ベストショット
月華リッカ
ベストショット
頬を撫でる冷たい海風が身体の芯から熱を奪っていくみたいに感じる。
ついでに落ち着かない心からもいくらか熱を奪ってくれるとありがたい。
すうっはぁっと大きく白い息を吐きながら、改めてその瞬間を待つ。
手には古びたデジタルカメラ。使い慣れた相棒だ。
空は快晴と言えないまでも雲はずいぶん少ない。
フレームに収める視界は良好。
期待に胸も膨らむ。
徐々に薄明るくなってきた。
朝日がじりじりと昇る。
理想の姿をイメージしながら、その瞬間を狙って、パシャリ。
うん。今年も悪くない1枚。去年よりも良い写真だ。
*****
高校の授業が終わった放課後。
私は今日もリノリウムの床を踏み鳴らしながら3階の病室へ向かう。
「おじいちゃん、来たよー」
「いらっしゃい。今日もありがとうな、
窓際に置かれたベッドがウィーンとモーター音を鳴らしながら、おじいちゃんの上半身を持ち上げる。
週に何日かお見舞いに来ているが、病に侵された身体はどんどんと瘦せ細っているように思える。
この前医者から告げられた「余命残りわずか」との言葉が頭をよぎるが、顔に出さないように努めて明るく振る舞う。
「ね!今日も良い写真が撮れたの。見て見て」
暗い気持ちを振り払うように、私はスマホの画面を取り出す。
「これは可愛らしいスズメだな。質感もよく伝わってくる」
「でしょ?まん丸ふかふかだよね」
おじいちゃんは大の写真好きだ。決してプロというわけではなく、あくまでも趣味の範囲。
物心のついた頃から、私もよく一緒に写真を撮るのについていった。
その影響もあってか、今でも私はスマホを片手に写真を撮りに出かける。
「あとね、この前久しぶりに"デジちゃん"を使ってみたの。覚えてる?」
私はカバンから古びたデジタルカメラを取り出した。
元々は黒が基調だったボディも塗装が剝げてほとんどシルバーになっている。
「ああ!懐かしいな。もちろん覚えているとも。まだ持っていてくれたのか」
「当たり前だよ!私の宝物だからね」
「大事にしてくれていて嬉しいよ」
小学校低学年の誕生日にプレゼントしてもらったデジタルカメラ。
"デジちゃん"と名前をつけてたくさんの写真を撮ってきた、かつての私の相棒だ。
スマホを手に入れた今でこそ使っていないが、ずっとメンテナンスは欠かしていない。
「実はね、県主催の写真コンテストを見つけたの。それに"デジちゃん"で参加しようと思ってて」
「
「そういうわけじゃないの。でも、なんか久しぶりにこの子で撮ってみたくって」
「そうか。じゃあその子で頑張ってみるといい」
おじいちゃんは嬉しそうに微笑んでいる。
なんだか久しぶりに自然な笑顔を見た気がする。よかった。
"デジちゃん"でコンテストに出る本当の目的は、おじいちゃんに喜んでもらうことなのだから。
「それでね、おじいちゃんに、写真を撮るコツを教えてもらいたくて」
「別に構わないが、調べればいくらでも出てくるだろうに」
「もう、そんなこと言わないでよ。私はおじいちゃんに教えてもらいたいの!」
少し大げさに抗議してみると、おじいちゃんはまた嬉しそうに微笑んでくれる。
小さい頃から私はこの優しい微笑みが大好きだった。
「じゃあ、一つだけ伝えよう。技術なんてのは一朝一夕で身につくものじゃない。だから、心構えの方が肝心だ」
「心構え?」
「絶対にその一瞬を逃さない、という強い気持ちだ。どんな被写体も刻一刻とその姿を変える。こんな写真が撮りたいという漠然とした理想があるだろう?その理想と現実が重なった瞬間こそがシャッターチャンスだ」
そう語るおじいちゃんの眼差しは真剣そのものだ。きっと今この瞬間も本当は、理想を胸にカメラを抱えて歩き回りたいんだと思う。
私にとっての理想ってなんだろう?
見た人が心動かされるような写真が撮りたい。
そう考えたときに思い浮かんだのは、小さい頃に見せてもらったおじいちゃんが撮ったという日の出の写真。
もう細部は覚えていないけど、その強烈な印象だけは今も記憶に残っている。
「…なるほど。とっても参考になった!ありがとう、おじいちゃん!」
「まあ、そんな心構えだけで良い写真が撮れたら苦労はないんだけどな!だが、それが写真の面白いところでもある」
おじいちゃんは気分が乗ってきたのか、結局、面会時間のギリギリまで写真の魅力について楽しそうにたくさん教えてくれた。
今度また詳しくおじいちゃんに聞いてみようなんて考えていたけれど、その日が来ることはなかった。
『夢中になれるものを見つけたら突き進んでみなさい。心から楽しめるものなら尚良い。それが写真であっても、そうでなくてもかまわない。きっと
これが私宛に遺されたおじいちゃんからの最後のメッセージだった。
*****
当時はひどく落ち込んで、結局はコンテスト用の作品すら用意することができなかった。
私は写真が好きなんじゃなくて、おじいちゃんに喜んでもらうためだけに写真を撮っていたのかな、なんて思うときもあった。
だけど、気持ちが落ち着いた頃には自然とまた写真を撮るようになっていた。
やっぱり、写真を撮るのは楽しい。
それからは毎年おじいちゃんの命日に合わせて"デジちゃん"で日の出の写真を撮るのが私の恒例行事になっている。
おじいちゃんの最後の言葉を改めて確認するための儀式みたいなものだ。
年を重ねるごとに上達している実感はあるけど、まだまだ理想にはほど遠い。
いつか私にも撮れるだろうか。
おじいちゃんのような
ベストショット 月華リッカ @gekka-rikka
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