いい感じの惑星

根竹洋也

いい感じの惑星

 近未来、人類の飽くなき好奇心は、異なる二つの新世界に到達していた。

 一つは、コンピューターの中に。もう一つは太陽系の外に。つまり、仮想世界と、太陽系外の惑星だ。

 黎明期のVRバーチャルリアリティに見られたHMDヘッドマウントディスプレイは、視覚と聴覚だけの仮想空間を提供した。その後、五感の残り、すなわち触覚、嗅覚、味覚の再現のため様々なアイデアが出されたが、結局、昔ながらのSFにあるような解決手段が取られた。つまり、脳神経とコンピューターを繋ぎ、本来の感覚器官の代わりにコンピューターが生成した疑似信号を送る、というものだ。これにより、人類は生まれ持った感覚を全て持ってコンピューターの世界に入る事が出来るようになった。それは、自らが創造主になれる新世界の誕生だった。

 また、別の方向の技術の発達は、光の速度を超えた太陽系外への旅行を可能にした。その結果、先人たちが見上げ続けた神話の世界の星々は、今や手の届く現実的な存在へとその存在を変えたのだった。


                   ◆


 俺の宇宙船は、目的のの衛星軌道上にいた。地球から三十光年ほどの距離にある惑星が、今回の客に案内する物件だ。

 人類が太陽系外に進出してから、宇宙に散らばる数多の惑星は実際に訪れることの出来る存在へと変わった。惑星の環境によっては着陸して、歩いたり、住むことも出来る。貴重な資源が眠っている惑星もある。だが、そんな惑星を自由に回る大冒険ができたのは、超光速航海時代の初期に生きた者たちだけの特権だ。今や、目ぼしい惑星にはすべて所有者がいる。惑星はその価値に応じた値段の付く不動産となった。

 公転も自転もする惑星を不動産と呼ぶのはおかしな気もするが、不動産業界では昔からの慣習がそのまま続いていた。俺はそんな時代の惑星不動産屋として、客に惑星を販売している。


 超光速航行は慣れない人間には身体の負担が大きいため、航行中はカプセル状の機械に入って仮死状態になる。

 そろそろ、客が起きてくる時間だ。


「おお! あれが例の星か!」


 宇宙船のブリッジに入ってきた客は、正面のモニターに映し出された光景を見て、感嘆の声を上げた。


「S様。おはようございます。ちょうど、衛星軌道上に到着したところです。いかがですか? 水の量、土地の量ともに素晴らしいものです」

「ここから見るとまるで地球だね。この惑星があの値段とは、信じられない」

「少し重力が小さいのと、鉱物資源が平均値を下回っているのがその理由です。ですが、非常に快適な気候で、別荘惑星としておすすめですよ。もちろん、宇宙服無し、環境改造テラフォーミング無しで、そのまま活動が可能です。今後の値上がりも期待できます。着陸して、ご覧になりますか?」

「もちろん。そのためにここまで来たのだからね」


 地球環境の悪化に比例して、地球に近い環境の惑星の価値は高騰し、ここ数年で数十倍から数百倍もの価格になった。そういった惑星の開拓のため、資源のある惑星の価値も合わせて高騰し、まさに惑星不動産バブルが訪れていた。

 俺は宇宙船のコンソールを操作し、AIに着陸を指示した。この惑星には大気があるが、本来繊細な計算が必要な大気圏突入も、今やAIが全てやってくれる。快適なクルーザーでの船旅のように、宇宙船は優雅に着陸した。

 俺は客と一緒に宇宙船の外に出た。この惑星の大気はほぼ地球と同じで宇宙服はいらない。恒星からの距離もちょうど良く、快適な気温だ。本来、このような惑星はとても庶民には手の届かない価格で取引されている。

 宇宙船は海沿いの砂浜に着陸していた。恒星からの光が降り注ぐ白い砂浜に穏やかな波が打ち寄せる光景は、ほとんど地球と同じだ。


「海も砂浜もある! すごいじゃないか! あの木はヤシか?」

「植物に関しては前オーナーが地球から持ち込んだものです。環境がそっくりなので、品種改良をしなくともあのように育ちました」

「なるほど。リゾートにうってつけだな。こんな良い惑星、なぜ売りに出しているんだ?」

「前オーナーの会社の経営が傾いてしまったそうです。それで、別荘としての開発も中途半端になってしまいました。当社はそのような訳アリ物件をお安く提供しているのです」

「ふむ……やはり、生態系に混じりがあると価値は下がるのかい?」

「多少は。しかし、昨今の地球型惑星の高騰を考えると、それでも安すぎる価格です。個人的な別荘惑星でしたから、あまり情報が出回っていないのです。今はまだ……ですので、お早めに決めていただく事をお勧めします」

「確かにそうだが、なかなかポンと買える額でも無いしな。確かに良いが」

「おっしゃる通り。ですがここだけの話、実はお客様の後に三組のお客様から問い合わせがありまして……今、お待ちいただいている状況です」

「ふーむ」


 惑星に降り立った時の反応から、俺はこの客がもうほとんど購入を決めていることを見抜いていた。


「よし、買おう! 絶対これから値上がりするし、自分で住んでも良いしな」

「ありがとうございます。では契約は地球で」


 興奮した様子の客を乗せ、宇宙船は離陸した。惑星から離れる間も、客は自分の物になる惑星をモニター越しにうっとりと見つめていた。


 もう少し。契約書にハンコを押させるまでは気は抜けない。


「そろそろ超光速航行に入ります。カプセルにお入りください」


 地球に向けた超光速航行に備え、客をカプセルに案内する。カプセルが閉じると、中は特殊なガスで満たされ、入っている人間を仮死状態にする。超光速航行のための一般的なプロセスだ。


 客が眠ったのを確認し、俺はをした。


 俺と客は地球の軌道上に戻ってきた。しばらくして、カプセルから目覚めた客が出てきた。


「お客様。いかがでしたか?」

「素晴らしい星だった。相場よりだいぶ安いから、怪しいと思ったんだが、杞憂きゆうだったよ。掘り出し物だね」

「ありがとうございます。私自らが宇宙を回って見つけた物件です。良い買い物であることを保証しますよ。では、契約の手続きを進めましょう。地球の当社事務所にご案内します」


 こうして、俺は今日も惑星を一つ売ることに成功した。事務所を興奮した様子で後にする客の背中を見送りながら、俺はほくそ笑んだ。


 今日も大儲けだ。


 今日の客が買った惑星は、大気はあるものの、実際は水はほとんどない。恒星からの距離も離れていて気候は寒く、赤道上のごく一部でしか植物は育たない。住めるようにするにはそれなりの環境改造テラフォーミングが必要で、格安で売りに出ていた中途半端な物件だ。

 では、さっき客が見た惑星はなんだったのか?


 俺が作った仮想世界だ。


 俺の前職はVRバーチャルリアリティ技師。VR技師とは、技術者というよりは仮想世界を構築するアーティストのようなものだ。俺はそんなVR技師に憧れて、一時はその夢を叶えた。

 俺の仮想世界は表現のリアルさで高い評価をされていたが、次第にまったく相手にされなくなった。仮想世界で五感が感じられるようになると、ただ現実そっくりなだけでは人々は感動しなくなった。俺は現実をリアルに再現する才能はあったが、創造的な世界を生み出す才能はなかったのだ。俺は仕事を失い、途方に暮れた。

 そんな時に考え出したのが、今の商売だ。


 まず、価値の低い惑星を安く買う。次に、その惑星を再現した仮想世界を作る。この時、価値が実際より高く見えるように環境を作る。完璧すぎると怪しまれるので、少し欠点を残しておいて、お買い得になる理由を上手く組み込むのがコツだ。

 そうして作った仮想世界を、現実と偽って客に見せ、高く売りつけるのだ。


 俺の宇宙船のカプセルは特別製で、客が入ると睡眠ガスが出る。客は超光速航行時の仮死状態だと思うから、眠ったことには気が付かない。そして、客が寝てる間に仮想世界にログインさせておくのだ。

 仮想世界は現実そっくりに再現された宇宙船のカプセルをスタート地点にしているから、客は気が付かないまま目覚め、仮想世界の中で偽の惑星を訪れる。帰りは逆に仮想世界のカプセルに入ったタイミングで眠らせ、寝ている間にログアウトさせるのだ。


 そう、俺の正体は「VR詐欺師」だ。


 今のところ、俺の仮想世界がバレたことは無い。客が現地に行って騙されたと気が付く頃には、俺は行方をくらましているというわけだ。


                   ◆


 惑星投資ブームに乗り、俺の商売は順調だった。そろそろ足を洗おうかと思っていた時、ある老人が客としてやってきた。


「孫のために惑星を買いたいんだが……」


 その老人は頭に白髪が混じっていたが、姿勢や喋り方からは年齢を感じさせず、しっかりとした印象だった。身につけている服や靴から、特別に裕福ではないが、それなりの蓄えはありそうだと俺は推測した。表情からは穏やかな性格が見て取れる。

 つまり、ちょうど良いカモだ。


「お客様、運が良い! 今ちょうど、掘り出し物の物件がありまして」


 今回の物件は、呼吸可能な大気あり、重力も地球相当、気温は低めだが宇宙服なしで活動可能だ。だが資源に乏しく、水も鉱物もほぼゼロ。が悪く、地球や他の資源惑星から遠いため開発するにも輸送費がかさむ。そのためにかなり安くなっていた。これを資源のある惑星に見せかけるのが今回の作戦だ。


「少し遠いですが、代わりに豊富な資源があります。実は周辺の再開発が検討されており、資源の供給源として値上がりが期待できます」

「ふむ……なるほど。値段はいくらかね?」

「今でしたら、この金額でご提案出来ます」


 提示した金額は有望な資源惑星としては相場の半額近い金額だ。だが、俺が買った金額はこの十分の一以下だ。


「ほう、これなら私でも手が出るかもしれないねぇ」

「ええ。再開発の話が出る前に取得しましたので。今まではそのまま住める居住惑星やリゾート惑星に投資が集中していましたが、もうそういった惑星はほとんど残っていません。大抵は、環境改造テラフォーミングが必須です。そのため、次は資源惑星を大手企業が買い始めています。今後、値段はどんどん上がるでしょうね」

「今がチャンス、ということかね」

「そのとおりです。一度現地を見てみませんか? お時間があるようでしたら、今すぐにでもご案内できます」

「じゃあ、一度見てみよう」


 さあ、ここからが俺の腕の見せ所だ。営業トークは、俺の仮想世界を引き立たせる前座に過ぎない。


 いつものように宇宙船に案内し、超光速航行のためと言ってカプセルに入ってもらう。睡眠ガスを嗅がせると、老人は静かに眠った。俺は老人を仮想世界にログインさせ、後から自分も仮想世界に入った。


 老人が起きるまでの間、俺は自分の作った仮想世界をチェックする。室内の小物の配置が現実とずれていないか、老人の姿勢は現実で眠った時と同じか、船内の時計設定はおかしくないか、などだ。

 周囲の確認が終わったら、ブリッジに行く。モニターには今回の物件が表示されていた。俺は隠された管理用画面を開き、設定した惑星の環境を確かめた。

 ゴツゴツとした岩山が広がる光景がモニターに映し出され、その横に各種設定値が表示された。大気の組成、重力、気温は本物の惑星とそろえている。嘘に本当を混ぜるのではなく、本当に嘘を混ぜるのがコツだ。

 実際には無い水や鉱物資源があるように配置し、前オーナーが試験的に採掘したという設定の小さな採掘所まで設置した。

 今回も完璧。俺は満足して管理用画面を閉じた。この惑星を売ったら、リゾート惑星でも買ってそこで悠々自適な生活を送ろう。

 そんな事を考えていると、扉が開き、老人が入ってきた。


「やあ、超光速航行というのは初めてだったが、あっという間なんだね」

「ええ、ここはもう地球から百五十光年先ですよ。ご覧ください、あれが今回ご案内する惑星です」


 俺はモニターの惑星を指差した。赤茶色の球体が宇宙空間に静かに浮いている。


「ほう。植物は無いのかい?」

「はい。ですが、地下に水もありますから、少しの改造で育ちます。鉱物の多さが特徴ですよ。レアメタルも確認されています。採掘場がありますから、実際に確認して下さい」

「着陸出来るのかい?」

「もちろんですとも。さあ、行きましょう」


 老人に疑っている様子は全くなかった。第一段階はクリア。俺はコンソールを操作し、着陸を指示した。すぐに宇宙船は大気圏に突入する。突入時の空気との摩擦は、俺のこだわりの表現の一つだ。惑星の設定値に応じて自動計算される表現にプラスして、よりそれっぽく見えるアレンジを加えている。誰にもそのこだわりを語ることが出来ないのが残念だ。

 事前に指定していた場所まで飛び、俺は宇宙船を着陸させた。


「大気は呼吸可能ですから、そのままで外に出られますよ」


 降着口から惑星に降り立った老人は、しばし無言で外の光景を見つめた後、呟くように言った。


「なんと、ダイナミックな光景だ」


 着陸したのは、開けた盆地に鎮座する巨大な一枚岩の上で、オーストラリアのエアーズロックのような地形だ。ここからは連なる巨大な山脈を一望できる。この一枚岩は現実のこの惑星には無い物で、俺が仮想世界に配置したものだ。まずはスケールの大きさで客の心を掴む作戦だ。


「あそこに見える山脈は、なんとエベレストよりも標高が高いのですよ」

「ほー、比較できるものが無いから、大きすぎてわからないねぇ」

「どうですか、この景色だけでも価値があるでしょう? 実際に来ないとわからない価値ですよ」

「確かに。着陸しているこの岩も、すごく大きそうだね」

「ええ。地上から約千メートルの高さがあります」

「ほう! それはすごい! ちょっと下を覗いてみよう」


 老人は歩いて一枚岩の淵まで歩いて行った。


「お客様、気を付けて下さい。重力は地球とほぼ同じですから……あっ!」


 次の瞬間、下を覗き込んでいた老人が俺の視界から消えた。

 老人が落ちたのだ。


 まずい。これは実にまずい。


 老人が転落死してしまうからではない。むしろまずいのだ。


 この時代の仮想世界では五感が完全に再現されるが、高いところから落ちた時のような強い感覚はカットされるようになっている。正確に再現してしまうと、そのショックで死んでしまうことがあるからだ。これはシステムの基本仕様であり、VR技師やユーザーが勝手に変更することは出来ない。


 俺は宇宙船に飛び乗り、老人が落ちた場所へと駆けつけた。そこでは、不思議そうにキョロキョロと辺りを見回す老人が無傷で立っていた。


「君、一体これはどういうことなんだい?」

「え、ええと……」


 老人は自分の身体を不思議そうに触って確認している。俺は頭が真っ白になっていた。

 どうしよう? 素直に白状するか? この老人の口を封じれば……いや、俺はそこまで落ちぶれてはいない。

 無言の俺に対し、だんだんと老人の表情に疑いの色が濃くなってきた。


「たしか重力は、地球と同じくらいと言っていたと思うのだけどねぇ。あんな高い所から落ちても無傷なのは、なぜだい?」

「それは、その……そういう星なんです。」

「えっ?」


 俺は必死だった。


「その、ですね……この星は高いところから落ちても死なない星なんですよ。すごいでしょう?」

「ほう? どういう理屈でだい? 重力は地球と同じくらいのようだけど」

「ええと、その。そう、あれです。磁場です」

「磁場?」

「中心のコアが生み出す磁場が、人の血液中の鉄分と反応してですね。こう、いい感じに釣り合うのです。なので、落下の速度が一定で止まるんですよ」

「いい感じに?」

「そう、磁場が、いい感じに」


 その場に沈黙が流れた。さすがに苦しい言い訳だ。俺は全てが終わったと思った。

 だが、老人は穏やかな笑みを浮かべ、言った。


「そうなんだねぇ。私は文系だったものでよくわかりませんが、そんな惑星もあるんですねぇ」


 俺は一瞬、何が起こったかわからなかった。


「そ、そうなんですよ。かなり珍しいんですが、たまにあるんです。これは表には出していない情報でして。本当に購入を検討される方にだけお伝えしているのですが、バレてしまいましたね。あはは」

「はっはっは。すみませんねぇ。昔からおっちょこちょいなんです。いや、しかし、落ちても死なない惑星で良かった。命拾いしましたよ」


 俺は顔を引きつらせながら、一緒に笑った。信じられないことに、この老人は俺の苦しい言い訳で納得したのだ。とはいえ、いつ気がつくかわからない。残念だが、この客に売るのはあきらめよう。


「ですがお客様、気がつかないだけでお怪我があるかも知れません。一旦、帰りましょう。残念ですが、続きはまた今度ということで……」


 俺はそう言って、客を帰そうとした。だが――


「買うよ」

「へっ?」

「こんな面白い惑星はない。買うことに決めたよ。金額はさっきの額で良いんだね」

「で、ですが……」

「孫も連れて来よう。一緒に飛び降りるんだ。私には六歳になる孫がいましてねぇ。元気な男の子です。きっと気に入りますよ。はて……何か、売れない理由でもあるのですか?」


 老人は俺の顔を訝しげに覗き込んだ。


「い、いえ。あまりに簡単に決めてしまわれたものですから。大丈夫です。では、ご購入ということで、ありがとうございます。では地球で契約を」

「その前に何回か飛び降りさせてくれ。またあのスリルを味わいたい。買うのだから良いだろう?」

「え! ええ、もちろんです……ではもう一度この岩の上に行きましょう……」


 その後、老人は岩の上から千メートル下の地面に向かって楽しそうに飛び降りた。そして再度宇宙船で上に昇り、飛び降りるのを五回も繰り返した。当然、老人は無傷だ。俺は老人がいつ仮想世界だと気がつくか、気が気ではなかった。


「資源惑星なんてもったいない。素晴らしいアトラクション惑星だ。優良物件だねぇ」


 老人は大変満足したようだった。俺は戸惑いながらも、宇宙船で衛星軌道上に戻った。カプセルに入り眠った老人を前に、俺は考えた。

 老人が俺の嘘を信じたのは良かったが、まさか買うとは思わなかった。しかも、飛び降りても大丈夫なところを気に入られてしまった。このまま売って良いのだろうか? だが、売らないのも話がおかしくなる。せっかく信じているのだから、このまま売って、入金が済んだ段階でいつものように行方をくらませば良い。


 俺は老人を仮想世界からログアウトさせた。


「いやぁ。本当に良い買い物をしたよ」


 地球の事務所で契約書にハンコを押した老人は、終始笑顔だった。惑星の代金はすぐに振り込まれた。


「お買い上げありがとうございます。すみません、次の商談の予約が入っておりまして……」

「そうか。早速、孫を連れて出かけるとしよう。早く飛び降りたいよ。今週末にでも予定が合えば行こうかな」

「そ、そうですか……」


 老人の背中を見送りながら、俺は心の中で逃げる算段をしていた。老人は、早ければ週末に惑星に行くと言っていた。現地に行けば騙されたことに気が付くだろうが、それまでに逃げれば――いや。

 あの惑星で偽ったのは地中の資源だから、見た目は一緒だ。現地に行っただけでは騙されたと気が付かないかも知れない。そうしたら、老人はどうするだろう?

 もし、現実世界のあの惑星で飛び降りたら、どうなるか?

 当然落下の衝撃は一切カットなどされず、人体に大きなダメージを与える。

 俺の脳裏に、老人が地面に叩きつけられて赤いシミになる光景が浮かんだ。頭を振り、その光景を追い出す。

 いくら何でも、飛び降りる前に気がつくはずだ。それより、今は足が付かないように逃げることを考えよう。

 俺は大きく息を吐いてから、事務所の片付けを始めた。


                   ◆


 老人に惑星を売ってから、一か月が経過した。


 事務所から俺に繋がる情報を消し、夜逃げ同然で姿を消す。こうして行方をくらまし、別の地域で次のターゲットを探すというのが今までの俺のやり方。

 だが、俺は次の仕事をする気にはとてもなれなかった。


 あの老人の事が気になってしょうがなかったのだ。俺はニュースを欠かさずチェックしていたが、老人が俺の売った惑星で転落死したというニュースは無かった。惑星投資詐欺被害のニュースも出ていないから、考えられるのは二つ。


 まだ老人はあの惑星に行っていないか、既に飛び降りて死亡し、誰にも気付かれていないか、だ。


 俺の仮想世界は完璧だ。今まで、一度も仮想世界だと気付かれた事はない。現地に行っても、見た目で気が付くのは無理だろう。

 考えれば考えるほど、老人の行動は一つに決まってくる。


 現実の惑星で、仮想世界と同じように飛び降り、そして死ぬ……


 俺はノイローゼ気味になっていた。


 もし、老人が飛び降りて死んだら、それは俺が殺したことになるのか? 

 俺は詐欺師かも知れないが、人殺しにはなりたくない。老人の連絡先は処分してしまったし、こちらから連絡はできない。

 自首して、警察にあの老人を探してもらおうかとも考えた。だが、そうすれば俺は詐欺師として逮捕される。もし、老人が既に飛び降りて死んでいたら、殺人罪もプラスされるかもしれない。

 老人は孫と一緒に過ごすなんてことも言っていた。今にも孫や子供達と一緒にあの惑星に向かっているかも知れない。得意げに家族の前で飛び降りる老人。その後の悲劇を想像するだけで、めまいがした。


 崖下で血を流す老人の死体が夢に出てきた日の朝、俺はあの惑星に確認に行くことに決めた。

 そうしないと、気が変になりそうだったのだ。


                   ◆


 今度は本当に超光速航行をして、俺は老人に売りつけた惑星にやってきた。モニターに映される惑星の見た目は、やはり俺が作った仮想世界と同じ。見分けることは出来ないだろう。自分の仕事の完璧さが、この時ばかりは恨めしく思えた。

 その時、宇宙船のAIが惑星内の別の宇宙船の反応を検知した。遅かったか。

 俺はその宇宙船の近くに着陸するよう、AIに指示をした。


 宇宙船が着陸していたのは、切り立った崖の近くだった。嫌な予感が強くなる。

 俺はその宇宙船の横に、自分の宇宙船を着陸させた。連なる岩の山脈。乾いた、少し土埃の混ざった風。俺の作った仮想世界と同じだ。着陸した場所は地殻変動で出来たであろう切り立った崖の上で、高低差は五十メートルはありそうだ。仮想世界で老人が飛び降りた地形に比べれば高さはないが、だからと言って飛び降りて助かる高さではない。

 宇宙船から降りた俺は、覚悟を決めて崖の淵に歩いて行った。

 俺は思い過ごし、考えすぎだったという結果を少しだけ期待しながら、崖の底を覗き込んだ。

 次の瞬間、俺の目に現実が飛び込んできた。


 崖の下には、赤く広がる血だまりの上に倒れる、あの老人の姿があったのだ。


「うわあああああ!」


 俺は思わず叫んでいた。崖下の老人はピクリとも動かない。

 まさか、本当に飛び降りるなんて! 俺が殺したのか? そんな! あんな嘘を信じる方が悪いんだ。でも、俺があそこが仮想世界だと白状していれば、老人は死ななかった。やっぱり俺が殺したも同然じゃないか。


 その時、さらにもう一隻の宇宙船が近づいて来るのを感じ、俺は空を仰ぎ見た。着陸しようとしている宇宙船の船体には〈宇宙警察〉の文字があった。

 このタイミングで! いや、老人が戻って来ないことを心配して、家族が通報したのかも知れない。老人の死体はまだ新しかったし、おそらく飛び降りてからそこまで時間が経っていないのだ。

 着陸した宇宙船から警察官らしき人物が三人降りてきたと思うと、俺の方を指差して駆け寄ってきた。

 まずい。

 俺が逃げると、警察官達は追いかけてきた。この状況、どう見ても俺が突き落としたようにしか見えない。捕まれば調べられ、詐欺の事も、老人が飛び降りた理由もバレるだろう。そうなったらお終いだ。


「待てー! 止まれ!」


 俺は警察官達から逃げ回ったが、やがて追い詰められてしまった。俺の背後には切り立った崖。

 ああ、仮想世界なら飛び降りられるのに。

 そう思った時、聞き覚えのある声がした。


「観念して捕まるんだ。殺人罪にはならないよ」


 警察官達の後ろから現れたのは、なんとあの老人だった。


「え! あなたは……」


 老人を指差し、固まる俺。警察官達が老人の方を振り向いて言った。


「捜査官殿。お手柄ですね」


 だらしなく口を開けたままの俺に向かって、老人が笑って言った。


「はっはっは。すまないねぇ、私は詐欺の特別捜査官だったんだ。おとり捜査だよ」

「でも、崖下には死体が……」

「私は警察の前は役者をやっていたんだよ。あまり売れなかったがね。サスペンスドラマでは死体役もやったことがあったが、まさか役に立つとはねぇ」

「そ、そんなぁ」

「すぐに捕まえても良かったんだが、面白くなってしまってね。すこし反省してもらおうと思ったのさ。もう二度とこんな事はしたくなくなっただろう?」


 俺は力なくその場にへたり込んだ。

 ただ、どこかで少し安心していた。


「さあ、署まで来てもらおう。おっと、ここは現実だから、飛び降りて逃げるのは止めておくれよ。『磁場がいい感じ』、ではないからね」

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