第三章 第5話

かけるさんは一度ボックスから出て僕を中に入るように促した。受話器のコードが僕のいる位置まで届かないので、どうすればいいか尋ねると光が放ち出しコードが伸びていった。僕らは驚いたが翔さんがすぐに僕の耳に受話器をあてて話してみてと声をかけた。


「……ゆうさん。僕の声が聞こえる?」

「ルーシー?ルーシーなんだね?そうだよ、侑だ。凄い、君と話ができるなんて夢みたいだ」


電話の向こうから侑さんの明るい声が聞こえていた。嬉しいよ、今僕は彼と初めて話が通じている。


「ルーシー。突然僕がいなくなって寂しい思いをさせてしまったね。本当にごめん」

「謝らなくていいよ。いなくなってしまった事は辛いけど、今新しいユーザーさんと一緒に暮らしているんだ」

「堀内さんだよね?彼らはどうだい?」

「2人とも優しいよ。僕もあと2年で10歳になる。ここのお家の人たちで役目が最後になるんだ」

「そうか。あともう少しで盲導犬は引退になるんだね。よくここまで頑張ってきたね」


僕は涙が出そうになった。甘えたような鳴き声を出すと侑さんは嬉しそうに笑っていた。彼が生前、仕事の休みに真美さんも連れて国立公園の広い敷地に連れて行ってくれた時、ハーネスを外して思い切り駆け回る僕の声や風の匂いが思い出して懐かしく話してくれた。

任務中はやってはいけない事だったけど、あれは本当に心地の良い夏風とともに草地を走る喜びを感じて、彼らの優しさに触れた最高のひとときを体感した。


「僕は盲導犬として失格なのかもしれない。でも……侑さんがいつも傍にいてくれた事であなたのために頑張らないといけないって考えていたよ」

「そうだったんだね。でも君は他の一般犬よりもよく頑張っている。人間から大変な思いをさせられているけど、どんな事があっても真っ直ぐに前を向いているじゃないか」

「うん。僕、頑張っている」

「ねぇルーシー」

「何?」

「君は生まれ変わったら何になりたい?」

「そうだなぁ。人間がいいな」

「どうして?」

「たくさんの人に会ってたくさんのことを知ってたくさんのことを世の中に残していきたい」

「君も、人間らしい事を今から考えているんだね。感心するよ」

「それに、また侑さんと一緒に友達になるんだ」

「友達か。良いね。僕も君と仲良くしたいよ。またゆっくり話ができるといいね」

「ルーシー、そろそろ24時になる。時間切れだ」

「侑さん。またどこかで会ったら、その時は目が見えているよね?」

「ああ。僕もまた人間に生まれ変わって君を見つけるよ。会える日まで約束しよう」

「……申し訳ございません。本日はお時間となりました。また日を改めておかけ直しください。ご利用ありがとうございました」


その後は電話は途絶えてしまった。翔さんが受話器を置いてボックスから出ると、蛍光管の光が優しく包み込むようにオレンジ色にそっと照らしていた。公園を出る際に僕はボックスに向かって見つめていた。心残りがある感覚を浸りながら自宅に帰っていった。翔さんは僕の体をたくさんさすってなでてくれた。


翌週の午後、僕は翔さんと若葉さんと一緒に再びあの公園へ行ってみた。同じ道なりを歩いていきある家の前に立ち止まった。翔さんは画像に写っている公園を見ながら辺りを見回していたが、公園らしきものはなかった。試しにその敷地にある家の人を訪ねてみた。


「ごめんください」

「……どちらさま?」

「あの、先週ここに来て公園があったので、そこの電話ボックスを見にきたんです」

「失礼ですが、ここは30年前からずっと住宅として建ててあるんですよ。何かの間違いではないですか?」

「この近くに公園ってありますか?」

「ええ。ただ5キロ先にあるから、車で行った方がいいですよ」

「そうですか。わかりました、ありがとうございます」


翔さんは首を傾かしげて僕を見つめていた。なぜあの時、僕たちの前に公園が現れたのか不可解な気持ちだけが残ってしまった。

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