大罪人と波乱の日々⑧
身支度を済ませた彼が約束通り食堂へ向かうと、すでに役者は揃っていた。
一目で北部出身とわかる金髪碧眼。戦いの女神に愛されたとしか思えない堂々たる巨躯。一部の隙もない物腰で、自らの二つ名を体現して見せるのは、秀才の中の秀才、貴族の中の貴族、リチャード・ラッセルである。
その傍ら、愛らしい赤毛の短髪を揺らし、山盛りのパンに食らいつく少女がいる。食事に夢中になる様は年相応だが、その小さな身体は、あらゆる凡夫を平身低頭させてなお余る魔術師の正式な礼装で飾られている。天才、伝説の後継者、
改めて彼は思った。
すごい人たちばかりと知り合いになってしまったなあと。
もちろん、そんな弱気で今更な感想を抱くような人間は、学院広しといえど、たった一人しかいない。凡人、俗人、劣等生、及第点の申し子、運命も呆れる落ちこぼれ――頼まれても欲しくない異名をほしいままにする男、ノエル・フォーチュンである。
「遅いわよ」
「いや、そうでもないと思うが」
「うるさい」
アデールが犬歯をむき出しにして吠え立てる。不機嫌の理由は言うまでもなかろう。昨日の無礼と、その説明を翌日までお預けにされたことへの不満である。
「ところで」
狂犬をなだめる片手間で、ラッセルがこちらに視線を向ける。
「おぬしはノエルで間違いないよな?」
知らぬ人間が聞けば、なんとも秀才らしくない間の抜けた質問である。しかし、問いは冗談でも、揶揄でもなかった。また、他意もなかった。
「うん。ノエルだよ。ノエル・フォーチュン」
頷き、安心させるために微笑んで見せる。それでラッセルの相好は崩れた。
じっとねめつけてくるアデールをしり目に、二人の囲う卓に加わる。と、焼き立てのパンが放つ、小麦の良い香りに消化器官が動き出したのか、ぐうと腹の音が鳴った。それを聞いたアデールが、「あげないわよ」
「……ひと切れでいいんだけど。朝食用に」
「ダメ」
小さな両腕で掻き抱くようにしてパンを守るアデール。こういうところは妙に子供っぽいから不思議だ。単に食い意地が張ってるとも言えるが
『意外にけちだな』
前触れもなく、頭の中に男の声が響く。言わずもがな、脳内家庭教師ことサイモン・クロウリーの声である。貴族魔術師の黎明期にその名を刻んだ大罪人――一般にはそう知られているが、一度と言わず二度までも命を救われたノエルの見解は、歴史書とは少しだけ異なっている。
「あ、起きた?」
『お前と一緒にするな。とうに起きておるわ』
突然のノエルの独り言に、ラッセルが眉根を上げ、アデールが身構えた。
「それが?」
「なに、身体の中にいるの?」
どちらから答えたものか悩んだノエルは、一枚布の下に隠して下げていた首飾りを引っ張り出した。「これがそれだね」
二人の目が丸くなる。全く信じられぬと言いたげである。それはそうだろうとノエルは思う。自分とて色々な出来事を経験して、ようやく現実のことと飲み込めたのだ。
「その中にあの無礼な人格が宿ってるってこと?」
『無礼てこいつ』
「まあそういうことになるね。昔の人の魂が眠ってる、って感じだったみたいで、なんか起こしちゃったらしいんだよね。僕が」
「魔術師なのか?」
「うん。結構有名な人だよ。それも――そうだね。それも話すよ」
優柔不断を地で行くノエルだが、これだけはきっぱりと心に決めていた。
首飾りについての一切は、巻き込んでしまった以上、話そうと。
それによって被る不利益も、甘んじて受けることに決めていた。官憲に突き出されるならそれはそれ、退学になっても文句は言うまい。思い返しても恥ずかしい限りだが、昨日までの自分は、他人を危険に晒すという行為に対して、ちょっとばかし自分本位が過ぎた。
少なくとも、今のノエルはそう思っている。
もちろん、にっちもさっちもいかなくなってしまったので仕方なく、という側面がないとは言わないし、言えないのだけれど。
『ふふふ、こいつらの驚く顔が楽しみで仕方ないな』
「またそういうこと言って」
今にも高笑いしそうな大罪人の魂をたしなめていると、
「どうやら声はノエルにしか聞こえないようだな」
「どうも慣れないわ」
「あ、ごめんね」
慌てて謝るも、二人は揃えて首を振った。
「構わん。仕方のないことだろう」
「大事なことがあれば代弁してくれればいいわ。あ、でも、わたしにも触らせてくれるのが条件ね」
「……っ!」
温かい言葉に、思わず涙がこぼれそうになった。
家を出て、学院に入り、王都で暮らし始めてから、三年半と少し。
ようやく、人並みになれた気がしてならなかった。
感傷に浸っていると、アデールがぽんと手のひらを叩いた。
「そうだ、今週、実践魔術の試験があるじゃない?」
、
「忘れていた、という顔だな」
図星だった。昨日の騒動で、すっかり頭から抜け落ちていた。でも、
「わ、忘れていたって言っても一日だけだよ。お、おととと一昨日まではちゃんと練習もしてたし」
「そうなのか。で、首尾はどうなのだ?」
ノエルは黙り込む。ラッセルが何とも言えない表情をして、サイモンが堪え切れずに噴き出した。アデールがパンをもぐもぐ、
「いやだからね、その無礼な人に代わってもらったらいいんじゃないって話よ。昨日見た感じ、まあまあ魔術が使えるように見えたし。お願いしてみたらどうかしら」
笑い声が止んだ。めらめらと燃えるような声音で、
『まあまあ、だと?』
「アデール嬢、ずるはいかん。ずるは」
「でも中期試験って結構響くって話よ」
「それでもだ。試験とはいたずらにパスすればいいというものではない。それに、ノエルであれば自らの力で結果を残すことができるだろう」
一度舌を引っ込めてから、ノエルをちらと見て、ほとんど否定と変わらない顔つきとイントネーションで、
「そ~お~?」
『私も怪しいと思うがなあ』
今度はノエルが噴き出す番だった。どうしたのだ笑ってる場合じゃないでしょお前他人事だと思ってるのか。三者三様に詰め寄られたノエルは、苦笑いで誤魔化すしかなかった。いやあの、と言葉を詰めらせたのち、逃げるのか立ち向かうのか、わからないような気持ちになりながら、
「今日はさ、試験より大切な話があったと思うんだけど」
それもそうだった、と一同は納得する。
「あ、最後に一つだけいいかしら?」
ノエルとラッセルが居住まいを正す中、それをとどめるように口を開いたのはアデールである。彼女にしては珍しい確認という行為に、男二人は顔を見合わせた。
「いや、大したことじゃないんだけど、さっきからずっと気になっててね」
ノエルの胸元を指差して、
「そのちらちら見え隠れしてるの、なに?」
言われるがまま視線を下ろして、合点がいった。おそらくは首飾りを取り出したときに、一緒に出てきてしまったのだろう。緩んだ一枚布の中に手を入れながら、
「手紙だよ。田舎からのね」
取り出して、振って見せる。いつもと同じであれば、封筒の中には、簡素な文面の手紙と一緒に、修学費が入っているはずだった。
「そういえばノエルは南方の出身だったな。まだ読んではいないのか?」
「うん。ゆっくりしてたら怒られちゃうかと思って」
「そんなに小さい人間じゃないわよ」
頬を膨らませて、そっぽを向くアデール。先ほどいちゃもんを付けられたばかりのノエルも、これには微笑ましさ以外の感情を覚えなかった。ラッセルも同様だったようで、
「まだ朝も早いし、確認するくらいなら構わないだろう。な、アデール嬢」
むっつりと視線を戻して、
「急ぎの知らせだったら困るしね。別に内容なんて聞かないから、今のうちに目を通しちゃいなさいよ」
どうも二人は、届いた手紙はすぐに読んでしまうタイプらしい。ノエルなどは小言が綴られていると思うと、つい三日四日と開封することすら先送りにしてしまう
「そう? じゃあ確認だけするから、ちょっと待っててね」
今日であれば、読んでしまうのもいいかと思えた。
どんなお小言も、今ならば笑って受け止められるだろうから。
――コーディリア。僕は、それでも何とかやってるよ。
封を切ると、土と花の匂いがした。
気のせいに違いなかった。
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