第二話 魔獣対策特務機関『ナルカミ』
「え?じゃあ、リュウトさんは偶々あそこを通っただけで…。」
「おう、散歩してたらお前が魔猪と戦ってるの見かけてな。んで、ヤバそうだったから横槍入れさせてもらったわ。」
魔猪討伐から数時間後、俺とリュウトさんは迎えに来た輸送車に揺られながら帰路に就いていた。
輸送班と一緒に来ていた医療班の隊員から応急処置を受け、俺は席に腰を下ろせるくらいには回復した。
会話もできるようになったので、向かい側に座っているリュウトさんにお礼を言ってみたのだが…。
散歩のついでに助けられたという事実を聞き、我ながら幸運だったと思う反面、己の未熟さを痛感した。
「そうだったんですね…。すみません、俺なんかの為に散歩の時間を潰してしまって…」
「ん?なんだよ、気にするなって!お前、あのままだと死んでただろうしな!」
そんな快活な口調で、この人は恐ろしいことを口にする。
確かに、あの時リュウトさんが俺を見つけていなかったら、助けに来てくれなかったら、俺の顔面は潰れたトマトみたいになっていたに違いないだろう。
本人は気にしてなさそうだったが、迷惑をかけたのには変わりない。
申し訳無さと不甲斐無さで消えてしまいたいとさえ思ってしまう。
項垂れる俺を見てなのか、リュウトさんは続けた。
「あれだよ。早起きは三文の徳って言うだろ?値段を付けるわけじゃねぇけどよ。お前一人の、仲間の命を救えたことに価値があんだ。散歩の中断くらい、何とも思っちゃいねぇよ」
「…ありがとうございます」
「おう!まぁ、今度あれくらいの魔獣を相手するなら、二~三人くらいで行動しな。もしくはレイジ、お前がもっと強くなるかだな!」
耳の痛い事を言い終わるのとほぼ同時、リュウトさんは俺に何かを投げ渡した。
受け取ったのは片手に収まる大きさで、緑色をした半透明の瓶だった。
エーテル補給液―所謂、
戦闘や探索において、
長時間の活動では体内の万能微粒子が枯渇気味になるため、特に戦闘班の面々はお世話になっている代物だ。
俺はお礼として軽く頭を下げてから、蓋を開けて一気に飲み干した。
味はスポーツドリンクみたいなもので非常に飲み易いが、今飲んだものはいつもより濃く感じた。
「それはお前が普段飲んでるやつの倍は濃いんだぜ。どうだ、効くだろ?」
飲み終えてから十数秒後、体の内側がほんのり暖かくなるのを感じた。
胃壁からエーテルが流出し、周りの細胞に行き渡り始めているのを感じる。なるほど、これは確かに効くな。
いつも飲んでいる補給液が只の水のようだとさえ思えてしまう。万能微粒子の含有量が倍ということは、価格もそれなりに高価なやつだ。
…一気に飲み干したのは、ちょっともったいなかったかも…。
飲み干した瓶を傍らに置き、俺は深々と頭を下げた。
「何から何まで、ありがとうございます。このお返しは必ず」
「そんな気にしなくていいのになぁ。じゃあさ、今度飯でも奢ってくれよ!オリガ達の分も一緒にな!」
「オリガさん…。七英傑様、全員分ですか…」
七英傑。ナルカミの戦闘員の中でも最強と言われている七人の実力者達のことで、リュウトさんはその部隊長を務めている。
本来、俺みたいな下っ端が、彼ら彼女らと任務以外で会話をする―ましてや奢るとはいえ食事を共にする―ことなど滅多にできるようなことではない。
他の奴らなら喜んで承諾するんだろうけど、俺はその…なんというか…。
「あっははは!冗談だ冗談!一緒に食うのは変わりねぇけど、奢るのは俺の分だけでいいからな!」
「あ…はい。じゃあ、今度皆さんが集まったときにでも」
「おう!楽しみにしとくわ!」
それでも、今回の任務報酬の二~三倍くらいはかかりそうだなと考えている間に約束を決めてしまった。
じゃあどこの店にしようかと考えていると、不意に運転席から無線越しに声をかけられた。
『レイジ様、リュウト様。ナルカミ本部に到着しました。始まったばかりですが、今日も良い一日を』
輸送車が停車し、後方の扉が自動で開く。時刻は午前7時30分。
…まずい、朝礼まで30分も無いぞ。
俺はリュウトさんに別れの挨拶をし、急いで任務完了の報告を終えてから、自室のシャワーで血と汗と汚れを落とす。正装―ナルカミの軍服―に着替え、朝食を摂らないまま俺は朝礼へと急いだ。
◇ ◇ ◇
魔獣対策特務機関『ナルカミ』
陸上自衛隊創隊から約20年後の1974年7月。日本国内での魔獣対策部隊として創隊された歴史を持つ。当時は十数名の
そしてここ、本拠地・東京には約300人の隊員が駐屯しており、魔獣被害件数が最も多い関東地方全域の管理をしている。
俺たちの一日は、朝8時の朝礼から始まる。施設内にあるデカい広間が会場で、戦闘班、輸送班、医療班、研究開発班…。他にも部隊はあるがここでは割愛して、それぞれの部隊が受け持っている仕事や研究の成果・進捗を軽く報告する。
『―班所属。レイジ。本日早朝に大型魔獣の討伐に成功。以上』
俺の名が呼ばれた。こんな感じに、その日の朝礼前までに報告を済ませることができればいいんだが、間に合わなかった時は所長に直接報告しなくてはならない。今朝みたいなギリギリの報告ははっきり言えば迷惑なことなので、今後は気を付けたいところだ。
最後の報告が終わり、これで約20分が経過した。後半10分は所長の演説だ。これは全国の支部にも中継放送されるため、準備時間を加味して報告が行われるのだ。
『それでは朝礼演説を、シン所長。よろしくお願いします。』
アナウンスが終わるのと同時に、場の空気が一気に張り詰めた。今から演説を行う所長には、皆が畏敬の念を抱いている。姿勢を正し、誰一人として身震いの一つもしないこの時間は、傍から見れば時が停まったようだと言えるだろう。
静まり返った会場に、軍靴の音を響かせて登壇したのは、軍服に白いマントを羽織った若い―20代後半くらいの―男だ。軍帽からのぞく
彼こそが、ナルカミの総てを取り仕切る三代目所長。シン所長だ。
「諸君、親愛なるナルカミ隊員の諸君。今日も元気そうで何よりだ。」
所長の演説は、ほぼ毎日この挨拶から始まる。マイクもスピーカーも使わずに、会場全体に聞こえる声量を出せるのは、エーテルの扱いが超人的な証である。音量―特に声量―をエーテルで調整するのは、難易度がものすごく高いのだ。
「今日は演説に入る前に、諸君に一つ。聞きたいことがある。」
「諸君は、既知感というものを経験したことはあるだろうか?」
会場が一瞬ざわつくが、すぐに静寂を取り戻す。皆が静かになると所長は続けた。
「例えば、この食事は食べたことがある。この人物とは会ったことがある。どんな些細なことでも構わない。そう感じたことは何度かあるだろうか?」
「これは戦地。魔獣との戦闘においても同じことが言える。この魔獣は以前戦ったことがある。あの時は、こうやって止めを刺したなと―」
「私はこの既知感を、ある種の毒であると考えている」
「既に知っているという感覚は、無意識のうちに油断を誘うのだ。諸君も、経験があるだろう?特に、攻撃が単調な魔猪を仕留めるときなど」
刹那、所長の視線が俺に向けられたような気がした。一瞬の出来事だったので定かではないが、早朝の出来事、その総てを見られているような気がして、体の芯から冷たい感覚が押し寄せる。
所長の演説は続く。
「魔猪とはいえ、油断した状態で攻撃を喰らえば致命傷となるのは諸君も知っているだろう。だが既知感は、焦りや楽観と言った隙を突いてくる」
「故に、諸君には未知の感覚を大事にして欲しいと思う」
「未知のもの。まだ己が知らぬものに触れ、味わい、経験するとき。無意識のうちに身構えると思う。決して油断することなど無いであろう」
「今日と同じ明日は決して来る事は無く、倒した魔物と同じ個体が存在する事も無い。例え既知感を経験しようとも、それはまやかしであり、あらゆる物事は未知の状態から始まる」
「未知を既知に変えること、初心に帰り学びなおすことで、生きているという実感を得ることができると私は思う。諸君には、昨日とは違う未知なる今日を生き、それを楽しんで欲しいと願っている」
「本日は以上だ。清聴、感謝する」
所長が一歩後退し、敬礼する。それに合わせて俺達も敬礼した。
これが朝礼の終わりであり、俺達の一日の始まりだ。
それにしても…『未知なる今日を生きろ』か。
…俺はそんなの、望んでなんかいないんだが…
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