極東英雄譚

@tunahako

序章 黎明

第一話 夜明けの君

 2022年7月。午前4時25分。茨城県のとある山中。

 鬱蒼とした森林の中、獲物を追い詰めるべく俺は走っていた。

 今回の獲物は、人里に降りては農作物や備蓄品漁りを繰り返していた常習犯。依頼の内容は無力化―とは名ばかりの討伐―だ。

 今から3か月前。老夫婦が管理していた畑を奴が荒らしたのが事の始まりだった。俺たちは直ぐに討伐しようとしたが、愛護団体―とか言う訳の分からない連中―の圧力に日和ひよった政府おえらいがたは追い返すだけの対応をするよう指示を出し、立場上従うしかなかった。

 それに味を占めたのかそいつの行為は収まる事は無く、昨日午後5時頃に奴は買い物帰りの一般人を襲い、全治3か月の重傷を負わせていた。

 所長は政府の判断を待たず、全ての責任を負う形で討伐の依頼を―報酬独占のため―俺は一人で受理したのだが…。


「だから最初から俺たちに任せとけってんだ。政治家あいつらはそんなに票が大事か」


 進撃する奴の後方を、身を隠しつつ追跡しながらそんな愚痴を吐く。

 煙玉や音撃弾を使って、仕掛けた罠へと何とか誘導していくが、やはり一人だと骨が折れる。


「魔獣相手にかわいそうだとか、イカれた連中の戯言なんて聞いてっからこんなことになるんだろうが」

 

 俺が追い詰めているのは熊とか猪みたいな、そんなただの野生動物なんかじゃない。

 魔獣。万能微粒子エーテルに影響された生き物や植物が変異した生命体だ。

 昔、学校の歴史で学んだが、第二次世界大戦の終戦後に再発見された万能微粒子は、様々な実験に使われた。

 その過程で一部の実験施設で魔獣化した実験動物が脱走し、それをきっかけに世界中で魔獣が大量に出現した。

 魔獣には人類が戦争で使用してきた銃弾や爆発物、化学兵器に極めて高い耐性を持っており、当初は世界中の軍隊がその対応に窮した。

 魔獣発生の問題は、日本も例外ではなかった。

 最初の魔獣発生は約50年前。政府は当初、自衛隊で何とかしようとしたが、全く歯が立たなかった。

 手詰まりの最中、政府は魔獣に対抗できる存在の情報を入手し、全国から掻き集めて特殊部隊を結成させた。

 それが俺達、異端者アブノーマー―万能微粒子を操ることができる人外ニンゲン―であり、魔獣対策特務機関『ナルカミ』だ。

 今の所長は国民の平和と安全の為に云々と言っていたし、それが俺達の使命―ナルカミという組織の在り方―なんだろうが…。

 

「…まぁ実際、金さえ貰えれば何でもいいんだけどな」

 

 こんな俺みたいなのが一部混ざってるような組織だってのが実情だ。

 勿論。先祖代々、異端者として生きてきた本職者マジモンも居るし、誇りを持って色々と活動に取り組んでいる。

 だが、今の組織の大半が万能微粒子に感受性があったばかりに、企業からの内定を取り消されたり面接を拒否されたりで、路頭に迷い転がり込んできた奴らだ。

 そしてどんなに一般人の我儘いらいに応えても、感謝されることなんてない。そのうち限界も来るだろうと俺は思っている。


「…さて、余計なことは忘れて。仕事を終わらせますか」


 何とか罠を仕掛けた場所に誘導し、魔獣の全身が納まったのを見計らってから罠を起動させる。

 半径30mほどの魔法陣が魔獣の足元に展開し、ドーム状の結界が逃げ場を完全に閉ざした。

 結界が完全に閉じるのを確認してから、俺は最後の仕上げに取り掛かる。

 今回の魔獣は猪型―通称、魔猪まちょって奴―だ。全長およそ4~5m。体重は1tくらいだろう。

 全身は漆黒の毛皮に覆われており、木々を薙ぎ倒すことを可能とする肉体は、異常なまでに発達した筋肉により構成されている。

 結界に行く手を阻まれたそいつは、こちらに顔を向け、低く呻りながら鼻息を荒げた。

 自身を追い立てた元凶である俺を排除しようと、全身から殺意を滲ませ始めた。

 俺は腰に下げていた武器の柄を手に取り、―念じながら―鞘からゆっくり引き抜く。

 短剣ほどの長さしかない鞘から、刀身が翡翠色に輝く半透明の長剣が姿を現した。

 対魔獣兵器。人類の叡智が産み出した代物だ。

 魔獣の細胞内にはある万能微粒子は、魔獣の生存本能―あるいは思考―に合わせてその特性を発揮する性質を持っている。

 爆薬や化学兵器に耐性を持っているのは、魔獣が自らに降りかかる『死』から逃れるために万能微粒子を操っているからだ。

 そして、万能微粒子に干渉できるのは、同じく万能微粒子のみであることが研究により判明し、対魔獣兵器こいつらが開発されたのだ。

 

「悪く思うなよ?デカ豚野郎。俺の生きる糧になれ」


 そんな俺の恥ずかしい台詞と共に、命を懸けた殺し合いが始まった。

 俺が言い終わるのと同時に全身が震える程の雄叫びを上げ、魔猪が突進してくる。

 たいして速くは無いが、1t近くはあるだろう肉の塊が突撃してくるのだ。まともに喰らえば無事では済まないのは明白だ。

 俺は突撃してくる魔猪に対して、

 衝突の間際、俺は左前方に飛び飛び退き攻撃を躱す。それと同時に魔猪の右前脚の付け根へと長剣を振るう。

 硬い表皮と皮下脂肪、筋組織を切り裂いて刃が骨に当たる感触を感じ取りつつ、巨大な肉塊の横を通過する。

 悲鳴にも似た叫びを上げた魔猪は、突進の勢いを殺されながらよろめくも、体勢を立て直し再び突進の構えを取る。

 斬り付けた処から赤黒い血液が滴っている。

 粘性が高くなっているのか鮮血のように噴き出さず、纏わりついて傷の再生を始めているようだ。

 数秒の停滞の後、再び魔猪が突撃してきた。

 傷が痛むのだろう。先程より速度が落ちた突進に合わせて俺も魔猪に突撃する。

 今度は右前方へ回避し、左前脚も斬り付ける。

 先ほどよりも深く、より深く肉塊に食い込むように、骨まで裁断する勢いで振り下ろした刃は、見事に左前脚の骨を両断する

 巨大な頭部と突進の勢いを支えていた両前脚を負傷することは、魔猪にとっては致命的だ。

 再び悲鳴を上げ、今度は突進の勢いのまま激しく転倒する。

 巨体が土煙を上げながら二、三度転がり立ち上がることなく蹲る。


「突進しか能がねぇ肉塊の対処ってやつは、楽でいいな」

 

 そんな事を独り言ちながら、起き上がれなくなった魔猪の元へゆっくりと近づく。

 反撃の届かない場所で、俺は柄を両手で持ち直し、止めの一撃を繰り出す構えを取った。

 俺が使っている対魔獣兵器は、万能微粒子の操作に慣れていない奴でも扱えるように設計されている。

 この兵器は、刀身部分が万能微粒子で構成されており、供給元は兵器の使用者本人である。

 万能微粒子は接触している物質や細胞間を自由に行き来することが可能であり、刀剣型に分類される俺の得物は、柄を中継して万能微粒子を送り込み、刀身を形成している。そして、より大量の万能微粒子を送り込むことで、更なる性能強化が可能なのである。


「せめてもの情けだ。苦しませねぇでやるよ」


 目を瞑り、両手で持った柄に意識を集中させる。

 全身を巡っている万能微粒子が柄を中継し、刀身に集まっていくのを感じる。刀剣がまるで自分の身体の一部になったような、不思議な一体感が生まれた。

 俺からのエネルギー供給を受けた兵器の刀身が妖しく光りだす。その輝きが一瞬弾けたのを合図に、俺は魔猪の頭上へと跳躍した。


「堕ちろ―崩剣アバランシュ


 跳躍しながら長剣を右へと振りかぶり、横薙ぎに振るうというシンプルな基本技。

 武器の強化具合によって多少威力も変動はするが、こいつの首を落とすくらい容易い程の威力は十分に出すことができる。

 落下の勢いもそのままに、首を落とすため振り抜こうとした。

 瞬間、。 


「なッ…!?」


 気づいた時にはもう遅かった。その巨体からは想像もつかないほどの速度で頭部を横に振りかぶり、結果として俺の攻撃は空を切った。

 ほんの一瞬。刹那に満たない静寂の後、俺の身体は右側からの衝撃に襲われた。

 

「おッ…ごァッ!!」


 体重の何十倍もある筋肉からの衝撃によって、俺は木っ端の如く吹っ飛んでいく。

 不意の攻撃によって十分な防御ができず、受け身を取ることもできないまま結界の壁へと激突した俺は、そのままズルズルと地面に倒れ伏した。


「ごッ…。おェッ…!げえェェェッッ!!!」


 立ち上がろうとした俺を襲ったのは酷い吐き気と全身の痛み、激しい眩暈だ。胃が痙攣し、胃液をビシャビシャと吐き出してしまう。吐瀉物が赤く染まっているのを見るに、折れた肋骨の一部が内臓に刺さったのだろう。

 普通の人間ならショックで死んでもおかしくない程の重傷だが、異端者である俺達からしたら、まだ動ける程の負傷だ。

 万能微粒子を上手く使えれば、この状態から数秒もしないうちに戦線復帰傷できるくらいにまで回復すことも可能だ。

 問題は、負傷を即座に治癒するためには万能微粒子が体内に一定量蓄積されていることが前提ということだ。

 今の俺は、体内の万能微粒子を半分以上を刀身に注いだ挙句、得物が先の衝撃で手元を離れてしまった状態だ。

 この状態で傷の治癒に全ての万能微粒子を回したとしても回復には数分かかる上に、肉体や精神の頑強さの著しい弱体化は免れない。おそらく、恐怖や激痛で失神は避けられないだろう。

 何とか顔を上げ魔猪の方に視線をやると、万能微粒子ちからの供給元である俺との回路パスが途切れたことで、先ほどまで煌々と輝いていた刀身は光を失い、まるで融解しているような形で原形を失いかけていた。

 吐き気と眩暈で立ち上がれない俺を見て、魔猪はゆっくりとこちらに向かってくる。俺が攻撃した両前脚の傷からはもう血は噴き出しておらず、新しい皮膚が形成されていた。

 今にも俺の命を刈り取らんとする魔猪の死神めいた殺気に当てられ、俺は体の内側が冷えていく感覚に襲われた。

 救難信号を送ったとしても、ここは本拠点から距離が離れすぎている。仲間たちが大急ぎで出動したとしても片道一時間はかかるだろう。到底間に合うはずがない。

 どうしようもない無力感に、仰向けになって宙を仰ぐ。白みがかった空が、とても近いように感じた。

 

 あぁ…。俺はここで、死ぬのか…。


 魔猪の顔が眼前まで迫る。怒りと憎しみ、愉悦に満ちた瞳が俺の顔を覗き込んだ。

 耳を劈く咆哮と共に、魔猪が回復した右前脚を持ち上げた。

 殺意が宿った蹄が、俺を踏み潰さんと迫り来る。

 さっき俺が、こいつにした攻撃のように、重力の勢いもその一転に乗せて―


「わりィ。遅くなったわ。」


 そんな声を聴いたかどうか、認識する前に全てが終わっていた。


 俺の目の前に突如として現れた人影は、左手に握られた大剣を魔猪に向けて振り抜いた。

 その刹那、魔猪の切断された頭部が俺のすぐ傍に落ちてきた。何が起こったか理解できていない瞳は徐々に光を失い、夜闇の様な瞳孔が俺の顔を映し出した。

 迫ってきた前脚も、胴体ごと肉塊になるまで切り刻まれ、そこら中に弾き飛ばされた。赤く錆臭く、生温い液体が降り注ぎ、俺の周りに水たまりを作り出した。

 崩れ落ちる魔猪の半身を他所に、命の恩人が右手を差し伸べてくる。

 その時、彼の正体がようやくわかった俺は、恐れ多くも差し伸べられた右手を掴み、治りかけの身体を引き起こしてもらった。


「あン?お前確か…レイジだったな!めっちゃボロボロだけど、大丈夫か?」


「…これが大丈夫に見えるのは貴方くらいでしょう?リュウトさん」


 俺を助けたこの男は、現ナルカミ最強だと言われる七人。『七英傑』を束ねる部隊長、リュウトだ。

 彼の装いである軍服と青藍色のマント、肩付近までの長さがある孔雀青の髪は返り血で汚れていたが、昇り始めた太陽に照らされたその姿は、後に『英雄』と呼ばれる七人の一人に相応しい姿だった。

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