占い
日乃本 出(ひのもと いずる)
占い
人けの少なくなった深夜の街中を、一人の女性がおぼつかない足取りで歩いていた。
彼女の名前は映子。年齢は二十代の後半くらい。これといって特筆すべき特徴のない容姿をもち、これまたこれといった特徴のない会社に勤め、やはりこれといった特徴のない人生を送ってきた。
そんな平凡を絵にかいたような彼女ではあるが、彼女にだってささやかだが夢というものがあった。
それは、素敵な男性との出会い。
その夢を叶えるために、映子は映子なりに努力を重ねてきた。会社でコンパがあればこぞって参加し、独身男女のパーティがあればもちろん参加し、出会い系サイトや結婚相談所にも登録したりしていた。
だが、彼女がいくら努力しても、運命の女神――いや、この場合は白馬の騎士といったほうが適当だろうか――が彼女に微笑んでくれることはなかった。
今日も彼女はコンパに行ったが、いつものように空しい時間を過ごすだけだった。それでコンパの帰り道に一人で一杯ヤケ酒をあおり、家路についている途中といった次第。
いつもと同じ帰り道を面白くない気分で歩いていると、彼女の目にいつもとは違う光景が目に入った。
街路樹の横に布で覆われた小さなテーブルが置かれ、その上に大きな水晶玉が乗っている。その水晶玉の両脇にはろうそくが二本立てられており、そのろうそくの火によって一人の人間が照らし出されているのが見えた。
全身を黒いローブで闇に溶け込ませたその姿からかろうじて見えるのは、黒いローブから露出している顔部分くらいで、その顔部分にはいくつものシワが刻まれているようだった。
そんな見るからに怪しい人物の横には『ウラナヒ・ヨクアタリマス』の垂れ幕。怪しいを通り越してむしろ興味津々にならざるをえないような風貌である。
その奇妙な光景に映子が思わず立ち止まると、その黒ローブの人物がゆっくりと、映子に向かって手招きをしはじめた。普段ならばあんな危険人物の側に近寄ることなどありえないのだが、酒が映子の気を大きくさせた。映子はその手招きに応じ、ゆっくりと黒ローブの人物の側へと近寄っていった。
「そなたは、今、悩みを、持って、おられる」
一つ一つの単語をゆっくり言い聞かせるような調子で、その人物は映子にそう言った。そのしわがれた声からは男女の判別はつかなかったが、少なくとも結構な年齢であることだけは確かなようだ。
「悩み? そう! 悩みがなければ、こんな風にお酒を飲んだりなんかしないわよ!」
「落ちつき、なさい。そなたの、悩みは、異性との、出会い、であろう?」
ズバリと言い当てられ、映子は少し動揺した。
「どうして、そうお思いなさるの?」
「ワシの、商売は、人の、悩みの、解決。そして、ワシは、この道、五十年。もう、見ただけで、人の、悩みが、わかる」
淡々とではあるが、その口調には長い経験による抗しがたい説得力のようなものが感じられた。その口調に次第に映子は引き込まれ、ローブの人物の前に置かれた椅子に腰掛けた。
「実は、あなたのおっしゃるとおりなの。わたしって、見ての通り、何の取り柄もない女なんですの。そんなわたしが、ステキな男性と出会いたいと思うことがそもそもの間違いなんでしょう? 周りのお友達からもそう言われてるし、自分でもそれは重々承知しているつもり。でも、やっぱり願ってしまうの。だって、女性は誰でも、白馬の王子様にあこがれるもの。何の夢も目的も取り柄もないわたしだけど、せめてそれくらい夢見たとしてもいいじゃない! ねえ、そう思いません?」
今までに、たまりたまった
「人が、何を願おうが、人の、自由。だが、願いが、叶うかは、別の話。ゆえに、人は、悩む。その、悩み、解決、したくは、ないか?」
「と、申しますと?」
「そなたの、願い、叶うか、否か、答えを、出して、やろう。さすれば、そなたの、悩み、解決する」
映子は少し考えた。確かにそうかもしれない。今の自分はいつ出会えるかわからない人物――というよりそもそも存在するのかもわからないような人物を追いかけている。その人物に会えるか会えないかをハッキリしてもらえれば、少なくともこのまま年を重ねて婚期を完全に逃してしまうような惨事は防げるかもしれない。ここで答えを聞いてしまうのは怖い気もするが、やはり答えを聞いておくべきだろう。映子はそう思い、ローブの人物に言った。
「それじゃあ、お願いしようかしら」
「そうか。それでは、そなたの、望みの、人物像。それを、ワシに、教えなさい」
どうせ聞くなら、思いっきり理想の高い人物像にしよう。映子はそう思い、それを口にした。
「身長が高くて、学歴もよくて、容姿端麗、温厚な性格でわたしを心から愛してくれる男性です」
映子が言い終えると、ローブの人物は水晶玉に両手をかざし、何やらぶつぶつ呟いたかと思うと、水晶玉が一瞬、閃光を放った。それに驚いて椅子から転げ落ちそうになった映子の腕を、ローブの人物がつかんで言った。
「そなたの、願い、かならずや、叶えられる、であろう」
「本当?! それはいったい、いつ頃になるのかしら?!」
「いつかは、わからぬ」
「いつかはわからないですって? なんとも頼りない話ね」
「だが、そなたの、望みの、人物は、かならずや、あらわれる。ワシの、占いは、外れた、ことが、ない」
「まあ、ともかく結果に満足すべきかしらね。わたしの唯一の夢が叶うっていう、確信がえられたことに違いはないのだから」
映子はそう思い、ローブの人物に占い料を手渡して家路につき、今までに感じたことのない満足感の中で寝床についた。
それからというものの、映子は毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。仕事や生活リズムは以前とまったく変わらないが、映子の心持ちに大きな変化が起こったからだ。
(いつか、わたしの憧れの人に会える!!)
この事実が、映子の生活からいつも映子が感じていた焦燥感を取り払った。いつか必ず憧れの人に会えるのに、焦る必要などないのだから。
さらに、同僚や友人の結婚から感じる劣等感をも取り払ってくれた。同僚や友人のお相手より、わたしの憧れの人のほうが素晴らしいに決まっている。逆に映子はそんな同僚や友人達に優越感を感じるようになっていった。
それから年月はどんどん過ぎてゆき、やがて映子は三十歳になった。それでも映子は焦ることなく、悠々と毎日を過ごしていった。
そんな映子の姿に、周囲の人々は映子はもう結婚を諦めているのだろうと思っていた。
今まで必死にお相手を探していた人間が、突如それをやめ、しかも
それで、周囲の人々は映子を哀れみの目で見るようになり、友人たちは事あるごとに映子にお相手候補を探してくるようになった。
友人達の連れてくるお相手はそれこそピンからキリだったが、中には以前の映子なら飛びつくような良いお相手もいた。
だが、そんなお相手さえも映子は断ってしまうのだ。そんな垂涎のお相手をお断りする理由は簡単、そのお相手が、以前にローブの人物に話した映子が理想としたお相手よりも劣っていたからだ。
友人達も最初は躍起になってくれていたが、次第に映子にお相手を紹介するのが馬鹿馬鹿しくなり、そのうちに映子にお相手を紹介することをやめてしまった。
しかし、映子はそんなことを気にもしなかった。別に紹介されなくとも、お相手はいずれ自分の目の前に現れてくれるのだから、別段あせる必要などないのだ。
そしてさらに年月は過ぎていき、映子は三十五歳になった。
さすがにこの頃になると、映子もあの占いの結果に対してかなりの疑問を抱き始めていた。
(どうしましょう。確かに占いは当たっているのかもしれないけど、さすがにこれ以上待つというのは我慢ができないわ)
そんなことを思っていると、映子の頭にある考えがひらめいた。
(そうだわ! わたしは“出会えるか”と聞いたのであって、“結婚できるか”とは聞いていなかったわ! それだと、このまま待っていればその人と出会えるかもしれないけど、結婚できるかどうかはまた別問題じゃないの!)
自らのひらめきに映子は愕然とした。となれば、今までのように出会いを待っているわけにはいかない。
だが、行動しようにも映子にはその気力も体力も境遇も、昔と大きく違うのだ。昔はまだ若さという武器があったのだが、今の映子にはそれすらないのである。映子は目の前が真っ暗になるような気がした。
そんな沈んだ気持ちをどうにかしようと、映子はその夜、行きつけの屋台で一人でヤケ酒をあおった。
やがて深夜となり、屋台の店主から看板を言い渡され、映子はおぼつかない足取りで人けのなくなった街中を歩きだした。面白くない気分で歩いていると、映子はふと思い出した。
(そういえば、あの時もこんな感じだったわね……)
映子はおぼろげな記憶を頼りに、以前に占ってもらった場所へと足を向けようとした。すると、思った以上にお酒がまわっていたようで、映子は足をもつれさせ、道路のほうへと倒れこんでしまった。
「もう……最悪だわ……」
己のあまりのみじめさに、突っ伏したまますすり泣いていると、とつぜん背中を思いっきり引っ張りあげられた。びっくりして振り向くと、なんともさえない平凡そうな男の顔が映子の目にはいった。
「何をなさるの?!」
映子がそういい終わるやいなや、映子のすぐ側をスポーツカーが猛スピードで駆け抜けていった。映子がそのまま突っ伏していたら、間違いなくひかれていただろう。
「きゃっ!?」
映子は思わず飛びのいた。その拍子に男の体によりかかってしまい、男から抱きとめられた。
「あ、すみません! その、あのままだと貴方が危ないと思って、思わず力任せに引っ張ってしまって……」
見た目とは裏腹な魅力的で優しい声だった。映子はあわてて男から離れた。
「こちらこそ、そうとは知らずに、あんな大声を出してしまって申し訳ありません……」
映子はそういって頭を下げた。そして頭をあげると、男と映子の視線が交差した。
「あ……」
「あ……」
二人とも、言葉がでなかった。いや、言葉が必要なかったというのが正しいのだろう。なぜなら、二人はまるで超新星爆発のような衝撃を同時に感じ、そして二人は同時にお互いに心惹かれあったのだから。
それから二人は交際を始めた。
男の名は
二人は半年ほど交際をした後、結婚した。
結婚して一年後、子供ができた。男の子だった。
子供ができたのをきっかけに、映子は仕事をやめて専業主婦となった。正直、今後の生活に不安がないわけではなかったが、弘樹が子供のためにもそうしてやってほしいと強く映子に願ったため、そういう決断をしたのだ。
映子の想像通り、やはり決して裕福とは言えない生活にはなったが、それでも子供の成長を一番そばで常に見続けることができるということは、映子にとって最上の幸福をもたらした。
この子のために、わたしは全てを捧げよう。映子はそう強く決心し、毎日を過ごしていった。
子供もそんな映子の愛情を一身にうけ、すくすくと成長していった。
幼稚園から小学校へと進級するくらいに成長すると、映子と弘樹は自分の子供に多大なる期待をかけるようになっていった。
なぜなら、二人の子供は二人にまったくといっていいほど似ていなかったのだ。もちろん、それは悪い意味ではなく、良い意味で、である。
容姿は淡麗そのもので、学力も普通の子供以上に高く、それでいてスポーツも得意であるのに対し、性格は温厚そのもの。誰にでも平等に接し、誰にでも愛される、そんな素晴らしい子供であった。
やがて子供は中学、高校、大学と順調に卒業し、そして世間で一流と呼ばれる企業につとめることになった。その初出勤日の朝、子供は二人に言った。
「お父さん、お母さん、僕をここまで育ててくださって、ありがとうございます。特にお母さんは、常に僕のそばにいてくださって、つらいときも悲しいときも、いつも優しい言葉をかけてくださいました。だから、初任給が入ったあかつきには、お母さんに何かプレゼントを差し上げますから、期待していてくださいね」
それを聞いた映子は感極まる思いであった。弘樹が「おいおい、お父さんはどうなるんだよ?」と笑いながら訴えているを聞きながら、映子は自分の人生が報われたような充足感に満たされていた。
だが、一つ心にひっかかることがないわけではなかった。それは、以前にローブの人物から言われた占いの結果である。昔はあれほど望んでいた相手ではあるが、今になっては、そんな相手を望んでいたことが馬鹿らしいことだと感じてはいる。だが、もし会えるのならば、会ってみたい気も――という気持ちもないわけではないのだったからだ。
映子は頭を振り、そんな考えを頭から追い出した。こんな晴れの日に、そんなことを思ってはいけない。今日は手塩にかけた息子の記念すべき日なのだ。笑顔で送ってあげなければならない。
「行ってきます――!」
そう力強く言う、身長が高くて学歴もよく、容姿端麗でスポーツ万能、それでいて心優しく、母である映子を心から愛してくれている息子――――それはかつて映子が占い師に言った理想の相手そのものであった。だが映子はそのことに気づかず、かつて恋焦がれた理想の相手である息子を、笑顔で見送った。
占い 日乃本 出(ひのもと いずる) @kitakusuo
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