第百九十一話 その男、本多正信

「三河国の住人。本多正信と申す者なり。本願寺からの紹介状を携え、上様との面談を望んでおり申す」

「あい分かった。面談を許す」


非常に堅苦しいやり取りは面倒だけど避けて通れない。

許すも何も、この場にはみんな揃っているので、会うことは決まっているようなものだ。


それでも一度確認して許されたから会えるという段取りを取っている。権威とはそういうものらしい。

しかし、部屋に入ってきた男はそういう状況でも物怖じしないようだ。


幕臣たちが座を占める御所に限って言えば、絹物の着物は当然のこと。身分相応に意匠に凝ったり、色柄を楽しんだりしている。

そんな中で、本多さんは幾度の水を潜ったであろう藍色の木綿に茶渋の肩衣と袴。多分こっちも木綿だろう。家紋が染め抜かれている以外はこれと言って特徴のない無地の着物。近づけば細かな柄があるのかもしれないが、俺からの距離では見えるものではない。


三河国では木綿の生産が始まったと聞いている。その木綿生地の着物を所有しているのだから、それなりに金があるのだろう。ただ、京の都に住まう武士たちの装束に比べれば、木綿生地も意匠も野暮ったく感じてしまうのは仕方ないのかもしれない。


ただ、当人はそれを何ら恥じている様子はなく、静かに端座している。

俺はその男の雰囲気が、和田さんに近い気がして親近感が湧いていた。

決して俺が庶民感覚という訳ではない。


「本多正信殿。待たせてしまったようだ。すまぬ」


本多さんは軽く頭を下げたものの、返答する事はなく、藤孝くんの方に視線を向けている。


「直答で構わぬ。謹んでお言葉を頂戴なされよ」

「私のような牢人者に御尊顔を拝する機会をお与え頂き、有難うございまする」

「わざわざ三河国から来てくれたとあっては会わぬ道理はあるまい」


「確かに三河国で主家に仕えておりましたが、大坂にて顕如様から勧められたのです。会ってみるが良いと」

「左様か。顕如殿がな」


「おそらくその話の裏を取るために待たされておったのでしょう。逆の立場でありましたら、私のような者が顕如様の紹介とは、到底信じることは出来ません」

「そういう事だ。しかし、自分でそこまで言うのか?」


何分なにぶん、このような風采ですので。三河国より着の身着のままで旅をしてきたもので、普段着ていた物は襤褸同然。この一張羅は唯一、人様にお見せできる装束。これですら、この場では貧しさを表している有様のようで」


本多さんは、言葉の通りに袖を摘み、自分の身形を確認している。会話の流れで見回しているだけで、恥ずかしそうにしている様子はない。

事実を事実として客観的に述べたといった感じだ。


「そうは言うが、貴殿はそれを恥じているようには見えんな」


「私は武士ですので。武士は能役者ではございませぬ。従って着飾る事によって己の価値は変わりませぬ」

「……まあ、それも一つの考え方だな」


さすがに声を上げる人はいなかったが、若干色めきだつ謁見の間。

幕臣は武士らしくない人が多いのもあって、皮肉と取られたらしい。


考え方は間違ってないんだけどね。武士だけど公家っぽくなっている部分は否めないし、京雀もそう囁いている。ある意味、周知の事実って感じだ。


落ち着いているのは朽木谷メンバーくらいだろうか。

色々あったもんな。京を追い出されて居候暮らし。

山の中で雅な生活からは程遠かった。


「これは失礼を。皆々様方をあげつらうつもりはございませなんだ。某、三河国の田舎者にて、雅に疎い武骨者にございまする。お許しくだされ」

「お言葉に気を付けられよ」


周囲の感情を鎮めるためか、やんわり本多さんを窘めた藤孝くん。本多さんは素直に頭を下げて謝意を示した。本当に悪気は無かったようだ。悪気が無くて、あの言葉って言う方が駄目な気がしないでもないけど。


イマイチ本多さんの人間性が見えてこないな。

わざと不躾な言葉を使って、こっちの反応を見ているようにも思えるし、純粋にそう思っているようにも見えるし。


こっちからも少し揺さぶってみるか。


「本多殿は武骨者と言うが、貴殿は槍働きが得意そうには見えぬがな」

「おっしゃる通り。三河者は素朴で精強。殿に進めと言われれば進み、退くなと言われれば退かぬ。例え、槍を失い刀が折れたとしても。そういう意味で、私は三河者らしくはございませぬ。従って武骨者ではないという上様の御言葉は正しいかと」


俺の言葉に特に反応する訳でもなく、受け入れている様子。

彼は、ただ素直に思ったことを言っていただけのようだ。


「すると本多殿は何を得手としておられる?」

「私は謀と兵の運用を得手としておりまする」


謀将としての方面に自信があるらしい。

それは、こちらの求めている人材でもある。

ただ実力は未知数。人柄も良く分からない。


本多さんの生国である三河国。今まで関わりはほとんどない。

そこからの刺客や間者の可能性は低いかもしれない。

ありそうな可能性は、隣国で同盟国である尾張国 織田信長さんの謀略という線だろうか。


だんだんと領地が近づいてきていて、嫌でも意識せざるを得ない相手。

戦乱の世を終わらせるという目標は同じでも、信長さんとはアプローチの仕方が180度違う。

決裂に近い会談だったし、思想の根っこみたいなところが違っているせいで、仲良くしようとしても、最終的には相容れない関係になってしまうだろう。


美濃一色家との戦いが、最終段階を迎えている状況で、こっちにちょっかい出してこない気もするが……。いや、信長さんだしな。やりかねない気もする。


うーん、判断つかない。もう少し様子見するしかないか。


「三河者らしくないな」

まさしく。それゆえ此処におりまする」


「その物言い。要らぬ敵を作りかねんぞ。生国を好む気持ちは分かるが、此処も良い所だ。好んで此処に住まう者も多い」

「私とて三河国に愛着がある訳ではございませぬ。あるのは悔恨の念のみ」


「それだけでは分からんな。何に対する悔いなのだ?」

「旧主に」


「主君の下を離れなければならぬほどの行いをしたのか?」

「あのような行いをしておいて、殿の下にはおられませぬ」


「あのようなとは?」

「教義に殉じました。三河一向一揆にござる。結果、殿を裏切ることになり、悲しませてしまったのでございます」

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室町将軍の意地 ー信長さん幕府ぶっ壊さなくても何とかなるよー 裏耕記 @rikouki

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