身代わりの形代【短編】

本好コー

身代わりの形代



年始の一日前、日が暮れて少し。


兄上や妹が華やかに着飾って

周辺の貴族達を呼んだパーティを

楽しんでいる頃。


俺…


ウルは、一人で暗い書庫を

蝋燭の灯りを頼りに歩いていた。


飾りもしない普段通りの質素な服で。


服はどんなのがいいとか、

あんなのが着たいとか

そんなことを思ったこともないから

動きやすくて良いと思ってる位。


ま、俺が豪華な服を着たいとか…

思う事も烏滸がましいと思う。


服飾さんも、作りたくないはず。


少なくなってきた蝋に

ため息をつきながら、

三ヶ月前から俺は書庫を見ていた。








俺の話をしよう。


…つまらないだろうけど、一応。


俺は、父が愛妾に誤って産ませた、

存在しないことになっている次男。


愛妾…いや、“娼婦”の母は

口封じに遠い地に飛ばされ

俺の顔も知らないと聞いた。


俺は誰からも

望まれていないってことが

ありありとわかってしまうだろう。


親に疎まれ、使用人にすら

嫌われている。


曰く、淫売の子と。


高貴なこの場所にいることは

間違いだと。


まぁ…全くもってその通りかも。


そして俺は逞しい(らしい)父親から

髪の色しか継がなかったようだし。


男のくせに弱々しい体躯に、

娼婦の子らしく魔法なども

覚えることができなかった。


魔法は貴族同士や、王族の子にしか

発現しないんだって。


貴族らしくないところなんて

ごまんとある。


整えるやつもいないから

自分で乱雑に切った短い髪。


鍛えてくれる師もおらず

剣だこの一つもない無能の手。


体力もなく、すぐに息切れする。


勉学にだって明るくない。


政治なんてさっぱりだ。


先程述べたとおり服は庶民と見紛う程

質素なものだ。


貴族社会のルールもマナーも

教えてもらったことすらない。


文字通りの「いらない子」だ。


離宮から出たことはないが、

本から読み取る「貴族」と言う存在に

到底似つかわしくないのは確かだ。


そして俺は母に似ているらしい。


何度か、警備兵に襲われかけた。


…警備兵といっても、

監視するための人員だけど。


今までは、

そいつらが呼び出されたり

別の警備兵が助けてくれたりという

幸運が重なって俺は無事でいる。


世の中に、…男性が好きな男性が

存在するということは知っている。


というより、男性も女性も

あまり関わりのない俺には

たいして違和感がなかった。


だが、俺に向けられるそれは

そんな綺麗な代物じゃない…


男娼とでも思われているのだろう。


無理もない。




窓から見えた凱旋中の、あにう…


長男様は、利発そうな方だった。




鍛錬中の長女様は魔法の名手だった。




それを見守るお后様は…いや、

見えなかった。



少し悲しくなったが、

世話をしてくれる人がいるだけでも

マシなのだと言い聞かせた。


自分より貧しい人々は

たくさんいると。


自分は恵まれた場所にいるのだ、と。


…そう思ううちに、貧しくても良い。


家族に愛されて生きたかった…


と思うようになってしまった。


今更どうしろというのだろう。


逃げ出しても、

そこに愛してくれる母はおらず

ただ凍えて一人無様に

死にゆくだけだというのに。







家の人の話をしよう。


俺の話よりは華やかで

面白い話ができる筈。


長男様は、お后様の実の息子だ。


侯爵家の血と伯爵家の血。


聡明で、学院ってところで

次席卒業したらしい。


未来の宰相候補の

一番に名を連ねるのだとか。


たまに見かける彼の姿は

いつもキラキラしている。


友達に囲まれて、笑顔を絶やさない。


誰からも人気なんだって。


学生や子どもの憧れなんだって。


…真逆だな。


そして長女様は大人にも負けない

この国有数の術士って聞いた。


魔法のまの字も俺にはないけど、

彼女の凄さはちゃんとわかる。


この前見えた彼女は

師匠らしき人と真剣に向き合い、

互いにペンを握りながら

何かを話していた。


俺には到底理解の及ばないような

難しい会話が繰り広げられている、

気がする。


二人とも輝かしくて、綺麗で…


本当に同じ父から生まれたのか

疑問に思ったこともある。


烏滸がましいことこの上ないけれど。


どうせ彼らは俺のことを知らない。


よしんば知っていたとしても、

三、四度顔を見たことのある程度の

細こいガキが腹違いの、きょう…


血が繋がっているなんて、

思いもしないだろう。


彼らと一緒に過ごす日常なんてのは

叶いもしない空虚な夢、

とすっかり諦めているし。







歩くのに疲れて、手足や肺が震える。


近くの本棚にもたれて、

ずりずりと座り込んでしまった。


気づけば、蝋燭がもう消えかけだ。


未だに震える手で慌てながら

新しい蝋燭に付け替えた。


細くも荒い息を必死に整える。


そうだ、俺が何を書庫でしているのか

言ってなかった。


と、俺は脳内で虚しい独り言を

毎日のように繰り返す。


こんなのは単なる慰めにすぎない…


けど、これがなければ俺はとっくに

孤独死してしまっている。


続けると、ただ単に暇を潰す目的に

ひたすら歩き回っている、というのも

あるにはあるけれど。


けれど、何か俺でも役に立てる

「なにか」を探してる。


傲慢な考えだ。


思い上がりだ。俺が何をしたところで

結局邪魔、迷惑にしかならない。


わかってる。


でも縋らずにはいられない。


それ以外にすることもない。


この先には何かがあると

根拠なく信じて、

表紙を確認しながら日々奥に進む。


どうせ、残りの命…余命だって

たいしてないのだ。






そしてある日、俺は書庫の最後の列に

とうとうたどり着いた。


たどり着いてしまった。


結局、愚図な人間を劇的に素晴らしく

変えてしまう本なんてなかった。


泣きそうになった。


わかっていたけれど、心の奥底では

ほんの少しだけ期待していた。


何か、人の役に立てる何かが。


「うぅ…うぅぅ……」


めまいがしてきた。


今にも涙が溢れそうで、唸る。


なんとか目を開き、

虚ろな気持ちで帰ろうとした。


妙な棚があった。


一冊しか無い、棚。


その本は妙に古くて、ぼろぼろで。


鎖で縛られていたけど、

その鎖だって同じくらいボロボロだ。


少し親近感が湧いた。


俺と同じで、

存在を求められていない本。


鎖に触れてみると、

脆くあっけなく崩れ去ってしまった。


錆を払い落として、題名を覗く。


「呪法…?」


シンプルな題名。


絵も何もない、どす黒い表紙。


この本なら…と、

何か期待する気持ちが

少しずつ膨れてきた。






何もない部屋で、脆いページを

破いてしまわぬように慎重に開く。


それは俺がいつも

求めて止まないものだった。


呪法。


俺に意味を作ってくれるもの。


魔力ではなく、血や肉、骨。


何かしらの犠牲をはらって行使する。


それなら、俺にだってできる。


寿命を縮め、苦しむことになると

記されていたが。


今だって辛い。寿命なんて

少ししかない。どうでもいい。




…昔、酷い熱を出したことがある。


離宮の執事長が呼んだ医者は、

死病だと言った。


長く苦しむ死の病。


直す方法を聞いても

黙って何も答えなかった。


それから、血を吐くことも

急に倒れることもあった。


面倒くさそうな顔をして使用人達が

ベッドまで運んでくれた。


どうせこの生に執着はない。


読み進めた本の、ある一つの呪法に

俺は目を止めた。


自分の負った傷を特定の相手に

転化するという呪法。


それを、逆にする方法を考えた。


案外簡単だった。


別に、彼らが好きなわけじゃない。


まず好きという感情を知らない。


自分がいた意味が欲しかっただけ。


俺は長男、長女、

…当主夫妻のこれから負う傷を

一手に受け負った。





心が安らかになった、気がした。


心なしか平穏な毎日をすごした。


錯覚だとしても、生きている意味を

感じた気がした。





今日も今日とて、硬い石枠でできた

はめ殺しの窓から外を覗く。


先程、指先に本の紙で切ったような

小さな傷があったのを見た。


自己満足に浸る。


…浸ろうとしても、心は浮かばない。


結局独りよがりな妄想で、

今までと何も変わらない。


ついでに言うと俺がとことん

嫌われているというのはもはや

周知の事実だ。


使用人達に何かを頼めば

表面上は良い顔…いやあからさまに

嫌そうにして渋々だな、うん。


最近はご飯に少量の毒を盛られる事も

増えてきてしまった。


更に体が動かしづらくなって困った。


まだ幼い頃、俺と目を合わせた

同い年かそこらの子達は皆して

示し合わせたようにそっぽを向いた。


女の子は男のくせして

男に好かれる変な奴は

到底理解できなかっただろうし、

男に抱かれたい男の子なんて

そうそういないだろうから

男の子達はさぞ気持ち悪かった

ことだろう。


男の子達にはそう言われたし。


実際俺が抱かれた事なんてなくても

年頃の子達にそんな事関係ない。


気持ち悪いものは気持ち悪い。


女々しい男なんて彼らは

意味がわからないだろうな…


謎の申し訳なさで

涙がちょちょぎれそうだ。


離宮から出ない理由は他にもある。


この足に押された焼き印。


赤黒くミミズ腫れしていて、

いかにも痛そうなこれ。


これはある特殊な魔法使いさんの

魔法らしくて、

ある日執事が当主様のご命令だと

その方を連れてきた。


当時は熱くて痛くて泣き叫んだ。


離宮の端から端の壁にもこの印は

目立たぬように刻まれていて、

その範囲から俺は出られない…


っていう魔法。


そんなにしてまで俺を

絶対隠したかったんだな、って思って

本当に邪魔でしかないんだな、

なんて痛感して涙が止まらなかった。


隠れて泣いた。


今はあまり支障をきたしてはないけど

それでも隠さなければ醜い。






書庫巡り(暇つぶし)を終えて、

何もすることがなくなった俺は

毎日ひたすらに外を眺め続けた。


彼らの姿が見えることを願って。




今日は学院で御前試合があるらしい。


家には誰もいない。


俺は打撲や擦り傷が増えて、

ぎしぎしと酷く痛む手足を

じーっと眺めながら放心していた。


だって学院はここからじゃ

絶対に見えることはない。


窓から双眼鏡で眺めても、

無駄だってことは分かり切ってる。


長男様はここ最近

すごく努力してるんだって。


執事が自慢げに話していた。


言葉の端々で俺を見下しながら、ね。


魔法禁止、木剣のみの試合。


他人事ながら頑張ってほしいと思う。





昼間辺り。


時計もないし、曇り空だし、

お昼ご飯も今日は出ないから

あやふやなのは許してほしい。



唐突に、自分の腹から血が溢れ出た。


「あ…まず、

 ごぷっ」


口からも血が出ててきてる。


今はやる気のない監視員しか

いなかったはず。


これ、は…助からないかも…


案外冷静になれていたので、

石の床に横になって目を閉じた。


急激に体から温度が消えている。


それでも辛くなかったのは、

アドレナリンがどばどばだったから…

かもしれないし、

彼らの役に立てたからかもしれない。





見慣れきった硬いベッドからの

天井の景色。



ぼやける思考と視界のなかで、

俺は朧げに幸せな夢を見ていた。



長男様と長女様が

お見舞いに来てくれるって夢。



頭を優しく撫でてもらえた夢。



どこかではあり得ないと

わかっていても、

こんな夢を見れて幸せだって、

これなら死んでもいいかなぁって。



そう思えるくらい幸せだった。








「ん…ぁ…?」


目が、覚めた。


思わず声が出てしまったけれど、

掠れていて喉が痛い。


まともな声が出ない。


上半身を起こそうとしても、

強烈な倦怠感で起きることが

できなかった。


視界だけを動かす。


カーテンから、光は漏れていない。


夜か、ごく早い朝かな。


お腹辺りの感覚が鈍い。


意識すると、鋭くも重い痛みが

全身に響き渡った。


「ぃぅっ…」


包帯が巻かれているらしい。


誰がそんな事してくれたのだろう。


珍しいことも…あるものだ。


気付けば、いつもの布団ではなく

何故か柔らかい布団になっている。


(??)


頭の中は疑問でいっぱいだ。


いつもは薄い掛け布団に

ベッドの硬さが直接伝わるような

とてもボロボロのマットだったから

ものすごく寒かったし痛かったのに。


まるで天国にいるみたいだ。


けれど見上げる天井はいつものそれ。


訳がわからない。


もしまだ俺が生きているのなら、

この布団だけはつかわせてくれると

いいなぁ、って思った。


その時だった。


がたーん、とか、ばしゃーん、

みたいな音が鳴り響いた。


「…?」


視線を向けると、開いたドアに

長男様と見たことのない使用人が

二人して立っていて、

足元にタライと布巾が落ちていた。


びっくりして、目を見開いた。


…と思ったが、全然見開けなかった。


何故…ここに長男様が?


「起きたの、か…?」


ずんずんと歩み寄ってくる。


こわい。


キラキラしい彼が、ここにいることを

脳が信じていない。


「何故…こんな事をした?」


微塵も動けない体で、

心の中はぶるりと怯えた。


「っぁ…」


「?…そうか、起きたばかりか…

 水は飲めるか」


返答を待たれる事なく、

俺の上半身が起こされる。


走る痛みに顔を歪めそうになったが、

悟られぬように必死で耐えた。


ぬるいお水をコップに注いで

飲ませてくれた。


口の端からこぼれた。


はしたない、汚らわしい。


なぜこんな俺に長男様手ずから

水を飲ませてもらっているのだろう。


「っけほ、…ぅ…そ、の…」


「もう一度聞くぞ。

 …何故、このような事を…?」


「ぁ…お手を、煩わせてしまい…

 申し訳、ございません…」


この治療や看病は長男様が

手配してくれたのだろうか。


身に余る…幸せだ。


「っ聞いたのはそんなことではない!

 なぜと理由を聞いたのだ」


っ!

やっぱり、…邪魔だったのだろうか。


迷惑だったんだろうな。


必死に堪えていたのに、頬に

雫が伝っていく。


「ぃき、てる…意味が、

 欲しかった、ん…です…っ」


言い訳だ。


嗚咽が止まらない。


こんな見苦しい姿、見せたくない。


「泣くな…どういう、意味だ?

 生きている意味だと?」


烏滸がましかっただろうか。


「ごめ…なさ…っ」


俺はそこで、泣きつかれたらしい。


眠ってしまった。


重ね重ね、情けない。






長男side

嫌われていると思っていた。


幼子から、母を奪ったのだから。


彼女は、彼を産んだ際に

亡くなってしまったらしい。


そして、彼には母は遠い地にいると

伝えていると聞いた。


まだ私に物心がついたばかりの

ごく幼い頃、彼…ウルとは

数度会ったことがある。


一度目は、少しではあるが

楽しそうにしていてくれた。


二度目、怯えの表情が混じっていた。


三度目…彼は、泣いた。


四度目…彼は何もしていないのに

謝った。


五度目は…来なかった。


美しい子だった。が同時に、

可哀想でもあった。


私達には会いたくないだろうと思い、

離宮には行かなかった。


そのまま、年月はながれた。


彼が、離宮から見ている事を知った。


見ているだけでなく、

来てくれたらいいのにと思った。


来ないのではなく、

出られないとは知らなかった。


御前試合の日。


その頃は不思議な事が起きていた。


傷を負わないのだ。


無論、鍛えられてはいる。


がしかし、擦り傷、打身、

何もなかった。


妹に聞けば、同じだと。


紙で指を切ったと思ったが、

何故か跡形もなかったという。


何故かはわからなかった。


がしかし、御前試合は行われる。


順調に勝ち進めていた、その時。


相手が木剣に見せかけた鞘から

鈍鉄の真剣を抜き放ち、

私の腹部を貫いたのだ。


試合前で、咄嗟には動けなかった。


ずろりと、剣が腹から抜かれる。


…がしかし、その傷さえも消えた。


相手は非常に混乱していたようだ。


すぐに取り押さえられ、

衛兵に運ばれてゆく。


なし崩し的に、不戦勝となった。


それから、半刻ほどだろうか。


家から、早馬が飛んできた。


「ウル様が、

 血を吹いて倒れられました」


驚いた。何故、とも思ったし…


何より、その馬に乗った男の

異常に無表情な、寧ろ笑みさえ浮かぶ

その表情に不気味な何かを感じた。


試合は終わっていたし、

そのまま急いで帰った。


そのまま離宮に急ぐ。


男は、なぜか焦って

止めようとしてきたが、

構わず押し入った。


部屋に入ると、絶句した。


なんだ、このひどい部屋は…


言葉が出なかった。


これが年頃の男児の部屋だろうか。


すぐさまウルのもとへ駆け寄り、

覗き込む。


布団も酷いものであったが、

何より目を引いたのは

ウルの容体だった。


ロクな処置が施されていない。


後から駆けてきた本館の使用人も

部屋の有様に絶句し、ついで

彼の様子に驚愕した。


すぐさま医者を呼んだ。


治療後、もう少し遅ければ

絶対に間に合わなかったと

重々しく告げられた。


それに、今だってかなり危ないと。


…ウルは、それから二週間ずっと、

目をさまさなかった。



あまりにも酷かったから、

その間、彼の身の回りをしらべた。


結果、更に彼を取り巻く過酷な環境が

その姿を現した。


不憫で仕方がない。


まだ幼いといえる彼が今まで

このような仕打ちを受けていたことが

理不尽に思えてならない。


だが、放置した私たちにはたして

憐れむ資格があるのか。





ウルが目を覚ました。


汗を拭いてやるために部屋に入ると

彼は薄らと目を開けていた。


慌てて駆け寄る。


「起きたの、か…?」


私がここにいることに

驚いてしまったのだろうか。


動揺するように瞳が震えている。


「何故…こんな事をした?」


存外に緊張して、

強い口調になってしまう。


案の定、ウルは体をこわばらせ

私に怯えているようだ。


「っぁ…」


ひどく掠れた声に、

「?…そうか、起きたばかりか…

 水は飲めるか」

今起きたばかりなのだろうと気づく。


返事も出来んだろうから

彼の上半身を抱えて起こし

水差しの水を含ませた。


ふとウルの綺麗な顔が

苦痛そうに歪む。


隠そうとしているようだが、

貴族社会で鍛えられた観察眼が

それを見抜く。


怪我が痛むのだろう。


口の端からこぼれた水を拭う。


「っけほ、…ぅ…そ、の…」


「もう一度聞くぞ。

 …何故、このような事を…?」


先程よりかは意識して落ち着いた声で

ゆっくり問いかける。


「ぁ…お手を、煩わせてしまい…

 申し訳、ございません…」


っ違う。


詫びさせたかった訳じゃない!


「っ聞いたのはそんなことではない!

 なぜと理由を聞いたのだ」


ウルの顔がみるみるうちに歪みゆく。


涙が滲み、悲痛に染まっていく。


「ぃき、てる…意味が、

 欲しかった、ん…です…っ」


泣いて欲しくなんかない。


生きる意味が…ないと?


「泣くな…どういう、意味だ?

 生きている意味だと?」


そんな事を思わせるほど、

追い詰めさせていたのか…?


「ごめ…なさ…っ」


「違っ…」


彼は事きれたように

再び眠りに落ちてしまった。


…私はウルを悲しませることしか

できないのだろうか。









目が覚めた。けれど、

脳が起ききっていない。


映像と、触感と…客観的に情報を

読んでいるような浮遊感。


脳と体が乖離しかけているような。


傷の回復に体力を吸われきっているし

みっともなく泣いてしまったから

目元がとても腫れぼったい。


そして何より、この柔らかな布団が

没収されてないことが

少し信じられなかったから。


どうせあんなのは一時の幸せな夢で

次に起きたらいつも通りだと

なんとなく思ってたのに。


…そうだ、長男様…


顔、凛々しかったなぁ。


あんなに近づいてもらったのは

幼少の頃以来かもしれない。


体を起こす。以前よりだいぶ楽だ。


ちゃんと布団があるからかも。


ベッドに腰掛けた状態から

立ちあがろうとした。


なのに、力が全く入らなくて

腰が抜けてしまったように崩れ落ち

膝を強かに床へぶつけてしまった。


「…っい…」


…まだ、無理か。


なんとかベッドに這戻る。


服を捲って、傷を覗いてみた。


「…?」


傷の跡が、薄い。


撫でてみても、痛くない。


回復がこんなに早い訳がない…


なんで?


もしかして、治癒魔法士を

呼んでくれた…とか?


俺に?ないない、ありえない。


それに治っているとしたら、

なぜ足は動かないんだ。


…あ、そうか…


こっちはしょうがなかったかも。





まぁいいや。


ふと部屋にノックの音が響く。


「…どう、ぞ?」


ノックなんて久しぶりに聞いた。


がちゃり、と控えめな音が鳴って

とても経験豊富そうな初老の

男性執事が姿を現した。


…あれ?


「デュー、ク…は?」


デュークとはここで前に勤めていた

若い執事のことだ。


「はじめまして、ウル様。

 私は新たにこの館へ

 勤めさせていただきます、

 バッチェと申します。

 …デュークは解雇されました」


え、…なぜ?


彼はとても重用されているって

彼から聞いていたんだけど。


「申し訳ございませんが、

 今のウル様をこの部屋から

 お出しすることはできません…

 シリウス様から

 そう命じられております。

 少々お待ちください、

 只今朝食を持って参ります。

 …では、失礼します」


…がちゃり。


と、やはり控えめな音で

彼は部屋を出てゆく。


シリウス様、っていうのはあにう…、

長男様の名前だ。


さっきの言葉を聞いて、

ああ、やっぱり俺は外に

出したくないんだな。


そりゃ…っ、そうだよな。


…と思いながら、

なんで泣きそうになってるのか

自分でも混乱してしまった。


外に出るな、なんて

いつも通りだというのにさ。




その日から俺は、穏やかながらも

どこか虚しい日々を過ごした。


窓の板が外されて、

明かりが差すようになった窓の近く。


柔らかい布団の敷かれたベッドで

持ってきてもらった本を読む毎日。


使えない家具が日に日に

部屋に増えている。


ベッドの上から降りることすら

ままならないからさ。


それに、所々しか読めない文字に

俺はとても惨めな気持ちになる。


呪法の本だってなんとか随所から

情報を読み取ったんだ。


俺に…その、

罰を与えたかったんだとしたら

長男様はとてもセンスがいいと思う。


でも、ご飯もくれるし

ちゃんとお世話してくれてる。


以前とは天国と地獄くらい

過ごしやすさが違う。


それに毎晩使用人が温かいお湯の

たっくさんはいった大きな桶に

連れて行ってくれるんだ。


人の前で服を脱ぐのは

ちょっと恥ずかしいけど…


それでも気持ちよくて心地よい。


けど、やっぱりなんか虚しいんだよ。


長男様に嫌われているって事実は

俺の心を蝕み続けてるし…


ふとした時に思い出して

胸の辺りがずきずき痛む。


なのに優しいから混乱する。


どうして?なんで?


こんな紋を刻むくらいに、

嫌っているなら…何故傷つけないの?


愛妾の息子なんて邪魔なだけだって、

それくらい馬鹿な俺だって解ってる。


なんでこんなに、

…優しくしてくれるの…っ?


ただ混乱と苦しさが増すばかりで

訳がわからなくなった。







隣に、真っ白な服を着た人をつれて

再び彼がやってきた。


俺は眠ってたけど、慌てて起きたら

長男様は顔をしかめられた。


体が恐怖にこわばる。


また不快な思いをさせてしまったと

体が震えそうになるのを必死で

諌める。


長男様の顔を見ることができない。


長男様は何か言おうとして、

何も言わずに出て行ってしまわれた。


…いけない、嫌われているという事で

いつもできる態度が狂ってしまう…


長男様の前でだけ…


余計に彼の気を損ねるばかりだ。


真っ白な服の人は温かな

お茶を入れてくださった。


進められるままにいただくと

…すぐに意識がふわふわしてきた。


不味い、と思いながらも体が倒れる。


頭の後ろに掌の感覚を覚えながら、

俺は意識を失った。



「こんなに早く効くものなのか…?」


「いえ、これはウル様の御身体が

 弱りきっている為かと」


「そう、か…… 検診を」


「承知いたしました」










「こんなに…なるまで、

 私たちは放置していたのか…」


症状の書かれた紙を握りしめる。


「すぐに療養に入ってもらわなければ

 かなり危ない状況です。

 しかし…」


「なんだ?」


「こちらを見てください」


「……ッ…!これ、は」


痛々しく刻まれた隷属の焼印。


細い足に似つかわしくない

おどろおどろしいそれを見る。


「解析してもらったところ、

 この別館の外に出ると

 激痛を与えるもののようです」


衝撃を受ける。


あの時、来なくなったこの子を、

誰が気にした?


俺は、私は、

この子を傷つける一端に…?!


「だれ、がっ?このような事」


「わかりません…しかしおそらく、

 使われている印が

 安価な物のようですので、

 元使用人辺りが用意したものかと」


「くそっ…くそっ、くそっ!

 何故だ、私は…

 この子を傷つけてばかりで…!」


「…とにかく、ーーーーーの治療には

 かなり長い期間を要するうえに、

 完璧に治る保証、

 命が助かる保証はありません。

 それに、この身体の傷も酷く

 体力はすり減っているでしょう。

 治療には苦痛も伴う…

 それでもこの子の命を拾いますか」


この子は、俺を恨むだろうか?


「…頼む、この子の命を…」


「…は、御意に」









目が覚めた。


いつものように重だるいかと思った

体はとても軽かった。


夢の一つも見ない、

深い眠りだった気がする…


……っ!


思い、出した。


俺、お茶をもらって、

飲んだら眠くなって……っ、

ば、と振り返るとそこに彼はいた。


「長…男、様…」


俺が思わず呼ぶと、見間違いだろうか

彼は悲しげに顔を歪めた気がした。


わからない。


…前より目も霞んでるし、仕方ない。


「…ウル。その、」

「長男様」


「…なんだ?」


動悸が早まる。


前々から言ってしまおうと思ってた。


それでも、いざとなると

緊張するものだ。


「お…僕、が、邪魔でしたら…

 その、殺して…ください…っ」


「なっ、何を言うんだ!」


っ…!違う、怯むな。


言い切らないと、

「あなた、に…迷惑、

 かけたくなく…て…」


「…………」


「それに…もう…っ、僕、

 寂しいの、耐えられなくって…!

 一人でいるのはもう、

 悲しい、んです」


「ウ、ル」


「だから、…それに、もう身体も」


「っ悪かった!」


「……えっ?」


「今まで、幼いお前が

 そんなになるまで

 追い詰めていたと、知らなかった。

 本当に、本当に、すまなかった…

 だから、命を捨てないでおくれ」


「どういう、こと…です、か?

 ぼくは、きらわれてて、

 …うとまれていて」


「泣かないで、目元が腫れてしまう…

 そんなわけない。

 嫌うはずないだろう?

 偏に、私達が不甲斐なかったのだ」


「そんな、でも、だって、

 ここからでるなって、

 てつぼうがあつくて、

 あしがいたくって、」


「今、その印を治療できる者を

 ここに呼び寄せている所だ」



「いんばいのこってゆわれてっ、

 いらないこって、

 できそこないってゆって…っ

 みんなきもちわるいって」


「私達はそんな事思っていない。

 大事な、大事な家族だ」


だめだ。感情が溢れて、

止まってくれない。


なんで?どうして?


本当?


俺…いらなく、ないの?



おにいさまって呼んで、いいの?



優しく背中に手がまわって、

ぎゅって抱きしめられた。


「ふぇ、」


「今まで…ごめん」


…無理だった。


目の前で、大声で泣いてしまった。


だって、嫌われてると思ってた。


顔も見たくないって、

迷惑で邪魔なだけって。


そうじゃないって言ってくれた。


嬉しくないはずないだろ?


ちょっとだけ、

死にかけてよかったなって思った。











それから紆余曲折あって、

御当しゅさ…

お父様が抱きしめてくれたり

初めて一緒にご飯食べたり

一緒に外に連れて行ってもらったり

…“お兄様”、って

呼ばさせてもらったり…


色々はじめてなことをたくさんして、

またいっぱい泣いてしまった。


従者の人たちが一緒に泣いていたし

お姉様やお兄様も抱きしめてくれた。


こんなにあったかい気持ちになれる

なんて思ってなくて、

もっと泣いちゃったけど。


「身代わりの呪法」

について知られたときは、

すごく怒られてしまったけど。


お父様とお母様には

悲しそうな顔をされたし。


すぐに解除して、二度としないって

約束させられた。


いい子だって頭を撫でてもらったら

それが嬉しくてしかたなかった。


殆ど今はベッドから出られないけど

…治るかどうかもわからないけど、

治してもっと一緒にいたいから、

辛くても頑張るって決めたんだ。


それに、今までと違って

成功したらそれはいい事だから。


この病は元々は治る病気だけど

発症した時にすぐ対処しなくって

重症化したんだって。


だってあの人が死病だって

言ったもん…


でも、治るんだよね?


俺、頑張って治して

絶対お兄様と歩きたいよ。


…欲張りになっちゃったなぁ。


前まで死にたいなーなんて

思ってたのに。


ともかく、そう言う事だから。


しっかり休んで生き残ってやるから。


だから悲しい顔なんてしないで、

期待して待っててね、お兄様。

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身代わりの形代【短編】 本好コー @tyuberoom

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