九 ジョバンニの切符

「もうここらははくちようのおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオのかんそくじよです。」

 まどの外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きなたてものが四とうばかり立って、その一つのひらの上に、もさめるような、青宝玉サフアイア黄玉トパーズの大きな二つのすきとおったきゆうが、になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだんむこうへまわって行って、青い小さいのがこっちへすすんで来、間もなく二つのはじは、かさなり合って、きれいなみどりいろのりようめんとつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースのしようめんに来ましたので、緑の中心と黄いろな明るいとができました。それがまただんだんよこれて、前のレンズの形をぎやくかえし、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、またちようさっきのような風になりました。ぎんの、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒いそつこうじょが、ねむっているように、しずかによこたわったのです。

「あれは、水のはやさをはかるかいです。水も……。」鳥りがいかけたとき、

きつはいけんいたします。」三人のせきよこに、赤いぼうをかぶったせいの高いしやしようが、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、すぐをそらして(あなた方のは?)というように、ゆびをうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。

「さあ。」ジョバンニはこまって、もじもじしていましたら、カムパネルラはわけもないという風で、小さなねずみいろのきつを出しました。ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしかうわのポケットにでも、入っていたかとおもいながら、手を入れてみましたら、何か大きなたたんだ紙きれにあたりました。こんなもの入っていたろうかと思って、いそいで出してみましたら、それは四つにったはがきぐらいの大さのみどりいろの紙でした。車掌が手を出しているもんですからなんでもかまわない、やっちまえと思ってわたしましたら、車掌はまっすぐに立ち直ってていねいにそれを開いて見ていました。そして読みながらうわのぼたんやなんかしきりに直したりしていましたしとうだいかんしゆも下からそれをねつしんにのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれはしようめいしよか何かだったと考えて少しむねあつくなるような気がしました。

「これはさん空間のほうからおちになったのですか。」車掌がたずねました。

「何だかわかりません。」もうだいじようだとあんしんしながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつわらいました。

「よろしゅうございます。サウザン十字クロスきますのは、つぎだい三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。

 カムパネルラは、その紙切れが何だったかねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニもまつたく早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒いからくさのようなようの中に、おかしな十ばかりの字をいんさつしたものでだまって見ていると何だかその中へまれてしまうような気がするのでした。すると鳥りがよこからちらっとそれを見てあわてたようにいました。

「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行けるきつだ。天上どこじゃない、どこでもかつにあるけるつうこうけんです。こいつをおちになれぁ、なるほど、こんなかんぜんげんそうだいよんぎんてつどうなんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方大したもんですね。」

「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれをまたたんでかくしに入れました。そしてきまりがわるいのでカムパネルラと二人、またまどの外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというように、ちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。

「もうじきわしていしやじようだよ。」カムパネルラがむこぎしの、三つならんだ小さな青じろいさんかうひようと、とをくらべていました。

 ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気のどくでたまらなくなりました。さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくるつつんだり、ひとのきつをびっくりしたようによこで見てあわててほめだしたり、そんなことを一々考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうのしあわせになるなら、自分があの光る天の川のわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももうだまっていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、とこうとして、それではあんまり出しけだから、どうしようかと考えてかえって見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りがませんでした。あみだなの上には白いもつも見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕るたくをしているのかと思って、いそいでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしいすなと白いすすきのなみばかり、あの鳥捕りの広いせなかもとがったぼうも見えませんでした。

「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそうっていました。

「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。ぼくはどうしても少しあの人にものを云わなかったろう。」

「ああ、僕もそう思っているよ。」

「僕はあの人がじやなような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんなへんてこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。

「何だか苹果りんごにおいがする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネルラがそうにあたりを見まわしました。

「ほんとうに苹果の匂だよ。それからいばらの匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでもはいって来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のするはずはないとジョバンニは思いました。

 そしたらにわかにそこに、つやつやした黒いかみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。となりには黒いようふくをきちんとたせいの高い青年が一ぱいに風にかれているけやきの木のような姿せいで、男の子の手をしっかりひいて立っていました。

「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり、十二ばかりのの茶いろなわいらしい女の子が、黒いがいとうを着て青年のうでにすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。

「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちはかみさまにされているのです。」黒服の青年はよろこびにかがやいてその女の子にいました。けれどもなぜかまたひたいふかしわきざんで、それに大へんつかれているらしく、わらいながら男の子をジョバンニのとなりにすわらせました。

 それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりのせきゆびさしました。女の子はすなおにそこへ座って、きちんとりようを組み合せました。

「ぼく、おおねえさんのとこへ行くんだよう。」こしけたばかりの男の子は顔をへんにしてとうだいかんしゆむこうの席にすわったばかりの青年に云いました。青年は何とも云えずかなしそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしくいてしまいました。

「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろおごとがあるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなにながっていらっしゃったでしょう。わたしのだいなタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪のる朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待ってしんぱいしていらっしゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」

「うん、だけどぼく、船にらなけぁよかったなあ。」

「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あのりつな川、ね、あすこはあの夏じゅう、ツインクル、ツインクル、リトル、スターをうたってやすむとき、いつもまどからぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」

 泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。

「わたしたちはもう、なんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこをたびして、じきかみさまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくてにおいがよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちのわりにボートへれた人たちは、きっとみんなたすけられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」青年は男の子のぬれたような黒いかみをなで、みんなをなぐさめながら、自分もだんだん顔いろがかがやいて来ました。

「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」さっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。

「いえ、ひようざんにぶっつかって船がしずみましてね、わたしたちはこちらのお父さんがきゆうな用で二ケ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとからったのです。私は大学へはいっていて、ていきようにやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日きよう昨日きのうのあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんにかたむきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、きりじようふかかったのです。ところがボートはげんの方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなはらないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私はひつとなって、どうか小さな人たちを乗せて下さいとさけびました。近くの人たちはすぐみちを開いてそしてどもたちのためにいのってくれました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんかて、とてもしのけるゆうがなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをおたすけするのが私のだと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行くほうがほんとうにこの方たちのこうふくだとも思いました。それからまたその神にそむくつみはわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれども、うして見ているとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんがきようのようにキスをおくりお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももうはらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかりかくして、この人たち二人をいて、うかべるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのをっていました。だれげたかライフヴイが一つんで来ましたけれどもすべってずうっとむこうへ行ってしまいました。私は一生けんめいかんぱんこうになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく  番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのときにわかに大きな音がして私たちは水にちました、もううずに入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年おととしくなられました。ええ、ボートはきっとたすかったにちがいありません、何せよほどじゆくれんすいたちがいですばやく船からはなれていましたから。」

 そこらから小さなたんそくやいのりの声が聞こえジョバンニもカムパネルラもいままでわすれていたいろいろのことをぼんやり思い出してあつくなりました。

 (ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。そのひようざんながれる北のはての海で、小さな船にって、風やこおりつくしおみずや、はげしいさむさとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気のどくでそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首をれて、すっかりふさぎんでしまいました。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちをすすむ中でのできごとならとうげの上りも下りもみんなほんとうのこうふくに近づく一あしずつですから。」

 とうだいもりがなぐさめていました。

「ああそうです。ただいちばんのさいわいにいたるためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」青年がいのるようにそう答えました。

 そしてあの姉弟はもうつかれてめいめいぐったりせきによりかかってねむっていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白いやわらかなくつをはいていたのです。

 ごとごとごとごと汽車はきらびやかなりんこうの川のきしを進みました。むこうの方のまどを見ると、野原はまるでげんとうのようでした。百も千もの大小さまざまのさんかくひよう、その大きなものの上には赤い点々をうったそくりようも見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさんあつままってぼおっと青白いきりのよう、そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいなきよういろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおったれいな風は、ばらのにおいでいっぱいでした。

「いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう。」むこうのせきとうだいかんしゆがいつか黄金とべにでうつくしくいろどられた大きな苹果をおとさないようにりようひざの上にかかえていました。

「おや、どっから来たのですか。りつですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんとうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられた一もりの苹果をを細くしたり首をまげたりしながらわれをわすれてながめていました。

「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」

 青年は一つとってジョバンニたちの方をちょっと見ました。「さあ、向こうのぼつちゃんがた。いかがですか。おとり下さい。」ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまっていましたがカムパネルラは「ありがとう、」といました。すると青年は自分でとって一つずつ二人におくってよこしましたのでジョバンニも立ってありがとうと云いました。

 燈台看守はやっとりよううでがあいたのでこんどは自分で一つずつねむっている姉弟のひざにそっときました。

「どうもありかとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果りんごは。」

 青年はつくづく見ながら云いました。

「このへんではもちろんのうぎようはいたしますけれども大ていひとりでにいいものができるようなやくそくになっております。農業だってそんなにほねれはしません。たいてい自分ののぞ種子たねさえけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィックへんのようにからもないし十ばいも大きくてにおいもいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だっておだってかすが少しもありませんから、みんなそのひとそのひとによってちがった、わずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」

 にわかに男の子がぱっちり眼をあいて云いました。「ああぼくいまお母さんのゆめをみていたよ。お母さんがね立派なだなや本のあるとこにてね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」

「その苹果がそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云いました。「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」姉はわらってをさまし、まぶしそうにりようを眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイをべるようにもうそれを喰べていました。またせつかくいたそのきれいなかわも、くるくるコルクきのような形になってゆかちるまでの間にはすうっと、はいいろに光ってじようはつしてしまうのでした。

 二人はりんごを大切にポケットにしまいました。

 かわしもむこぎしに青くしげった大きな林が見え、そのえだにはじゆくしてまっ赤に光るまるがいっぱい、その林のまん中に高い高いさんかくひようが立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいないろが、とけるようにみるように風につれてながれて来るのでした。

 青年はぞくっとしてからだをふるうようにしました。

 だまってそのを聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすいみどりの明るい野原かしきものかがひろがり、またまっ白なろうのようなつゆたいようめんかすめて行くように思われました。

「まあ、あのからす。」カムパネルラのとなりのかおるとばれた女の子がさけびました。

「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまたなになくしかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わずわらい、女の子はきまりわるそうにしました。まったくわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいにれつになってとまってじっと川のこうけているのでした。

「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんとびてますから。」青年はとりなすように云いました。

 向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方から、あの聞きなれた  番のさんのふしが聞えてきました。よほどの人数でがつしようしているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまたすわりました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。ジョバンニまで何だかはなへんになりました。けれどもいつともなくだれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラもいつしよにうたい出したのです。

 そして青いかんらんの森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまいそこからながれて来るあやしいがつの音ももう汽車のひびきや風の音にすりらされてずうっとかすかになりました。

「あ、じゃくるよ。」

「ええたくさんいたわ。」女の子がこたえました。

 ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つのみどりいろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光のはんしやを見ました。

「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云いました。

「ええ、三十ぴきぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞こえたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニはにわかに何とも云えずかなしい気がして思わず、「カムパネルラ、ここからはねおりてあそんで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。

(カムパネルラ、ぼくもう行っちまうぞ。僕なんかくじらだって見たことないや)ジョバンニはまるでたまらないほどいらいらしながらそれでもかたくちびるんでこらえてまどの外を見ていました。その窓の外には海豚いるかのかたちももう見えなくなって川は二つにわかれました。そのまっくらなしまのまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人のゆるふくて赤いぼうをかぶった男が立っていました。そしてりように赤と青のはたをもってそらを見上げてしんごうしているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたがにわかに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラのしやのようにはげしくりました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまりもてつぽうだまのように川のむこうの方へんで行くのでした。ジョバンニは思わずまどからからだを半分出してそっちを見あげました。うつくしい美しいきょういろのがらんとした空の下をじつに何万という小さな鳥どもが幾組いくみも幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外でいました。「どら。」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるいふくの男はにわかに赤い旗をあげてきようのようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥のむれは通らなくなりそれと同時にぴしゃあんというつぶれたような音が川下の方でおこってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらあのあかぼうしんごうしゆがまた青い旗をふってさけんでいたのです。「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しいほおをかがやかせながらそらをあおぎました。「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニはなまないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっといきをしてだまってせきもどりました。カムパネルラが気のどくそうに窓から顔を引っめて地図を見ていました。

「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしいんとなりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立ってくちぶえいていました。

(どうしてぼくはこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこのきしのずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニはほてっていたいあたまを両手でおさえるようにしてそっちの方を見ました。(ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうにはなしているし僕はほんとうにつらいなあ。)ジョバンニのはまたなみだでいっぱいになり天の川もまるで遠くへ行ったようにぼんやり白く見えるだけでした。

 そのとき汽車はだんだん川からはなれてがけの上を通るようになりました。むこぎしもまた黒いいろの崖が川の岸をりゆうに下るにしたがってだんだん高くなって行くのでした。そしてちらっと大きなとうもろこしの木を見ました。そのはぐるぐるにちぢれ葉の下にはもううつくしいみどりいろの大きなほうが赤い毛をいてしんじゆのようなもちらっと見えたのでした。それはだんだん数をして来て、もういまはれつのように崖とせんとの間にならび思わずジョバンニが窓から顔を引っめて向うがわまどを見ましたときは美しいそらの野原のへいせんのはてまでその大きなとうもろこしの木がほとんどいちめんにえられてさやさや風にゆらぎそのりつなちぢれた葉のさきからはまるでひるの間にいっぱい日光をったこんごうせきのようにつゆがいっぱいについて赤や緑やきらきらえて光っているのでした。カムパネルラが「あれとうもろこしだねえ。」とジョバンニにいましたけれども、ジョバンニはどうしてももちがなおりませんでしたからただぶっきりぼうに野原を見たまま「そうだろう。」と答えました。そのとき汽車はだんだんしずかになっていくつかのシグナルとてんてつぎ、小さなていしやじようにとまりました。

 そのしようめんの青じろい時計はかっきりだい二時をしめしそのふりは風もなくなり汽車もうごかずしずかなしずかな野原のなかにカチッカチッと正しく時をきざんで行くのでした。

 そしてそのころなら汽車はしんかいこうきようがくのように鳴りました。

 車の中ではあのくろふくたけ高い青年もだれもみんなやさしいゆめを見ているのでした。(こんなしずかないいとこで僕はどうしてもっとかいになれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、僕といっしょに汽車にっていながら、まるであんな女の子とばかりはなしているんだもの。僕はほんとうにつらい。)ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして向こうの窓のそとを見つめていました。すきとおった硝子ガラスのようなふえが鳴って汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛をきました。

「ええ、ええ、もうこのへんはひどい高原ですから。」うしろの方でだれかとしよりらしい人の、いまがさめたという風ではきはきはなしている声がしました。「とうもろこしだってぼうで二しやくあなをあけておいてそこへかないと生えないんです。」

「そうですか。川まではよほどありましょうかねえ。」「ええええかわまでは二千尺から六千尺あります。もうまるでひどいきようこくになっているんです。」そうそうここはコロラドの高原じゃなかったろうか、ジョバンニは思わずそう思いました。あの姉が小さな妹を自分のむねによりかからせてねむらせながら黒いひとみをうっとりと遠くへげて何を見るでもなしに考えんでいるのでしたし、カムパネルラはまださびしそうにひとりくちぶえき二番目の女の子はまるできぬつつんだ苹果りんごのような顔いろをしてジョバンニの見る方を見ているのでした。とつぜんとうもろこしがなくなっておおきな黒い野原がいっぱいにひらけました。しんかいこうきようがくはいよいよはっきりへいせんのはてからきそのまっ黒な野原のなかを一人のインデアンが白い鳥のを頭につけたくさんの石をうでと胸にかざり小さな弓に矢をつがえていちもくさんに汽車をって来るのでした。

「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。おねえさまごらんなさい。」くろふくの青年も眼をさましました。ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。「走って来るわ、あら、走って来るわ。追いかけているんでしょう。」「いいえ、汽車を追ってるんじゃないんですよ。りようをするかおどるかしてるんですよ。」青年はいまどこにるかわすれたという風にポケットに手を入れて立ちながらいました。

 まったくインデアンは半分は踊っているようでした。だいいちかけるにしても足のふみようがもっとけいざいもとれ本気にもなれそうでした。にわかにくっきり白いその羽根は前の方へたおれるようになりインデアンはぴたっと立ちどまってすばやく弓を空にひきました。そこから一羽のつるがふらふらとちて来てまた走り出したインデアンの大きくひろげた両手に落ちこみました。イソデアンはうれしそうに立ってわらいました。そしてその鶴をもってこっちを見ているかげももうどんどん小さく遠くなり電しんばしらのがいがきらっきらっとつづいて二つばかり光ってまたとうもろこしの林になってしまいました。こっちがわまどを見ますと汽車はほんとうに高い高いがけの上を走っていてその谷のそこには川がやっぱりはばひろく明るくながれていたのです。

「ええ、もうこのへんから下りです。何せこんどは一ぺんにあのすいめんまでおりて行くんですからようじゃありません。このけいしやがあるもんですから汽車はけつしてむこうからこっちへは来ないんです。そらもうだんだん早くなったでしょう。」さっきのろうじんらしい声がいました。

 どんどんどんどん汽車はりて行きました。崖のはじにてつどうがかかるときは川が明るく下にのぞけたのです。ジョバンニはだんだんこころもちが明るくなって来ました。汽車が小さなの前を通ってその前にしょんぼりひとりのどもが立ってこっちを見ているときなどは思わずほうとさけびました。

 どんどんどんどん汽車は走って行きました。室中のひとたちは半分うしろの方へたおれるようになりながらこしかけにしっかりしがみついていました。ジョバンニは思わずカムパネルラとわらいました。もうそして天の川は汽車のすぐよこをいままでよほどはげしく流れて来たらしくときどきちらちら光ってながれているのでした。うすあかいわらなでしこの花があちこちいていました。汽車はようやくいたようにゆっくりと走っていました。

 向うとこっちのきしに星のかたちとつるはしを書いたはたがたっていました。

「あれ何のはただろうね。」ジョバンニがやっとものをいました。「さあ、わからないねえ、地図にもないんだもの。てつふねがおいてあるねえ。」「ああ。」「はしけるとこじゃないんでしょうか。」女の子が云いました。

「あああれこうへいの旗だねえ。きようえんしゆうをしてるんだ。けれどへいたいのかたちが見えないねえ。」

 その時向こう岸ちかくの少しりゆうの方で、見えない天の川の水がぎらっと光ってはしらのように高くはねあがりどおとはげしい音がしました。「はつだよ、発破だよ。」カムパネルラはこおどりしました。

 その柱のようになった水は見えなくなり大きなさけますがきらっきらっと白くはらを光らせて空中にほうり出されてまるえがいてまた水にちました。ジョバンニはもうはねあがりたいくらいちがかるくなっていました。「空のこうへいだいたいだ。どうだ、ますなんかがまるでこんなになってはねあげられたねえ。ぼくこんなかいたびはしたことない。いいねえ。」「あの鱒なら近くで見たらこれくらいあるねえ、たくさんさかなるんだな、この水の中に。」

「小さなお魚もいるんでしょうか。」女の子がはなしにつりまれて云いました。「居るんでしょう。大きなのが居るんだから小さいのもいるんでしょう。けれど遠くだからいま小さいの見えなかったねえ。」ジョバンニはもうすっかりげんが直っておもしろそうにわらって女の子に答えました。

「あれきっとふたのお星さまのおみやだよ。」男の子がいきなりまどの外をさしてさけびました。

 右手のひくおかの上に小さなすいしようででもこさえたような二つのお宮がならんで立っていました。

「双子のお星さまのお宮って何だい。」

「あたし前になんべんもお母さんからいたわ。ちゃんと小さな水晶のお宮で二つならんでいるからきっとそうだわ。」

「はなしてごらん。双子のお星さまが何したっての。」

「ぼくも知ってらい。双子のお星さまが野原へあそびにでて、からすとけんしたんだろう。」「そうじゃないわよ。あのね、天の川のきしにね、おっかさんお話しなすったわ、……。」「それから彗星ほうきぼしがギーギーフーギーギーフーてって来たねえ。」「いやだわたあちゃんそうじゃないわよ。それはべつのほうだわ。」「するとあすこにいまふえいているんだろうか。」「いま海へ行ってらあ。」「いけないわよ。もう海からあがっていらっしゃったのよ。」「そうそう。ぼく知ってらあ、ぼくおはなししよう。」


 川のむこう岸がにわかに赤くなりました。やなぎの木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川のなみもときどきちらちらはりのように赤く光りました。まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火がされその黒いけむりは高くきよういろのつめたそうな天をもがしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしくったようになってその火は燃えているのでした。「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云いました。「さそりの火だな。」カムパネルラがまた地図と首っ引きして答えました。「あら、蠍の火のことならあたし知ってるわ。」

「蠍の火って何だい。」ジョバンニかききました。「蠍がやけてんだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんからいたわ。」「蠍って、虫だろう。」「ええ、蠍は虫よ。だけどいい虫だわ。」「蠍いい虫じゃないよ。ぼくはくぶつかんでアルコールにつけてあるの見た。にこんなかぎがあってそれでされると死ぬって先生が云ったよ。」「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さんう云ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蠍がいて小さな虫やなんかころしてたべて生きていたんですって。するとある日いたちにかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けんめいげて遁げたけど、とうとういたちにおさえられそうになったわ、そのときいきなり前にがあってその中にちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりはおぼれはじめたのよ。そのときさそりは斯う云っておいのりしたというの。

 ああ、わたしはいままで、いくつのもののいのちをとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちにれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうかかみさま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこのつぎにはまことのみんなのしあわせのために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蠍はじぶんのからだが、まっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみをらしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さんおつしやったわ。ほんとうにあの火それだわ。」

「そうだ。見たまえ。そこらのさんかくひようはちょうどさそりの形にならんでいるよ。」

 ジョバンニはまったくその大きな火のむこうに三つの三角標がちょうどさそりのうでのようにこっちに五つの三角標がさそりのやかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるくえたのです。

 その火がだんだんうしろの方になるにつれてみんなは何ともえずにぎやかな、さまざまのがくや草花のにおいのようなもの、くちぶえや人々のざわざわ云う声やらを聞きました。それはもうじきちかくに町か何かがあってそこにおまつりでもあるというような気がするのでした。

「ケンタウルつゆをふらせ。」いきなりいままでねむっていたジョバンニのとなりの男の子が向うのまどを見ながらさけんでいました。

 ああそこにはクリスマストリイのようにまっ青なとうかもみの木がたってその中にはたくさんのたくさんのまめでんとうがまるで千のほたるでもあつまったようについていました。

「ああ、そうだ、今夜ケンタウル祭だねえ。」「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」カムパネルラがすぐ云いました。〔以下原稿一枚?なし〕



「ボールげならぼくけつしてはずさない。」

 男の子がおおりでいました。

「もうじきサウザンクロスです。おりるたくをしてください。」青年がみんなに云いました。

「僕、も少し汽車にってるんだよ。」男の子が云いました。カムパネルラのとなりの女の子はそわそわ立って支度をはじめましたけれどもやっぱりジョバンニたちとわかれたくないようなようすでした。

「ここでおりなけぁいけないのです。」青年はきちっと口をむすんで男の子を見おろしながら云いました。「いやだい。僕もう少し汽車へ乗ってから行くんだい。」ジョバンニがこらえねて云いました。「僕たちといつしよに乗って行こう。僕たちどこまでだって行けるきつってるんだ。」「だけどあたしたち、もうここで降りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから。」女の子がさびしそうに云いました。

「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」「だっておっさんも行ってらっしゃるしそれにかみさまがっしゃるんだわ。」「そんな神さまうその神さまだい。」「あなたの神さまうその神さまよ。」「そうじゃないよ。」「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年はわらいながら云いました。「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです。」「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることをいのります。」青年はつつましくりようを組みました。女の子もちょうどその通りにしました。みんなほんとうにわかれがしそうでその顔いろも少し青ざめて見えました。ジョバンニはあぶなく声をあげてき出そうとしました。

「さあもうたくはいいんですか。じきサウザンクロスですから。」

 ああそのときでした。見えない天の川のずうっとかわしもに青やだいだいやもうあらゆる光でちりばめられたじゆうがまるで一本の木という風に川の中から立ってかがやきその上には青じろい雲がまるいになってこうのようにかかっているのでした。汽車の中がまるでざわざわしました。みんなあの北の十字のときのようにまっすぐに立ってお祈りをはじめました。あっちにもこっちにもどもうりびついたときのようなよろこびの声や何ともいようないふかいつつましいためいきの音ばかりきこえました。そしてだんだん十字架は窓のしようめんになりあの苹果りんごの肉のような青じろいの雲もゆるやかにゆるやかにめぐっているのが見えました。

「ハレルヤハレルヤ。」明るくたのしくみんなの声はひびきみんなはそのそらの遠くからつめたいそらの遠くからすきとおった何とも云えずさわやかなラッパの声をききました。そしてたくさんのシグナルやでんとうのなかを汽車はだんだんゆるやかになりとうとう十字架のちょうどまむかいに行ってすっかりとまりました。「さあ、下りるんですよ。」青年は男の子の手をひき姉妹たちはたがいにえりやかたを直してやってだんだん向うの出口の方へ歩き出しました。「じゃさよなら。」女の子がふりかえって二人に云いました。「さよなら。」ジョバンニはまるでき出したいのをこらえておこったようにぶっきりぼうに云いました。女の子はいかにもつらそうにを大きくしてもいちこっちをふりかえって、それからあとはもうだまって出て行ってしまいました。汽車の中はもう半分以上もいてしまいにわかにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいにみました。

 そして見ているとみんなはつつましくれつを組んであの十字架の前の天の川のなぎさにひざまずいていました。そしてその見えない天の川の水をわたってひとりのこうごうしい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。けれどもそのときはもう硝子ガラスよぶは鳴らされ汽車はうごき出しと((ママ)思ううちにぎんいろのきりが川下の方からすうっとながれて来てもうそっちは何も見えなくなりました。ただたくさんのくるみの木がをさんさんと光らしてその霧の中に立ち黄金の円光をもった電気わいい顔をその中からちらちらのぞいているだけでした。


 そのとき、すうっときりがはれかかりました。どこかへ行くかいどうらしく小さな電燈のいちれつについた通りがありました。

 それはしばらくせん沿ってすすんでいました。そして二人がそのあかしの前を通って行くときはその小さなまめいろの火はちょうどあいさつでもするようにぽかっとえ二人がぎて行くときまたくのでした。

 ふりかえって見るとさっきの十字架はすっかり小さくなってしまいほんとうにもうそのままむねにもつるされそうになり、さっきの女の子や青年たちがその前の白いなぎさにまだひざまずいているのかそれともどこか方角もわからないその天上へ行ったのかぼんやりして見分けられませんでした。

 ジョバンニは、ああ、とふかいきしました。「カムパネルラ、またぼくたち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでもいつしよに行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのさいわいのためならば僕のからだなんか百ぺんいてもかまわない。」「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラのにはきれいななみだがうかんでいました。「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。

「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニがむねいっぱい新らしい力がくようにふうと息をしながら云いました。

「あ、あすこせきたんぶくろだよ。そらのあなだよ。」カムパネルラが少しそっちをけるようにしながら天の川のひととこをゆびさしました。ジョバンニはそっちを見て、まるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどおんとあいているのです。そのそこがどれほどふかいかそのおくに何があるかいくらをこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんといたむのでした。ジョバンニが云いました。「僕もうあんな大きなやみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒にすすんで行こう。」「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんなあつまってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのはぼくのお母さんだよ。」カムパネルラはにわかにまどの遠くに見えるきれいな野原をしてさけびました。

 ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。何とも云えずさびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたらむこうのかわぎしに二本のでんしんばしらがちようりようほうからうでを組んだように赤いうでをつらねて立っていました。「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニがう云いながらふりかえって見ましたら、そのいままでカムパネルラのすわっていたせきに、もうカムパネルラの形は見えず。

 ジョバンニはまるでてつぽうだまのように立ちあがりました。そしてだれにも聞えないようにまどの外へからだをり出して力いっぱいはげしくむねをうって叫びそれからもういっぱいきだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。


 ジョバンニはをひらきました。もとのおかの草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしくほてほおにはつめたいなみだがながれていました。

 ジョバンニはばねのようにはねきました。町はすっかりさっきの通りに下でたくさんのつづってはいましたがその光はなんだかさっきよりはじゆくしたという風でした。そしてたったいまゆめであるいた天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な南のへいせんの上ではことにけむったようになってその右にはさそりの赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいのはそんなにかわってもいないようでした。

 ジョバンニはいつさんに丘を走って下りました。まだ夕ごはんをたべないでっているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされたのです。どんどん黒いまつの林の中を通ってそれからほの白いぼくじようさくをまわってさっきの入口からくらぎゆうしやの前へまた来ました。そこには誰かがいま帰ったらしくさっきなかった一つの車が何かのたるを二つっけていてありました。

こんばんは。」ジョバンニは叫びました。

「はい。」白い太いずぼんをはいた人がすぐ出て来て立ちました。

「なんのご用ですか。」

「今日ぎゆうにゆうがぼくのところへ来なかったのですが。」

「あみませんでした。」その人はすぐおくへ行って一本の牛乳びんをもって来てジョバンニにわたしながら、またました。

「ほんとうに済みませんでした。今日はひるすぎうっかりしてこうしの柵をあけておいたもんですからたいしようさつそく親牛のところへ行って半分ばかりんでしまいましてね……。」その人はわらいました。

「そうですか。ではいただいて行きます。」「ええ、どうも済みませんでした。」「いいえ。」ジョバンニはまだあつちちびんを両方のてのひらでつつむようにもって牧場のさくを出ました。

 そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみちは十文字になってその右手の方通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあかりをながしに行った川へかかった大きなはしのやぐらが夜のそらにぼんやり立っていました。

 ところがその十字になった町かどや店の前に女たちが七、八人ぐらいずつあつまって橋の方を見ながら何かひそひそはなしているのです。それから橋の上にもいろいろなあかりがいっぱいなのでした。

 ジョバンニはなぜかさあっとむねつめたくなったように思いました。そしていきなり近くの人たちへ、

「何かあったんですか。」とさけぶようにききました。

「こどもが水へちたんですよ。」一人が云いますとその人たちはいつせいにジョバンニの方を見ました。ジョバンニはまるでちゆうで橋の方へ走りました。橋の上は人でいっぱいでかわが見えませんでした。白いふくじゆんも出ていました。

 ジョバンニは橋のたもとからぶように下の広いわらへおりました。

 その河原のみずぎわ沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。むこぎしくらいどてにも火が七つ八つうごいていました。そのまん中をもうからすうりのあかりもない川が、わずかに音をたててはいいろにしずかにながれていたのでした。

 河原のいちばんりゆうの方へのようになって出たところに人の集りがくっきりまっ黒に立っていました。ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。するとジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソに会いました。マルソがジョバンニに走りってきました。「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」「どうして、いつ。」「ザネリがね、ふねの上から烏うりのあかりを水のながれる方へしてやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へっこったろう。するとカムパネルラがすぐびこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」「みんなさがしてるんだろう。」「ああ、すぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれどもからないんだ。ザネリはうちへれられてった。」

 ジョバンニはみんなのるそっちの方へ行きました。そこに学生たち町の人たちにかこまれて青じろいとがったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒いふくてまっすぐに立って右手にった時計をじっと見つめていたのです。

 みんなもじっとかわを見ていました。だれも一言もものう人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。魚をとるときのアセチレンランプがたくさんせわしく行ったり来たりして黒い川の水はちらちら小さななみをたてて流れているのが見えるのでした。

 下流の方の川はばいっぱいぎんおおきくうつって、まるで水のないそのままのそらのように見えました。

 ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。

 けれどもみんなはまだ、どこかのなみの間から、

「ぼくずいぶんおよいだぞ。」と云いながらカムパネルラが出て来るかあるいはカムパネルラがどこかの人の知らないにでもいて立っていて誰かの来るのをっているかというような気がしてかたないらしいのでした。けれどもにわかにカムパネルラのお父さんがきっぱり云いました。

「もうです。ちてから四十五分たちましたから。」

 ジョバンニは思わずかけよってはかの前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知っていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云おうとしましたがもうのどがつまって何とも云えませんでした。すると博士はジョバンニがあいさつに来たとでも思ったものですか、しばらくしげしげジョバンニを見ていましたが、

「あなたはジョバンニさんでしたね。どうもこんばんはありがとう。」とていねいに云いました。

 ジョバンニは何も云えずにただおじぎをしました。

「あなたのお父さんはもう帰っていますか。」博士はかたく時計をにぎったまままたききました。

「いいえ。」ジョバンニはかすかに頭をふりました。

「どうしたのかなあ、ぼくには一昨日おととい大へん元気な便たよりがあったんだが。今日あたりもうくころなんだが。船がおくれたんだな。ジョバンニさん。あしたほうみなさんとうちへあそびに来てくださいね。」

 そう云いながら博士はまた川下のぎんのいっぱいにうつった方へじっとおくりました。ジョバンニはもういろいろなことでむねがいっぱいでなんにも云えずに博士の前をはなれて早くお母さんにぎゆうにゆうを持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思うともういちもくさんわらまちの方へ走りました。

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銀河鉄道の夜 宮沢賢治/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official

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