第百八十九話 忠誠
俺をいじり倒して満足したのか、松永さんは真面目な顔に戻り、今後の動きのまとめに入った。
「そう聞いておきましょう。では国人衆を潰していくという流れで。旗頭の筒井家には箸尾に井戸、松倉などなど。選り取り見取りですな」
「ほとんど筒井家ってことだね」
「反筒井は既にこちら側になっておりますから。有名どころは筒井家の家臣筋ばかり。残るは取るに足らぬ者たちに過ぎませぬ」
そりゃあそうだ。
大和国の北部は旧三好家の松永さんが占領している。
南部は筒井家が旗頭として興福寺系の勢力圏だ。
ここまではっきり拮抗している状況ならば国人衆の取り込みも活発化している。
大抵の国人衆は旗幟を明らかにしており、自陣営でなければ敵という状況だ。互いに引き抜きを仕掛けているものの、ここまで来ると大きな動きはない。
残る日和見連中をどう取り込みかの段階に入っているらしい。
支配地域以外の大和国南部全域を制圧しようとすると、点在しているこいつらも刺激してしまう。余計な敵を作る事は得策ではない。
「筒井家だけを叩きたいところだけど……。旗頭を叩けば国人衆も纏まりを欠くだろうし、興福寺も武力で抵抗しようとはしないだろうし」
「ならば、一気呵成に攻めて、興福寺が援兵を出す暇がないうちに勝負を決めてしまうのが肝要かと。大勢が決してしまえば、数千程度の援兵は役に立ちませぬ。それでも派兵してくるようなら逆に好都合。興福寺の力も削げまする」
「一気呵成に、か……」
「左様。今まではこちらの兵数が足りず、そこまでの作戦を展開出来ませなんだ。しかし幕府軍も参戦となれば可能にございまする」
「そのためには丹後国を静かにさせたいな」
「丹後一色家が若狭武田家に難癖をつけている件ですな。我が弟の
本当に耳が早い。自身は大和国で苦労しているだろうに、若狭国や丹後国の情報まで収集しているとは。
それにしても松永さんの意見は的確である。若狭武田家へ援軍を送って睨み合うよりも、別方面から牽制する方が敵戦力を分断できる。そして、敵戦力が少なければ直接衝突も起きにくいはず。
後は丹波内藤家と丹後一色家の私戦とならないように幕府軍も派兵することくらいだろうか。
「それは有難い。幕府軍の兵を少し付けるから丹波から牽制するとしよう。丹後一色家には、幕府は若狭武田家を支援すると伝えておけば充分だろうね」
「自国の南に幕府と丹波の兵がおれば、東に兵を動かす余裕など無いでしょうな。将軍の意向を無視して若狭武田家を攻め込めば、丹波一色家は守護職としての建前を失う。それは幼児にも分かる道理」
将軍の命令を無視して武力衝突。
それは自家が守護職であるという正当性を失うことを意味する。
足利幕府あっての守護職。今までは罰を下せないほどに将軍家が弱かったせいで、なあなあになっていただけで、本来は許されるものではない。
丹後一色家だけならば、今の幕府でどうとでも出来る。無駄に兵を死なせるだけだから、そんな事はしないけど。管理も出来ないし。
「じゃあその方向でお願い」
「いっそのこと、丹後一色家に若狭武田家を攻めさせて取り潰してはいかが? 幕臣に縁者はおるようですし、このような経緯なら義輝様の思いのままでしょう。実質直轄領のように運営できまする」
「そこまでする気はないよ。将軍がそんな悪辣な手を使っていては、従ってくれる武家が不安になる」
「この世で、それがどこまで通用しますかな」
「こんな世を終わらせるためにやってるんだ。これは譲れない」
「そうですか。義輝様はそれで良いかもしれませんが、そのせいで身内が多く死ぬかもしれませぬよ」
試すような問答が続くが、忠告のようにも聞こえる。
そんな微温い方法では味方が死ぬかもしれないと。
松永さんは一見、不真面目に映るけど、武将としての生き方は真面目だ。
それは長慶さんの生き方を真似しているのかもしれない。
「それはわかってるんだけど……ね」
「……まあ、神輿は綺麗な方が担ぐ者は喜びましょう。泥に塗れるのは神輿を支える者の役目とも言えます。特に血泥に塗れた道を進むのであれば」
彼の言葉では、俺は綺麗なままで良いという。
代わりに汚れる者がいれば。
俺が意地を張れば、誰かが汚れ役になるしかない。
綺麗事だけで、この戦乱の世を終わらせることは出来ない。
それは分かっている。だけど、どうしても自分がそうなれる気がしない。
そもそも松永さんのような発想すら思い浮かばなかった。
例え気持ちを固めたところで、同じような役割が出来るのかどうか。
今、俺に出来ないなら……、出来る人にやってもらうしかない。
成長するまで練習なんて悠長なことは出来ないのだから。
「松永さんは大局を見て作戦を決められる稀有な才能があると思う。もっと幕府内で力を貸してもらえないかな?」
「兵権を預けるほどに私を御信頼頂けると?」
彼は、さほど驚きの表情を浮かべない。
むしろ若干楽し気でさえあった。
「儂を揶揄うのを止めてくれるなら」
「それは難しゅうございますな。この関係は殿を思い出せる大切なやり取り。そして私が幕府に参与する事も殿の御意思。……何より、私が終生仕える殿は一人だけ……。いや、とんだご無礼を」
「良い。長慶さんとの絆が深い事は知っていた。それでも松永さんの才覚を望んだだけなんだ」
「義輝様のお言葉嬉しゅうございまする」
酸っぱいものでも含んだように、しかめっ面で何かを耐える表情を浮かべた。
何となくこっちの顔が本来の顔なんじゃないかって気がした。
長慶さんとの関係も他者からは計り知れないものだ。長慶さんからの指示で幕府に従う選択をした松永さん。それでも三好家を裏切って幕府についたと三好家の本国連中は陰口を叩いているという。
本当の忠臣とは?
家に忠誠を尽くす者なのか、主君に忠誠を尽くす者なのか。
正直俺にはわからない。
でも長慶さんと松永さんの関係は羨ましいと思う。
「義輝様。何かを望み行動する者には、道が開かれまする。きっと義輝様が望む者とも近いうちに出会えることでしょう」
そう告げた松永さんは、静かに平伏して去っていった。
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