階段の幽霊

高黄森哉

階段にて


「ああ、あれ、あれ」


 朝比奈はドジだった。何もないところで足を滑らせ、目を覚ますとなぜか階段の上にいる。そして眼下の踊り場では、彼女自身が倒れている。その様子は、透ける彼女の手の平ごしだ。さて、かつかつかつと階段から誰かが降りて来る反響。それは、彼女よりも年上の大人しそうな男子生徒だった。


「なにかあったか」

「え。その前に私の事見えるんですか」


 本を小脇に抱える彼は静かにうなずく。


「私、私、死んじゃったみたいです。ほ、ほら、あそこ」

「それは、まだわからない」


 涙を両目に蓄える半透明な彼女と、踊り場に横たえる彼女の身体を見ても、彼は冷静だった。


「でも。ほら、あれ見てください。花瓶です。きっと私は死んで、私のために」

「あの花瓶なら、前からあそこにあったよ」


 彼女は自分の記憶力のなさを憎んだ。そもそも、人は踊り場の傍にある花瓶など覚えているものだろうか。ならば彼の記憶力を羨んだ。


「助けてください」

「人を呼んで来ればいいんじゃないかな。それで、保健室まで連れてってもらうんだよ。見た感じ気を失ってるだけみたいだしね」

「でも、どうやって。この状態で、どうやって人に助けを呼べばいいんですか」

「あの花瓶を蹴りな」


 花が生けてある透明な花瓶を蹴るが抵抗は少なかった。彼女の全力の蹴りでも、花瓶は辛うじて傾き、バランスを崩して転がるのみだ。


「コツがあるんだよ」


 彼はそう言って花瓶をゆっくり押した。ゆっくり押すことで力は強く伝わるらしい。花瓶は手摺の隙間から下へ落下する。がしゃんと鋭い音が鳴り、悲鳴が聞こえたので、朝比奈は青くなって真下を見ると、男子生徒が上を見上げていた。目が合うことはなかった。


「おい。なんか、花瓶が振って来たぜ」

「行ってみよう」


 彼らが階段を駆け上がって来る。そして、倒れ込む朝比奈を見つけ、身体を揺すった。その時、意識が元の肉体に戻ってきた。


「お前、大丈夫か」

「う、うん。階段から落ちちゃって。幽体離脱してた、み、みたい」

「ふうん。じゃあ、花瓶を落としたのはお前じゃないんだな」

「うん。私も頑張ったんだけど、うまくできなくて。て、あれ」


 そこに彼の姿はなかった。彼女はそのとき、なぜ彼自身が助けてくれなかったか、あの花瓶は一体誰のための物だったか、悟った。



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階段の幽霊 高黄森哉 @kamikawa2001

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