コップを持って戻ってきて、それを俺の目の前に置いた。ホットのブラックコーヒーだった。


「貴方と話ができて、一緒にご飯食べれて良かったわ。これはお礼。」


 そんなんでお礼なんか貰っていいのかと一瞬思ったが、気持ちを無下にはできないので、ありがたく頂戴することにした。


「ありがとうございます。俺も、ミオさんと話しながら飯食うのは新鮮で、楽しかったです。昇級試験、頑張りましょう」


「えぇ、こちらこそありがとう。それじゃ!良い休日を過ごしてね♪」


 立ち去る彼女の背中を見送ってから、俺はホットコーヒーを一口啜る。

 そのとき飲んだコーヒーは、

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

極東英雄譚 @tunahako

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ