第百九十話 不審者?

 立場が上がると面倒事が増える。

 しかしながら、それにも増して俺の気持ちを沈ませるのは、周囲の態度な気がする。


 俺自身が身分相応の行動を求められることはもちろん、幕臣や二条御所の人間は基本的に目も合わせてくれない。

 当然、気軽に口を利いてくることも無くて、人がいるのに孤独を感じてしまう。


 朽木谷メンバーですら、身内だけの状況でないと堅苦しい態度を取っていた。

 幕府に力の無いころだったら、もう少し気楽に声を掛けられていた気がする。

 つまり、良くも悪くも幕府の力が増してきたのだろう。



 だからという訳じゃないけど、ちょっと早めに私室へ戻った。私室と言っても御所の奥屋敷に当たる部分で、かなりの広さがある。

 そこには俺の家族である正室 綾姫、側室の楓さん。そして嫡男の輝幸丸が生活している。


 綾姫は綾小路まろまろ先生と言った方がご存知の方も多いだろう。

 彼女は全国津々浦々に腐の波動をまき散らし、中毒者を量産しておられる。

 本の量産に関しては、同じ世界に住む幕臣連中が複写しているのだが、彼らは嬉々として写本しているそうな。きっとあの本からは何かイケない成分が含まれているのだろう。


 彼女の影響力は果てしなく、真筆の書籍が出回ろうものなら、大店の主が動く。和田さん曰く、下手な宗教勢力よりも影響力があるらしい。


 俺は冗談でしょと笑ってしまったが、真面目な顔を崩さなかったので本当なのだろう。

 綾姫は一応、俺の正室。しかし、顔を合わせることは少ない。仲が悪いわけじゃなくて、彼女が部屋から出て来ないのだ。人生のほとんどを自室での創作活動に宛てている。


 部屋にいないときは武家生活を覗き取材しているときぐらいだろうか。

 これでも近衛家の姫で、公家の中でもトップクラスの家柄なんだけどね。



 そんな訳で、俺は楓さんと輝幸丸との時間を過ごしていることが大半。

 数えで二歳になる輝幸丸は少しずつ出来ることが増えてきて、言葉を発したり、動き回ったりしている。

 母親である楓さんと俺はそれを眺めることが多い。


 時代的に身分のある人は、育児をしないらしく、乳母などにお世話を任しているからだ。楓さんはキリッとクールな雰囲気を漂わせながらも、優しいまなざしで輝幸丸を眺めている。


 それでもほんのり変わる表情から、自分で構ってあげたそうにしている様子が見て取れるのは夫婦の妙だろうか。

 甲賀でも名家である和田家出身の楓さん。けれども生活が苦しかったのもあり、育児は家族総出でやっていたそうだ。そういう環境もあって、今の状況はちょっと寂しいらしい。身分相応に振舞うというのは難しいものだ。


 俺だって休日のお父さんよろしく、ごろ寝で子供の遊びを眺めるわけにもいかず、背筋を伸ばして座っていなければならない。


 あれ? これってくつろげてるか??


 これでは身体を動かしている方が気分転換になりそうだと思い至ったので、稽古場に移動した。弓場横のスペースが俺の定位置。用意されていた重めの木刀で素振りを始める。


 卜伝師匠から教わった型を丁寧になぞり、イメージと動きを一致させていく。

 毎日振っていても、イメージとズレが出るのだから不思議なものだ。日々、修正しながら卜伝師匠の動きを再現していく。


 秘剣『一之太刀』については、まだ完成には程遠い。というより、完成形が見えてこないので、近づいているのかどうかすら怪しい所だ。

 同じく『一之太刀』を授けられた大名の北畠具教きたばたけ とものりさんは剣豪の名をほしいままにしている。きっと北畠さんは自分なりの『一之太刀』を完成させていることだろう。


 北畠家は幕府と同じく拡大路線を取っていて、伊勢国だけでなく大和国の一部も占拠している。今回の大和国侵攻で刺激しないように気を配らないと。

 ただでさえ、伊賀国を直轄化したら、かなりの範囲で国境線を共有することになるのだし。


 同じ師匠を持つ者同士で仲良くできればいいのだけれども、最近お父さんを亡くされて、隠居してしまったようだ。実権は握ったままらしいから、話は通せるだろう。


 念のため、師匠から添え状もらうか……。いや、そこまでせんでも良いか。

 こっちとしては大和国を完全掌握したい訳でもないしね。北畠家に火事場泥棒でいくらか領地を取られても、味方になってくれるなら安いものだ。

 次第に大きくなりつつある織田家に対する協力者になってくれるかもしれないし。



 型稽古を終えると、手ぬぐいを持った藤孝くんが側にいた。

 彼は手ぬぐいを渡しながら、困った様子でこう告げた。


「義輝様に来客です。ただ、果たして直接お会いする人物なのかどうか。独特の雰囲気があるにはありますが、どう見ても軽輩でみすぼらしい男なのです」

「だが、話を通しに来たということは、会うべき男なのだろう?」


「それが……。本願寺顕如殿の紹介状を持っていたのです。門番も扱いに困りかねて、こちらに。身形からして顕如殿から紹介状を得られるようには見えなかったので、忍者営業部の者を本願寺へ走らせております」

「それならすぐに確認が取れるだろう。藤孝くんは会うべき男だと思うか?」


 藤孝くんは、俺の問いにしかと頷く。


「むしろ紹介状が無い方が殿に引き合わせやすかったと思います。その場合、刻はかかったでしょうが」

「そこまで言うなら会おう。その御仁をずっと待たせてしまっているのだろう? 会っているうちに本願寺からの返答も来るだろうし」


「では手配を整えて参ります。後ほどお呼びに伺います」

「分かった」


 きっと護衛や影警護の手配のことだろう。

 来客者がどのような目的を持っているのか分からない。

 信用できそうだと思っても安全性を高める対処は必要になる。


 もしかしたら騙り者の可能性もある。けれども藤孝くんが話を持ってきたということは、相応の人物なのだろう。少し楽しみでもある。

 俺は俺で着替えを済ませて面談に備えなくては。


 ……でも、どうせ会うなら、クセが強くない人だと良いな。

 松永さんみたいな人は疲れるんだもの。

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