嘘つき彼女がドレスを脱いだら

みこと。

本編

「エッダ・スコルーテェ、僕はきみとの婚約を破棄する!」



 突然響いた声が、王太子シグルドから発せられたものであり、またその内容を咀嚼して、宴席の貴族たちは耳を疑った。


 今日は王子の十八回目の誕生日。

 その祝いの席において、彼はなんと宣言したか。


 積年の婚約者である公爵家のエッダ嬢と別れる。


 そう聞こえたが。


 驚く貴族たちが、名指しされたエッダとシグルド王子に目を向ける。


 ──何があったんだ?──


 固唾を飲んで、周囲は流れを見守った。

 エッダ自身もまた、事態に戸惑ったようだ。


「それは……いかなる理由で、でございましょう?」


 消え入りそうな声で、うつむきがちにエッダが問い返す。


 公爵家の総領姫であるにも関わらず、エッダは常に控えめで、目立つことを嫌う令嬢だった。


 幼い頃の彼女を知る者は、首を傾げる。

 天真爛漫で物怖じしない女の子だったのに、いつからこんなに消極的になったのだ、と。

 そしてその様子を歯痒く思っていたのは、他ならぬ婚約者であったらしい。


「言いたいことがあるなら、もっとはっきり言ったらどうだ! ここまで声が届かぬぞ」


 王太子の苛立つ声に、ひゃっ、とエッダが身をすくめた。


 繊細に結い上げられた月色の髪が、彼女の身にそって小さく震えている。


 そんなエッダを「ふん」と見下ろし、シグルドが言葉を続けた。


「きみは随分と多くの隠し事をしているようだ。それにかなり夜遊びが好きらしい。きみにつけている者たちから報告を受けている。毎夜、きみは屋敷を抜け出すと。どこで何をしている? やましいことがないなら、ここで釈明してみせよ」


「なぜ、このようなおおやけの場で……」


「このような場でもないと、すぐに姿をくらませるだろう。婚約者である僕との逢瀬もおざなりで、いつも"都合が悪い"とすっぽかす。病気で臥せっていると聞き案じたのに、その夜には遊びに出たと聞く。嘘だらけの女が、王太子妃の座に相応しいと思うか?」



 ざわ……。



 女性を晒し者にしていると、王太子に眉をひそめていた聴衆だったが、どうやら非はエッダの方にあるらしい。

 責めるような眼差しが、エッダを突き刺す。


「それは……、それについては申し訳なく、ですがあの……」


 か細いエッダの声が、言葉を探して途切れた時だった。



 ガシャーン!!



 いきなりの破壊音。何枚もの大窓が同時に割れ、乱れた足音とともに、広間に闖入者が雪崩なだれ込む。


「な、なんだ?!」


 貴族たちの悲鳴の中、すぐに腰の剣を探ったシグルドの手がくうを切り、同時に顔をしかめた。

 生誕の祝宴中とて帯剣してなかったことを、思い出したらしい。


 壁脇に配置されていた衛兵より先に、賊のひとりがエッダを捕らえ、その細首に剣を押し当てた。


「動くな! 王太子の婚約者がどうなっても良いのか!!」


 恫喝の前に、兵の足が止まる。


 賊が纏う装束に、過激で知られる邪教のシンボルがあしらわれていた。脅しではなく、実行しかねない。



「あの……」


 泣きそうな響きで、緊迫の空間に割って入った声は、人質にされたばかりのエッダだった。


「私はいま婚約破棄されましたので……、殿下の婚約者ではなくなりました」


 ぐっ、とシグルドが顔を赤らめ、息を詰める。


「そんないい加減な嘘で、解放されると思ったか! 王太子が十年以上、公爵家のエッダ・スコルーテェ一筋ひとすじだということは、国中の者が知っているぞ」


 ぐぐっ、と別の意味でさらにシグルドが赤く染まる。


ちまたで有名な"真実の愛"とやらの前に、愛しい王太子どのはその身を差し出してくれるかな? さあ、王太子よ! 婚約者の命が惜しくば、ゆっくりとこちらに歩いて来い。おかしな真似はするなよ」


「いけません、殿下」

「殿下!」


 にがい顔のまま指示に従う王太子に、制止の声が降り注ぐ。


「シグルド様!?」


 賊の手の中で、エッダが焦るような声を上げた。


「さすが、ずいぶんと素直だな」


「こんなことをして、お前たちもただでは済まないぞ?」


「元より、無事に帰れるとは思ってねぇ。だがお前をしとめることが出来れば、この国の勢力が変わる。我らが神も、喜ばれる。ほら、もう少し、剣の間合いに入ってこい」


 賊が伸ばす剣の切っ先が、シグルドの頬に触れ、赤い筋を作った瞬間。


 怒気が、弾けた。




「あなた、今! シグルド様に何をしたの……っ」


 震える声は恐怖ではなく、怒りに満ちて揺れている。

 エッダの華奢な肩が、小刻みにわなないた。


「おや、どうかしたかな、お嬢さん」


 揶揄からかうような賊の余裕は、そこまでだった。


「エッダ、動くと危険──」


 シグルドの声に重なり、バキイッと大きな音が鳴り響いた。


「──だ! ……え……?」


 王太子と賊の目が、見開かれる。


「「え」」


 複数の声が、いま見た光景が信じられないとばかりに、漏れた。


「えええっ!!」


 唱和の前に、乾いた音とともに折れた剣先が、床に落ちる。

 エッダの素手が、はがねくだいていた。


 それが自分の武器だと気づいた賊が慌てて剣を引くも、すぐに鋭い"爪"が男を追い、その場に血しぶきが舞った。


「エ、エッダ?」


 呼びかけたシグルドが見たのは、結っていた髪がほどけ落ちた頭部に、ピンと立つ獣耳。


 長く伸びた爪を濡らした、獣人姿の、エッダだった。




 建国神話にある。

 遠き昔、王族の祖となる太陽の子が地上に降りた時、天空の狼も神を追って共に来たと。


 太陽を追う狼、スコル。


 今なお、北の神話に残る名である。


 太陽の子も天狼も、永い時の間にその血を薄め、人間ひととして王国にあった。


 それぞれ王族と、それを支える公爵家として。


 家系ではまれに血が強まり、先祖返りでいにしえの血が呼び覚まされる。


 エッダの家は、ここ数代、親族間での婚姻が重なった。


 結果として、エッダは年頃になると覚醒し、天狼の能力チカラを開花させてしまった。



 シグルドは狼は平気だろうか?

 もしかしたら苦手かもしれない。


 事が発覚したら、恋しい相手と結ばれなくなるのでは。


 日々は人間そのものの姿でも、感情がたかぶると"獣人化"してしまう。

 シグルドを意識するだけで心臓が跳ね、耳が飛び出してしまうのだ。到底会えやしない。

 

 ひたすら注目を避けて大人しく過ごしていたのは、切ない乙女心で。

 夜出かけていたのは、血から来る興奮を"狩り"で発散させるためだった。


 



「どうして何も話してくれなかったんだ」


 拗ねたように目を据えて、シグルドが問いただす。


「この国で先祖返りは歓迎されているだろう? 神代かみよの力の復帰として。隠す必要なんてなかったのに」



 人質が自力で脱した後、衛兵は難なく賊を取り押さえた。


 狂信者の集団が、転移陣を使って王宮に侵入した事件は由々しく、手引きした者を見つけ出すためせわしなくざわめく周囲をよそに、シグルドとエッダがふたりの空間を作っている。


 作っているが、見過ごされていた。

 王太子がある程度なごんでくれてないと、厳しい陣頭指揮で現場が泣きをみる。


 なにせこの国の王太子と公爵令嬢は、知られた両想いなのだ。

 "婚約破棄"宣言は、エッダの隠し事を聞き出すための大博打だったらしい。話を展開する前に、アクシデントが発生したが。


 さっさと破棄を撤回して、シグルドの詰問が続く。


「ずっと避けられて、傷ついてたんだぞ。僕のことが信用できなかったのか?」


「そんなことは──!! っ、いえ、そうですよね。ごめんなさい……。怖かったのです。私の真の姿を知ったシグルド様に拒絶されることが」


「真の姿……。そのケモミミのことなら、可愛い、と思う」


 首の後ろまで真っ赤になりながら、シグルドが言う。

 照り返されたようにエッダが茹で上がりつつも、「耳だけでは……ないのです」と呟いた。


「と、いうと?」


「その……。今はドレスで隠れていますが」


「他にも何かあるのか?」

 

 うっ、と俯き恥じらいながら、エッダがそっと耳打ちした。


「しっぽが、この下に」


「!!」


 シグルドの視線は、パニエで膨らむドレスの腰へと落とされた。


「それは、とても気になるな……。見てみたい」


「だ、だ、だ、駄目です!! 結婚するまでは!!」


「──残念だ。今すぐにでも襲って食べてしまいたいくらい、魅惑的なきみなのに」


 シグルドの口説きに冗談めいた気安さを見て取り、耳としっぽを受け入れてくれた安心から、エッダに笑顔が戻った。


「ふふ、シグルド様。肉食は私の分野ですよ」


 可憐な声が囁くと。


 かぷ。


 耳打ちの至近距離のまま、シグルドの耳朶じだは恋人から甘噛あまがみされた。


 それは優しく、小さな牙の痛みはほどよい刺激で。


 天の狼の牙は、ついに太陽に届いたのだった。

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