第2話 スズメが飛んだ日
「課長、ちょっとよろしいですか」
守田のその言葉に敏感にオレは反応した。まだ管理職なって数年とはいえ、この言葉を皮切りに退職の相談をされたのは一度や二度ではない。
「ん?」
「内装工事業のA社がレンタルオフィス業をやりたいって話があって、内装費用として融資がでないかって相談されたんですが……」
少し安堵した。
「でも、Aはそもそも内装工事業なんだから、自分とこに金使う訳だろ?きびしいだろうな」
そう言うと、守田の顔がどんどん暗くなっていった。
「いや、ダメとかじゃないのよ?もっと具体的にさ、他社じゃなきゃできない内装があるとかさ。一回保証協会(信用保証協会。融資に対して保証をかけることで、企業から保証用を徴求し、返済出来ない場合には企業の肩代わりをする)に確認してみたら?」
「はいっ分かりました」
守田は次の工程が分かったことに安心したのか、明るい顔になって戻っていった。
レンタルオフィス業。その業界を否定するわけではないが、オーナーである他人の資産に手を加えてユーザーに貸出し、そのレンタル料からオーナーにテナント料を払う。
人の資産でビジネスをしようとする感覚がオレは苦手だった。
※※※※※※※※※※※※※※※
月曜日、営業や内勤の職員が昼休憩で営業室から出払った12時ごろオレは部下の机を確認する。仕事の進捗確認の他に、重大な事故につながりかねない「握りこみ」、つまり案件隠しを確認するためだ。
そうやってデスクを見て回っていると、守田の机に封が空いた封筒が置かれているのを見つけた。
受任通知。
債務整理の依頼を受けた弁護士や司法書士が、金融機関などの債権者に「代理人として手続きを進める」ことを知らせる通知のことだ。
事実上の破産通知であり、その通知を受けとってから以降は、直接その会社とコンタクトをとることは禁止されている。
感覚的には、3年に1回くらいはその通知を受けとる。
問題はどこの会社か。
自分のデスクに戻って書類を見ると、丸善製作所の名前が記載されていた。
やはりか。
そのことにショックはなかった。
しかし別の問題があった。
封筒表面には先週の木曜日の日付が記されていたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「なぁ、守田。オレが反応の悪いATMの他に嫌いなものを3つ教えてやるよ。一つ、急いで食う昼飯。二つ、スペースが狭い机。最後は、自分で解決できない仕事を握りしめている部下。お前のことだよ、守田。なぜ報告しない?」
会議室で守田に問うても、守田は返事をしなかった。
「確かに、債権者集会なんてのはオレも行ったことがないからよくわからない。次に何をするのかもな。でも、だからこそ指示を仰ぐもんだろう?」
守田に反応はない。
「なぁこの『債権届出書』、締め切り今週末になってるぞ。この期間過ぎたらどうするつもりだったんだ?」
「……」
「まぁ、いい。オレが巻き取るから。丸善製作所のデータ集めとけ」
「でも課長、聞く耳、持たないじゃないっすか」
「は、何?」
「前向きな話はちゃんと相談に乗ってくれるけど、失敗の話は全然聞いてくれないじゃないですか」
「んん?」
「僕の失敗ではありますけど、その正しい行動ができないのだって僕なりの……」
話を遮った。
「何?オレが悪いって言ってんの?」
少し間を空けて、ゆっくり話し始めた。
「失敗の匂いがすると、すぐ自分は関係ないよ、って態度取るじゃないですか。この前の振込だって、僕が気付いてればミスはなかったかもしれない。でも結局事務の方に責任押し付けたじゃないですか」
守田は涙ぐんでいる。
こいつは何に怒ってるんだ?
「こうやって自分の担当が破産した、とかいう不名誉な話、嫌うじゃないですか。そんなすぐ相談できるわけないじゃないですか」
「お前、好き嫌いとか関係ないんだよ、仕事なんだから」
「課長は『出世レース』から降りたとか言ってますけど、まだその土俵から降り切れていない。結局、立派な銀行員のままなんですよ」
守田は右手で頭を支え、左手をくるくると振り回しながら話を続けた。
「守田、お前の不満には今度付き合ってやるよ。取りあえず、書類を出せ。話はそれからだ」
オレは会議室を出て、自分の席に着いた。手帳を閉じ、両手でこめかみを抑える。
なぁ守田、そんなのは自分がよく分かってるよ。
※※※※※※※※※※※※※※※
債権者集会は悲惨だった。
泣きながら謝罪するぼんくら社長と顔色一つ変えない弁護士。そしてその前にずらりと並ぶ、険しい顔の金融機関。そしてその末席に加わるオレ。
だがこの不愉快な悲惨さの原因はこの状況ではない。
土下座をしかねないぼんくらの声が甲高く響く。
当社の資産と負債を明らかにし、債権ごとの割り当て案を発表する弁護士。その僅かな資産に群がるオレたち。
そうか。ゆっくりと、だが確実に自分の発想が確信にかわっていった。
「は、そうかい。自分もスズメの一員だったんだな」
オレはパイプ椅子に浅く腰を下ろし、天井を見上げて呟いた。
この場での正しい行動は、社長を糾弾し、隠し資産でもあろうものなら、少しでも資産を吐き出させること。
だが、オレはその群れに加わることができなかった。
正しい行動もできないのだってオレなりの防衛本能だろう?
※※※※※※※※※※※※※※※
結局オレは、より僻地の支店に飛ばされることになった。支店の人員は正社員で15名程度、規模は今の支店よりも大分小さい。だが肩書は副支店長となった。昇進だか左遷だかよくわからない人事だ。
まぁでも、自分だけが教室の中に入れない夢を見なくなるなら、喜ばしい人事か。
「課長、昇進おめでとうございます」
「いや、まぁ、ありがとう」
同じ時期に異動となった守田が話しかけてきた。
こいつもオレと同様僻地に異動となった。
案件の握りこみが支店長の心情に悪影響を及ぼしたのは疑いようがない。
「僕、来週から向こうで引き継ぎ始まるんで。今のうちにメシ、連れてっください」
「たかるなよ」
オレは笑って答えた。
「それにオレは昼飯は……」
ふと気付くと、オレは既に腕組みをしていた。そうか、防衛本能、ね。
「そうだな、席と時間をおさえとけ。それと広い机でゆっくり食えるところな」
スズメは飛ばされた バラック @balack
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