第23話 還御 

「みんな、お疲れさん、何とか無事終わったな」

 黒いツナギ姿の釜屋が、満面に笑みを浮かべながら守役達を見た。

 彼が一人いるだけで社務所が狭く感じるのは、その存在感がいかにあるかを物語っている。

「神代巫女の躯替えは私達みたいに簡単じゃないからね」

 伝所がお茶を啜りながら頷く。

「まあな。引導役の力を借りながらも、己の意志で身も心もこの郷を離れる意を示す――それが、シキタリだから。神代巫女はこれを百年毎に繰り返す。困ったことに、何故か本人にはこのシキタリの記憶が残っていないから、ちゃんとした引導役が現れるまでは冷や冷やするぜ」

 釜屋はそう嘯くと、湯呑のお茶を呑みほした。勿論、台詞の割には困った素振りなど微塵も感じられない。

「稀代さんは適任でしたね。見事にやってのけた」

 陣屋が満足げに呟くと、その隣の籠屋が相槌を打った。

「じゃあ、私は百年ごとに? ていうか、百年間若いままなんですか? 」

 御前がめをきらきら輝かせながら釜屋を見た。

「神様からの神託があればね」

 染谷が苦笑いを浮かべながら御前のほっぺたを人差し指で突っつく。

「まあ、普通の躯替えの方がいいかも。そのほうがもっと巨乳になれるチャンスがあるし」

 御前の言葉に、社務所の全員がドン引きで彼女を凝視する。

「御前さん、そのチャンス、私に譲って貰いたいよ」

 四方がふてくされたように呟く。

「えっ! どうして? 」

 御前が怪訝そうに四方を見た。

「稀代さんは最後まで私の事を男だって思ってたみたいだし」

 四方は寂しそうに自分の胸に目線を落した。

「霧鵡さん、女だったんですかあ? 」

 御前が目を見開いて隣の四方――霧鵡をまじまじと見た。その目線は彼女の顔よりもやや下方に向けられている。

「染谷さん、泣いてもいい? 」

 霧鵡が目を潤ませながら隣に座る染谷の腕を引っ張った。

「霧鵡ちゃん、ハスキーボイスだし、マスクで顔を隠してるから稀代さんも気付かなかったんだよ」

 染谷が引きつり笑いを浮かべながら霧鵡の頭を撫でた。

「霧鵡さん、マスクとってみてよ。俺、よく考えたら素顔見たことないんだよね」

 大鉈が興味津々の素振りで霧鵡を見た。

「日焼けするのが嫌だから、余り取りたくないんだけど・・・」

 霧鵡は渋々ゆっくりとマスクを外した。

「おおっ! 」

 男達からどよめきが起きる。

 二重の澄んだ瞳、日本人離れした通った鼻筋に、上品な薄い唇――まるでフランス人形の様な、ス―パーモデルも霞んでしまう程の整った顔立ちに、皆、息を呑んで霧鵡を見た。

「恥ずかしい」

 霧鵡の博多人形の様な真っ白な肌が朱に染まる。

「霧鵡さん、先程は失礼な事を言ってしまってごめんなさい」

 御前が真面目な顔つきで霧鵡に深々と頭を下げた。

「いいよ。大丈夫」

 御前の素直な態度に気を良くしたのか、霧鵡は彼女に微笑み返す。

「霧鵡さん、私と合体したら最強ですよ! 」

 御前が興奮しながら霧鵡の手を握りしめると熱い眼差しで霧鵡を見つめた。

「それは困るな・・・私、郷外の守役だから、奉納の儀は出来ないよ」

 霧鵡は、まんざらでもない表情を浮かべながらも、やんわりと断りの言葉を紡いだ。

「霧鵡さん、多分だけどそう言う意味じゃないと思うよ」

 刀人が冷静な口調でぼそっと呟く。

「よねえ、はははは! 」

 霧鵡は更に顔を赤く染めながら、照れ隠しの乾いた笑いを浮かべた。

「でもなんで、霧鵡さんの事、みんな知らない振りしたんですか? 」

 御前が首を傾げた。

「表向きは、稀代さんの『神乃御力』を引き出す為って事にしていた。これは御代さんも巻き込む必要があったからね」

 伝所がそう答えた。

「本当の目的は、郷内で起きる超常現象の矛先を外に向ける為。釜屋さんが染谷さんの結界を壊したり、陰の覇気を放ったり、陣屋さんと籠屋さんが湖畔に局地的な結界を張って死霊を召喚したり、伝所さんが輩の事故現場に霊道を通したりと、色々お膳立てしたんだけど、敵役を外部に向けさせた方が動きやすかったからね」

 普段、余りしゃべらない弓曳が珍しく長々と御前に語った。

「敵が郷外に居る様に見せ掛けた方が俺達も動きやすかったし、それでも彼は勘が鋭いから、内部に敵役がいる事に感づいていたようだけど」

 釜屋がそう言いながら、ちゃぶ台の上の紙包みから顔を覗かせている鯛焼きに手を伸ばした。彼が今朝、道の駅に行ったついでに買って来たものだった。大きなレジ袋二つ分の鯛焼きは山のように机上に盛られ、皆も食べたのだが、その山が平野になるのはまだほど遠いように思われた。

「でも、その方が稀代さんもより御代さんを守ろうとする思いが高まったみたいですね。『神乃御力』の覚醒も尋常じゃない位に早かったし、その力もまだ粗削りだけど

強力だったし。宇古陀さんが来ちゃったのは余計だったけど」

 霧鵡が呟く。

「まあ、宇古陀さんはいいだろう。何となく禁足地に足を踏み入れてしまったとは感じたみたいだしな。それにしても、俺が御山で奴の前に姿を見せた時の、彼の逃げ足の速さは尋常じゃなかったな」

 釜屋が愉快そうにゲラゲラと笑った。

「釜屋さんが元宮の前で消えた時、御代さん、凄くショックを受けてたよね」

 染谷がしみじみと言った。

「まあな、ちょっとかわいそうだったかな。拝殿の隙間から覗こうとしたんだけど、産童神様に見るなって怒られたよ。しまいには一時的に結界の中へ押し込まれちまった」 

 釜屋が苦悶の表情を顔に浮かべた。

「信頼していた身内の裏切りと捉えたんでしょうね。でもそのおかげで、稀代さんの強引な誘いを御代さんも受け入れたんだろうし」

 染谷がそう言うと、釜屋は黙って頷いた。

「谷上さんは可哀そうだったけど、あの事故で一気に話が進んだよね」

 籠屋がしみじみ語る。

「一か八かの賭けだったからな。神代巫女の躯の期限が迫っていたから、やむなく魂の記憶を一時的に残したんだ。産童神様が色々と制約を掛けたんで、直接伝えられないってまどろっこしさはあったし、彼女にも怖い思いをさせてしまったけど、まあうまくいったな」

 釜屋が渋面を作りながらも頷く。

「谷上さんも意識が戻った上に無傷だったし、よかったよ。元の魂の記憶はもう残っていないだろうけど」

 染谷が安堵の吐息をつく。

「郷を出る直前に稀代さんの精気を受けていったから、きっと御加護があったんでしょう」

 伝所が意味深な笑みを浮かべた。

「谷上さんの車に突っ込んだ連中って、輩達の仲間だったんですよね」

 蟲暮が染谷に尋ねた。

「そう、残党みたい。あの事故は私達も手を下していないから、神のみぞ知るって事だけど・・・この郷に弔い合戦氏に来るつもりだったのかどうかも分からない。たまたま、死んだ仲間達を弔いに来ただけなのかなって思ったりもする。けど、違法薬物を大量摂取していたらしいから、その時点で罰当たりものよね」

 染谷はそう答えると溜息をついた。命を落とした輩達への同情と言うよりは、悪事を重ねる愚か者達への蔑みだろう。

「そういやあ、みんな無傷だったんだよな」

 釜屋が大鉈達を見渡した。

「はい、誰も怪我はしていないです。一時意識は飛んじゃいましたけど」

 大鉈が答えた。

「俺もシャツに穴が開いただけなけなんで・・・お気にだったんですけどね」

 弓曳が口惜しそうに呟いた。

「皮一枚でシャツの生地だけを撃ち抜いて木に張り付けたんだからな。凄いよ」

 大鉈が感心した口調で呟いた。

「俺も無傷だったです。湖畔の景観が変わっちゃったけど」

 刀人が申し訳なさそうに語った。彼の眼は、さり気なく陣屋と籠屋に向けられていたが、二人とも苦笑を浮かべただけで苦情を述べる事は無かった。

「僕も、湖に放り投げられただけなんで」

 蟲暮が、控え目に答える。

「私も湖に投げられたけど、蟲暮さんに助けてもらえたので溺れずに済みました。稀代さんは私の力を封じるためにそうしたんでしょうけど、わざと彼のそばに落ちる様にしてくれたんです」

 篝火が顔を赤らめながら語った。

「あの時、私、籠屋さんと窓から見てたんだよねえ。ずぶ濡れになったからすぐにうちに来るかと思ったんだけど来なかったよねえ」

 陣屋がにまにま笑いを浮かべながら篝火と蟲暮を見つめた。

「あ、僕ん家へそのまま。任務が終わったら解散していいって釜屋さんから言われてたので」

「そういや、俺達陣屋さんとこで呑むけどどうするって声を掛けたら、『着替えに行きます』って言ってそのままだったよな」

 弓曳が思い出したかのように呟く。

「そう。俺達、あの後、朝まで吞んでたんだよな。籠屋さんとこっそり滞在していた霧鵡さんも一緒に」

 刀人がぼそぼそと答える。

「私は釜屋さんに迎えに来てもらって、伝所さんも合流して神社で呑んでた。御前さんが異変に気付いて目を覚ましてたから、色々話す必要もあったしね」

 染谷がそう言うと、御前が黙って頷いた。

「じゃあ、篝火さんも家に帰ったの? 」

 御前が、ずばり天下の宝刀を篝火に突き刺す。

「あ、私の家はちょっと離れているから、蟲暮さんの家に・・・」

 篝火がしまったといった表情でちらりと隣の蟲暮を見た。

 蟲暮は思わぬ話の展開に固まったまま、見事に石像と化していた。

「まあいいさ。時の代は確実に動いているし、産童神様の新たな胎動も感じるからな。守役総代の俺が許す」

 釜屋が優し気な笑みを浮かべ、蟲暮と篝火を見つめた。

「あ、ありがとうございます」

 二人は深々と釜屋に頭を下げた。

「てことは、俺も霧鵡さんとってことも考えられるのか」

 大鉈の眼がらんらんと輝く。

「大鉈さん。心の声が漏れてます」

「げっ! 」

 弓曳の忠告に大鉈の表情が引き攣る。

「いやあ、何はともあれ稀代さんは優しいんだよ。優し過ぎる。なんだかんだで手加減してるし、とどめを刺さないし」

 大鉈は冷や汗をかきながら強引に話題を変えると、表情を綻ばせた。

「産童神様からの神託があったからタイマンで戦ったんだけど、もし、みんなで同時に稀代さんを襲ったらどうなっていただろ」

 刀人が徐に呟く。

「たぶんだけど、みんな瞬殺されていただろうな。そうなりゃ稀代さんも流石に力を制御出来ないだろうし」

 釜屋の一言で、守役達は一瞬言葉を失った。

 稀代の「神乃御力」は別格なのだ。引導役として郷人全員を敵に回すのだから、それだけに神の御加護も強いと言えるのだろう。

 強靭破格の力を手に入れながらも、今まで親しくしていた仲間を一気に敵に回さなくてはならないのだから、あの時、稀代が受けたその重圧とストレスはただならぬものに違いなかった。

「そうだ。昨日郷に来た青年はどうなった? 」 

 釜屋が伝所に尋ねた。

「ああ。稀代さんの郷外の友人だって言ってた人ね。まだ郷に居るよ。今、『産童の湯』に泊まってる。稀代さんが郷を離れたって言ったら残念そうな感じだったな」

 伝所が遠くを見つめるような目線で答えた。

「釜屋さん、ひょっとして躯替え? 」

 御前が釜屋を見つめた。

「違うよ。躯替えの対象者ね・・・強いて言えば、『産童の湯』の支配人かな。俺はちょっと特殊なんでね、躯を変える必要は無いんだ」

 釜屋はそう言うと、御前にウインクした。

「えっ! 釜屋さん・・・!? 」

 御前が驚きの声を上げて釜屋を見つめた。

 顔が変わっていた。口元に蓄えた髭や顔に刻まれた皺は無くなり、日に焼けた褐色の肌も色白のそれに代わっている。そればかりか、筋骨隆々の体躯までもが、スリムなシルエットの取って代わっていた。

 釜屋は若返っていた。若返るどころか、全くの別人の青年に変わっていたのだ。

「御前さん、どう? 」

 声も、野太い釜屋のものではなく、澄んだ旋律を刻む透明感のあるボイスへと変貌していた。

「釜屋さん、凄い・・・私の好みのタイプ」

 御前は熱い眼差しを釜屋に注いだ。

「俺はどっちかってえと妖に近いからな。この姿もそうだけど、普段の姿も仮身だし。ただまあ、外にいる事が多いんで、徐々に齢を重ねるごとに容姿を変えているんだ。何年も若い姿で鯛焼き買ってたら、店のおばさんも不審に思うだろ? 」

 釜屋の顔に歪が生じる。と、一瞬にして元の顔に戻っていた。体躯も勿論、元のガチムチに戻っている。

「稀代さん、戻ってきますかね」

 伝所がしんみりと呟いた。

「戻って来てくれないと・・・俺の仕事も手伝って欲しいしな」

 釜屋が社務所の受付を見た。以前、稀代が座っていた場所だった。これだけの人数が社務所に集まっているものの、彼がいない空間は何だか物寂しく、只ならぬ喪失感に埋め尽くされていた。

「物覚えもいいし、仕事の手際もいい。それに、人当たりもいいから、帰って来てくれると助かるんだけどな。まあ、戻り辛いかもしれないけど」

 伝所が寂しそうに呟いた。

「稀代さん、戻ってきますよ」

 徐に霧鵡が声を上げた。

「本当? 」

 染谷が霧鵡の顔を覗き込む。

「ええ、今、代目さんからメールが入りました」

「代目さん? 」

 御前が首を傾げ乍ら霧鵡を見た。

「うん。私と同じ、郷外の守役なんだ。彼は物書きを生業としているから、あらゆる情報が入って来るので、私とはよく連絡を取り合っている。代目さんの話では、稀代さんは昨日の夜、彼の家を訪ねて来たらしい」

「稀代さんが? 」

「そ。代目さんは稀代さんの学生時代の先輩らしいよ。そもそも、稀代さんを引導役候補者として推薦したのは彼だからね。後は私が式神を使って彼をここまで誘導したんだ。本人は気付いていないと思うけど」

「凄い真実。半端ないです」

 余りにも予想だにしない展開に、御前は目を見開いた。

「御代さん、良かったね」

 染谷は振り向くと、背後に佇む人影に、そっと声を掛けた。

「はい・・・」

 御代は目を細めると、嬉しそうに微笑を浮かべた。


                                   《完》

 


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シキタリ 《改》 しろめしめじ @shiromeshimeji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る