第三章 第6話(最終話)
数日が経ったある日の午後。若葉さんの働く職場にいつものように彼女のデスクの足元に待機しているとその後ろの席にいる同僚たちがある話をしていた。
僕は耳を立てながら聞いていると、その中の1人が知らない誰かからメールが届いたので、試しに開いてみると、とある公園に謎の電話ボックスが写っている画像が表示されていたと伝えていた。僕は顔を上げて若葉さんの太ももに顎を乗せて、彼女達の話に気付いてほしいとなでるようにすり寄せた。
「ルーシー、ルーシー?どうしたの?」
「……堀内さん?」
「すみません、この子なんか落ち着かないみたいで……」
「あの……ちょっと聞いてもいいかな?」
「どうしました?」
「さっき、私のパソコンにあるメールが送られてきたんです。中を開いたら、どこかの公園の画像が出てきたんです」
「それ、もしかして……私にも送られてきた写真のものと同じものかな?」
若葉さんが彼女達にスマートフォンのメールの写真を見せると、同じ角度から写されていたあの公衆電話だった。メールの文章には次のように書いてあった。
「この公園にある公衆電話のこと、誰かに知らせましたか?最初に教えた場所はもう消えてなくなりましたが、あなたにこれで最後として特別にお教えします。下記のURLに記載している場所に行ってください。期限は今月末です。なるべく早く来てください。よろしくお願いします。」
「……これが、何の知らせを私達に教えてきたのかよくわからないね」
「あの。そのメール、聴き覚えがあるんです。私のスマホに転送してもらえないですか?」
「堀内さんに?どうするの?まさか、この公園に行ってみるとか考えている?」
「危ないですよ。いたずらかもしれないし」
「私の兄に知らせてみます。お願い……できますか?」
彼女達は不審な人物に巻き込まれないように気をつけてくれと助言して、若葉さんのスマートフォンにそのメールを送った。帰宅してから彼女は翔さんにすぐさま伝えて彼のスマートフォンにもあのメールを転送した。
「お兄ちゃん、誰かが何かを知らせているのかな?」
「きっと嫌がらせかもしれないが、しばらくは俺が保存しておく。若葉のは消しておいていいよ」
夕食後、彼女が浴室に入っている間に、彼は僕に今夜また出かけてこの電話の真相を確かめようと話してきた。22時半。彼女はいつも通り寝室へ行き、翔さんはあらかじめ点字ライターで打った置き手紙をテーブルに添えると、僕たちは家を出て行った。彼は以前と違う方向へ暗い夜道を歩いて行き、信号機のない横断歩道を車が来ないか確認しながら渡った。
しばらく行くと前方右手側の方に並木道が見えてきてその角を曲がると、広い敷地に入り、さらに奥へと進むとアスレチック遊具のある公園に着いた。
ぽつりぽつりと街灯が見え隠れするかのように点滅している。くまなく電話ボックスを探したがどこにも見当たらない。諦めて帰ろうとしかけたその時、墨汁のように黒ずんだ空が碧く染めて一筋の光が公園の真ん中に差し込んできた。光が柔らかく消えていくと、そこには180センチくらいはある男性が1人で立っていた。僕は滅多に出さない声を出してその人の元へ駆け寄った。
「侑さん!侑さんだ!」
「松浦、侑さん?どうしてここに……?」
「ルーシー。やっと会えたね。……ふふ、余程僕に会いたかったのか」
「公衆電話がないから、もう会えないかと思った。不思議だ、侑さんの体に触ることができている。あの頃の匂いも一緒だ」
「あなたが、堀内翔さんですね。この子の面倒を見てくれてありがとうございます」
「いえ、それは義妹の若葉が一番見てくれています」
「良い人たちに巡り会えて良かった。君がどこへ行くのか、その後がずっと気になっていたんだ」
「あの、急な申し出なんですが、ルーシーはあなた方家族に懐いているのが強いと思います。こういう言い方はどうかと思うんですが……もしできるなら、このまま彼を引退させて、真美さんの元に一緒に暮らすのはどうかと思っているんですが……」
「いや、それはしてはいけない。それなら最後まで彼の任務を全うしてほしい。ルーシーも堀内さんのところに来たばかりだし、もうしばらく長く傍に置いてほしい。そうすればルーシーだって若葉さんの気持ちもわかってくる。僕たち人間ばかりが身勝手な判断をしてはいけない。何のために彼が僕たちに今世で出会えたか、その意味もきちんと知っていかなければならない。共存ってそういう風に一緒になって考えるべきなんだよ」
「そう……ですよね。すみません、至らないところばかり口に出してしまって…」
「良いんだ。あなたが彼の気持ちを読み取れるというのは神様が与えてくれた素晴らしい授かり物だと思う。それを大事にして、これからも彼と家族として過ごしてほしい」
「わかりました。ルーシーは僕たちが預かります。……僕で大丈夫だね?」
「もちろんだよ。僕、翔さんも若葉さんも大好きだよ。傍にいるからね」
「……そろそろ時間だ。2人とも、どうか元気でいてください。ルーシー、今までありがとう。ずっと笑顔でいるんだよ。」
「侑さんありがとう。僕、忘れないよ。みんな、つながっているよ」
やがて立ちこめるように光が侑さんを包み込んで青白い星屑が散りばめられながら、彼は姿を消した。僕と翔さんは彼を見送るように空を見上げていた。しばらくしてから、あの公衆電話の存在はいつの間にか消え去っていった。
──それから2年が経ち、僕は盲導犬の役目を終えた。引退をした仲間がいる郊外にある団体事務所にある施設に預けられた。ボランティアスタッフの人たちや先輩犬と寄り添いながら過ごして、時折ドッグランに連れていかれると、仲間と思いきり駆け回って遊んでいた。
ここから見える晴れた日の星空が綺麗で、時々就寝前に窓の外を眺めては侑さんや翔さん達の事を思い出していた。この世に生まれてから今まで出会った人たちのことを振り返りながら僕はこれからの余生を穏やかに過ごせるようあの日の出来事を忘れずに心に留めていきたい。
皆が持っている幸せを紡いで、それが1つの大きな輪となった時に、世界が喜びに満ち溢れる日々が続いていくように、いつまでも僕は一日一日を笑顔でいられるように生きていくんだ。
了
天国につながる公衆電話 桑鶴七緒 @hyesu
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