【王】未来への一手
第百八十八話 二条談話
永禄七年(1564年)
二条御所
人間、好む好まざるに関わらず避けられない仕事というものがある訳で。
将軍といえども、無駄に華やかで雅なおじさんとの対面も避けられないのです。
「では、義輝様方にもご助力いただけると。この松永が不甲斐ないばかりに……」
「大和国は守護のおらぬ特殊な地だ。誰が担当しても苦労するだろう」
謁見の間には深々と頭を下げている派手なおじさんが一人。
畳の匂いに混じって香る麝香の匂い。
私は行った事ないけど知ってます。これは夜のお姉さん達が好んで使う化粧品の匂いなんです。このおっさんからはその匂いが漂っています。
「不肖、松永久秀。義輝様のお手を煩わせてしまい慚愧の念に堪えませぬ」
「そうなんだ。言葉と表情が全然合ってない気がするけど?」
「まさかっ! 至って真剣にございますぞ! 心苦しゅうて毎晩眠れずにおる次第にて」
「そうなんだ。でも、昨日は夜遅くまで遊女と遊んでたって報告が来てるよ」
「夜も眠れず、
「そうなんだ……」
なんなんだ。この下らん小芝居は……。
言葉面では殊勝な態度に見えるけど、顔はニヤニヤしていて、全くと言っていいほど彼の言葉通りに思っているようには見えない。
こんな態度でも一応、将軍家に忠誠を誓ってくれた三好家からの移籍組なんだよな。三好家から移籍してくれた数少ない武将で、こっちの命令を聞いてくれる貴重な存在である。
しかし、おっさんの態度を見るに、完全に舐められているとしか思えん……。
ただ、嫌な感じとか馬鹿にされている感じでは無いのが救いだ。これはあれだな。久しぶりに会った親戚の叔父さんに揶揄われている感じだ。
将軍と家臣という立ち位置のはずなのに、どうにも三好長慶さんとの関係性を引き継いでしまっているような……。とは言いつつ、実力者であることは間違いない。扱いにくいけど。
なんせ長年、中央政権が手を出せなかった大和国の北半分を切り取り、維持している。何でも柳生宗厳さんという国人領主を懐刀として抱え込み、大和国の国人衆と興福寺の連合勢力に対し、丁々発止とやり合っているそうだ。
南都北嶺。興福寺を中心にした大和国の寺社勢力と比叡山。かつての帝が嘆くほどに権力を持ち、中央政権とは別路線で自由を謳歌してきた。それから時代も下っている事もあり、さらに強大な勢力になっている。
本願寺もそうだけど、この時代の宗教勢力は強すぎる。そこらの守護大名など相手にならないほどだ。だから増長するんだろうけどさ。
比叡山も興福寺も、かつては朝廷との結び付きを強くして、勢力を伸ばしてきた。勢いがあれば、さらに大きくなっていくのが世の常。当然のように上下関係が曖昧になっていった。
この辺りは朝廷と武士の歴史に似ているかもしれない。
「それで、義輝様。手筈はどのように?」
急に真面目な表情になった松永さんが問いかけてきた。こうなると歴戦の戦国武将の面構えである。
「興福寺には伝手があって、書状を送っている。興福寺を潰したい訳じゃないから、話し合いで何とかなれば良いんだけど」
「なるほど! 国人衆と興福寺を分断して叩く策ですな!」
「いやいや。そんな悪どい企じゃなくて、ただ戦わなくて済むなら――」
「皆まで言いますな! 謀は密なるを貴ぶ。これ以上の言葉は蛇足にござる」
何なん、このおっさん……。
勝手にこっちのイメージを悪くしよる。
「本当に違うから! 勝手に邪推しないでくれないかな。企てとかではなくて、戦うだけが解決策じゃないし、興福寺の中にも平和的な解決を願っている人たちもいるだろうからだよ」
「ふむふむ。興福寺には、義輝様の寛容さを示して、考える時間を与える狙いですか。そうこうしている間に、国人衆を討つと。こう、ズバッと一刀のもとに切り捨てるかの如く」
「だから違うっての!」
「そうでしたか? 六角家や朝倉家には、かなりの武略を発揮されていたようでしたが?」
「それは……、和田惟政の策だった気がする……」
ちょっと苦しいが、言い訳はこれしか言えない。
それより、この人は何でそんなに幕府の内部情報に詳しいんだよ。
忍者営業部の防諜がどうなった……。
あからさまに狼狽えている俺を見て、満足そうな松永さんは揶揄う表情をやめ、また真面目な顔になった。
「そう聞いておきましょう。では国人衆を潰していくという流れで。旗頭の筒井家には箸尾に井戸、松倉などなど。選り取り見取りですな」
※
細川晴元と六角家が巻き起こした畿内動乱は終息したが、この二条談話により、新たな戦火が広がることとなる。
将軍義輝は、自己の夢を実現するために大和国、伊賀国へ勢力を拡大することを決めた。
義輝の中では、本願寺と同じように対話で解決できる部分があると信じていたが、そのことが引き金となり、人生が変わる男達がいたのだった。
決して義輝に悪意がある訳ではなかった。
しかし、良かれと思った選択が悪い方へ転がることが間々ある。
それは当人達が望む、望まざるに関わらず。
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