第22話 回帰

「凄い話だな・・・」

 鴨川の話に聞き入っていた私は、思わず唸った。

 にわかに信じがたい内容に、最初、私は彼が創作した話を語っているのではないかと勘ぐった程だった。

 彼は大学時代の後輩で、社会人になってからも、週末に時折飲みに行っては会社の愚痴を聞いていた間柄だった。

 彼が私のマンションを訪れたのは、昨日の深夜だった。

 その前の夜から寝ずに車を駆って来たと言う彼を迎え入れた時、その変わり果てた姿に俺は言葉を失った。

 頬はこけ、目の下にはどす黒いクマが浮かび、虚ろな目線は開いているのがやっとという、精魂尽き果てた状態だった。よくぞここまで無事故で来れたものだと褒めてあげたい。

 鴨川は俺が勧めるままにシャワーを浴びた後、缶ビールを一本くいっと飲み干すと、そのままソファーに倒れ込み、死んだように眠ってしまった。

 翌日の昼過ぎになって、奴は漸く目覚めた。

 私が朝飯兼昼飯用に焼きそばをつくると、彼は飢えた獣の如く一瞬にして平らげてしまった。私の分も含めて三玉分あったのだが・・・。やむなく前日のご飯の残りでお茶漬けを作り、胃袋に流し込む。

 俯いたまま、黙って空の皿を見つめ続けている彼に食後の珈琲を勧める。

 空腹が満たされて漸く落ち着きを取り戻したのか、鴨川は珈琲を口にしながらぽつりぽつりと話し始めたのだ。

 彼がその郷に向かったのは、俺も知っていた。彼が配信した動画は全て見ることにしていたので、その足取りはほぼ把握していた。

 その郷の事はSNSで調べても詳しくは分からないもの、その郷にある山岳信仰の神社は、月祭と年祭には年末年始を凌ぐ賑わいを見せると言う情報だけは掴んでいた。

「その、不思議な力ってのは、今は使えるのか? 」

 私は鴨川の眼を見つめた。

「多分駄目でしょうね。あの時の様な気の張りが全く無いんで」

 私の問いに、鴨川は力なく答えた。

「でも何とも奇妙な話だな。お前の誘いにのった巫女さんは力を失ったのに、首謀者当人の鴨が最強の力が覚醒したなんて」

 私は首を傾げた。彼の言う郷のシキタリに反していながら、なぜ彼は神がかり的な能力を発揮できたのか。彼の話は全てが常軌を逸した謎めいたものばかりなのだが、中でもその点が不可思議と不条理が際立っており、そのせいで情報が混沌とし、私の意識下で消化不良を起こしていた。

 考えれば考える程に矛盾が多く、私は推察を導く事すらしかねていた。

「分からないんです。産童神が、俺に何をさせようとしたのか。もし、俺と紗代を郷外へ出したくないのなら、シキタリを破った謀反者として消したいのなら、俺の力も奪うはずです。それに守役達に襲わせるにせよ、一対一じゃなく全員同時の方が圧倒的有利だ。にもかかわらず、それをしようとはしなかった」

 鴨川は頭を振りながら、目線を足元に落とした。

 彼の足元には、漆黒の毛に包まれた日本猫――リンが、寄り添うように横たわっていた。彼女が鴨川を警戒しないところを見ると、彼に忌まわしい妖の類は憑依していない様だった。

 猫は霊的な存在に敏感な生き物だ。私の友人が女性の部下を連れてここに訪れた時、リンが異様な程に怯えた事がある。まあ、私と友人はその理由を知っていたので苦笑するしかなかったのだが、当の本人は釈然としなかったのか、終始不機嫌だったのを覚えている。

「鴨、一つ感じた事を言っていい? 」

 私は躊躇いがちに口を開いた。

 私には迷いがあった。話を聞いた中で直感的に感じ取った事なのだが、付随するエピソードに余りにも矛盾な点が多い為、言葉にするのを控えていたのだ。彼に話すには確証が乏しく、かえって困惑させてしまうかもしれないと言う危惧があったものの、膠着状態の今を解消するには、もはや他に持ち合わせのツールが無かったのだ。

「いいです、話して下さい。俺は大丈夫ですから」

 彼は徐に顔を上げた。彼自身も、私の危惧する素振りを感じ取っていたかのように、張りのある声で返事を返した。

「思ったままの事を、そのまま言うよ」

「はい」

「神様は鴨に巫女さんを郷外に連れ出させようとしたんじゃないか」

「え、でも何の為に? 」

「何かしらの禊の為に」

「禊・・・」

 鴨川は生唾を呑み込んだ。

「職業病かも知れんね。つい、スピリチュアルめいたシュールリアリズムを求めてしまう。鴨も納得いかんだろうし、俺もそう思う。これはあくまでも俺の推測ってより創作な」

 俺は困惑する鴨川に弁明した。

 余計な事を言ってしまったか。根拠の無い推測だけに、かえって彼を思い悩ます結果となったのかもしれない。

 だが、意外にも鴨川は納得したように大きく頷いた。

「実は、俺もそう思ってました・・・色々と辻褄が合わない処もありますけど」

 鴨川は微笑んだ。

 無力感と虚無感しか感じられなかった彼の眼に、仄かな光が宿る。

「今となっては、確認のしようが無いけどな」

 私は慌てて自分の発言に弁明とさり気ない忠告を添えた。

「そうだ、この前、伊久宮が来て、ここにあるカタカムナの資料を読み漁ってたぞ。鴨川から面白い話を聞いたって。それ以上は話してくれなかったけど、ひょっとしてその郷に関係あるのか? 」

 俺がそう問いかけると、鴨川の眼に驚きの色が浮かぶ。

「あいつが? 」

「ああ。民俗学者の血が騒ぐとか言ってさ。よく分からんけど、テンションあげあげだった」

 俺がそう答えると、鴨川は嬉しそうに表情を緩めた。

「伊久宮と連絡は? 」

「最初は取ってたんですが、今はとってないです。と言うか、とれなかった。迂闊に郷の事を言うと、禁忌に触れる部分まで話してしまうんじゃないかって心配で。もう話しても大丈夫だと思います。多分ですけど」

 鴨川は苦悶に表情を歪めた。知らず知らずのうちに、彼もシキタリの虜囚となっていたのだ。

 そこまで彼を、郷の住民を縛るシキタリって、何なのだろう。信仰に付随した厳格な戒律めいたものがあるのだろうか。

「じゃあ、ちょっと聞いていい? 郷のシキタリって、どんな内容なの? 」

「俺もよく分からないんです。色々と教えてもらう前に脱郷して来たんで」

「そうか・・・でも間違いなく、その根源は産童神信仰に在りそうだね」

「恐らくそうです」

 彼の返答に、私は黙って頷いた。

 不思議な郷だ。信仰に基づくコミュニティーみたいな集落なのだろうか。でも、表面的にはそうでもなさそうなのだが。

 それにしても、産童神とは何なのか。

 私は仕事柄、ありとあらゆる参考文献を手元に揃えたり調査をしており、神話なども国内外を問わず掘り下げて探求したりしている。

 だが、私の知る限りでは、文献上、この神の名は全く出てこないのだ。

 鴨川も独自に神社や郷の古文書を調べたらしいのだが、起源に関わるものは見つからず、全てが産童神ありきで書き記されたものばかりだったそうだ。

 謎多き神、産童神。

 でも、産童神に係わる謎はそれだけじゃない。

 スピリチュアルな話や怪談、都市伝説がブームの昨今、メディアが食いつきそうなネタがごろごろしていそうな匂いがするにもかかわらず、誰もが取り上げようとしないのは何故なのか。

 以前、山で起きた神隠し事件や動画配信者の行方不明事件も、水面下ではまことしやかに語られるものの、メディアが大々的に報じる事は無かった。

 まるで、触れてはならない忌避の案件であるかのように。


 まさか。


 不意に、背筋を悪寒が走る。

 私は気付いたのだ。

 郷民ではない我々までもが、気付かないうちに郷の掟――シキタリに束縛されているのではないかと。

 そう考えれば、郷を取り巻く様々な矛盾も、また、その矛盾を追求させない不文律の存在も、納得出来るような気がする。

 鴨川の話では、一部の度が配信者以外には、一般的には余り知られていないにもかかわらず、神社の例祭にはとんでもない数の参拝客が訪れるそうだ。だが、謎多き神の存在は、興味深いものの触れてはならない禁忌の神秘性を同時に秘めてるように感じる。

 邪推を張り巡らせる者達にとっては、郷自体が禁足地なのだ。

「これからどうするの? 実家に戻るの?」

 私は彼に問い掛けた。

 彼は無言のまま、じっと天井を見上げた。

「実家には戻りません」

 彼は落ち着き払った声ではっきりと私にそう返した。

「じゃあ何処に? 行先が無いならしばらくここに居座ってもいいぞ。空いている部屋もあるし」

「有難うございます。でも、行先は決まっているんです」

「何処へ? 」

「忘れ物を届けに」

「忘れ物? 」

「服とチョコレートです」

 鴨川はそう言うと、ソファーから腰を上げた。

 


 

 

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