純喫茶 ジュン

筋肉痛

本編

 厄介事を片づけた私は、ひどく空腹だった。飲食店を探すが、こういう時に限って牛丼屋のひとつも見つからない。腹を満たすだけだから、味は度外視だ。

 この際、コンビニのイートインスペースでもいいかと思っているのだが、駅に近い事もあり小規模な店舗しかなく、イートインすら見つからない。

 空腹の波も限界を突破し、不思議と収まりかけていた頃、歩道の傍らに古びた喫茶店の看板を見つけた。

 “純喫茶 ジュン”

 なかなか洒落の利いた店名だ。

 店構えを見てみるとレンガを模した壁に、何かの蔦が縦横無尽に走っていて、相当、年季が入っているように見える。こんな店あったか?

 正直、普段なら絶対に入らない店であったが、空腹のせいもあってか、吸い寄せられるように入口の扉を開けた。思えば、一仕事終えた私は、テンションがおかしくなっていたのかもしれない。


 カランコロンと来店を知らせる鈴が鳴る。レトロな店には、よく設置されているが、この鈴の正式名称はあるのだろうか。と、どうでもいいことが気になった。

 カウンター席が5席とソファー付きのテーブル席が2つだけある狭い店だ。店主と思われる男は、読んでいた新聞を折りたたみ、カウンター越しに会釈した。

正直、歓迎されているとは思えない。他の客はテーブル席に一人、男が座っているだけであった。


「ひとりなんですが。」


 何名様ですか?と問われたわけではないが、飲食店に入る時の癖で、人差し指を立ててそう店主に伝えた。

 店主は、見れば分かると言いたげな顔をして、不愛想に言った。


「お好きな席へどうぞ。」


 この時点で、接客に対する私の評価は最悪。某レビューサイトにぼろくそに書かれてもおかしくないレベルだ。折角のスッキリとした気分が少し曇ってしまった。

 しかし、こういう店に限って料理やコーヒーがおいしかったりするのは往々にしてあることだ。ここまで来て最早、退店する事ができない私は、そう信じたいだけなのかもしれない。

 私は少し意地になり、少しでも長居をして営業を妨害してやろうとテーブル席のソファーに腰を下ろした。

 テーブルに置かれたメニューも設置されてから、かなりの年月を過ごしていると感じさせるものだった。


「ご注文は?」


 お冷をこれまた無造作に置いた店主は、早口で聞いてくる。まだ、座って5秒くらいしか経っていないのに、決められるはずもない。

 もしかして、この店にはメニューが1種類しかないのだろうかと思って、メニューをよく見てみるが、いくつかの軽食と飲み物が記されていた。

 かといって、ここで待ってくれというのは私のプライドが許さない。

……私は、何と戦っているのだろうか。


「ナポリタンとアイスコーヒーを。」


 なんにせよ、私の注文は完了した。喫茶店といえばナポリタン、ナポリタンといえば喫茶店だ。と、後付けの理由を考えるが、目についたメニューを言っただけだった。

 笑顔もなく、特に復唱するわけでもなく、伝票に注文を記入すると店主はカウンターの向こうへ戻っていき、徐にキッチンで調理を始めた。

 良かった、料理をする気はあるようだ。


「ホットケーキとパンケーキの違いって何でしょうか。」


 大きな独り言だなと思った。隣の席の先客が、老人しか見ないテレビ番組の特集のような問いを大声で放っている。

 その後、数秒、店内を沈黙が支配するが、それを男がまた破る。


「ねぇ?どう思います?」


 男は、背中合わせで座っていたのだが、くるりと振り向き、私に話しかけてくる。無視するのもひとつの選択肢だが、そうすることで逆上する人種を私は良く知っている。


「さぁ。一緒なんじゃ―。」

 私が答えようとしたところを、男が遮る。


「この問いにはですね!人間の奥深さがにじみ出ていると思うんですよ。ですから、……」


 男は、熱弁する。私にはひとつも分からない持論を永遠と語り続けた。そもそも、質問をしておいて、その回答を遮るとは、おおよそ真面(まとも)な人間のやる事ではない。

 ああ、この男には無視をしようがしまいが、関係なかった。最初から壊れているのだ。

 

 もしかしたら、店主はこの迷惑な男に辟易して他の客に振る舞うべき愛想すら尽きたのかもしれない、男の演説を聞きながら私はそう思い始めた。

 そこへナポリタンとアイスコーヒーが運ばれてくる。私は、店主に労いの視線を送ったが、店主はその意味を理解せず、私を睨み返してきた。

 この店には、私の味方はいないらしい。さっさと食べて出ていこう。


「ナポリタンですか!素晴らしい!」


 男のテンションはさらにあがる。こんなことなら、ハヤシライスにしておけばよかった。


「ナポリタン、それは人の業を背負うもの。独善により……。」


 ナポリタンという名前から、イタリアのナポリを想像するが、まったく無関係だ。ナポリタンは日本で生み出された和製スパゲティ。男が話すその程度の知識は私も知っていた。だが、他の部分は、やはり、何を言ってるのか全くわからなかった。


 止まらない男の演説を聞きながら食べるナポリタンの味は良く分からない。ゴムを食べているような気がした。分かった。これは、単純にまずいだけだ。

 この店に入ったことを心底、後悔した。吸い寄せられるように入ったのは、天罰だったのかもしれない。神は、よく行動を見ているなと感心しながら、もくもくとゴム束を口に運ぶ。

 私は嘘つきでした。腹を満たせれば何でもいいと言う嘘をついたことを懺悔します。他にも懺悔する事はあるが、思い出したくないので割愛する。


「ところで、」


 話題が変わり、また演説が始まるのかと辟易していた私は、思いがけない次の言葉を聞いて、心臓が止まりそうになった。






「一体、誰を殺してきたんです?」

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