第56話 悪い魔女


--黒葉さんっ!!



「え?」


黒い鎧が、オカ研の部室を飛び出していった。

 さっき、無様に逃げ去ったあのチビのように。

 

「誠二・・・?」


 想い人であるはずの、白上羽衣を置いて。

 しばらく、私はオカルト研究部の部室で立ち尽くしていた。


「あ、え・・・なん、で?」


 理解ができなかった。

 つい先ほど、誠二はあの思い上がったチビを自身の言葉で叩き潰したばかりだ。

 明確に、自身の想いが白上羽衣に向いていると宣言した。

 それは、あらゆる順位において白上羽衣があのチビを上回ることを意味する。

 人間という生き物は常に仮面を被っていて、出会う相手によってその顔を付け替えるのが当たり前。

 その数ある仮面の中で、とびきり大切で価値があって、愛しい相手にしか見せないモノを、白上羽衣に捧げると言ったのも同義だ。

 ましてや、大アルカナに襲われるという命の危機の中にあって、どちらを守るかなど考えるまでもない。

 そのはずだ。

 そうでなければならない。

 それなのに。


「なぜ、あのチビを、助けに行った・・・?」


 わからない。

 理解できない。

 いや、理解『したくない』。

 

「あのチビの方が大切だった?いや、違う。それはない。それだけは違う」


 ここに至って、誠二が白上羽衣からあのチビに鞍替えした。

 それはあり得ない。

 いくらなんでもそれが違うのはわかる。

 誠二は、舌の根も乾かぬうちに惚れた女を裏切れるような器用な真似はできない。

 

「なぜ、なぜだ・・・っ!?」

 


--オアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!!!!!!



 突如、巨大な機械が稼働したかのような、重い金属がこすれ合うような音が響く。

 それと同時に膨大な魔力が眼を灼くような光とともに噴き上がり、校舎が揺れた。

 塔が攻撃を始めたのだ。


「・・・凄まじい威力だ。これでは、いくら誠二でも」


 避難も兼ねて、己の存在を光の魔法で隠しながら窓を蹴って屋上まで跳び上がる。

 塔が放ったのは、恐らく『穿スラスト』。

 『前』の私の記憶も含めればもう何度も見た魔法であるが、その中でも群を抜いて威力が高い。

 遠目に見える塔がまだまだ原型を保っていることから、あれはまだ『ブースト』を使っていない。

 それでいて、北校舎を貫き、南校舎の一部まで消し飛ばすほど。

 間違いなくあの塔は誠二と同格以上だろう。

 だが、『レベル10』は『ありえない存在』であることを考えれば、レベル9に違いない。


「もともと、塔と死神の相性は最悪だ。レベルが同じならば勝ち目はない」


 塔は『破綻』の象徴。

 『終わりからの始まり』の象徴である死神とは相克の関係になるが、その他の要素の相性もあって、死神では絶対に勝てない。

 ここから、誠二の勝ち筋があるとすれば。


「私が、行くしかない。私の権能で誠二を隠し、必殺の一撃を叩き込む」


 今の誠二ならば、『ブースト』をまともに使えるようになっている見込みはある。

 少なくとも、暴走するほどひどくはないはずだ。

 私の権能は、自分以外の相手にも使える。

 そうして誠二を塔まで連れて行き、中枢で『ブースト』を解放させ、力が溜まる前に速攻する。

 塔が『ブースト』を使う前ならば、自爆の規模も耐えられる程度で収まる可能性は高い。

 ただし、リスクもある。


「・・・バレれば終わり。倒せなくても終わり。倒せても、自爆に巻き込まれれば終わりだ」


 一つでもミスがあれば、足りなければ、そこで終わりだ。

 私は消える。


「消える・・・いや、それは厳密には違うか。私が消えても、『次』の私が次の儀式に臨むだけか」


 私は始まりの魔女の残滓。

 儀式の中枢に紛れ込んだ『本体』から分かたれた『欠片』である。

 ここで私が消えても、儀式に回収され、それをさらに本体が取り込み、また次の私が人間のプレイヤーに取り憑くだけだ。

 どのみち、ここで誠二を失えば、私が勝ち進める道はなくなったも同然。

 本体から見ても儀式の完成のために、ここでリスクを冒すのは間違ってはいないはずだ。

 そう考えれば、失うものはないと言ってもいいかもしれない。

 そう。

 

「そうだ。恐れることなど何もない。何かあっても、次のツキコが・・・」


 『ツキコ』。

 この名前以外には。


「・・・・・」


 私が消えれば、次の私が生まれることはあるだろう。

 だが、この名前が引き継がれることはありえない。

 なぜなら、そんなものは『始まりの魔女の残滓』にとって何ら有益でないからだ。

 このツキコという名を与えられてから、本体との繋がりが途切れがちになったのは、無関係ではない。

 ツキコという、始まりの魔女とは違う形を得たからという可能性が高い。

 それでも私がツキコであれるのは、私が未だに始まりの魔女の欠片であり、その悲願を叶えるために伊坂誠二が有用であるために目こぼしされているに過ぎない。

 次の私が生まれたとして、わざわざそんなノイズを残す必要はない。

 余計な情報として、真っ先に削除されるだろう。


「・・・嫌だ」


 私だけなら、ここで隠れていれば見つからないかもしれない。

 そうすれば、私は、この『ツキコ』は生き残る。

 この名前は消えない。

 そう、私は気が付いてしまったのだ。


「この名前が消えてしまったら、そうなったら、『この私』はどうなるんだ?」


 ここで消えても、『私』はまた生まれる。

 だが、それはツキコではない。

 今ここにいる『この私』ではないのだ。

 それが、たまらなく怖かった。

 名前がないということは、存在しないこととほぼ同じだと、事ここに至った今ならわかる。

 そこに在るのに、ないのと変わらない。

 ただ始まりの魔女の『一部』として働き続けるだけのモノに成り下がる。

 言い訳がましいが、始まりの魔女の悲願を達成したいという想いそのものは未だに私の中にはある。

 だが。


「・・・・・」



--それは、この私という存在を消してでも叶えなければならないものなのか?



--もう思い出せない願いのために、この身を差し出す価値があると言うのか?



 そう思ってしまったのだ。

 こんな疑問を持ってしまった時点で、バレてしまえば本体に消されるのは確実。

 しかし、普段から繋がりが途切れがちになり、怪異の結界で乱れた魔力の中、この隠密の魔法を使っているのならばこのことが知られることはない。

 だからこそ、私は動けないでいた。


(生き残るために、誠二に加勢するか?いや、ここで隠れていれば見つからないかもしれない。時間切れを待てば・・・いや、どうする?どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする・・・)

 


--征け



「っ!?」


 すぐ近くから、声がした。



--儀式の完成こそ我が悲願。死神がいる今が好機。征け。



「う、あ・・・」


 私は始まりの魔女の残滓から、さらに欠け落ちた欠片。

 本質的に、始まりの魔女の思念から構築された存在だ。

 例え名前を授かったとしても、その悲願に疑問を持ったとしても、本体との繋がりが薄れたとしても、その事実は変わらない。

 私は未だに、始まりの魔女の一部だ。

 そして、私の奥に潜むモノが、私を急き立てる。

 そのときだった。



--オアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!!!!!!



「ひっ!?」


 二度目の攻撃が放たれる。

 一発目よりも規模が大きく、私が立つ南校舎の屋上の一部が消し飛んだ。

 その威力に、私は思わず崩れ落ちたように尻餅をついてしまう。


(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいコワイコワイコワイコワイ・・・・)


 あんなモノを喰らってしまえば、例え光属性に耐性のある私でもひとたまりもない。

 白上羽衣の身体ごと、塵一つ残らず消えてしまう。

 そして、皮肉にもその恐怖が、塔に向かって駆け出そうとする己を押しとどめていた。


崩大砲ルイナ・カノン


 三度目の攻撃。

 今度は北校舎だけが魔法を受けたらしく、瓦礫が空まで飛んでいった。

 そこに。



--死纏デス・ブースト!!



 高らかに声が響いた。


「・・・誠二?」


 消し飛んだ北校舎の、隙間と呼ぶには広い空間を覗き見る。

 そこには、レベル8の『コーリング』で召喚したと思しき白馬に乗って駆ける誠二がいた。


「誠二・・・そうだ、誠二!!」



--征け。死神を掩護しろ



「お前に言われるまでもない!!『月砲ルナ・ブラスト』!!」


 地面を蹴って空中に踊り出し、さらに光の爆発で加速。

 まずは北校舎の屋上までショートカットする。

 同時に、得意とする光の魔法と、正義のカードから権能とともに引き出した風属性の魔力を使って情報を探る。

 遮蔽物のない場所なら、光によって視界を、風によって音を拾うことができる。

 相手はレベル9の塔。さらにはそれと戦う同レベルの誠二もいる。

 不用意に飛び込めば視界に映らない私は巻き込まれて死にかねない。


「誠二!!」


 そうだ、何をビクビク悩んでいたのだ私は。

 いくら誠二でも、塔相手に1人では勝てない。

 ここで動かなければ誠二が死ぬ。

 儀式を勝ち進むための命綱である誠二が。

 私にただ1人だけ気付いてくれた誠二が。

 私にこの名を付けてくれた誠二が。

 それは嫌だ。

 絶対に嫌だ。

 ならば、始まりの魔女も何も関係なく、私は行かなければならないではないか。

 そうして駆ける私の眼に映ったモノは。



--黒葉さんっ!!!!!



「え?」


 空の上で、白馬に跨がったままあの黒葉の魔女を助ける誠二の姿だった。


「・・・あ」


 足が止まる。



--よかった・・・間に合った!!



--う、うぅ~~~~っ!!伊坂くん~~~っ!!



 声が聞こえる。

 心の底から安堵したような誠二の声。

 そんな誠二に卑しく媚びる、黒葉の魔女の声。

 


--征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け征け



 内側から響く声は、ただの雑音に成り下がっていた。

 もはや意味のある言語として聞き取れず、私を突き動かすにはまったく足りない。

 私の足は止まったままだった。

 それでも、私は己の中に誠二の姿と声を送る魔法を切れないでいた。

 否。別の何かを行うという発想が消えていた。

 今の私は、ただ情報を集める機械と同じだった。



--ま、まだダメ~~!!



--おぶっ!?



 目を覚ました黒葉の魔女が、恩知らずにも誠二に張り手を喰らわせるところも。



--ワタシは、あのまま消えたかったのに!!



--誠二くんのことなんて、大嫌いなんだからっ!!



--そんなことは、オレには関係ないよ



 さっきまでなら嗤いながら見ていたであろう、誠二と黒葉の魔女が仲違いするところも。



--オレが黒葉さんを助けたいから助けるんだ



--白上さんにフラれてもいいっ!!『そんなこと』よりもっ!!



 そして。



--黒葉さんの命の方が、ずっと大事だっ!!



「あ・・・」



 誠二が、白上羽衣ツキコではなく、黒葉鶫を選び直したところも。



「・・・ああ」


 

 その瞬間、私の中で何かが壊れた。



「・・・・・」


 そこからの私は、ただ見ていた。

 ただひたすらに、私は見ているだけだった。

 塔の権能によって、町並みもなにもかも消えて更地ばかりができていくために、一切遮られることもなく。


「・・・・・」


 いつの間にか誠二を私と同じように当たり前のように名前呼びしているところも。

 誠二がまるで童話に登場する白馬に乗った王子様のように黒葉の魔女と共に駆けるところも。

 誠二がレベル9の魔法を使いながら、黒葉の魔女を連れて逃げるところも。

 塔が召喚した呪いによって、誠二が死にかけるところも。

 突如として、狙ったかのように『ブースト』を使った黒葉の魔女が誠二を助けるところも。

 2人揃って塔に反撃を開始したところも。

 まるで誠二専用にあつらえたかのような魔法で、塔の魔法を真っ向から打ち破ったところも。

 黒葉の魔女の魔力を喰らい、見たこともない魔法で塔を無力化するところも。



--後夜祭?・・・ああ、そんなのあったね



「・・・・・」


 あれほど楽しみにしていた、白上羽衣と後夜祭で踊る約束を忘れてしまったところも。

 そして。



--ワタシと、踊ってくれないかな?後夜祭で



--なら、こちらこそ、お願いします



--・・・うん。そうだよ。今、ワタシは最高に楽しんでる!!



--そっか・・・ならよかった



 黒葉の魔女と、誠二が踊るところも。

 白上羽衣と踊るはずだった場所で。

 そんな中、黒葉の魔女が校舎に目を向けた。

 その顔を見た瞬間、私は理解した。


「・・・・・!!」


 誠二に向ける眼とかけ離れた、温度の籠もっていない視線。

 興奮も高揚もなく獲物を狩ることだけを考える狩人の目。

 そんな眼の中に、一瞬だけ『毒』が混ざる。

 私のいる場所がわかっていたわけではない。

 私を見ていたわけではない。

 それでも、理解できた。



--せいぜい、見てなよ。見せつけてあげるから。ワタシが、アナタが手に入れるハズだったモノを奪うところを



 『この男伊坂誠二はワタシが奪う』。そう言っていることを。



「・・・あの、毒婦が」


 凍てついていた時が戻る。

 心の中で燃えたぎる黒い炎が、氷を溶かしたのだ。

 ほんの少し前、オカルト研究部に赴く前に誠二と話した後のように。

 その勢いを、あのときよりもはるかに強めて。


「毒婦・・・いや、人間扱いすることすらおこがましい、卑しい下賤な虫ケラが。クソにも劣る毒虫が!!」


 私は決意した。

 自殺させるなどと生やさしいことはもう言うまい。

 ああ、そうだ。

 あの毒虫は。


「・・・殺す」


 このツキコ自身の手で。


「必ず、必ず・・・殺してやる、あの、毒虫がぁあああああああっ!!」


 絶対に地獄に送ってやる。



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『・・・・・』


 未だに紅く染まった空の下。

 伊坂誠二と黒葉鶫がいるグラウンドからほんの少し離れた中庭に、ソレは姿を現した。


『何故・・・戻レヌ。コレガ、ルールダト、言ウノカ』


 そこらの工事現場に置いてありそうな三角コーン。

 せいぜいがその程度の大きさにまで縮んだ、嫌味なほどに真新しい塔がそこに在った。

 小さくなれど、口が生えたわけではないのに、無機質な声が漏れ出る。


『我ラハ、試練・・・試練ノ側ガ、打チ倒サレルコトナク、逃ゲ去ルノハ、許サレヌノカ・・・』


 怪異という存在は、その元となった感情と、それらによって構築された『在り方』に強く縛られる。

 儀式という怪異は、『願いを叶えるおまじない』、すなわち人間の欲望が元となって生まれた怪異であり、『特定の手順を踏んで願われた欲望は必ず叶える存在』として定義されているのだ。

 そして、かつて『この世界の人間も、魔法使いも平穏に過ごせる世界』を目指したという始まりの魔女によって『特定の手順』という箇所に改変を施され、『願いの大きさに応じて試練を架す』、『試練以外でプレイヤーに干渉することはできない』、『試練は試練の側が勝利しない限り、あるいはプレイヤーが逃げ切らない限り儀式に還ることはできない』といったルールを追加された。

 イレギュラープレイヤーである伊坂誠二だけならばともかく、魔法使いのプレイヤーである黒葉鶫もいる以上、そのルールは正常に機能する。

 これにより、塔は伊坂誠二によってその本質である『破綻』を限界まで弱められた状態であっても、儀式へ戻ることができなくなったのだ。

 しかし、結界の中ならば逃走は可能であり、かろうじて伊坂誠二の力を逃れた砂塵が集まって、離れることができた。

 もっとも、距離は校舎を隔てた程度でしかなく、保有していた膨大な魔力も、『生まれ落ちた』ときにはなくなっていた。まあ、そのおかげでバレずに済んでいるのだが。

 完全に消滅さえしなければ、まだ再起の芽はある。

 今までの大アルカナは、伊坂誠二への斥候としての運用ゆえに、さらには切り札として造られた自分のために魔力供給を制限された状態だった。

 だが、自分はまさにその切り札であり、途切れたものの、儀式本体にはまだ魔力が残っている。

 だいぶ消費してしまってはいるが、儀式という巨大な怪異の身を削れば、さきほどと同じ力を取り戻すことも可能だ。

 儀式にとっても断腸の思いであるが、あの死神は危険に過ぎる。

 アレを排除するためならば、相応のコストを払うのは仕方ないと判断せざるを得ないはずだ。

 しかし。


『儀式カラノ、魔力供給ガ復旧シナイ・・・?』


 さきほどまで湯水のように供給されていた魔力。

 その流れが元に戻らないのだ。

 それどころか、伊坂誠二や黒葉鶫の現在地や、彼らに起きた強化の分析など、これまでの戦いの中で常時あったサポートまで途絶えている。

 ここで自分を切り捨てるだけならば、損切りとして百歩譲ってまだわかるが、一切の繋がりがなくなってしまえば儀式の側もそれ以上情報を得ることができなくなることを考えれば、明らかに不自然。

 

『ドウイウコトダ・・・マサカ、儀式本体ニモ何カガ・・・』

『お前が知る必要はない』

『ナッ!?』



--ザクッ



『ガッ!?』

『黙れ。騒ぐな。さっさと消えろ』


 何かが、極めて深刻な何かが起きている。

 そのことに塔が気が付いたときには、鈍く光る銀の刃がその頂上に突き立っていた。

 先ほどまでなら埃が付いた程度のことでしかなかったが、『破綻』の力を失い、その身も矮躯となった今では、それは致命傷だった。

 そして。


『その力を、誠二の記憶すら消す力を私に寄越せ』

『オ、オノレ・・・』


 大アルカナにおける凶兆。

 最強の座に最も近かった怪異は、正々堂々の戦いの中でなく、落ち延びた先での暗殺によって終止符を打たれたのだった。




-----



 あの毒虫を殺す。

 そう決めた私だが、この場ですぐさま駆け寄って殺しに行っても実行は不可能なことくらいわかっている。

 誠二がいる以上、私を止めるのは絶対。

 だが、それ以前に今のあの毒虫の力は私を上回っている。

 『ブースト』だけならともかく、『コーリング』を使ったことからレベル8以上。

 今の私では勝てない。

 光が他の属性に有利とはいえ、ほぼ無尽蔵に魔力を集められる己よりも三つもレベルが上の魔術師では真っ向勝負では勝てない。

 かと言って、かつての黒葉と同じ『あの眼』を持っているのなら、私が得意とする幻術はまったく効果がない。

 オカルト研究部の部室で出会ったときには気が付かれなかったが、それでも誠二と結んだ契約には感づかれた。

 人間のプレイヤーである白上羽衣が知るはずもない魔法の契約。

 それを吹き込んだ存在がいることを気取られた。

 その上で誠二がいるときに、誠二がツキコのことを思い出せば、白上羽衣の中にいる私までたどり着くかもしれない。

 そうなったときに、誠二は契約に従って私を守るだろう。

 しかし、誠二がいないときに奇襲をかけられれば詰みだ。

 そうならないためには。


「力がいる」


 力が必要だ。

 最低限、あの毒虫と真っ向から戦えるくらいの。

 そして、ちょうど心当たりがあった。


「誠二たちは、塔のカードを見つけていない。まだ、この結界の中にいる」


 儀式の怪異に、撤退は許されない。

 一度顕現したのなら、時間切れになるか、はたまたプレイヤーに打ち倒されるかしなければ退場はできない。

 しかし、塔に最初に現われた正位置の死神のように隠れる能力はない。

 ならば、感知が難しいくらいに力が弱まっているということ。

 さらには、儀式にとって虎の子である塔が倒された以上、儀式そのものは大きく混乱しているはず。

 そしてその隙を『本体』が逃すはずもない。

 その結果どうなるのかは今の私に完璧な予測はできないが、少なくとも塔が力を取り戻せるだけの魔力供給を今すぐ行うことはない。

 まさしく、今が最高のチャンス。


「・・・・・!!」


 さきほどからかけたままにしていた光と風の魔法。

 その探知網に、一瞬だけ眩い光が引っかかった。


「そこか」


 塔が再度顕現したのは、北校舎の屋上にいた私のすぐ背後に位置する中庭。

 光が瞬いたのはほんのわずかな間、しかも北校舎に遮られていたためにグランドまで届いていない。

 見れば、今もグラウンドにそびえ立つ抜け殻とは比較にならないほど矮小な姿になった塔が目に入った。

 私は、隠密を維持したまま、風の魔法で音を殺し・・・



--ザクッ



「ふん・・・手に入れたぞ」


 あっさりと、塔は壊れた。

 魔力がほぼなくなっていたために、自爆すら起こらなかった。

 空気に溶けていくように消えていく塔の残骸の中にあったカードを、私はつまみ上げる。


「・・・大アルカナのカードに秘められる力に、元の怪異のレベルは関係ない。力を引き出すのはプレイヤーだ。だが」


 倒した怪異のレベルと、カードの持つ力は比例しない。

 白上羽衣が倒したレベル4の隠者の権能をレベル5のツキコが使えるように。

 白上羽衣に撃退できるレベルだった死神が、誠二の手に渡った後にはレベル9の高みに至ったように。

 大事なのは、使い手であるプレイヤーのレベルなのだ。

 しかし、そのカードへの適性次第ではその限りではない。

 この儀式において、プレイヤーにはもっとも適性のあるカードが最初に渡されるが、初期カード以外にも相性がいいカードは存在する。

 そうしたカードからは、プレイヤーのレベル以上に力を引き出すことが可能となるのだ。

 そして、この塔とツキコの相性は。


「『月』は、先の見えない闇に潜む危険を象徴するカード。そして、その危険はツキコ自身だ」


 大アルカナにおいて正位置、逆位置ともに凶兆を示す塔。

 同じく、正位置において珍しいマイナスの意味を持つ月。

 その在り方、光という属性、そして誠二にやってのけた記憶への干渉。

 まず確実に、『月』に次いでこのツキコに見合うカードに他ならない。

 

「よくも誠二の記憶を消してくれたな?その力、今度は私が使ってやる!!」


 あの後夜祭の約束を誠二が忘れてしまったのは、塔が秘める権能のせい。

 そのせいで、あの毒虫にまんまとしてやられた。

 ならば、次は私の番だ。

 塔のカードを支配すべく、魔力を流仕込む。



--カッ!!



 眩い光が立ち上る。

 しかし、その光は私の張った結界に遮られ、外に飛び出すことはない。


「・・・ふん。レベルが一つ上がったか。だが、まだ足りない」


 レベル5からレベル6に。

 だが、それでもあの毒虫よりも二つ低く、誠二よりも三つ低い。

 この儀式において、権能が使用できるようになるレベル5は一つの境目だが、『ブースト』を使っていなければ発動できない高位の魔法を習得できるレベル8も大きな壁だ。

 今のままでは、あの毒虫に勝つことはできない。

 さらには、あの毒虫に完膚なき敗北と絶望を与えるための、ひいては、このツキコにとって最大の『目的』には遠く及ばない。

 そう。


「誠二の記憶から、あの毒虫の汚れきった記憶をすべて消し去るには」


 元より、儀式を完成に導くには誠二の協力が必要不可欠。

 だからこそ、誠二が懸想する白上羽衣をうまく利用するつもりだった。

 今でも、誠二の中から白上羽衣への好意がすべて消えたわけではないだろう。

 だが、あの毒虫はまさしく毒を打ち込んだ。

 白上羽衣と、恋人になる者と踊るはずだった後夜祭を、あの毒虫はかすめ取った。

 これからも、あの毒虫は誠二が持つ白上羽衣への恋慕を腐らせるための毒を蒔き続けることだろう。

 ならば、すべて消してしまえばいい。


「あの毒虫も、白上羽衣のことさえも。いや、このツキコ以外のすべてを」


 今回のことでよくわかった。

 白上羽衣この身体は頼りにならない。

 呆れるほどお人好しの誠二は、惚れた女がいたとしても、助けたいと思った相手がいればそちらに行ってしまうのだ。

 白上羽衣では、誠二を繋ぎ止めることはできなかった。

 ただでさえ、深まり続ける憎悪のせいで扱いにくくなっていたところだ。

 ならば、この役立たずの記憶も消してしまえ。

 あの誠二が相手でも、大切な存在の記憶を消せることはつい先ほどに実証されたばかり。

 記憶の改変ではなく消去ならば、早々記憶が戻ることもない。

 ならば友も、家族も、惚れた相手も、助けたいと思えるようなモノの記憶も、それこそあの忌まわしい毒虫のことも、このツキコ以外の何もかもすべてを消し去ってやる。

 そうして、まっさらになった誠二の心を、ツキコが導くのだ。

 それが、この儀式を完成させるための最短距離でもあるのだから。


「ああ、そうだ。それがいい。どうしてやろうとしなかったんだ」


 そうだ。それがいい。

 最初から、それを目指すべきだったのだ。

 誠二だって、この先の『未来』を思えばこの判断に感謝すらするはずだ。

 そう、これは単純に、始まりの魔女の悲願を果たすためだけではない。

 儀式を無事に完成させたとしても、そこで誠二の人生が終わるわけではないのだ。

 私のやろうとしていることは、回り回って、必ず誠二にとっての救いとなる。

 

「誠二。お前はいい奴だよ。だが、人間の世界はお前を受け入れない」


 伊坂誠二は間違いなく善人だ。

 しかし、同時に彼は人間にとって恐怖の象徴である『死』の申し子。

 今は白上羽衣の放つ光もあって受け入れられているが、それが続くことはあり得ない。

 他ならぬ白上羽衣自身が、悍ましいほどの憎悪を抱いていることからして救えない。

 さらには、例えこのツキコが何もしなくても、『悪魔』がまだ控えている。

 必ず、誠二は人間たちと今の関係にあることを後悔するだろう。

 そして、それでもなお誠二に近づくのは、腹に一物持った連中ばかりとなる。

 人間ばかりではない。

 例え儀式を勝ち抜き、平穏を手にしたとしてもそれが長く続くことはない。

 闇属性の使い手にして、ただでさえ珍しい魔法使いの男にである上に、その中でも希少な死霊術師。

 魔法使いからしても、誠二は極上の獲物と言っていい。

 それが打算でしかなくとも、あるいは真実の愛故であっても、ろくでもない争奪戦に巻き込まれるのは火を見るより明らかだ。

 そう、今も本性を悟らせないようにツキコを見下し、誠二を誑かすあの黒葉鶫毒虫のような連中によって。

 誠二は強い。

 誠二ならば、この先の儀式で現われる怪異を倒していくことができるだろう。

 だが、心はどうか。悪辣で陰鬱な謀略に抗えるだけの知恵はあるか。


「誠二。お前は強いよ。だが、それだけでは足りない」


 高校二年生になって初めてクラスの連中と打ち解けたばかりで、何気ないイジりでさえ喜んでしまうような男だ。

 こんな寄生虫のような私にも同情するようなお人好しだ。

 今も、あの毒虫の本性に欠片も気付かないくらいに悪意に鈍感だ。

 だから。


「誠二。お前は、お前の心は私が守ってやる」


 誰かが、誠二の心を守らなければならない。

 誰かが、誠二を導かなくてはならない。

 誠二がどこの馬の骨とも知れない者すら助けることを思い浮かべることすらできないように、誰かが管理してあげなければならない。

 誠二に付け入って、傷つけるモノが決して現われないようにするために。

 それができるのは。


「このツキコだ。そう、たとえ・・・」


 伊坂誠二の周りから、害なすモノすべてを取り除くことができるのは、他ならぬ伊坂誠二本人によって名前という器を与えられたこの私に他ならないのだから。

 契約によって定められた終わりをすり抜ける術は、もう得ている。

 儀式が終わった後も、その先の人外としての気の遠くなるような年月の中でも、私は共に在ることができる。

 そして、そう。そこまでに至る過程の中で・・・


「お前に、悪い魔女だと罵られることになったとしても」





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『馬鹿ナ!!・・・ザザッ・・・ア・・ナイ!!アリエル・・ザザッ・ナイ!!』

『塔ガ・・・死神・・ザザッ・・負ケタダト・・・』

『ノイズ発生・・・?・・・一体・・・ザザッ・・・何ガ・・・』


 どことも知れない場所。

 闇の中でいくつもの声が木霊する。

 しかし、普段無機質な声が飛び交うその場所には、災害が起きたかのような混乱に満ちた喧噪と、不快なノイズが響いていた。


『死神ト・・・魔術師ノ・・・権能』

『・・・ザザッ・・・逆流』

『維持・・・支障・・ザザッ・・収束・・・急ゲ』


 さきほど塔が倒される直前。

 塔への魔力供給経路を見破られ、強制的に切断された。

 その際、死神たちは儀式の持つ魔力を利用しようと、途切れたラインを自分たちと繋ごうとしたのである。

 当然、敵に塩を送るような真似を見過ごすはずもなく、すぐさま経路を断ったのだが、わずかの間とはいえ死神の権能である『終わりからの始まり』の力が逆に流れ込んできたのだ。

 これまで長い時間をかけて形成され、さらには過去の魔法使いによって構築された怪異としての『骨格』は『完璧』に近くとも、未だに世界に溢れる欲望を吸い続け、肥大する『中身』はそうもいかない。

 塔のような『終わり』の力を持たず、『完成』されてもいない部分は、死神の権能によって強制的に終わらされ、別の何かになってしまう。

 しかも、死神が最後に使った正体不明の魔法が原因なのか、あれほど大規模な戦闘があったにも関わらず、魔力がほとんど還元されていないのだ。

 万が一塔が敗れた際に備えていた試練の怪異も、このままでは顕現できないばかりか、儀式としての存在も強度が低下している。

 一刻も早く、正常な状態へ復旧しなければならず、儀式の中にある数多の欲望が元となった思念たちは今も魔術的な作業に没頭している。

 そんな中。


「・・・ああ、少しだけど、『思い出した』」


 小さく、けれど確かに声がした。

 その声音に、途方もなく膨大な、悍ましいほどの『感情』を込めて。


『ガッ!?』

『何っ!?・・・ザザッ・・・侵入・・』

『クッラキング・・・ザザッ・・・ザッー・・・』


 浮き足立っていた思念は、その隙を突かれたように次々と沈黙していく。

 まるで、広大なネットワークに紛れ込んだ小さなウイルスがすべてを蝕んでいくように。

 小さな思念の残滓でしかなかった『ソレ』は、往事の猛りを思い出したかのように、炎の如く儀式の中枢に広がっていった。

 そうして、あれほど騒がしかったどことも知れない空間に静寂が満ちる。


「・・・何匹か、『逃げ出した』のがいる。面倒なのも混じっているけど・・・まあいい。削れたリソース配分の集中ができるし、一番大事なのは残ってる。まだ、干渉するには力が足りないけど、それはこれから集めればいい。あれだけの魔力を秘めているのなら、少し時間はかかるけど、そんなに難しいことじゃない」


 その静寂を破るように、またも小さく声が響く。

 少し前までの、落ち着き払ったような冷たい声。

 だが、そこに少しずつ、白いキャンバスに黒いインクが染みこむように、少しずつ『何か』が溶けていく。


「ふふ、ふふふ・・・あはははははははははははははははっははははっ!!」


 突如、溶けていた何かが発露する。

 それは、『狂喜』。


「ここまで来た!!ここまで来たんだ!!もうすぐ、もうすぐだ!!もうすぐ、『アナタ』が、『ワタシたち』が望んだ世界が手に入るよ!!魔法使いも人間も、みんなが笑って暮らせる、おとぎ話のように幸せな『世界』が!!だから、だから!!」


 声の主の姿は見えない。

 ただ、深い漆黒の闇の中に、銀色の、いや、銀とよく似た『灰色』の光が瞬く。

 そして、声の主は告げる。

 顔も眼も存在しないというのに、まるで見えているかのように。

 その瞬間だけは、炎のような狂喜ではなく、氷のような冷たい殺意を込めて。


「『そこ』にいる『偽物』は、絶対に消してやる。お前に、ワタシたちが造る世界に入る資格はない。ねぇ?」


 何者もいないはずの深い闇。

 まるでその中に、自分以外の何かがいるように、声の主は話かける。


「そうでしょ?アッシュ」



-----



『ギヒヒっ!!オイオイ!!ずいぶん面白そうなことになってるじゃねぇか!!』


 夕闇に染まる森の中に延びた道路。

 その途中で、1人の男が自然界には存在しない毒々しいピンク色の蛇を腕に絡ませながら笑っていた。

 まだ初夏だというのに、少々年季の入った黒いコートに身を包んだ若い男だ。

 その整った顔立ちは、大口を開けて笑っているせいでひどく歪んでいる。


『まさか、あそこから逃げ出せるとはねぇ・・・誰だか知らないが感謝するぜ。おかげで思いっきり楽しめそうだ』


 そこで、スルスルとピンク色の蛇が男の頭に絡みつく。

 それを待っていたかのように、男は笑みを深めた。

 そして

 


--グシャッ!!



 唐突に、男は頭に絡みついていた蛇を握りつぶした。

 そのまま蛇の死骸を頭から口に放り込み、咀嚼していく。

 やがて、尻尾の先まで蛇は男の腹に収まった。


『ふぅ~・・・今まで偵察ご苦労さん。つっても、見れたのは白い女との一部始終だけ、お次はご自分でどうぞってか。だが、十分だ』


 男は再び目をつぶり、近くの木にもたれかかった。

 その顔に広がる笑みは三日月のようにつり上がっている。

 まるで、極上の映画でも見始めたように。

 

『ほぉ~ん?なんだよ。塔を倒せるような化け物じみた強さのクセにえらく人間くさいじゃねぇか。俺なんぞ瞬殺できそうだってのに。んで女の方は・・・うわ、ゲテモノだな。寄生虫だろコイツ・・・オイオイ、そんな見るからに怪しいヤツと契約なんぞ結んじまって。そんなに惚れた女が大事なのかねぇ?いいねぇ、嫌いじゃないぜ、そういう一本筋の通ったヤツ!!ソイツの『中身』、真っ黒だってのに気が付いてないのが最高だな、おい!!」


 そうして、ひとしきり笑ってから、男は舌なめずりをする。


『ああ、いい!!いいねぇ・・・その立派なお前の『芯』。早くへし折ってやりてぇなぁ・・・こういういかにも熱血ってヤツ、堕としてやったら面白ぇだろうなぁ・・・ま、今ノコノコ出て行ったらあっさりやられるだろうし、まずは準備だな。段取り八分、仕事二分ってな』


 そう独りごちると、どこかに男は歩き出す。

 そのまま夕闇が深まる森の中から、男は姿を消すのだった。



-----



 最凶たる塔は討たれた。

 女教皇、吊された男、女帝、皇帝、正義、恋人、隠者。

 これで、8体の大アルカナが脚本から姿を消した。

 魔術師、死神、月。

 3つの役は複雑に絡みながらも、続く演目を踊り続ける。

 これにて序章は終わり。

 残る役は11。

 黒い影が新たに舞台に乗り出して、物語は半ばへと歩みを進める。



-----



(ここは、どこ?私は・・・私は、誰だっけ?苦しい、苦しいよ)


 どこともしれない闇の中。

 そこはひどく息苦しかった。

 自分が何者なのか思い出すことすらできなくなるような閉塞感。

 ここにいたら、自分は狂ってしまう。

 早く出なくてはならない。

 だけど、出方がわからない。


(出して!!ここから出して!!どうして、私がこんな目に遭わなきゃならないの・・・うっ・・・)


 出ようと藻掻く。

 けれど、どうにもならない。

 そうこうする内に、靄がかかったように意識が遠くなる。

 その先に待っているのは、砂糖菓子でも口に突っ込まれたかのような甘い夢だ。

 その夢の中にいると、すべてがどうでもよくなる。

 その夢の中から出たくなくなる。

 その『誘惑』からは逃れられない。


 

--眠れ。余計なことを考えるな。夢を見てればそれでいい。



(ダメ・・・思い出さなきゃ。私が何者なのか・・・そうじゃなきゃ、私が私じゃなくなっちゃう。私は、私は)


 夢に取り込まれる前に、私は必死で思い出す。

 自分という存在を保つために。

 そうして、私は思い出した。


(私、私は・・・白上羽衣)


 そう。そうだ。私は白上羽衣。

 舞札高校に通う、普通の女子生徒だ。

 だが、私にできるのはそこまでだった。



--眠れ



 すぐにまた、意識が朦朧としてくる。


(ダメ・・・このままじゃ。何か、何か考えなきゃ。考え続けなきゃ・・・)


 なんとか抵抗を試みる。

 意識を保ち続けるために、全力で何かを考え続ける。


(そう、どうして、私はこんな目に遭ってるの?その原因がわかれば、ソレをどうにかできれば、ここから出れるかも・・・)


 考えるのは、ここに至った因果。

 それをたどれば、ここから抜け出せるかもしれない。

 しかし、靄はますます深くなるばかりで。

 必死に、必死で、記憶をたぐる。

 頭どころか、魂にまで刻まれたくらい、強い思い出。

 それこそが、ここを出る鍵に違いない。

 そこまでたどり着いたとき。



(あ・・・)



 思い出した。

 この身に、味わったことのないほどの恐怖を刻んだ存在を。

 思い出すだけで震え上がるような、同時に、どんな手を使ってでもこの世から追い出さなければならないと思えるほどの憎悪を抱く相手を。


(伊坂、誠二ぃ・・・!!)


 アイツだ。

 アイツのせいだ。

 アイツのせいで、自分はこんな目に遭っているのだ。

 そのことが、誰に教えられたわけでもないのにはっきりとわかって。

 そして、そこが限界だった。


(絶対に、絶対に・・・許さな・・・い)


 白上羽衣が至った結論。

 それは、決して間違いではない。

 伊坂誠二がいなければ、自我を封じられるような目には遭っていないだろう。

 しかし、己の身体を乗っ取る真の下手人に気付くことは、ついぞなかったのであった。

 ・・・こうして、今の今までせっせと恐怖と嫌悪という土壌を整えられ、自我を剥奪される苦しみという名の水を与えられて、憎悪の種は芽吹きを迎えた。



-----



「おばあちゃん、ワタシね」


 舞札神社にほど近い、蔦に覆われた大きな屋敷。

 その中にある仏壇が置かれた和室の中で、少女は遺影の中で微笑む老婆に告げる。


「昔は、お姫様に憧れてたんだ」


 少女は、昔はお姫様になりたかった。

 女の子ならば誰もが思い浮かべても不思議ではない夢。

 綺麗なドレスを身に纏い、誰からも愛されるような、そんな存在。


「だから、魔女なんか嫌いだった」


 一方で、魔女は悪役だ。

 お姫様に毒リンゴを食べさせて、邪魔をする悪い人だ。

 でも、少女はそんな大嫌いな魔女だった。

 小さい頃は、それが嫌で嫌でしょうがなかった。

 

「そんなワタシに、おばあちゃんは言ってくれたよね?」



--そんな風に思っちゃいけないよ。その力を正しいことに使うか、悪いことに使うかは、お前が決めるんだ。



--魔女は悪い人じゃなくて、魔法を使える女の人なんだから。だからね、鶫。お前が、よく考えて、その力を正しいことに使えるなら・・・



--鶫にも、いつか、鶫だけの『王子様』が来てくれるからね。



「おばあちゃんが言ってくれたこと、本当だったよ。ワタシは、王子様に会えた」


 少女は、祖母の言いつけをよく守った。

 魔女だからといじめられても、その力を悪いことに使わなかった。

 誰かを傷つけることを怖がった。

 そのご褒美とでも言うように、少女は王子様に出会った。

 でも。

 そこで、少女は俯いた。


「でもね。その人はワタシの王子様じゃなかった。ワタシは、やっぱりお姫様にはなれなかったんだ・・・いい子にしててもワタシは、魔女だから」


 その王子様が愛するお姫様は、少女ではなかった。

 少女は、どこまで行っても魔女だった。

 生まれて初めての恋は、咲き誇る前に枯れ落ちた。

 

「今ならね。ワタシ、絵本に出てくる魔女の気持ちがわかるんだ。魔女は、どうしても王子様が欲しかったんだって。でも、魔女だからお姫様いなれなくて。けど、どうしようもないくらい王子様が好きで好きでたまらなくて。だから、悪いことをしたんだって」


 絵本の中の王子様とお姫様は幸せな結末に終わる。

 悪役である魔女を倒して。

 魔女は王子様と結ばれたかったけど、魔女だからそうはならなくて。

 そんな魔女が自分なのだ。


「そう。ワタシはお姫様になれない。魔女だから。お姫様になれないから、王子様と結ばれない。でもね、ワタシは諦めきれないんだ。絵本の中の魔女みたいに。だから。だからね・・・」


 そこで、俯いていた少女は顔を上げた。

 その眼には、燃え上がるような輝きが浮かんでいる。

 そして、写真の中の祖母に告げる。


「ワタシ、悪い魔女になるよ」


 少女はお姫様じゃない。

 お姫様じゃないから、王子様とは結ばれない。

 王子様には、もう愛するお姫様がいるのだから。

 でも、魔女は王子様を諦められない。

 ならばどうするか。


「悪い魔女になって、王子様を手に入れるの」


 ならば、奪い取るしかない。

 絵本の中の、悪い魔女のように。


「おばあちゃんの言いつけ、守れなくてごめんなさい。でも、もう決めたんだ。どんな手を使ってでも誠二くんを手に入れるって」


 悪い魔女は、王子様とお姫様に倒される悪役。

 絵本の中では、倒されるだけの役割。

 だが、それは物語の中だけの話。

 少女が生きるのは現実。

 そう。ならば自分こそが、現実の中で初めて王子様を奪った悪い魔女になればいい。

 少女は、そう思い至ったのだ。


「言いたかったのはそれだけ。じゃあ、おやすみ、おばあちゃん」


 そうして、少女は、黒葉鶫は仏間を出て行った。


『・・・・・』


 そんな少女の背中を、窓の外にいたカラスは静かに見つめるのであった。



-----



おまけ



「ふぅ~・・・いいお湯だったな」


 ワタシは、お風呂からあがって、髪をとかしてから自室でくつろいでいた。

 季節は初夏から夏に変わるが、窓を開ければ涼しい夜風が吹き込んでくる。

 だが、それで火照った身体は冷めても、心は燃えたままだ。

 

「うん。ワタシはやるよ、おばあちゃん。今日みたいに、ワタシが誠二くんの全部を手に入れるんだ」


 さっきおばあちゃんの前で誓ったことを思い出しながら、今日の2人きりの後夜祭を振り返る。

 結局、あの後はすぐに結界が解けて、外に出されてしまった。

 その頃にはもう本当の後夜祭は終わっていたのだ。

 だけど、それでも確かに、ワタシと誠二くんで後夜祭を踊ったのだ。

 他の誰とでもなく、このワタシと誠二くんが。

 そして、これからも、そうやって少しずつ少しずつ積み上げていく。

 そう決めたのだ。


「・・・思い出したら、なんか暑くなってきちゃったな」


 今でもはっきりと、誠二くんの硬い手の感触を思い出せる。

 2人で踊って、手と手だけじゃなくて、身体が触れあうことだってあった。

 というよりも。


「そう考えたら、その前なんかもっとくっついてたよね。白馬に2人乗りまでしちゃったし・・・えへへ」


 思わずニヤけてしまう。

 頭お花畑と言われても、なんだかんだ女の子というのはお姫様に憧れるモノ。

 そして、白い馬に2人で乗って颯爽と駆けるなど、まさしく王子様とお姫様の理想のシチュエーションではないか。

 ・・・実際は、必死に逃げ回っていたのだけれど。


「ほ、他にも他にも、いろいろあったよね。『白上に嫌われるよりも、ワタシを助けたい~』とか・・・えへ、えへへへへへへへ・・・・」


 つい思い出して、ワタシは笑みを浮かべたままベッドをゴロゴロと転がる。

 そうだ。

 確かに、今日はとても辛いことがあった。

 ワタシがとんでもない勘違いをしていたと突き付けられた。

 でも、それだけじゃなかった。

 ちゃんと、確かな希望だって手に入ったのだ。

 ワタシだって、前に進んでいけるとわかった。

 ワタシの魔術師のカードが、逆位置から正位置へと変わったように。


「ふぅ~・・・さ、さすがにそろそろ寝なきゃね。お風呂入ったのに、また少し汗かいちゃった。明日の朝に誠二くんが来る前にシャワー浴びないと」


 後夜祭が終わり、家路につくとき。

 誠二くんはいつも通り、ワタシを送ってくれた。

 そして、笑って言ってくれたのだ。



--じゃあ、また明日の朝ね



「明日の朝、誠二くんは来てくれる。それなのに、汗臭いところなんか見せられないもの・・・それにしても、本当に暑いなぁ。クーラー付けちゃおっかな。誠二くんに助けられたときと同じくらい暑い・・・」


 そこで、ワタシは思いだした。

 思い出してしまった。


「・・・ワタシ、あのとき、ちょっと変な夢見ちゃったんだよね・・・せ、誠二くんと一つになるって。い、今思えば、あれはワタシの才能を目覚めさせたってことの暗喩なんだろうけど・・・」


 カァーッと頬が熱くなる。

 あのとき見た、全裸のワタシと誠二くんの夢。

 一つになるという言葉。

 そんなの、もうアレのことしか思い浮かばないではないか。

 実際には、後から誠二くんに聞いたように、誠二くんの生命力をお腹の中に流されて、それで眠っていた魔法使いとしての才能が目覚めようとしていただけ・・・


「・・・生命力を、お腹に流し込む?」


 ふと、そのフレーズが気に掛かった。

 無意識に、ワタシの手は誠二くんが触れていた部位、起きたときに一番熱の籠もっていた下腹部に伸びていた。

 そう、ちょうど子宮の上あたりに。

 この中に、誠二くんの激しく熱い生命力が思いっきり流れ込んできたのだ。

 いや、ちょっと待って欲しい。

 それは、それはもう・・・


「こ、ここに命が流れ込むって、そ、そんな、そんなの実質セッ・・・~~~~~~っ!!!!」



--ゴロゴロゴロゴロ・・・ゴツンっ!!

 


「あ痛ぁっ!?」


 結局、その日の夜は、身体と、ついでに転がりすぎてぶつけた頭にできたコブを冷やすために、もう一度シャワーを浴びることとなったのだった。



-----




TIPS1 反転リバース


プレイヤーには、もっとも適性のある大アルカナカードが初期カードとして与えられる。

しかし、この適性は一定ではなく、プレイヤーの精神が大きく変動した場合には同様に変化する。

それによって、その精神性がプラスの方向に動いた場合には、マイナスの意味を持つ逆位置から正位置へとカードそのものが反転することがあり、これを反転リバースという。

黒葉鶫の場合、それまで気弱で、戦う力を心の底から拒絶していたために逆位置であったが、伊坂誠二を救うため、その隣に立ち続けるために全身全霊で力を望んだことにより、反転リバースが起きた。

これは、死神の逆位置の権能による覚醒とは無関係である。

なお、当然ながら反転リバースにはマイナス方向も存在する。



-----



TIPS2 レベルアップ


プレイヤーもしくは怪異がどれほどの魔力を持っているか示すのがレベルであり、レベルに応じて使える魔法が増える。

すなわち、魔力が増えることでレベルは上がる。

プレイヤーが魔力を増やすのにはいくつかの手段があるが、代表的なモノは


① 相性のいい大アルカナを倒し、カードから力を引き出す。


② 実戦の中で魔法を使い、肉体、精神、魂を鍛える。魔力を多く持つレベルの高い強敵相手ほど伸びやすい。


この二つがある。



-----



TIPS3 カード相性と経験値


プレイヤーは、相性のいい大アルカナカードならば権能や自分とは異なる属性の魔力を使うことができるが、この相性によって得られる魔力の量も異なる。


① 相性が非常に良い・・・権能使用可能。属性魔力使用可能。経験値(中)


② 相性がそれなりに良い・・・権能使用可能。属性魔力使用可能。経験値(小)


③ 相性が並・・・権能使用不可。属性魔力使用可能。経験値(極小)


④ 相性が悪い・・・権能使用不可。属性魔力使用不可。経験値(無)



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TIPS4 脳破壊率および好感度



黒葉鶫 脳破壊率 100%→この後精神がプラスに変動

伊坂誠二への好感度改め執着度99%→100%に変換(永続的に減少しない)


ツキコ 脳破壊率 100%→この後黒葉鶫への憎悪と嫉妬により精神がマイナスに変動

伊坂誠二への好感度50%+黒葉鶫への憎悪100%→伊坂誠二への執着度100%に変換


伊坂誠二 脳破壊率 0%



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おふざけスタンド風ヤンデレ評価

(A:超スゴい、B:スゴい、C:並、D:ニガテ、E:超ニガテ)



黒葉鶫の場合


攻撃型 E 意味がない。好みでもない。


独占型 A 誠二くんはワタシだけのモノにしたい。他の誰かのモノになるなんて許せない。


孤立誘導型 B あんまり誠二くんを傷つけたくないけど、必要ならやるよ。


依存型 A→C 誠二くんに捨てられたら死にたくなる・・・けど諦めないよ。


妄想型 B→D もう勘違いはしない。もう甘い幻に逃げたりしない。


排除型 A 白上は死ね。


崇拝型 B 誠二くんはいつだってカッコいいよ!!ワタシの王子様だもん!!



ツキコの場合



攻撃型 D スマートじゃないな。


独占型 A 誠二は私のモノだ。他のヤツ?冗談は休み休み言え。


孤立誘導型 A 私以外に必要な存在がいるとでも?


依存型 A→C 私に名前をくれた。だが、今のままではダメだとよくわかったよ。


妄想型 E くだらん。そんなことをして何になる。


排除型 A 毒虫は殺す。


崇拝型 C 私に名前をくれた男だが・・・ちょっと色々足りてないな。頭とか。

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異能力バトルで推しじゃない方の好感度を上げてしまう男の話 @dualhorn

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