堕落論
坂口安吾/カクヨム近代文学館
堕落論
半年のうちに世相は変った。
昔、四十七士の助命を
この戦争中、文士は未亡人の
いったいが日本の武人は古来婦女子の心情を知らないと言われているが、
武士は
小林
私は天皇制に就いても、極めて日本的な(従って
すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の
我々にとっては実際
日本人の如く権謀術数を事とする国民には権謀術数のためにも大義名分のためにも天皇が必要で、個々の政治家は必ずしもその必要を感じていなくとも、歴史的な嗅覚に
要するに天皇制というものも武士道と同種のもので、女心は変り易いから「
まったく美しいものを美しいままで終らせたいなどと
死んでしまえば身も
私は血を見ることが非常に
私は
けれども私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。
あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、
だが、堕落ということの驚くべき
徳川幕府の思想は四十七士を殺すことによって永遠の義士たらしめようとしたのだが、四十七名の堕落のみは防ぎ得たにしたところで、人間自体が常に義士から
特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は
歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど
私は
終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又、死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を
人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は
堕落論 坂口安吾/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official
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