幕間②
半自動魔術駆動式機関。
一般に駆動機関と呼ばれるそれは、今では我々の生活になくてはならないものとなりつつある。その筆頭が機関列車や新式機関船舶である。その上で、駆動機関はその活躍の場を広げている。我々が広い世界を望む限り、あるいは快適な生活を望む限り、駆動機関を手放すことはできない段階まできていると言って過言ではないだろう。しかし、この駆動機関について正確な知識を有しているものは、そう多くはない。本書では、駆動機関だけではなく、クリティアス機関から始まる、魔術機関の歴史を鳥観することで、魔術を用いた汎用的な動力源、という字義的な理解から脱却することを目的としている。まず、第一章では、
☆
小さく息を吐いて、彼女は本を閉じた。タイトルは『魔術機関の歴史』。いわゆる魔術師向けの教養本で、今回の旅のお供にと思って、知り合い伝手に手に入れたものだった。
「ちょっとわたくしには早かったかもしれません」
書き出しは平易で、これなら問題ないだろうと思ったのが出がけの話だ。一章を読み終わってもその感想は変わらなかったが、二章の半ばあたりから牙を剥き始め、三章は開幕から著者の駆動機関がフルパワーで、四章に入る前に振り落とされてしまった。
「魔術師様向けのご本ですから」
そう慰めてくれたのは、はす向かいに席に座る、乳母である。御年六十七。絵に描いたような老婆で、澄ましていても笑って見えるほどの皺深だけれど、中身はまだまだ矍鑠として若々しい。彼女にとっては兄共々世話になった、もっとも気心の知れた使用人であり、王都に滞在するにあたり、無理を言って付いてきてもらったのだった。
「お嬢様には少々難しいのは、当然のことでございましょう」
にんまりと笑む。気にするなということらしい。
しかし、
「そういうわけにもいきません。わたくしはこれからかのルークラフト家に嫁する身。例え女といえど、魔術のマの字も知らないようではやっていけません。それに、」
言いかけて、彼女はたたらを踏んだ。そこから先こそが本音だったが、本音ゆえに言っていいものか悩んだ。いや、これが何も知らない相手であれば、いらぬ懊悩なのだけれど。
「それに?」
促されて彼女は決断する。ええい、ままよ! 言い淀んでいる方が、やましく聞こえるものだ。
「……それに、わたくしは栄光ある王立第一魔術学校に通う魔術師見習いの妹です。このくらいの知識がなくては、兄様に恥をかかせてしまいます」
どうだ、と上目遣いに様子を窺う。
「そうですか。それは確かにそうでございましょうね」
皺を一層深くして乳母が笑う。ふうと心中で胸を撫で下ろしたのも束の間、その皺の深さを眺めていると、なんとも落ち着かない心地になってきた。深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているのだ、といったのは誰だったか。
「どうかされましたか」
「い、いえ、なんでもありません!」
このままでは気取られてしまう気がして、慌てて窓の外へと視線を逃した。窓――つまりは件の駆動機関によって線路の上を走行する機関列車の、車窓である。遠くに山、その手前に耕地。それよりさらに近場を見れば、列車が恐ろしいほどの勢いで動いているのがわかる。
「ところで、今はどのあたりなのでしょうか」
流れていく景色に、気が落ち着き始めた彼女が問うと、
「もう二駅と言っていましたから、ええと」
「では、ノーヴェルを過ぎたあたりですね」
「はあ。ノーヴェルといえばもう少し都会だと思っていましたが」
「王都には比較的近い、というだけですからね」
魔術帝国などと言われるが、その広大な国土の大半は、まだまだ前時代的な耕地としての色が強い。実際に魔術の煌めきに照らされているのは、貴族や大商人の屋敷を除けば、数えるほどの大都市がせいぜいだ。彼女の暮らすセグネイトンの領民など、最先端の魔術を見たらひっくり返ってしまうに違いない――ほんの数時間前、生の列車に腰を抜かしかけたことを棚に上げて、彼女はそんなことを思う。
「ますます王都が楽しみですねえ」
「……ええ」
乳母の何気ない一言が、彼女の譲れない部分を刺激した。
「って、まだお読みになるんですか」
やにわに読書を再開した彼女に、乳母が呆れとも感心ともつかない声を上げる。
「もちろんです」
王都来訪が楽しみなのは彼女も同じ、否、彼女の方が楽しみにしていたくらいだったからして。
――だって、これが最後かもしれないんです。
必死の思いが時間を遡って著者に伝わったのか、かじりつくようにして越えた三章の先、四章以降は、比較的、噛み砕かれて書かれていた。最後の一ページにまで目を通し、ぱたんともう一度本を閉じたとき、彼女は確かな達成感と満足感を覚えていた。もちろん、これで魔術機関の歴史を十全に知れた、などと言うつもりはないけれど。
「お嬢様」
「ええ、着いたようですね」
数十メートルに及ぶ列車が、城郭を抜け、駅舎へと入る。
金切り声を上げながら車体が停止し、それからすぐ、駅員から降車の指示が出た。車内が騒がしくなり始め、二人もまた、僅かな荷を手に席を立ち、列車を下りた。
流石は王都、とでも言うべき光景が広がっていた。
人、人、人。降車する客と、駅員と、迎えの人々と。まだ駅舎の中だというのに、空間には人が溢れていた。もっとも、すごいという感嘆はすぐに不快感へと変わった。反響するざわめきに、頭がぐわんぐわん揺れ出してしまったのだ。旧来、彼女は身体の弱い性質だった。
「お嬢様。ささ、こちらへ」
「え、ええ」
息も絶え絶えに駅舎を出る。
深呼吸をいくつかして、早まっていた鼓動を落ち着かせる。呼吸が元通りになる頃には、耳の近くでわだかまっていた雑音も消えていた。心配そうな乳母に、もう大丈夫だからと微笑む。
「それにしても」
ぴんと背を張り、往来に目を向ける。
夏の気配を多量に含んだ日差しに、彼女は手ひさしを作った。
続けるつもりだった言葉を忘れてしまうほどに、圧巻の光景だった。
まず青がある。雲一つない空の青であり、故郷のそれと変わらない青である。その下に、煉瓦造りの赤が立ち並んでいる。大小さまざまなそれらは、常設の店棚であったり、喫茶店であったり、何でもない住居であったりする。御座を広げる露天商がいる。人を集める大道芸人がいて、小銭を集める
そして、それらを飲み込むほどの人の行き来が、喧騒を奏でている。
目に入るもの全てが、偽り一つなく、活気で満ち満ちていた。
そこは同じ帝国内にあって、彼女の知る“街”ではなかった。
「すごい……」
風が頬を撫でては消えていく。
いつしか、彼女は街景を網膜に映しながら、違う何かを見ていた。そこにあってないもの。そこになくてあるもの。景色が色を失くし、価値を失くす。それでも一秒たりとも目を離すことができず、一歩たりとも動けない。
瞬きも、息をすることすらも忘れて、彼女は王都と呼ばれるそれを見る。
あるいは、それこそが魅入られるということなのかもしれなかった。
「ここが、王都アウローラ……」
熱気も、喧騒さえも、どこか遠い。
浮かされるように、少女は呟いた。
「兄さんの暮らす街……」
かくして少女は――コーディリア・フォーチュンは、光の都へと舞い降りたのだった。
運命の子/あるいは大罪人の弟子 幼条葉々 @yoyosama_txt
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