花が咲くまで初見月。
野村絽麻子
雪の日に花を想う
行きは良い良い 帰りは怖い。
スーパーマーケットまでは徒歩十分。行きは登り坂。帰りは下り坂。いつもなら十分の距離をじりじりと下っているのは、歩き慣れない雪道のせいに尽きる。
レジ袋の持ち手がカサカサと鳴る。この道行きを応援してくれているのか、それとも引き留めようとしているのか。レジ袋の言葉は僕にはわからない。レジ袋でなくとも、自分以外の発する言葉なんて、完全に理解することは不可能なのだ。
ねぇ、そう思うよね貴女も。
想像の中の人物に話しかけても当然ながら誰も答えない。誰も、誰も。
「ヒャッ」
溶けかけて水分を含んだびしゃびしゃの雪を踏んでしまい、バランスを崩した僕の手によって乱暴に振り回されたレジ袋は、勢い余って中の物を吐き出した。白い地面に鮮やかな色彩の袋が少し滑って止まる。
このミックスベジタブルという代物を買うために僕は、こんな雪の日に坂道を登り降りしてスーパーマーケットへ行くという愚行を犯している。
グリーンピースと、スイートコーンと、なぜかニンジン。なんでその三種。どんな世界から見たチョイスでそれをカレーに入れたのか。
わからないけど、でも頭の中に笑顔が浮かんでしまったので、観念してミックスベジタブルの袋を拾い、立ち上がる。
思い起こせば彼女は壊滅的に料理ができなかった。否、出来なくはない。出来るけど、つまりそう、あれはセンスがなかった。
具がミックスベジタブルとシーフードミックスしか入ってないカレーライスを食べたことがある人は、果たしてこの世に何人いるだろうか。
まったく膨らんでいないシュー生地に、煮詰まっていないゆるゆるのカスタードソースをかけたシュークリームの亜種を食べたことがある人は?
低温で揚げられた丸のままの小魚が油でギトギトなのに、硬いままの人参とほぼ生の玉ねぎが乗せられた酸っぱすぎる南蛮漬けを涙目で流し込んだ経験がある人は?
時短と称してめちゃくちゃな手順の省き方をし、得体の知れない創作意欲によってはちゃめちゃな味付けをされた食べ物が、壊滅的なセンスによって盛り付けられた逸品。笑顔で差し出せば何でも許されると思っているのかと喉元まで出かかったのを食前酒とばかりに飲み込んで、そうやって長らく、僕はその手料理に向き合っていた。
ボウルに塩水を作りシーフードミックスをあける。鍋に湯を沸かして、ミックスベジタブルをザラザラと流し込み、再び煮立ったら水を切ったシーフードミックス、カレールーを入れてぐるぐるとかき混ぜながら煮込む。
玉ねぎをスライスして入れたい気持ちをグッとこらえて、ただひたすらに味の再現を試みる。
たったこれだけの工程をどこでどう踏み外したのか、今となっては知る術もなくて、ぶつける場所もなければ同意を求める相手もなくて。仕方なく、白いご飯にカレーをかける。
「ねぇ、普通においしいんだけど」
母さん、と声に出したら涙がこぼれた。
よもやと思うけど、シーフードミックスも解凍せずに使ってたね? ほんとうに、そういう所ですよ母さんは。
泣きながら食べるカレーは少しばかり塩辛く感じて、転んだ時に打ったらしい尻が脈に乗じて生きていることを主張する。心の風穴はともかく、食べ進めるにつれて空腹が満たされていく。
母さん、そちらはどうですか。暖かいですか。花は咲いていますか。大嫌いだったけど大好きなあのカレー、いつかまた作ってくれますか。
花が咲くまで初見月。 野村絽麻子 @an_and_coffee
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