第19話 旅立ち
数週間後、有栖は翔太の家を訪ねた。彼の母親は、子供の頃の面影を思い出し「あの有栖ちゃんなの?」と言って歓迎してくれた。そして、家の中に入れてもらい、仏間まで案内された。
仏壇の遺影は、間違いなく笑顔の翔太を映したものだった。有栖は、線香に火をつけ、煙が立つのを目で追うと、鈴(りん)を鳴らし遺影を見ながら両手を合わせた。
彼女には沈黙が恐ろしく感じられることもあれば、逆にそれが無限の価値を持つように思えることがあった。今は仏壇がアンテナとなり、翔太の霊魂と感応道交できる瞬間なのだ。
有栖は目を開けると「ありがとうございました」と頭を下げた。「いいえ、こちらこそ、本当にありがとう」と母親は畏まって答えた。
そして、有栖は翔太の部屋にも案内してもらった。母親の話では、「三年前のままで、何も動かしていない」というのだ。
有栖は大きく息を吐きだすと、単純な言葉につかえてしまった。そして「ここに来てみて良かったです」と言った。
窓際のデスクの上には、ルネ・マグリットの画集が置かれていた。そして、日記帳の開かれたページには一篇の詩が書かれていた。
「街を吹き抜ける風」
風が街の中を吹き抜ける
舞台演劇で
ジュリエット役を演じた
あの少女の住む街にも
果樹園では
たわわに実る林檎の樹を揺らしながら
風が吹き抜けていく
チャペルで結婚式の新郎、新婦にも
風が微笑みかけ
可愛いまなざしの
赤ん坊の乗る乳母車や
日向であくびをする
子犬の横にも
風が通り過ぎていく
誰も、風の姿を見た者はいないけれど
風が街の中を吹き抜ける
風よ、僕の胸の鼓動を届けておくれ
あの街に…
有栖は、翔太こそが風のような存在に他ならないと思った。そして、何故か幸せな気分になった。
恋花~夢幻の砂時計~ 美池蘭十郎 @intel0120977121
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