砂漠の一滴

はに丸

砂漠の一滴

 地面から陽炎が立ち上るような、暑い夏であった。空は青く、遠く地平線から入道雲がつらなっている。長屋の続く道を茂樹しげきは歩いていた。この陽射の中、草野球など出来るか否か。それでも泥まみれになって走りまわるわけだが。

 汗をてぬぐいで拭いながらため息をつく。大学から運動場までの道のりは少々長く、喉も渇いた。が、茂樹の手元に飲み物などない。

「もうし、学生はん」

 長屋から顔を出して女が声をかけてきた。年の頃は二十ほどほどか。当世流行におおぶりに前髪を結いあげ、鼈甲べっこうかんざしで止めた束髪そくはつはどこか清潔感があった。

「僕ですか」

 周囲に人は無し。茂樹はとまどいながら返す。

「そうや、学生はん、暑いのどしたらお水いりますか。ちょうど氷屋はんが来たんよ、ついでに」

 茂樹が返事をする前に家の中に顔を向けて、おきよはん、コップ一杯お水おくれやす、氷いれて、と女が言った。老婆が盆を持ってくる。そこにはガラスコップに氷水が涼しげにある。

「どうぞ。ほんま今日は暑いどすな。そないなに荷物持って歩いとるんやから、喉も渇くでしょう」

 にこりと笑うその顔。大ぶりの前髪もあって額がまるくかわいらしい。麻の着物は格子柄の素朴なものでありながら品があり涼しげであった。茂樹と言えば学生服に草野球で使うユニフォームを風呂敷に突っ込んで、少々もさい身なりとも言える。確かに見ていて暑苦しい。

「おおきに。ちょうど喉が渇いてたんです。砂漠の一滴とはこのことです」

 茂樹は女と同じく、まるこい京都訛りで礼を言った。京都育ちにして大学も京都である。

「さばくのいってき? それはなんどす?」

 女は砂漠さえも知らなかった。実はこの女、ある金持ちの妾をしている。小学校をまともに通うことなく、ツテで紹介され、この長屋に住んでいるのだ。茂樹はそこまで思い至らなかったが、この国の教育格差くらいはわかっている。バカにすることもなく、

「日本を超えた大陸の西のかなたに、砂だけ広がっとる場所があるんです。そこはむちゃ広い、この京なんかすっぽりおさまってしまう。何故砂ばかりかといえば、水、無いんです。そないなトコに一滴の水は、仏さんの差し伸べる手ぇ」

 おもろい話! と女は目を輝かせ笑う。まるで少女のようであった。茂樹も少し嬉しくなりつつ、時間が無いからとその日は別れた。

 しばしば、茂樹はこの通りを歩き、そのたびに女と顔を合わせた。

「この前の話、おもろかった。他はありますのん?」

 そう言う女に、茂樹は西洋の様々な話をする。駱駝の商人たちが欧州から天竺を越えて支那しなへ行く。富士山よりも高い山々。馬を駆り春夏秋冬を移動して生きる人々。フランスの華やかな芸術。女はどこまで理解したのか。見知らぬ世界にうっとりし、

「一度、見てみたいどすなあ」

 と何度か言った。

 夏が過ぎ、京の誇る紅葉の季節となる。山が好きな友人の武夫たけおに誘われ、軽く登った愛宕山あたごやまは錦秋と相応しい黄金と紅であり、見下ろす京の町も着飾った芸妓のようであった。

しげちゃん、来年どうするん」

 武夫が聞いた。武夫の父は東洋学者であったが、彼自身はフランス文学を志すらしい。茂樹の父も東洋学者で、東洋か理学しか認めぬという父権主義者である。考古学も東洋も西洋もかじるように授業に出ている茂樹は、どうしようかなぁ、と小さく言った。

「父さんがあんまシナシナ言うんや、なんか嫌になってきたわ」

 小さくごちると、武夫は、わかるぅと言って伸びをした。

 雪が降る中でも、茂樹があの道をあるけば、女が暖かそうな羽織を着て、熱い茶を出しながら道ばたで話をせがむ。少しずつ専門的になっていく西洋の話に、女はわからぬと匙を投げず、熱心に聞いた。

「西洋はええよ。日本と全然ちがう心があるんや。そういうのベンキョしたいわあ」

 茂樹が己の手に息を吹きかけながら言えば、

「あんたはん、えらい頭のええ学生はんや。たくはんやりなされ」

 と、実は何もわからぬ女が、茂樹の肩をかるく撫でて言った。少し艶めき頬をそめながら。

 梅の季節が終わり、春も近くなったころ、茂樹は自分が作った西洋史のノートを持って例の道を歩いていた。女のためだけに書いた、初歩も初歩の教科書である。これを渡し、女が喜んだら、自分は西洋史を選択しようと、緊張と決意で胸をはずませていた。それは父に逆らうことであったが、かまうものかとも思った。

 しかし、その日、女はいなかった。しばらく待ってもその戸は固く閉じられていた。茂樹は帰宅し、ノートをゴミ箱に捨てた。その夜、父の命令で東洋学者の元に訪問し、そのまま東洋史を専攻することを誓った。

 茂樹は、二度とあの道を通らなかった。


 実は女は急な病で死んでいた。と書けば茂樹が哀れすぎるであろう。

 しかし、女の元に旦那がたまたま来ており相手をしていた、であれば女に惨い。

 どちらかを考えたが、とってつけたような言い訳にも思えるため、砂漠の一滴など無かった、ということにしておきたい。





 以下、蛇足


大正十三年~大正十四年


茂樹→小川茂樹、京都大学文学部史学科一年生。史学科は二年生になって専攻を選ぶシステムだった。父親は当時の京都大学教授、理学博士地質学者兼文学博士東洋学者の小川琢治。小川茂樹は後に貝塚家に婿養子となり貝塚茂樹と改姓。中国東洋学研究の第一人者となる。弟にノーベル物理学賞の湯川秀樹。


武夫→桑原武夫。京都大学文学部仏文科一年生。茂樹とは中学一年生からの友人であり生涯の親友。父親は当時の京都大学教授、東洋学者の桑原隲蔵(日本で最初に客観的先進的に中国研究をした人として知られている)。桑原武夫はフランス文学第一人者となりながら多方面に活躍し学科学部を超えたグループ研究を行い続けた。


女→私の性癖をぎゅっと詰めた

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