紅葉が似合うあの人
私、季節の中では秋が一番好きです。
でも、他の季節に比べるとなんかパッとしないですよね?
秋にだって、いろんな魅力があると思うんですよね。
熱すぎず寒すぎず、過ごしやすい季節ですし、食べ物はおいしいし、なにより紅葉がきれいです。
私、あの鮮やかな紅い葉が好きなんです。
秋になると、私は家の近くにある公園までよく散歩します。
特に用はないです。でも、用がないのに外をぶらぶら歩くのがなんか好きなんですよね。
あの公園への道の途中には、並木道があって、その並木道は秋になると、紅葉で埋め尽くされて、とってもきれいなんです。
だから私はいつもこの公園までの道を散歩コースにしています。
いつのまにか上機嫌に鼻歌なんて歌っちゃって、軽くステップを踏みながら歩いて、いつもの並木道に入りました。
林立する木から紅葉がいくつも舞い落ちてきて、なんだか私を歓迎してくれてるみたいです。
相変わらず美しい景色……と思っていたところに、非日常の風景が目に飛び込んできました。
私の数十メートル先に、なんだかすっごい絵になる女性がいたのです。
紅葉が舞う並木道の中心で、まるで悲劇のヒロインのように、儚げな表情でその女性は立っていました。
空を舞う紅葉は、この景色は、彼女の美しさを際立たせるためにあるんじゃないかとすら思ってしまうほど、きれいな人でした。
しばらく見とれてしまいました。
私はあの人を紅葉さんと心の中で呼ぶことにしました。だって、とっても紅葉が似合っているんですもの。
紅葉さんは、毎日のようにあの並木道にいました。
私の散歩の楽しみが増えました。あの紅葉さんを見ることです。
そうして彼女をずーっと散歩のたびに見ているうちに、私は彼女を密かにお慕いするようになっていました。
ある日の朝、また私は散歩に出かけました。
紅葉さんいるかなーと思って。
並木道に差し掛かる寸前、不運なことにぽつぽつと雨が降ってきてしまいました。
うそー、降水確率、0パーセントじゃなかったっけ?
しかし大丈夫です。こんな時のためにいつも私は折り畳み傘を持ち歩いているのです。
バッグから傘を取り出して、並木道に入りました。
今日もいるでしょうか?
いました。
今日も紅葉さんは並木道の中心にいました。
雨が降っているというというのに、そんなの気にも止めていないかのように微動だにしません。
雨に打たれている彼女は、いつにもまして儚げに見えて、なぜだか泣いているような気がしました。
雨に濡れているから、泣いているように見えるだけかもしれませんが。
でも、そんな彼女を見ていられなくて、私は彼女のほうへ駆けていき、傘の中に彼女を入れました。
彼女が私のほうを向きます。
わ、睫毛ながっ、肌きれい……
近くで見ると、より一層美人です。
「あの、大丈夫、ですか?」
恐る恐る声をかける。
彼女はうつむいて、黙っていました。
「風邪ひきますよ? どうして、傘もささずにずっとそこに突っ立って……」
彼女は沈黙を続けます。
どうしたもんかと思っていると、彼女は「フフフ……」と乾いた笑いを口からこぼしました。
やっぱり、なにか悲しんでいるのだろうと思います。
「……泣いてるんですか?」
「かもしれないわね」
ようやく彼女は口を開いてくれました。
「何か悲しいことでも?」
「ずっと、待っている人がいるの」
「その人はまだ来ないのですか?」
「ええ、ずっと待っているのに、いつまでも来ないの」
雨脚が強くなってきました。大粒の雨が小さな折り畳み傘をしきりに叩いてきます。
私の体がぶるるっと震える。私もさすがに寒くなってきました。
「よかったら、うちに来ませんか? お風呂、貸してあげるので」
「……いいの?」
「ええ」
そうして、私は彼女を自宅まで連れて行きました。
家に帰ると、急いで彼女をお風呂場へと連れて行きました。
彼女がお風呂に入っているうちに、私は電気ケトルを沸かし、コーヒーの用意をする。
今頃、あの人はお風呂に入っていると思うと、少しドキドキしてしまいます。
数十分後、お風呂から上がってきた彼女はタオルを巻いただけの姿で、ぎょっとしてしまいました。
「あっ、すみません、私、着替え、用意してませんでしたね、私の普段着で申し訳ないですが、これを」
服を一式、慌ててタンスから取り出してきて、彼女に手渡す。
彼女はその場でタオルを脱いで着替え始めました。
「わ、わー!」
と私が手で顔を覆うと、不思議そうに彼女は見てきます。
「なにその反応? 私たち、女同士じゃない」
「た、たしかに、そうですけど」
「変な人ね」
とくすっと目を線にして彼女は笑った。
わぁ、笑うと、こんな顔になるんだ。笑った顔もきれいだなぁ、と。私は見とれてしまいました。
着替え終えた彼女に、私は温かいコーヒーを出しました。
「インスタントですみません」
「いえ、かまわないわ、ありがとう」
コップを受け取ると、彼女はずずず、とコーヒーを飲んで、ふぅ、と一息つきました。
「落ち着いてきましたか?」
「ええ、いろいろとありがとう」
「いえ、気にしないでください」
「自己紹介がまだだったわね、私は
「いえ、かわいい名前だと思います」
これは本心からの言葉です。
まさか、私がひそかに紅葉さんと呼んでいた人がほんとに紅葉さんだったなんて、驚きです。
「大学三年生よ」
「どこの大学か聞いてもいいですか?」
「聖峰女学院」
わっ、有名なお嬢様学校だ。
でも、この人のイメージにぴったり。
「ひょっとして、幼稚舎から、ですか?」
「ええ、幼稚舎からずっとエスカレーターで大学まで来てるわ」
純粋培養のお嬢様だ!
初めて見ました、私とは住む世界が全然違うんだろうなぁ。
「大学ではどんなことを勉強しているんですか?」
「私、哲学科なの」
「哲学って言うと、えーと、カントとか?」
知ってる哲学者の名前を適当にあげちゃいました。哲学は全然、詳しくないのです。
「そうね、カントも研究対象だわ、卒業論文もカントに関することにしようかなと思っているの。今のところ分析判断と総合判断について研究しようかなーと思っているんだけど、難しくてね」
「は、はぁ」
私の反応を見て、紅葉さんは苦笑しました。
私がまったく哲学について詳しくないから、がっかりさせちゃったのかもしれない。
こんなことなら教養で取った哲学の講義、もっとまじめに聞いておくんだった。
「ごめんなさい、興味ない人にはつまらない話よね」
「いえ、そんなことは」
「そうだ、あなたのことも教えてよ」
「私は
「豊野大学……」
「豊野大学がどうかしましたか?」
「いえ、なんでもないわ、あなたは何を勉強しているの?」
「私、英文学科なんです」
「へー、英文学ね、卒業論文、何についてやろうとか、考えてる?」
「まだ決めてないですけど、オスカーワイルドに関することをやりたいなーって思ってます」
「いいわね、私もその作家は好きよ、まだ二年生なんだし、これからゆっくり決めていくといいわ」
「はい、あのー、で、それでその、なんであそこでずっと待っていたかなんですけど」
「話さないとだめ?」
「できれば、聞きたいです」
「そうね、あなたには迷惑をかけたものね、いいわ、話してあげる、と言っても、大した話じゃないけどね」
▲
あれは、去年の秋のことだったわ、
本屋で哲学書を何冊か買った帰りに、わたしはこの紅葉があふれる並木道を歩いていたの。
私は先ほど買った哲学書について考えていて、前方不注意になっていたわ。
だから前を歩いていた背の高い男の人にぶつかってしまった。
そのとき、哲学書が入った紙袋を落としてしまったの。
「すみません」
と言って、ぶつかった男の人が紙袋を拾ってくれたわ。
「いえ、こちらこそすみません」
と私が言うと、その男の人がこう言ってきたの。
「哲学、好きなんですか?」って。
私がきょとんとしていると、
「すみません、拾うときに紙袋の中が見えてしまいました。純粋理性批判、存在と時間、カントとハイデガーの本ですよね。僕も哲学書をよく読むんです」
て、にこって彼が微笑んだの。
その笑顔がすごく眩しく見えて、私、それで恋に落ちてしまったの。
自分でも単純だなって思うわ。
その後、私たちはお互いに自己紹介をしたわ。彼は進藤翔っていう名前なんだって。名前も素敵よね。それで私、彼ともっと仲良くなりたいと思って、連絡先を交換してもらったの。
それから私たちはよく哲学について話し合う関係になったわ。
あの並木道の先の公園を待ち合わせ場所にして、よくその公園のベンチで哲学について熱く語り合ったわ。
趣味が合って、気も合って、私、彼が運命の人だと思ったわ。
だから告白しようと思ったの。
それで、いつ告白しようかと悩んでいた時に、彼のほうから呼び出してきたの。あの紅葉彩る並木道に。
私、告白されるんだ、と思ったの。それで内心うきうきしながらあの並木道に行ったら、すでに彼はいて、申し訳なさそうに、こう言ってきたわ。
「僕、もうすぐアメリカに留学に行くんだ」
「え、アメリカ?」
「うん」
「そんな、急すぎるわ。仲良くなったばかりなのに」
「うん、僕も残念だ、君ともっと哲学について語り合いたかった。でも、来年の秋には帰ってくるから。だから、来年、この紅葉が溢れる並木道でまた会おう。それまで待っててくれ」
「わかった、私、待ってるから。だから絶対来てね、約束よ?」
「ああ、約束だ」
そうして、私たちは別れたわ。
あれからちょうど一年、私はずっとここで待っているのだけど、彼はまだここに来てくれないわ。
▼
「……そうだったんですか。だから雨の日もずーっとあそこで待っていたんですね」
「フフ、バカでしょう?」
「いえ、そんなことないです! すっごくいい話だと思います」
「ありがとう」
ふっとにこやかに笑う紅葉さん。その笑顔の素敵なことといったら。
彼女には笑顔でい続けてほしいな、と思ってしまいました。
「それにしても、どっかで聞いたことある気がするんですよね、その男の人の名前」
「あなたと同じ大学よ、その人」
「え、そうなんですか?」
「ええ、どこかで耳にしたんじゃない?」
「うーん、どこで耳にしたんだろう?」
と私が考えていると、紅葉さんはちらっと壁に掛けられた時計を見ました。
「もうこんな時間、そろそろお暇するわ、いろいろご迷惑をおかけしました」
「いえ、気にしないでください、あの、辻林さんは、明日からもやっぱりあそこで待ち続けるんですか?」
「ええ、待ち続けるわ」
と寂しそうに笑って、彼女は帰っていきました。
後日、私は大学の食堂で友達に訊いてみました。
「ねぇ、この大学に進藤翔さんって人がいるらしいけど、知ってる?」
「知ってるよ、有名人じゃない、ほら、ミスターコンテストで優勝した人」
「あー、そっか、あの人か」
そうか、ミスコンで名前を耳にしていたのか。
「なに、佐鳥、あの人のこと、好きなの?」
「いえ、そういうわけじゃ、ないんだけど」
「ほんとー?」
「ほんとよ」
「ほんとにー?」
「ほんとにほんと!」
だって、私が好きなのは、その人を好きな人だから。
「そっか、でも、ほんとに好きじゃないならよかった」
「どういうこと?」
「だって、その人、留学先で……」
「え?」
きっと彼女がそれを知ったら、酷くショックを受けるに違いない、そういう事実を突きつけられました。
大学の帰りに、私はあの並木道へ行きました。
紅葉さんは……いました。
なにもせず、ただ寂しそうに突っ立っていました。
言うべきでしょうか、もう進藤さんは来ないと。
あの人は、留学先で事故にあって、亡くなってしまったということを。
彼女のもとへ向かおうとしました。でも、足が先へ動きません。
あきらめて、私は家へ帰りました。
翌日、また並木道へ行きました。彼女は相変わらずいました。でも、また彼女に声をかけられませんでした。
その次の日も、その次の次の日も、その次の次の次の日も、その先も……。
この想いを伝えたいと思いました。
もし彼女が彼の死を知ったら私に振り向いてくれるでしょうか。
そんな利己的な考えが頭をよぎりました。
でも、彼の死を知った彼女の顔を想像すると、言えませんでした。
結局、私は自分の想いを彼女に告げるのを、あきらめてしまいました。
彼女はそれからもずっと待ち続けています。
きっと、彼の死を知るまで、愚直にも待ち続けるのでしょう。
むろん、いずれ知るときは来ると思います。
でも、まだしばらくは希望を持たせてあげたい。
私は並木道から去りました。
もうここには来ないつもりです。
紅葉で溢れ、鮮やかな色に染まる並木道。
あの景色は、もうすぐ失われる。
すべての紅葉が、地に落ちるときがくる。
冷たい風が吹いて、凍えるように寒い季節がすぐそこまで迫っているのを感じました。
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