雪の上でのキャッチボール

 自分で言うのもなんだが、小学生のころ、俺は天才と言われていた。

 打てばホームランを連発、投げれば110キロを超える球を投げまくる、

 同世代で自分よりすごい奴に出会ったことがなかった。

 中学に上がるまでは。


 一年生からエースになる気満々だった。

 しかし、同じピッチャーだったもう一人の天才を見て、人生で初めて勝てないと思った。

 中学に入学した時点ですでに身長が170センチを優に超えていて120キロを超える速球を投げて、バッティングでは自分よりもはるか遠くに飛ばしていた。

 俺はこのチームではエースになれない、と敗北感を抱いていた。

 それと同時に憧れた、あいつに。

 あいつを支えたいと思った、女房役として。


 俺はピッチャーからキャッチャーに転向した。

 元ピッチャーだったこともあり、送球に関してはすでに上級生よりも俺のほうが上だった。

 俺とあいつは一年生からレギュラーになった。

 三年の頃には、地元の野球少年ならだれもが知っている、そのレベルのバッテリーに俺たちはなった。

 当然、高校も同じところに行く気満々だった、俺は。


 凍えるように寒い日だった。

 俺たち三年はすでに部活を引退して、もうすぐクリスマス、と言う時期。

 商店街ではどこの店もイルミネーションが飾られていて、夜になるときらきらと眩しいくらいに輝いている。

 そんな商店街を俺とあいつは歩いていた。

 期末テストも終わり、もうすぐ長い休みにはいる、

 他の生徒は受験勉強で忙しそうだったが、関係のない俺たちは気ままにのんびりと帰り道を歩いていた。

 学校を出てから二人とも、ずっと無言だった。

 べつに仲が悪いわけじゃない、むしろいいからこそ会話がないのだ。

 お互い、無言でいても苦じゃない関係ということだ。

 しかし俺はあいつに訊きたいことがあった。だからこの心地いい沈黙を破った。


「登矢、推薦、来てるだろ?」


 と言うと、手に息を吹きかけて、「ああ」と短く返してきた。


「どこから来た?」

「東星、中宮、愛電、徳報、正履社、栄京、豊明、花巻西……」

「すげぇな、強豪校ばっかじゃないか」

「お前もそうなんだろ?」

「まぁそうだな」


 俺が笑うと、あいつも笑みを浮かべた。

 ぴゅうっと強い風が吹いて、落ち葉が巻き上がった。

 あいつは体をぶるぶる震えさせて、また手に息を吹きかけていた。


「寒そうだな、おまえ、手袋は?」

「ない」

「しかたねぇな」


 俺は両手の手袋を外して、二つともあいつに差し出した。


「ほら、それ着けろよ、見てるこっちが寒いからさ」

「それだとおまえが寒くなるじゃないか」

「俺はいいんだ、暑がりだから」

「よくねぇよ」


 と片っぽだけあいつは受け取った。


「半分こしようぜ」

「そうだな、それがいい」


 片方の手は冷たかったけど、もう片方は温かかった。

 お互い、片手だけズボンのポケットに手を入れて、同じ歩幅で歩く。


「で、どこの学校に行くつもりなんだ?」


 ずっと訊きたかったことを言った。

 あいつは恥ずかしそうに顔を俺から逸らしながら、

「武留の行くところ」と答えた。

 うれしかった。うれしくてうれしくてその場で飛び上がりたい気分だった。


「俺も、おまえと同じ所へ行くつもりだ」

「そうか」

「二人で、甲子園、行こうぜ」

「ああ、俺たちなら絶対いける」


 そして俺たちは家に帰るまで、どの高校が甲子園に行きやすいかという話で盛り上がった。


 次の日は休みだった。

 学校もないし、部活も引退したから、暇だった俺は惰眠を貪っていた。

 だが午前10時くらいにスマホにメッセージが来た。

 今日、キャッチボールしようぜ、と、あいつから。

 いつから? と返信すると、今から、いつもの公園で、と返ってきた。

 相変わらず急に呼び出すなぁ、こいつは。

 めんどくさいと思うと同時に、嬉しくもあった。

 飛び起きて、着替えて顔を洗って歯を磨いて、トーストを一枚だけ食べて、外に出た。

 外は、雪が積もっていた。昨夜、雪が降っていたみたいだ。

 公園のグラウンドに行くと、すでにあいつはいた。


「遅いぞ」


 と腕を組んで偉そうに言ってきた。


「お前が急に呼び出すからだ。おれ、寝てたんだぞ」

「たるんでるな、おれは今日六時に起きて、ランニングしたぞ」

「意識たけぇなぁ」

「お前が低すぎるんだ」


 と言って、ボールを投げてきた、

 慌ててグローブをはめて、ボールを受け取る。

 パシイィィン、と快音がキャッチャーミットから響く。


「いってぇー」


 こういう寒い日にキャッチボールをすると、グローブをはめてても痛いんだよなぁ。

 て、よく見ればボールは硬式球じゃないか。


「おい、これ、硬式じゃないか」

「春から硬式野球部に入るんだ、当然だろ」

「この時期に硬式でキャッチボールはきついって。おれが今はめてるの、軟式のグローブだぞ」

「そうか、俺は硬式グローブだ」

「はいはい、そうかい、そんなら仕返しだ!」


 二十メートルくらい離れた距離から思いっきり投げてやった。

 パシイィンという音の後、「いってぇぇー-っ」とあいつは叫び、グローブから手を外して、フリフリと手を振った。


「やりやがったな!」


 とあいつも全力で投げてくる。俺もやり返す。それを何度も何度も繰り返した。

 10分くらいでお互い、限界が来た。


「いてぇ、手の感覚がねぇよ」


 と俺が言うと、「俺もだ」とあいつは返した。


「バカみたいだな、俺ら」


 俺がそう言って笑うと、あいつも「ああ」と笑った。


「しばらく休憩しようぜ、あそこのベンチで」


 俺がそう言うと、すぐにあいつはベンチに向かった。

 隣り合ってベンチに座ると、あいつは切り出した。


「お前、高校、どこ行きたい?」

「うーん、悩み中」

「俺、実は決めたんだ」

「え、マジ、どこ?」

「東星」

「じゃ、俺も東星に行く」

「一年からレギュラーとろうぜ、二人で一年生バッテリーとして甲子園デビューするんだ」

「いいな、それ」

「だろ?」


 俺とあいつは笑い合った。

 楽しかった。ただただこいつといる時間が。

 思いが通じ合っている、そう感じた。

 俺はこのとき、いける、と思った。

 あいつなら俺の気持ちを受け止めてくれるって、そう勘違いしてしまったんだ。



 次の週の休み、俺はあいつを公園に呼び出した。

 その日は曇り空だった。

 待ち合わせ場所に行くと、ジャージ姿のあいつがいた。手にはグローブをはめている。


「遅いぞ、呼び出しておいて、遅れるなよ」

「ごめんごめん」

「ていうか、なんだそのかっこ、野球するんじゃねぇのかよ」


 俺はジャンバーを羽織っていて、下はチノパンだった。

 グローブもボールも持ってきていない。


「野球するなんて一言も言ってないが?」

「じゃあ、なんで呼び出したんだよ」

「それは、おまえに、その、伝えたいことがあってだな」

「なんだよ、早く言えよ」


 急かされるが、なかなか言い出せない。

 深呼吸を何度かして、ようやく決心がついた。


「俺、さ、お前のことが、好きなんだ」

「は? なにを急に、俺もお前のことが好きだけど?」

「違うんだ、俺は、恋愛対象として、お前のことが、好きで、ずっと、好きで……」

「え……マジ?」


 とあいつは困惑した顔になる。


「ああ……マジだ」

「あー、そうか……」


 重い静寂が訪れた。

 ただ風が吹く音だけが響いている。

 この場にいることが、苦しくなってきた。早く帰りたい、そう思った。

 どれくらいお互い黙っていただろうか? 

 数分は経っていたと思う。あいつはようやく口を開いた。


「わり……俺、そういうのは、無理だわ」

「そ、そうか、そうだよな、ははははは」

「……俺、そろそろ帰るわ」

「お、おう、じゃあな」


 あいつは足早に去って行って、公園にいるのは俺一人だけになった。

 冷たい。

 そう思った時、雪が降っていることに気づいた。

 俺はすぐには帰らず、しばらくそこで突っ立っていた。



 あれから一か月後、ここ最近全く会話がなかったあいつが突然呼び出してきた。

 待ち合わせ場所の公園に行くと、あいつはまだいなかった。

 公園では銀世界が広がっていた。遊具に雪がかぶさっていた。誰かが作った雪だるまが寂しそうに佇んでいる。

 しばらく待っていると、あいつは10分以上遅刻してやってきた。

 温かそうなダッフルコートを羽織っていて、首にはマフラーを巻いていて、手には両手とも買ったばかりの手袋をつけていた。


「話って、なんだよ」

「大沢、おれ、愛電に行くことにしたよ」

「え、東星に行くんじゃ?」

「悪い、気が変わった」

「そんな、俺、もう東星と話がついていて、今更、変えるわけには……」

「悪い」

「どうして……一緒に甲子園行こうって約束したじゃないか!」

「悪い、ほんとに。敵になっても応援してるから、それじゃ」

「あっ……!」


 あいつは去って行ってしまう。その背中に手を伸ばす。

 少し走れば届く距離なのに、どこまでも遠くにあいつがいる気がした。

 こんなことになるなら、告白なんてするんじゃなかった。

 そうしたら、あいつと甲子園、行けたかもしれないのに……。

 雪の上で俺は立ち尽くした。

 空からぽとりと雪が頬に落ちてきた。

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春夏秋冬の恋物語 桜森よなが @yoshinosomei

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